第3章 ポルトガル商人アルバレスがみた日本社会(1)
前章においては、16世紀に本格的に布教を開始するために来日した数多くの宣教師らの書簡から当時の日本の社会について分析してきた。しかし、序章でも述べたように、彼ら宣教師らの記述には、彼らが宣教師として布教を第一に考えて活動しているがゆえに、いくらかの偏りがあることは否めない。そこで本章においては、こうした布教を最たる目的として来日した宣教師ではなく、商業取引のために来日した商人の存在に注目し、彼らの中でも特にポルトガル商人の1人であるジョージ・アルバレスを取り上げ、彼の書簡に書き記された日本の社会について考察したい。
使用史料は、ジョアン・ルイス・デ・メディナの編んだ書簡集『日本史料』に収録されたアルバレスの書簡(Gorge Alvarez a Francisco de Xavier, Malaca,1546/1547)である。はじめにこの書簡に関して以下に述べたい。ヨーロッパ人で初めて直接的に日本へ訪れ、自らの手によって日本について描写したところに大きな特徴がある。つまり、ヨーロッパ人によって真の意味で直接的に日本の情報を書き記した報告書の端緒であるといえる。またもう1つの特徴としてその記述の正確性が挙げられる。アルバレスは日本の地理情報や日本人の習慣について非常に正確に書き表しているのである。アルバレスによって1546年12月から翌1547年1月にかけて作成されたとされるこの報告書は、後にザビエルが日本でのキリスト教布教の戦略を決定するに際して非常に重要な情報を与えたといわれる。
アルバレスが当時書いた書簡の原本自体は現在のところその所在が不明であるものの、原本を写したものがポルトガル語版3冊とスペイン語版5冊、イタリア語版3冊として残されており、メディナはこの中でもイエズス会ローマ文書館(ARSI)に所蔵されている1551年に写されたポルトガル語版の書簡を収録している。
本章ではこれを使用して宣教師とは異なる立場にあって日本社会を目の当たりにした商人アルバレスの記述から分析を進めていく。
第1節 アルバレスがみた日本の地理
まずここでは、アルバレスの記述のうち、日本の地理情報を伝えたもののなかで興味深いものをいくつか挙げたい。次の[史料1][史料2]は日本に特有の地震と台風について述べたものである。
[史料1]
“Esta terra de Japao treme algumas vezes. E terra de muito enxofre. Ha ilhas de fogo que todo ho anno deitao fumo. Algumas taobem fogo. Delas sao povoadas, delas nao. Pela maior parte todas sao ilhas piquenas. E terra esta do Japao muito ventosa e chea de tormentas. Cada lua nova e chea a mudamento de tempo. Principalmente no mes de Setembro vem cada anno hum vento tao rijo que nao ha cousa que ho spere. Porque da com os navios em sequo tres ou quatro bracas pela terra dentro , e se estaop em terra, as vezes torna ao mar.”
(日本語訳)
“この日本という土地はたまに揺れる。また硫黄が多い土地でもある。年中煙を出す炎の島(火山)がある。その中のいくつかが噴火もする。そういった島々においても何人か住んでいるようだ。もちろん人々が住まない島もあり、これらはたいてい小さい島であるようだ。この日本という土地ではよく風が吹き、災害が多い。毎回、新月と満月の際には天候が変わる。特に、9月には耐えられないほど強い風が吹きつけてくる。(余りの強さに)船が3、4ブラサス(距離の単位)も海岸に上陸するほどである。一方で、浜に置いてあった船は風によって海に戻ってしまうほどである。”
[史料2]
“Al tempo donde eu estava, a ttrinta leugoas se perderao sesenta e dous navios chins e huma nao portuguesa. Dura sos vinte he quatro oras, e comeca no Sul e acaba no Noroeste, correndo por todos os rumos. He vento que he conhecido por huma chuvazinha que vem sempre diante e com este sinal se asegurao os homens da terra.”
(日本語訳)
“私が滞在した時期には、30レグアもの長い距離に62隻もの中国船が漂流し、ポルトガル船1隻も流されて無くなってしまった。その風は24時間吹き続け、南よりの風が北西に流れるが、八方に走り続ける場合もある。その風がやってくる直前には少しだけ雨が降り、その土地の男たちはよく分かる合図として認識していた。
[史料1][史料2]によれば、アルバレスは日本の地理的特徴として地震や活火山の多さについて着目している。日本の島々の多さについてもよく認識しており、土地環境に関係してそこで生活を営む人々の存在についても詳しく知り得ていたようである。また、日本特有の台風や災害の多さにも高い関心をもっており、彼が日本において滞在した間に経験した台風の様子を極めて詳細に書き綴っているのである。30レグア、つまりおよそ140km(1レグア=約4.7km)もの長い距離にわたって多くの船舶が流されてしまうほどの脅威的な威力に対して非常に驚きをもって記述している。同時に当時の日本の人々が、経験的に台風の予兆を読み取りながら多くの災害と向き合って生きている様子が分かる。
[史料3]
“As casas da terra do Japao sa baixas por causa dos ventos. Sao casas bem feitas e de tavoado todas, e sao cubertas com telhas de pao, com pedras emcima por causa do vento, que nao sao pregadas. Sao estas casas de altura de hum covado de chao tem repartimentos de camaras e antecamaras, e camara onde tem suas varelhas, na qual nao dorme ninguem . Estes sobrados sao todos acolchoados com colchois de palha mui limpos e mui bem feitos, nos quaes nao entra ninguem calcado. Nao tem estas casas nenhuma maneira de fechaduras nem candeados.”
(日本語訳)
“このように風が強く吹き付けてくるために、日本の家は低い造りをしている。木造でとてもしっかりと築かれる。風を防止するために石を載せた木の屋根で全体を覆うようだ。その石は屋根に接着はされず、ただそのまま置かれるだけである。日本の家屋は地面から1コヴァド(約50cm)離れており、倉庫と寝室が兼ね備えられている。その道具置き場となる倉庫には誰も寝たりはしない。日本の家屋はとてもよくできた小奇麗な藁のマットが敷かれ、そのマットを誰も裸足で入ったりはしない。また、日本の家屋には鍵が1つもないのである。”
[史料3]ではしばしば台風に苛まれた日本における家屋建築の特徴を述べている。当時の日本では強い風の吹き付けに対して低い家屋の造りを設定し、とてもしっかりとした木造建築が築かれることに注目している。同時に強風を防止するために屋根に石を載せる日本人の工夫も見逃さずに記述している。こうした強固な家屋造りに関する記述とともに当時の日本家屋のつくりの特徴として、倉庫と寝室が兼ね備えられた様子や極めて精緻に作られた“藁のマット”つまり、日本の伝統的な畳についても注目している。とりわけここではアルバレスが日本のどの家屋にも鍵が1つもないことに注目する点も大変興味深い。