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星光を継ぐ者ども 第十六回

星光を継ぐ者ども 第16回 森 雅裕

 十月十二日。米西海岸から六百海里。ここまで来れば、敵艦艇に出くわすこともあるまい。艦長は「横須賀に帰港するまでは戦場だ」と訓示したが、雲が低く、敵の哨戒機に見つかることもなかろう。

 これまで浮上は夜に限っていたが、昼間も水上を航行し、乗組員たちには交替で煙草を吸う余裕が生じていた。

 すると、

「左艦首、主力艦のマスト二本!」

 見張りが叫んだ。警報が鳴り響き、急速潜航の緊張が艦内に走った。こんなところに主力艦とはどういうことか。

「魚雷戦用意!」

 一本だけ残った魚雷は不調のために使わなかったものだが、連管長はあきらめずに調整を続けていた。彼の娘と同じ名前をつけ、丹精込めて仕上げた魚雷である。

 深度十八メートル。艦長が潜望鏡を覗き、冷静に告げた。

「敵は潜水艦二隻。こちらへ向かってくる」

 発見した主力艦とは別物か。それとも見誤ったのか。いささか拍子抜けしたが、潜水艦を侮ることはできない。その脅威は同じ潜水艦乗りとして、よくわかっている。

「先頭の艦に五百メートルまで近づくぞ。深度二十メートル」

 波が高いので、深度調整に苦労しながら忍び寄った。さらに深度十五メートルに上げる。艦長の号令一下、魚雷が艦体を震わせて飛び出し、圧搾空気が耳を打った。時計を見つめ、三十秒も計らないうちに爆発音が起きた。近い。目の前で爆発したかと思うほどの轟音だった。

「命中!」

 歓声があがった瞬間、さらに爆発が繰り返された。揺さぶられて艦内のペンキが剥げ落ち、電灯が消え、艦が大きく傾く。爆雷攻撃でも味わったことがない、反撃されたかと錯覚するほどの衝撃だ。敵艦の搭載した魚雷が誘爆したのである。乗組員たちは思わず近くにしがみついた。

 電灯が点くと、誰もがひきつった顔を見合わせた。海中から金属のへしゃげる音と吹き出す気泡の音が伝わってくる。巨大な怪物が泣き叫んでいるかのようだ。水圧につぶされ、海底へと引きずり込まれる潜水艦の断末魔だった。明日は我が身。もう歓声をあげる者はいない。

 一隻は沈めたが、残る一隻が恐慌をきたして闇雲に砲撃を始め、爆発音が間断なく続いた。しかし、こちらの位置はつかまれていないらしく、爆発音は遠い。伊二五は息をひそめながら、離脱した。

 その夜は猛烈な荒天となり、歴戦の乗組員たちも枕を並べて倒れ込むほどの船酔いに見舞われた。

「沈めた潜水艦の祟りだ」

 誰からともなく、そんな声が出た。

 

 翌日、水上航行で「帰心矢のごとく」日本を目指していると、

「右三十度、漂流物」

 見張りが叫び、先任が問い返した。

「漂流物とは何か」

「人間のようです」

「何だとお」

 近づくと、転覆した水上機である。正確には水上機の残骸だ。かろうじて浮かんでいるフロートに一人の男がしがみついていた。日本機ではない。国籍マークは海面下にあって、見えなかった。

 男は搭乗員である。引き上げるとまだ若く、どうも米兵ではないようだ。憔悴して声は小さいが、英語だけでなくもうひとつの言語が混じっている。

 先任将校が洋上の残骸を指し、信雄に訊いた。

「飛行長。あの飛行機、わかるか」

「ソ連艦が搭載している複葉水上機のようですが……北太平洋にいる理由がわかりませんな」

 こうした水上機はバルト海、黒海の艦隊や沿岸基地に配備されているはずだ。日本とソ連の間には中立条約が結ばれており、今のところ敵ではない。もっとも、盟邦ドイツの敵であり、アジアにおいては中国への軍事援助を続けているソ連であるから、心を許せるわけでもない。

 救助された搭乗員は軍医長の診断を受けたあと、士官室の隅に居場所を与えられた。ソ連海軍少尉だった。敵ではないから捕虜という扱いではないが、監視も訊問もしないわけにはいかない。

 信雄は飛曹長という准士官なので士官室の使用を許されており、訊問の様子を傍らで見ていた。訊問は英語で行われた。艦長は海軍兵学校出身だから英語教育を受けているし、軍医長も語学力はある。

 ソ連士官はアルセン・バカーチンと名乗った。それを聞いた軍医長が眉根を寄せた。

「バカチン? ふざけてるのかな」

「いやいや。日本人の名前だって、向こうの人間が聞けば笑えるものがあるでしょう」

 信雄は同じ水上機乗りということもあって、何となく親近感を覚えている。訊問が一段落し、軍医長がビタミン剤でも打ってやろうと準備を始めたところで、艦長と信雄は士官室を出た。

「まずいことになったぞ」

 艦長はあまりまずそうでもなく、いった。

「あいつはソ連の巡洋艦から飛んできたようだ。仲間の潜水艦が攻撃されたので哨戒していたらしいが、飛行機がソ連でも札付きの欠陥機で、エンジン不調で不時着水……というより墜落したらしい。偵察員は死んだそうだ」

「仲間の潜水艦というと……」

「俺たちが撃沈したフネだよ。あれは米艦じゃなくソ連艦だったらしい」

「それはまずいですなあ。しかし、何故、ソ連艦がこのへんの海に?」

「あいつは答えないが、アメリカとの連絡にあたっていたか、艦艇を極東から北氷洋へ回航しているんだろう」

 バルト海のソ連基地はドイツ軍に封鎖され、黒海もまたボスポラス海峡の軍艦通過は国際条約によって禁じられている。ソ連艦が往来できるのは北氷洋と極東の間だけである。

 連合国の援ソ物資の輸送が始まった北氷洋方面へウラジオストックの艦艇を回航しているわけだが、水上艦は北極ルートでムルマンスクへ向かい、氷に弱い潜水艦はアリューシャン、サンフランシスコ、パナマ運河を経由する遠大な太平洋・大西洋コースをとる。むろん、ソ連軍にしてみれば極秘行動であり、伊二五の乗員が知るところではない。

 伊二五の幹部たちが当惑したのは、敵ではないソ連艦を撃沈すれば重大な国際問題になるということだった。日本の潜水艦がこんなところにいたら、当然、下手人として疑われる。

 艦橋で指揮をとっていた先任将校がラッタルを降りてきて、話を聞いていないのに内容は察したらしく、

「面倒だ。殺して海へ放り込みますか。死人に口なし」

 ブッキラボーにいった。もともと愛想などないが、心は熱い男だ。本気なのか冗談なのか、わからない。しかし、艦長は、

「一度は救助したものを殺すというのはシーマンシップとして、どうなのかね」

 と、却下した。

「ただし、本艦が潜水艦を撃沈したことは、あいつにはいうな。すっとぼけておけ」

 いわれるまでもない。

 その後はアルセン・バカーチンに日本の雑誌を見せてやったり、トランプに興じたり、慣れぬ日本食に顔をしかめさせり、和やかなやりとりが続いた。そうしたうわべだけの国際交流の合間に、

「仲間の潜水艦は何者に攻撃されたんだ?」

 しらばっくれて質問すると、

「Uボートにやられたかな」

 アルセンもまたそらとぼけた。本気でいっているのではあるまい。日米開戦以来、北氷洋はドイツ海軍の跋扈を許さなくなっており、昭和十八年以降はモンスーン戦隊と称されるUボートがインド洋と太平洋に進出するが、それにしても北太平洋は活動範囲ではない。昭和十七年十月の北太平洋でソ連艦が攻撃されたなら、日本かアメリカによる誤認と考えるのが自然だ。

「ふふ、冗談だよ。あの海域はアメリカが機雷を敷設しているから、そいつに触れたんだろう。ソ連海軍はアメリカ海軍が情報交換を申し出ても無視しているからね」

 アルセンはそう語りながら、苦笑と真顔を交互に見せた。まあ、そういうことにしておくのが懸命だろう。

 信雄は志願ではなく徴兵で海軍に入り、三等水兵で操練二十期に選抜されたので、兵学校や予科練のような英語教育は受けていない。暇な軍医長が通訳である。

「日本軍の士官は軍刀を持っているそうだな。それがそうか」

 アルセンが士官室の壁にかけられた数本の軍刀を指した。

「俺は美術学校に通っていた。日本の工芸品に興味がある。見せてくれ」

 軍医長はかなりはしょった翻訳をしたが、手振りをまじえながらだから、大体は伝わる。

 信雄が自分の軍刀を抜いて渡すと、アルセンは目を丸く見開いた。

「凄い。水の流れに石を投げ込んだような肌模様が出ているな」

 軍医長はすました表情で、アルセンの感動を伝える。

「……たぶん、そんなことをいってる」

 さらにアルセンは尋ねた。

「飛行機にも持ち込むのか」

 信雄は答えない。

「日本の潜水艦は飛行機を積んでいるのだろう」

「日本じゃ潜水艦が空を飛ぶよ。秘密兵器だ」

「とぼけるな。俺は馬鹿じゃないぞ。馬鹿だと思われているとしたら通訳が悪い。この艦の前甲板にはカタパルトが装備されてるじゃないか。士官室には飛行帽や飛行服もある」

 艦長さえ通路の脇に寝ている潜水艦の中では、隠し事はできない。

「飛行機も見たいというのか。まあ、そのうち機会があるさ」

 と、信雄はしらばっくれた。

 潜水艦では本格的な整備はできず、どうせ横須賀へ入港する前には追浜の水上機基地へ飛ばすのだから、アルセンの目から隠し通せるものではない。だが、日本近海といえども会敵を警戒し、ハッチも艦橋しか開けていない。ましてや招かざる客のために格納筒を開けることはできなかった。

 その機会が来たのは十月二十四日である。朝霧の中、軍艦旗を掲げた伊二五は房総半島を回り込み、浦賀水道へ近づいた。

 上空を日の丸つけた哨戒機が飛び、懐かしい日本の漁船があちこちに見える。手を振る漁師に伊二五の乗組員も振り返す。そんな光景を眺めながら、信雄は艦長に声をかけた。

「風がないですね」

「うーん。浦賀水道で全力走行はしたくないな」

「水上発進にしてもらえますか」

 無風の海上では、伊二五が全力走行しても、カタパルト射出に充分な速度を得るのはむずかしいだろう。ゆえに潜偵をデリックで海面に降ろし、水上滑走するのである。

「そうだな。そうしよう」

「バカチンを閉じ込めておかないと飛行機を見られますが」

 アルセン・バカーチンは親愛の情をこめてバカチンと呼ばれるようになっている。

 田上艦長は泰然と構えている。

「よかろう。日本海軍の優秀さを見せてやれ」

 発艦準備の号令がかかった。アルセンは艦橋前に陣取り、見物している。しかし、飛行関係員が格納筒の前扉を開けようとするが、これがまったく動かない。

 掌整備長が頭を抱えた。

「まずいな。浸水したかも知れん」

 濡れたため、重い鉄の前扉が開口部に吸着してしまったらしい。密閉用のゴム部をハンマーで叩いてもビクともしない。整備員が数人がかりでケッチ(留め具)のハンドルを揺さぶった。

 バン! と破裂音を発し、前扉がはじけるように開いた。整備員の一人がその前扉に直撃され、吹っ飛んだ。

「あぶない!」

 整備員の身体は右舷の起倒式デリックに一旦ぶつかり、そこから海へ転がり落ちる寸前、アルセンが飛びついた。咄嗟に手首をつかむ。二人とも落ちそうだ。

「落とすな!」

 乗組員たちが殺到して、必死で引き上げた。助け上げた整備員は動けず、呻いている。

 掌整備長が浸水した格納筒を調べ、

「何が起きたんだ。何か匂うぞ」

 目を瞬かせ、息苦しそうに甲板へ出て来た。

「揮発油の缶がひっくり返っていた。そいつが充満して、格納筒内部の圧力が上がったらしい」

 軍医長が負傷した整備員に応急処置をほどこした。

「腕と肋骨を骨折したな。入港が近い。甲板で横になっていろ」

 前甲板は潜偵発進の準備があるから負傷者は後甲板へ運ばれ、先任将校がアルセンに煙草をすすめた。

「よく乗組員を救ってくれたな、バカチン」

 礼をいったが、名前の呼び方には親しみなのか皮肉なのか、やたらと力がこもっていた。

「ここは邪魔だから、煙草は後甲板で吸え」

「ありがとう。しかし、飛行機を見ていますよ」

 そんなやりとりがされたことは信雄にもわかった。

 飛行機が格納筒から引き出され、旋回盤の上で点検を行った。海水をかぶっているが、見たところ破損はしてない。

「飛ばせるかどうかは試運転してみなきゃわからんな」

 掌整備長のその言葉にも余裕がある。ここは前線ではなく母国なのである。

「俺が追浜へ飛んでいったら、置いてある羊羹はやるよ」

 信雄がそういうと、掌整備長は力強く潜偵の機体を叩いた。

「そうか。じゃ、ぜひとも飛ばしましょう」

 組み立てられた潜偵に整備の先任下士が乗り込み、エンジン始動を試みる。だが、バタバタと力のない音だ。カウリングを前方へ開き、掃除と調整が始まる。

 アルセンが格納筒の脇の手摺をつかみながら、その様子を見ている。信雄と目が合うと、呼んだわけでもないのに近づいてきた。

「こいつはいい。俺が乗っていたオンボロのベリエフBe-2とは違う」

 零式小型水偵は日米開戦とほぼ同時に配備が始まった新鋭機で、潜水艦搭載の飛行機を実用化したのは日本海軍だけである。

「ずんぐりして尾翼がでかい形状から、金魚と呼ばれている」

「小さい飛行機だな。こういう細工は日本人は得意なようだ」

「骨組みは木金混成。外皮も金属と羽布張りを混用している。浮舟は金属製だ」

「今日は念入りに時間をかけて組み立てたようだが、本気を出せば何分でやれる?」

 浮上から発進まで、夜でも十五分ほどだ。十分を切る潜水艦もあるようだが、急ぐあまりミスをしては元も子もない。いずれにせよ、ソ連士官に教える義理はない。

「軍機密だ」

 アルセンは苦笑しつつ、各部を熱心に覗き込み、撫で回した。こいつも飛行機乗りなのだ。

 整備の甲斐あって、エンジンは咳き込みながら息を吹き返した。時折、機嫌が悪くなるが、戦場では整備万全な飛行機など望めない。それに追浜の水上機基地は目の前だ。

 艦橋に上がり、準備完了を艦長へ告げた。

「行けるか」

「やってみます。水上発進ならエンジンの機嫌をうかがいながら離水できます」

「うん。無理するなよ。おかしいと思ったら引き返せ」

 信雄と奥田兵曹は飛行機とともにデリックで吊り上げられ、海上へ降りた。信雄はアルセンを振り返った。敬礼している。信雄も返礼した。

 エンジンは一旦停止していたが、奥田兵曹がフロートの上に立ち、

「発動します!」

 エナーシャを回し、回転が上がったところで、

「コンタクト!」

 信雄がスイッチを入れると、エンジンが咆吼した。奥田兵曹は後部席へおさまり、いつもと変わらぬ明るい声で、いった。

「こちら、よろしいです」

「よし。行くぞ」

 滑走を始める。エンジン、機体ともに異音も震動もなく、操縦装置にも異常はない。そのまま離水した。

 伊二五の上空で旋回し、大丈夫だと合図すると、艦上の乗組員たちも手を振っている。

 

 作戦を終えて横須賀に帰港した海軍軍人の多くは鶴岡八幡を参拝する。信雄はペアを組む奥田省二兵曹とともに参拝し、それから横須賀の刀剣商へ足を運んだ。

「自分も刀には興味あります」

 奥田がそういうので同道した。借りていた村正の軍刀を携えたのだが、その店は固く出入口を閉ざしていた。近所で尋ねると、ひと月ほど前に主人が急死し、後継者もなく閉店してしまったらしい。

 修理を依頼した軍刀がどうなったかもわからない。借金があったらしく、店の商品は債権者が洗いざらい持ち去っていた。泣き寝入りした客は多いようだ。

 奥田兵曹は肩を落とし、しかし明るい声で、いった。

「飛行長も泣き寝入りですか」

「それはどうかなあ。俺が預けた軍刀は家伝の刀ではあるが、借りた村正の方が価値は高いだろう」

「しかし、こういうことがあるんですねぇ」

 運命だと奥田はいいたいのだろう。老いたあの刀剣商も語っていた。

「刀には運命というものがあり、巡り会うべき人がいる」と。

 戦火をくぐると人は運命論者になる。戦場で生き残るのに能力や人格など関係ない。ほんの数秒、数センチかそこらの違いで生と死が分かれるのだ。

 村正の軍刀は思いがけず信雄の手に残った。これには何かしら意味があるのだろう。

 

 米本土爆撃から帰還した伊二五潜は、さらに南方作戦に参加するべくトラック島基地へ進出。ガダルカナル、ニューギニアを転戦して年を越し、昭和十八年二月、トラック島へ帰港した。

 その後、艦長が交代し、藤田信雄と奥田省二にも転任命令が待っていた。以後、信雄は霞ヶ浦の鹿島航空隊で教官として後進の指導にあたり、また昭和二十年二月には、複葉水上機である零式観測機を駆ってグラマンF6Fを撃墜するという熟練技も発揮した。

 終戦間際には搭乗員の誰もがそうであったように特攻を志願し、九州指宿基地へ進出することになったが、直前に終戦となった。最終階級は海軍中尉。

 アルセン・バカーチンは大船の海軍警備隊植木分遣隊へ送られ、そこから横浜へ移されたと聞いた。捕虜収容所である。敵兵でもないのに、どういうことかと信雄は疑問に思ったが、戦争の激化にまぎれて忘れてしまい、その後の消息は耳に入らなかった。

 そして、藤田信雄の人生は飛行機を降りた戦後こそ、この人物の真骨頂というべきものとなっていくのである。

星光を継ぐ者ども 第十五回

星光を継ぐ者ども 第15回 森 雅裕

 午後には駆逐艦のスクリュー音が聴音機に入ってきた。それも複数だ。

 深度百。伊二五は無音潜航の微速で脱出を図るが、敵のスクリュー音は聞こえ続ける。駆逐艦三隻が散開したようだと聴音長が報告した。三角形の中に伊二五は囲まれたのである。

「探知音入る。百八十度より接近。高速。見つかった!」

「水中高速。取舵一杯!」

「感三。まっすぐ来る。感四。近い。感五」

 不気味なスクリュー音が大きくなる。機関車にも似た死神の哄笑だった。

「直上。爆雷!」

 聴音長は耳からレシーバーをはずし、聴音機のスイッチを切る。乗組員に逃げ場はない。足を踏ん張り、手近なものにしがみついて、降ってくる爆雷を待つだけだ。鼓膜が破れるような爆発音が艦を揺さぶる。しかし、

「浅いな。大丈夫大丈夫」

 艦長も先任将校も顔色ひとつ変えない。

「一隻が艦尾より左舷へ移動」

 聴音長が報告する。

「走り出した。感三」

 伊二五は深度を四十メートルに上げ、急速回頭を始める。探知音を艦尾で受けると死角になる上、伊二五のスクリュー音と水泡が反響音をかき消す。一旦はそれでやりすごし、敵艦は頭上を素通りしたが、

「探知音に高低あり」

 敵は探信儀の送波器を回転させて、さらに捜索している。しばらくして、またしても駆逐艦が突進してくる轟音が頭上にのしかかる。地響きにも似て、衝突しそうな勢いだ。

「艦底通過。爆雷!」

 立て続けに爆発音が襲ってきた。艦が引きちぎれるのではないかと思うほどの衝撃だ。今度は下方で爆発している。しばらくすると、三隻目が右舷から迫り、執拗に爆雷が投下された。

 敵は停止して海が静かになるのを待ち、伊二五の位置を測定する。そして、一隻ずつ交互に高速接近。伊二五は回頭して爆雷の雨を右か左にかわす。その繰り返しだ。

 この袋叩き状態がどれほど続いただろうか。信雄は三隻の敵艦を甲乙丙と区別して紙片に書き込み、それぞれが投下した爆雷数を「正」の字で数えていたが、二百発あたりで疲れ果ててしまった。敵も同様らしく攻撃が散漫になり、爆雷数は減り、距離も遠い。

 逃げ切れるかな、と光明を見出しかけたが、

「まだまだ。長丁場になるぞ」

 先任将校が信雄の肩を叩き、士官室へ促した。

「爆雷がなくなれば、交替の新手が出て来るだけさ」

 そういいながら、自分のベッドの下の引き出しから羊羹を取り出し、食卓に置いた。

「飛行長。甘い物を食って飛行の疲れを癒やせ」

 夢中だったので忘れていたが、確かに信雄は疲れていた。彼は甘党なので、配給の酒が余る。いつも、それを甘い物と交換するのである。引き換えに日本酒の小瓶を渡した。

「山の中に黒煙があがったのは艦上からも見えたよ。やったなあ」

「オーストラリアではオーロラの中を飛んだこともありますが、今日の日の出はわが人生最良の光景でしたよ。もちろん、帰還して母艦を見つけた時の喜びもまた格別ですが」

「命がけで見る光景だもんなあ」

 先任将校は艦長に次ぐ副長ともいうべき地位で、乗組員に睨みをきかせる堅物である。その堅物が戦闘中というのに日本酒を一口飲み、悪童っぽく微笑んだ。信雄も羊羹の皮をむいて口へ入れた。その時、

「先任。新たな推進器音が入りました」

 と、聴音員が悲壮な表情で呼びに来た。

 先任将校は酒をもう一口飲み、いまいましげに呟いた。

「おいでなすった。ふん。たかだか潜水艦一隻に豪勢すぎるもてなしじゃないか」

 新手の駆逐艦による爆雷攻撃が始まった。

 

 伊二五は西海岸にへばりついている。陸岸に砕ける波の音で敵の聴音機をあざむき、這うように包囲網から忍び出ようとしていた。

 延々と続く爆雷攻撃に耐えているうち、すでに十時間が過ぎた。不要電灯は切ってあるが、それでも電気関係からの発熱は艦内にじわじわと溜まっていく。特に艦尾の電動機室付近は焦げるような輻射熱を発している。

 仕事のない者は皆、汗溜まりの中で横たわっている。聞こえ続ける爆雷の音に耐えながら、心身とも消耗した乗組員は苦しげな寝息を立てていた。信雄も自分のベッドで目を閉じ、どれだけ眠ったか、不快な環境の中で目覚めた。

 乾いた喉を潤したいが、飲料水はとっくになくなっている。タンクから汲み上げればいいのだが、ポンプの音が馬鹿でかいため、無音潜航中には使えないのである。やむなくサイダーの栓を抜いたが、口にしてもその生温かさと甘さが不快なだけだ。

 士官室では軍医長がソファに身を投げ出し、写真を大事そうに見ていた。

「家族ですか」

「うん。女々しいといわれるかも知れんが、俺は生粋の軍人じゃないからね」

「私も家族の夢を見ていましたよ」

「飛行長も子持ちだよな」

「息子は国民学校一年、娘は四歳です。オルガンが欲しいというので、玩具みたいな楽器ですが、横須賀で一緒に買いに行きましたよ」

 互いに家族写真を見せ合った。

「そうか。まだまだ死ねんな」

「ええ。ですが、おかしなもんですよ。悲しむ者がいるからこそ安心して死ねる。そんな気もするんです」

「うん。わからんでもない」

 大きく頷いた軍医長だが、すぐに何かを払い落とすように首を振った。

「いかんいかん。じっとしていると、いらんことを考えてしまうな」

 一方的な爆雷攻撃に耐える「従容の死」は潜水艦乗りの宿命ではあるが、死地を脱したあとも心が折れてしまう者がいる。最前線の修羅場では恐怖に浸っている暇はないが、内地に帰還して休息すると臆病風に吹かれるのだ。だが、現代のような心的外傷後ストレス障害などという「病気」は許されない。内地は懐かしいが、忙しい戦場の方が気が紛れるという一面はある。

 しかし今、彼らが直面しているのはひたすら忍耐力を求められるだけの戦場だった。何十時間も追い回されると、高温多湿と酸欠と異臭で艦内は人間もネズミも半死半生となる。

 潜航三十時間を越え、当直を終えた者が通路に倒れ、痙攣している。軍医長がカンフル注射を打ち、艦長に酸素放出を進言した。許可を得て艦内に酸素が放出され、乗組員は酸素ボンベを取り囲んだ。しかし、一時的な効果しかない。

 潜舵手など重要配置の者には炭酸ガス吸収用の防毒マスクが配られたが、ゴム臭い上に付属している空気清浄缶には苛性ソーダが入っており、これが化学反応を起こして、とんでもない高熱を発する。じきに誰もがはずしてしまった。

 潜航前の外気温は十五度だったから、快適な気候だ。しかし今、艦内温度は発令所で三十度、電動機室は四十度を越えている。

 信雄は少しでも温度の低い区画を求め、発射管室へ重い身体を運んだが、ここには彼が横になる隙間はなかった。発射管室は外殻がなく、鉄板の向こうは海中だから、内殻は少しは冷たいのだろうが、機器や配管、配線に覆い尽くされ、触れるのもむずかしい。

 寝ている者の手が当たったので、見ると連管長だ。彼は信雄を見上げ、うわごとのように呟いた。

「一か八か、駆逐艦に向けて全射線でぶっ放すか、八方に魚雷を走らせてスクリュー音を追わせるか、やってみたらどうですかね」

 窮余の一策だが、冷静な考えではない。

「手塩にかけた魚雷の無駄遣いだ。ここは死んだふりの方が得策だよ」

「……そうですね」

 兵員室で叫び声があがった。錯乱してハッチを開けようとする者が出て、ラッタルから引きずり下ろされたようだ。どのみち水圧でハッチは開かない。

 暴れたり怒鳴ったりする元気があるなら結構だ。信雄は感情のスイッチを切り、士官室でへたり込んだ。ベッドの下に各自あてがわれた引き出しが目につき、そっと開けて素早く閉じた。この中のわずかな空気を求めたのである。新鮮な空気を吸えた気がした。しかし、再び開いた時には、何の感動もなくなっていた。

 こんなに苦しいなら死んだ方がましだとも、こんな苦しみの中で死ぬのは御免だとも、とりとめのない思いが浮かんでは消える。そのうち、気絶するようにまた眠り込んだ。

 

 何度となく寝たり起きたりするうち、潜航して丸二日は経過しただろう。敵艦のスクリュー音は遠ざかり、爆発音も間遠になった。

 危機を脱したのか。そもそも現実だったのか。悪夢を見ていただけではないか。そう思いたいが、厠へ行くとこの艦が置かれている現状を目のあたりにする。

 汚物は水圧のため艦外排出ができない。潜航中に使えばたちまち汚物がつまり、排水ポンプが故障する。下手すれば逆流だ。便器はあふれそうな状態なので石油缶が置かれているが、その中も大小便で満杯だ。

(ふん。これで死んだら、芳しい最期とはいえんなあ)

 潜水艦の最期は目撃する者がいない。予定日を過ぎて帰投しなければ、どこかで沈んだものと認定されるだけだ。飛行機乗りの最期も苦痛が伴うだろうが、空の上で花火のように死ぬ方がいい。

(海底では死なぬ……)

 信雄は軍刀を取り出した。人間は具体的な心の支えを求めるものだ。今、この海底にあるのは家族写真と軍刀である。

 今回の爆撃任務でも手元から離さなかった村正だ。地文航法が多い陸軍と違い、洋上を飛ぶ海軍では計器への影響を考え、操縦席に軍刀を持ち込むことは少ない。しかし、生還を期さない任務では、死を恐れぬ軍人も「お守り」を求める。

 抜いた。鞘の中の微々たる空気さえも逃がすのは惜しい気がした。淀んだ薄明かりの中に刀身が輝いている。こいつは借り物だ。貸した方は戻らぬことも覚悟の上だったろうが、信雄は返すつもりだ。いや、売り物なら買い取ってもいい。

 星鉄を鍛えたという光の筋を見つめていると、

「自決でもするつもりか」

 田上艦長が士官室へ現れた。手に数個の缶詰を持っている。

「いい刀だな。だが、そんなもの仕舞え。飯にしよう」

 艦内が狭い潜水艦では食事の定刻などないようなもので、腹が減った者、手の空いた者が適当に食事をとる。

「飯よりも水が飲みたいです。サイダーは甘くて気持ち悪くなります」

 艦長は缶詰の中からひとつを選んで寄こした。

「筍の水煮だ。中の汁は生臭いがサイダーよりマシだろう。飲め」

 なるほど、うまくはないが、水分を補給した気にはなる。

「南方に潜ってる潜水艦はもっと過酷でしょうね」

「高温多湿はこんなものじゃないよなあ。あと十度は高いだろう。もっとも、俺もこんなに長時間、敵艦に追い回されたことはないがね」

 艦長はこの窮地でも茶飲み話をしているかのように悠然としている。

「あまりの熱気に蛔虫を口から吐く者もいるそうだ。寄生虫さえ苦しまぎれに人体から脱出しようとするんだな」

 田上艦長は海軍屈指の潜水艦乗りである。勝って浮かれることも失敗して落ち込むこともない。乗組員の大半に炭酸ガスの中毒症状が出ているというのに、平然としている。艦長は司令塔にいることが多く、そこは艦内で一番温度が低い区画ではあるが、この忍耐力は尊敬に値する。

 艦長は傍らに控えている従兵に向かい、

「日没を待って浮上する。それまで各員、耐えよ」

 と声をかけ、

「飯を食える者は食っておけ。主計長に汁気の多い缶詰を出してもらえ」

 とも付け加えた。

 日没後、動ける者だけが配置につき、浮上した。水上に出ると、艦が不安定にローリングする。それさえも心地よかった。

「内気圧が高い。ハッチを開く時は飛ばされないように気をつけろ」

 先任将校が警告し、見張員は鉄帽をかぶってラッタルを上った。ハッチに頭をぶつける物凄い音が響いたが、備えあれば憂いなし、ケガもなく見張りについたようだ。

「両舷前進!」

 ディーゼルエンジンが轟音とともに動き出すと、台風並みの猛烈な風が艦内に吹き込んできた。甘く新鮮な空気だ。幽鬼のようだった乗組員たちの顔に見る見る生気がよみがえっていく。軽い備品などは風で吹っ飛んでいき、「痛え」とあがる悲鳴さえも嬉しげだ。信雄も肺がこそばゆいような感覚に、思わず笑みがこぼれる。

 軍医長が何やら指差しているので、発令所の計器板の隅を見やると、親子らしいネズミまでもが強風に吹き飛ばされそうになりながら、呼吸をむさぼっている。

 以前、軍医長が駆除しようとしたが、看護長が可哀相だと反対して、生きながらえているネズミである。こいつらも一蓮托生だ。

「駆除しなくてよかったですな」といおうとしたが、風の音が激しいので、やめておいた。

 伊二五は波よけ鉄板と電線引込柱が吹き飛んでおり、夜明けまでかかって応急修理をほどこした。溶接の火花を隠すため、シートで覆いながらの突貫作業だった。

 

 アメリカのラジオを傍受すると、山火事がニュースになっており、日本機が爆弾を投下した模様だと放送していた。大戦果とはいえないが、アメリカ側の動揺が伝わり、伊二五の乗組員たちは溜飲を下げた。

 しかし、当然、沿岸警備はきびしさを増し、潜望鏡を上げようものなら、哨戒機と駆逐艦から追いかけ回される日が続いた。伊二五はコロンビア川の河口からサンフランシスコまで、西海岸の沖を北へ南へと移動しながら通商破壊戦を試みたが、戦果が上がらない。九月二十三日、サンフランシスコ沖で商船一隻を沈めただけである。

 しかも何度か任務変更の電報を受信し、ハワイ・サンフランシスコ間の航路遮断の命令が入ったかと思うと、再びオレゴン爆撃が命令されるという朝令暮改の有様だった。

「もう一度、爆撃するか」

 田上艦長が信雄に持ちかけた。横須賀を出る時、爆弾は六発積んでいる。ただ、敵の意表を突いた前回と違い、次は厳重な警戒をかいくぐって米大陸へ突入することになる。艦長も無理強いはしなかったが、信雄は即答した。

「やりましょう」

 雨が続き、目標の森林地帯は湿度が高かったため、期待したほどの山火事は発生していない。再攻撃は望むところだ。しかし、なにしろ波が高く風も強い。小さな潜水艦から飛行機を飛ばすのは危険な作業なのである。不安はそれだけだ。

 九月二十九日。伊二五は日没後に浮上し、ブランコ岬へと忍び寄った。星空の下に黒々と西海岸の山脈が横たわっている。今回は早朝ではなく深夜を選び、陸岸まで五海里の距離に肉薄した。

 三十日午前一時に発艦。航空灯を消し、夜空に溶け込む。大陸に街の灯りは一切ないが、海岸線は上空からよく見える。高度二千で山岳地帯に侵入すると、山と谷も識別できた。三十分ほど内陸へ進み、前回よりもやや北側に爆弾二発を投下。炎があがるのを確認したが、

「時期が悪かったなあ」

 例年なら、乾燥しているはずの季節なのだが、想定外の天候不順だった。これでは何日も何週間も延焼することはあるまい。

 実際、米軍ではこの二回目の爆撃に気づかなかった。被害もなく、投下地点は戦後も明らかになっていない。

「やれるだけやった。帰るぞ」

 翼を翻した。視界の隅に星が流れて、一瞬、敵機かと胆を冷やす。

 降下しながらブランコ岬上空を経過して、高度三百で海上へ出た。母艦は見えない。機体の右側は月明かりでよく見えるが、左側は真っ暗なのである。

「もう母艦上空のはずです」

 後席の奥田兵曹はそういうが、必死で見回してもそれらしきものは発見できない。落ち着け、と自分にいいきかせた。海兵団入団から十年、水上機搭乗員となって九年。海軍でも屈指のベテランと自負している。こんなことは何度も経験してきた。自分を信じられなくなったら終わりだ。

「奥田。ブランコ岬まで引き返して、航法をやり直すぞ」

「はい」

「敵機に気をつけろ。よく見張れ」

 母艦の位置はブランコ岬から二百五十度だが、暗くて見えない左側にいたのかも知れない。ブランコ岬から二百四十五度に変針し、右側の視野を広げて、再び海上を探す。予定より時間が経過しており、不安がつのる。大海原で機位を失い、自爆前に「天皇陛下万歳」を打電した仲間のことが脳裏をよぎる。

 ようやく前方に帯状の航跡が見えた。光っているのは油洩れだ。

「奥田。右前方に航跡発見! これをたどっていく」

「はい」

 やがて細い艦影が現れた。母艦搭乗員には何よりもうれしい光景だ。

「おい。いたぞ」

「はいっ」

 識別信号を送り、着水した。潜偵を甲板上に揚収するや、三十六計逃げるにしかずとばかり、伊二五は沖を目指して走り出した。

 油の帯を引いていることを艦長に報告すると、

「ははあ。それでやたらと飛行機や駆逐艦に追いかけられたのか」

 田上艦長は苦笑まじりに頷いた。連日の戦闘で重油タンクを損傷していたのである。即座に応急修理と重油タンクの移動が行われた。

 この日以降は荒天が続き、爆弾はまだ残っているのだが、飛行機を飛ばすことはあきらめ、伊二五は通商破壊戦に専念した。

 そして、十月四日にシアトル沖、七日にはコロンビア川の河口沖で、それぞれタンカーを撃沈した。後者は暗夜の浮上攻撃だったので、信雄は艦橋から一部始終を目撃していた。流出した大量の油が燃えさかり、吹き上げる炎の中に救命ボートと船員の姿が見える。敵とはいえ、胸の痛む光景だった。

 伊二五はその阿鼻叫喚に背を向け、一目散に夜の闇へと離脱した。後方は明るいが、前方は何も見えない。何かに衝突するのではないかと危惧するほど、速度を上げていた。地獄の底を全力疾走しているような気がした。

 十月十日。伊二五は米大陸西海岸を離れ、帰途についた。二か月の航海で食糧を食い減らし、十七本積み込んだ魚雷も一本を残すのみとなったので、狭い艦内もガランとしている。

星光を継ぐ者ども 第十四回

星光を継ぐ者ども 第14回 森 雅裕

 昭和十七年七月十一日。アメリカ西海岸で作戦行動を終えた伊二五潜水艦は横須賀へ帰港した。軍港は出撃前とは様相が一変していた。ミッドウェイ敗戦のためか、戦闘艦ではない支援艦の類や損傷した艦船ばかりが停泊しており、工廠はそれらの修理に追われ、不眠不休の突貫作業が行われている。

 横須賀市中も夜は灯火管制が行われ、活気が失われていた。開戦以来初の大敗だったことは市民に知らされていないが、この空気の重さは隠しようがない。

 伊二五搭載水偵の搭乗員・藤田信雄飛曹長が市内の刀剣商へ軍刀を持ち込んだのは、帰港から数日後のことだった。

 家伝の刀を軍刀に仕込んだものである。なにしろ潜水艦内部は高温多湿だから、刀剣には過酷だ。手入れはしていたのだが、北から南、南から北と太平洋を往来するうちに鞘の鮫皮が浮き、刀身に錆が出ている。手入れを依頼した。

「よいお刀ですな。船に持ち込んで、潮風にさらすのはもったいない」

「俺は飛行機乗りだ」

「飛行機ならもっとよくない。磁気コンパスが狂う」

「くわしいな」

「この町で長いこと商売してますからな」

 老人である。刀剣商というより仙人のようだった。

「またすぐ出撃だ。研ぎと修理は間に合うかね」

「一か月やそこらでは無理ですな。軍刀の修理は殺到しておりましてな」

「それは困る」

「この軍刀をお預かりしている間、かわりの刀をお貸ししましょう」

 そんな得体の知れぬ刀など……とは思ったが、

「まあ、御覧なされ」

 奥から取り出された刀は脇差サイズの海軍軍刀拵に入っており、飛行機乗りのために誂えたものである。運命的な何かを感じた。

「ある画家の家に伝わったものです」

 どんな経緯で軍刀に仕立てられ、ここにあるのか、店主は語らず、信雄も尋ねなかった。

 抜くと、輝く光が稲妻のように、あるいは糸のように幾条も流れている。刃文は大きな箱刃を腰に焼き、その上は悠々とのたれている。

「星鉄というものを鍛えているらしいですな。つまり、隕鉄です」

「ほお。俺には玩物趣味はないが……」

 茎を抜き出すと「村正」の銘が刻まれている。真贋はわからないが、手から離すのが惜しくなる。

「代替として貸し出すような鈍刀とは思えない。いいのか」

「刀には運命というものがあり、巡り会うべき人がいる。こんな商売をしていると、そんな人が現れると、わかるものです。あなたの特別な任務のお供をするのがこの刀の運命」

「特別な任務?」

 潜水艦搭載機を飛ばすのは決して軽い職務ではないが、特別な任務と呼べるだろうか。

「何。そんな気がしましてな」

 店主は村正の軍刀をさっさと刀袋に入れ、さらに風呂敷に包んで、信雄に寄こした。

 何やら予感はしていた。先日、追浜の水上機基地から航空技術廠へ立ち寄った際、零式小型水偵を改造し、爆弾懸架装置を取り付けているのを見ている。この水偵は潜水艦搭載用で「潜偵」と通称され、信雄が伊二五で搭乗しているものと同型である。

(あれのことかなア……)

 もともと、潜偵に爆弾を積むことは信雄の発想で、先任将校を通して上申書を提出してあったのである。もっとも、敵前に浮上して飛行機の組み立て、発進、帰還を待って揚収を行うとなれば、その間の潜水艦はまったく無防備であり、例外的な作戦でなければ採用されないだろうが。

 信雄は村正を借りて市内の下宿に戻り、その後は軍港と下宿の間を行き来しながら出航の準備に追われ、山口の岩国から面会に来た家族を迎えたり、忙しく数日を過ごした

「予感」が当たったことを知ったのは八月初めである。軍令部第三課からの出頭命令を受け、単身で霞が関の海軍省まで出向いた。信雄のような准士官が出入りする場所ではない。普段なら口もきけない潜水艦作戦参謀、シアトルに駐在経験があるという副官が待っており、参謀肩章をつけた高松宮も同席していた。異例である。

 いよいよこれが「特別な任務」かと緊張していると、

「アメリカ本土を爆撃してもらいたい」

 そう切り出された。

(やはり……)

 アメリカのどこの軍事施設を叩くのかと胸を躍らせると同時に、これは生還できぬかもと覚悟を決めた。

 しかし、目の前にチャートが広げられ、

「目標は西海岸の山林だ」

 意外な言葉を聞いた。意味がわからない。

「ワシントン州からオレゴン州、そしてカリフォルニア州にかけて、広大な森林地帯が続いている。ひとたび山火事が起これば、消火のすべがなく、何日も何週間も燃え広がり、近隣都市にも脅威が及ぶ。そのため、州政府が上空を飛行禁止にしている地域もある。焼夷弾で火をつければ、最少の攻撃で最大の戦果をあげられる」

 目標が軍事施設ではないと知り、初めは落胆した信雄だが、説明を聞くうち、そんな自分を反省した。

「そればかりか、日本の飛行機が米本土まで飛んでくれば、米国民に与える衝撃も大きい。米軍としても本土防衛に戦力を割かねばならなくなり、太平洋戦線にも影響を及ぼす」

 どうだ、という顔で参謀たちが信雄を見やった。この年の四月には米空母ホーネットから発進したB-25、十六機が分散して日本本土初空襲を敢行している。その時、伊二五は横須賀で修理中で、信雄も敵機(十六機中の十三番機)を目撃している。

 高度は三百から四百だった。双発機がかなりの高速で頭上に現れ、ばらばらっと黒いものが落ちてきた。対空砲火など間に合わなかった。敵機は軍港から軍需部上空を抜け、海軍航空隊がある追浜の方向へと消えた。伊二五が入っていた四号ドックの隣の五号ドックで、潜水母艦から航空母艦へ改装中だった「大鯨」が被弾、大破した。

 大本営は九機を撃墜と華々しく発表したが、墜落機を目撃していない国民は信用しなかった。実際、全機が日本上空を離脱して日本海を越え、大陸へ向かっている。

 アメリカ本土爆撃はその仕返しというわけだ。

「伊二五の田上艦長の指揮統率力と君の技量を見込んでの作戦だ」

「光栄です。やらせてください」

 沸々と闘志が湧いた。

 伊二五は日米開戦二カ月前に竣工した新鋭艦で、その活躍ぶりは平成になって刊行された「高松宮日記」にも七十回近く記載されている。北はアリューシャン、アラスカ、南はオーストラリア、ニュージーランドへと駆け巡り、この年の六月にはアメリカ西海岸で、オレゴン州アストリア郊外のフォート・スティーブンス陸軍基地へ砲撃を行っていた。アメリカ本土の軍事基地への攻撃は、米英戦争以来、百三十年ぶりのことだった。そして、今回は前例なき本土爆撃を敢行しようというのである。

 

 八月十五日。横須賀を出航した伊二五は三陸沖からアリューシャン列島の南という大圏コースをとり、アメリカ西海岸を目指した。開戦以来、西海岸での作戦行動は伊二五には三回目である。

「アメリカの人心攪乱を目的とする爆撃かあ。効果あるんですかね」

 発射管室の食卓を四人の乗組員で囲み、ブリッジをやっていると、連管長(魚雷員の長をつとめる下士官)が気乗りしない表情で口を尖らせた。

 彼が担当する魚雷の大きさ、破壊力に比べれば、潜偵に搭載する小型爆弾など花火のようなものだ。

「効果はともかく……」

 信雄の声は楽しげで、しかも迷いがない。

「アメリカ建国以来、初の本土爆撃を日本機がやってのける。痛快じゃないか」

「アメさんは双発爆撃機を十五、六機、日本本土に飛ばしてきたというのに、こっちは玩具みたいな潜偵一機ですかい」

「ははは。日本らしいつつましい戦争ですなア」

 と、奥田省二飛曹が屈託なく笑った。潜偵の偵察員である。空の上ばかりでなく、今もブリッジで信雄とペアを組んでいる。

「前回の作戦では偽の潜望鏡をばらまきましたからね。安上がりな戦争で涙が出ますわ」 

 ミッドウェイ敗戦の頃、シアトル・サンフランシスコ間に展開していた伊二五は擬潜望鏡なるものを通商航路に放り込んで回った。青竹の下に石の重りをつけ、上部にはガラスを斜めに取り付けたものである。さも多数の日本潜水艦が出没しているかのように見せ、敵を攪乱しようという「持たざる国」のせつない戦法だった。

 連管長は発射管室の天井近くまで積み上げられた魚雷を見やった。

「けど、俺んとこの魚雷は安物じゃありませんぜ。手塩にかけて調整しているからね」

 魚雷は高価な精密兵器である。一本一本につき、履歴が明らかにされている。人間なら履歴書だが、魚雷は履歴本だ。個々の部品工場で検査員の判子がいくつも押され、これをいつどこの工廠で組み立て、いつ発射試験をしたか、細かい記録が一本ごとに一冊の本に綴じられている。人間の履歴書よりはるかに詳細なのである。一本一本に名前をつけている魚雷員もいるほどだ。

「しかし、魚雷は人間乗れないからつまりませんや。潜偵は玩具みたいとはいえ、俺たちを乗せて大空を飛びますよ」

 と、奥田兵曹。連管長は人間を乗せる魚雷というものを想像したのか、しばらく思案顔だったが、一笑に付した。

「へっ。魚雷に人が乗るようになっちゃ戦争は負けだろ」

「いえてますな」

 そんな他愛ない会話を交わしながら、日々、敵地に近づく緊張は高まっていく。

 日米開戦後、わが第一潜水戦隊の潜水艦九隻がアメリカ西海岸で通商破壊を行い、十余隻の商船を撃沈し、陸上施設を砲撃もしている。当然、沿岸は警戒厳重になっているから、今回の爆撃作戦では生還は期しがたい。信雄も奥田兵曹も顔にはまったく出さないが、その覚悟だった。

 

 南下を続け、九月初めには西海岸より二十海里にまで接近した。オレゴン州の南に突出したブランコ岬灯台の灯が見える。発艦位置を選定するため、夜の海上を走り回ったが、天候が悪く、波も高い。発艦準備を始めたものの、中止して潜航することが何日か続いた。

 浮上は夜に限られる。搭乗員は爆撃終了までは当直にもつかず、休養せよと命じられていたが、モグラのような艦内生活が続くと胸を病んだり脚気になったり、視力が減退してしまう。飛行機乗りは目を大事にする。時々は艦橋に上がり、視力の訓練と見張りを兼ねて夜空と水平線を眺めた。

 交替で煙草も吸う。火が洩れぬよう、手元を隠しながら、闇の中で吸うのである。隣にいる者の顔もわからない。火を借りてようやく、

「あっ。艦長でしたか」

 と気づく有様である。潜水艦の乗組員は一蓮托生。艦長といえども厠は兵と共用、寝るのは士官室の通路脇だから、上下の隔たりはない。

 田上明次艦長はのんきさを漂わせた童顔と悠揚迫らざる態度で、部下から敬愛されている。

「体調はどうだ?」

「意気軒昂ですが、身体がナマって困ります」

 潜水艦乗りは体力は使うが、運動不足である。飛行機の操縦は力仕事なので、筋肉が落ちないよう、場所をとらない手足の運動は絶やさない。艦長はむろんそれを知っている。

「搭乗員を育てるには時間も金もかかる」

 艦長はそれだけいった。軍令部の無謀な作戦を批判はしない。しかし、言外に「生きて帰れ」という意味が籠もっている。信雄のように十年も海軍の飯を食っている熟練搭乗員は貴重なのである。

「はい……」

 相槌を打ちながら、信雄は海面の夜光虫の動きに、一瞬、緊張を走らせた。魚雷が向かってきたように見えた。

「鮭だよ」 

 艦長は乾いた笑いを発した。このあたりは鮭が大群で泳いでいるのである。

 

 西海岸に張りついて一週間。敵の艦船を発見しても、爆撃を終えるまでは、わが艦がこの海域に潜んでいることを知られるわけにいかないから、手が出せない。

 南太平洋ではガダルカナル島とソロモン海で日米が死闘を繰り広げている。我々も戦果を上げねば、と焦りは日々に募るが、田上艦長は忍耐強く時機の到来を待ち、決して無理をしない。だからこそ、危険な任務でも部下は艦長を信頼する。

 潜水艦の偵察機搭乗員ほど割が合わぬ任務はなかろう。信雄と奥田飛曹はもちろん、他の乗組員もそんなことは口に出さない。しかし、潜偵は最大速度二百四十キロ。武装は七・七ミリ一挺。これで敵軍の要地へ侵入するのである。敵戦闘機に捕捉されれば、ひとたまりもない。追われたら、母艦の位置を敵に教えるわけにいかないから、見当違いの方向へ逃げざるを得ない。帰艦するにしても、広い海でケシ粒のような潜水艦を探すのは至難の技であり、潜航していたら見つけようがない。迷ったからといって電波を出すこともできない。これも敵に傍受されたら、母艦が危険だからである。

 田上艦長からは「死に急ぐな」と命じられており、第一揚収地点で会合できない場合にそなえて、第二、第三の揚収地点も事前に打ち合わせ、そこに不時着して救助を待つことになっている。しかし、気休めのようなものだ。

 信雄は遺書を書き、毛髪と爪も残した。汚れた下着、被服などは洗濯できないのでそのままだが、とりあえず畳んで整頓してある。

 

 九月八日。日が暮れて浮上すると、ようやく波は穏やかになっていた。これなら行けるだろう。翌九日未明。陸岸からわずか十海里に迫った。

「飛行機発艦用意。飛行関係員、前甲板」

 田上艦長の号令が下り、掌整備長と整備員ばかりでなく砲術、水雷などの兵科、それに主計科からも応援が出て、艦橋前部の格納筒から引き出された潜偵が旋回盤上で組み立てられる。カタパルトに滑走台車とともに潜偵を載せ、試運転が始まる。狭い甲板上、しかも夜という困難な作業だが、誰もが充分に訓練され、手際はいい。

 信雄と奥田兵曹は艦長の前に進み、

「出発します」

 つとめて明るく告げた。艦長も平素と変わらず、これから悪戯でも始めるかのように童顔をほころばせた。

「予定通りに、慎重にやれ」

 米軍による日本本土空襲では子供を含む民間人に少なくない犠牲が出ている。しかし、日本軍は市街地を無差別に爆撃はしない。目標はあくまでも人里離れた山中だ。「予定通りに」とはそういう意味である。

 艦は風上に向かって速度を上げており、白波を蹴立てている。信雄は操縦席で操縦系の作動とエンジンの調子を確認し「準備よし」と手を上げて合図する。先任将校が赤ランプを振り下ろすと同時に、整備員によってカタパルト発射の引金が引かれる。

 現地時間午前六時が近づいている。白々と大陸側が明るくなる中、潜偵は舞い上がった。たかだか三百四十馬力の非力な潜偵に七十六キロ爆弾二発は重い。緩旋回しながら下を見ると、白い航跡をひいた伊二五が見える。乗組員は帽子を振っているだろうが、薄闇ではっきりしなかった。

「奥田。行くぞ。よく見張れ」

 行く手には夜明けを迎えたコースト山脈のシルエットが浮かんでいる。三千まで高度をとり、ブランコ岬より南南東に変針。果てしなき山脈を黄金色に染め、荘厳な太陽が昇ってくる。生涯最大の日の出であった。

 速度百ノット。変針から三十分。行けども行けども山また山だが、谷間は雲に覆われている。オレゴンとカリフォルニアの州境の手前にそびえ立つエミリー山へ到達した。西側の海沿いに望む街並みがブルッキングスである。高度を九百まで下げる。

「奥田。下が原始の大森林ってやつだな」

「はい。見渡す限りの大森林です」

「ここに投下するぞ」

 まず左翼の一発を投下した。機体が右に傾き、旋回しながら雲の底を覗き込む。閃光が奔った。

「よく見ろ。燃えているか」

「黒煙と火が見えます」

 爆弾は焼夷弾である。一発に五百二十個の豆弾子が詰まっており、爆発すると百メートル四方に飛び散って、千五百度の高熱を発する。

 さらに南へ飛び、右翼の爆弾を投下。これまた大きな火花を視認した。

「やったな」

「やりました。火が広がっています」

「よし。帰艦する。敵機に注意しろ」

 コースを逆にとり、ブランコ岬へと向かいながら、身軽になった潜偵の速度を上げる。海岸線には人家があるので、エンジン音を聞きつけられぬよう、スロットルを絞った。早く海上へ出ようと気持ちが焦る。

 だが、心臓に悪い光景が海岸線の向こうにあった。二隻の大型船が北へ進んでいる。これを迂回すれば帰艦が遅れる。

「奥田。二隻の間を突破するぞ」

「行きましょう」

 海上に出ると、二十メートルの低高度を最大速度百三十ノットで突進した。二隻は商船だった。伊二五は二百七十度方向にいるはずだが、ブランコ岬より針路二百二十度に飛んで欺瞞し、二隻が見えなくなったところで、母艦の待つ方向へと修正し、高度を上げた。視界はきわめて良好で、苦もなく母艦を発見し、味方信号を繰り返しながら接近。向こうも手を振っている。艦尾方向より着水し、揚収用デリックの下まで滑走。奥田兵曹が主翼に乗り、デリックのフックに機体吊り上げ索をひっかけた。艦上に吊り上げられると、猛烈な早さで分解格納が始まる。

 信雄は艦橋へ上がり、艦長に報告した。

「爆弾二発とも爆発、火災発生しました。飛行機異常なし。ブランコ岬沖五海里に二隻の大型商船が三海里の間隔で北進中です。速力およそ十二ノット」 

「うん。さっきマストを発見した。追うぞ」

 たちまち潜偵は格納筒におさめられ、伊二五は獲物を求めて、雲一つない陽光の下を強速で突き進んだ。何日も隠忍自重してきたのだ。アメリカ大陸が見えている海上で、乗組員の気持ちが一つになって高揚する。

「マスト見えまーす!」

 見張員の声が弾み、風と波しぶきの中、号令が響く。

「魚雷戦用意!」

 だが、この昼間浮上航行は大胆不敵すぎた。

「敵機! 直上!」

 緊迫した叫びに、艦橋の者たちは反射的にハッチへ飛び込んだ。双発のハドソン哨戒機が頭上に迫っていた。

「攻撃中止! 潜航急げ!」

 全没しないうちに至近弾が炸裂し、艦内が揺さぶられて、電灯が消えた。伝声管から響く声は混乱して聞き取れない。

 信雄は士官室にいた。飛行服を脱ぎながら、艦が左に傾きながら真っ逆さまに沈んでいくのを体感していた。何やら備品が転落する音がにぎやかだが、彼には何もできない。発令所の様子をうかがうだけだ。

「潜舵上げ舵!」

 祈りにも似た叫びが響くが、勢いのついた伊二五は恐ろしい早さで沈下していく。

「メインタンクブロー!」

「電信室浸水!」

 切迫した声が飛び交う中、軍医長が懐中電灯を手にして這うように現れ、

「思わず、そのへんにぶら下がりそうになるな」

 場違いなほど陽気にいった。少しでも艦が軽くなる気がするというわけだ。しかし、やはり不安なのだろう。

「一人だったら耐えられんな」

 娑婆では産婦人科医だったという軍医長は、吐くように呟いた。

 ようやく沈下が止まった。発令所では、蛍光塗料を塗った計器類の文字盤だけが闇の中に仄白く浮き上がり、深度計の針は七十メートルを越えていた。

 再び頭上で爆発音が響く。水圧で艦体がきしみ、今にもつぶされそうな恐怖がのしかかる。

 傾いたままの艦内に懐中電灯の光が交錯し、各部の被害が確認された。電信室の電線引き込み口が破損していたが、電信長以下、歴戦の乗組員による応急処置でこれをふさいだ。

 電灯は復活したものの、計器、機械の一部が故障してしまい、復旧を急ぐ。

 一体、何機の哨戒機が集まってきたのか、間隔を置いて、三度、四度と爆弾が投下された。爆発音は離れているが、逃がすものかという意気込みは海底にも伝わってきた。

星光を継ぐ者ども 第十三回

星光を継ぐ者ども 第13回 森 雅裕

 一月十四日。一笑は春笑に告げた。

「お前、今後は春水の弟子ということにしろ。先方には頼んでおいた」

「春水? 誰です、それ」

「宮川一門でも目立たねぇ奴さ。だからこそ都合がいい」

「よかねぇですよ。師匠。どこへ行く気か知りませんが……いや、知ってますけど、ついていきます」

「駄目だ。俺はどうせ年寄りだが、お前には将来がある。せっかくの画才をドブに捨てるんじゃねぇ」

「画才なんかあるんですかい、俺に」

「お前は一家を立てる男だ。だからこそ、お前を見込んで頼みがある」

 一笑は部屋を埋めるゴミの山に一枚の絵を立てかけた。出来上がったばかりである。表装どころか、水張りした画板から剥がしてもいない。芳栄の「道中」を描いた絵だった。時間がないから濃密な絵ではないが、さらりと描いた姿にささやかな彩色を施している。

「これを剥がしてな、芳栄に渡してやってくれ。年明けで、明日あいつは吉原を出る」

「明日あ! それじゃあ……」

「俺はもう迎えに行けねぇ。日本堤に葦簀張りの水茶屋が並んでるだろ。金時屋という店で待ち合わせの約束だ」

「あの土手には水茶屋なんて、百軒以上あるんですぜ」

「あんなところに徒者じゃねぇ美女がいりゃ目立つから、すぐわかるだろ。それからな、亀戸天神の裏に散々屋という三弦師がいる。面倒見てもらう話はついてるから、連れていってくれ」

「嫌だ。嫌ですよ、師匠。そんな役回りは御免だ」

「お前しか信用できる奴がいねぇんだよ」

 一笑は破れ畳に額をこすりつけた。

「頼む。この通りだ。俺に心残りを持たせねぇでくれ」

「えええい、畜生ぉ……」

 春笑は背を向け、土間の水甕から乱暴に水を飲んだ。そこには近所の婆さんが寄こした沢庵があった。春笑は一本つかみ、丸ごとぽりぽりと食い始めた。

 

 一月十五日。昼過ぎである。よく晴れていた。日本橋の上から西を見やると、白壁の蔵屋敷が居並ぶ彼方に千代田城の櫓とさらに富士山が望める。もう二度と見ることはないかも知れない。

 この絶景の場所で待ち合わせた一笑と長助は、互いを認めると、挨拶も交わさずに肩を並べ、しばらくは無言で歩いた。

 一笑は星鉄刀の長脇差だけでなく、関物の短刀も用意した。長助は脇差を一本、腰に差している。

「弟子どもに見つからねぇよう、羽織の下に隠してきた。歩くのに苦労しましたよ」

「長助さん。喧嘩になったら、先手必勝。わかってますな」

「若い頃には剣術道場にも通った。ぬかりはない」

「短い得物は斬るよりも刺すべし。浅野内匠頭も吉良上野介に斬りつけたりせず、どうして刺さなかったのかと赤穂の遺臣たちは嘆いたとか」

「心得た」

 稲荷橋狩野の通称の由来となった稲荷橋は、八丁堀と隅田川の合流点に架かる橋である。橋の南側に水運業者から浪よけ稲荷と呼ばれる鉄砲洲稲荷神社が鎮座している。

 表絵師は御家人格とはいうが、狩野春賀の屋敷はなかなか広く、庭は自給用の畑になっていた。

 訪ねると、弟子が薄気味悪そうに一笑たちを迎え、「お腰のものはこちらへ」と、玄関脇の刀架けへ置くよう指示された。武家屋敷でもないのに、格式張っている。

 一笑は脇差は預けたが、短刀はしらばっくれて帯に差したままだ。しかし、長助は丸腰になってしまった。想定内である。

 迎えた春賀は侍気取りで脇差を差している。長助は視線で(これを奪う)と、一笑に伝えてきた。

 春賀の横に座る春潮は丸腰だ。

「事前の約束も前触れもなく訪問するのは武家なら無礼である」

 と、春賀。一笑はとぼけた声で、

「こちとら、しがねぇ町絵師でしてな。お武家とはつきあいがありません」

 稲荷橋狩野なんぞ武家ではないという皮肉をこめた。

「ふん。何の御用かな」

 春賀は尊大に尋ね、長助が切り口上で応じた。

「わが父に対する乱暴狼藉への謝罪。それから東照宮修復に携わった賃金の支払いをしていただくため参上しました」

「謝れとか金を払えとか、無礼というもの。赤穂の卑怯者の血縁者が東照宮修復に関わるなど、迷惑千万。しかも、たった一人の跡取り息子までたぶらかされた。こちらが賠償を求めたいくらいだ。なあ、春潮よ」

 長男の春潮は口元を侮蔑の形に歪めた。

「そうですな。しかし、当家に息子は他にもおりますが」

「ん? 誰のことだ?」

「親父殿……」

 春潮の顔色が変わった。父の春賀は別にとぼけているわけではなく、春潮なんぞ眼中にないらしい。

「親父殿。狩野家では長子が家督を継ぐことになっていますぜ」

「それは当主が殿様と呼ばれる奧絵師の話。わが家のような表絵師にはあてはまらぬ。人品、手腕の優れた者が跡継ぎだ。第一、妾腹なんぞ長子とはいえぬわ」

 訪問者の前で情け容赦なく否定され、春潮は青くなったり赤くなったり、忙しい。だが、春賀の視線は一笑と長助にしか向けられていない。

「手ぶらで来るような客の応対をするほど、当家は暇ではない。帰れ帰れ。無礼を勘弁してやるから帰れ」

 春賀は犬猫でも追い払うように手を振り、一笑は怒りで目がくらんだ。

「金持ち喧嘩せず、という言葉を知っているか、春賀さん」

「何をぅ?」

「俺はどうせ先のない年寄りで、失うものは何もねぇ。そんな奴に喧嘩を売るもんじゃねぇぜ」

「何をいってやがる。おい、つまみ出せ! 塩をまけ!」

 弟子に肩へ手をかけられた時、一笑の腹の底で、ぶっつりと堪忍袋の緒が切れた。身体が勝手に動き、腰の短刀が鞘走っていた。

 ばさ、と畳に落ちたものがあった。弟子の腹から吹き出した血だった。

 同時に長助は春賀を蹴り倒し、脇差を奪った。怒号と悲鳴が交錯する中、部屋に猛烈な灰神楽が立った。逃げる春潮が火鉢にぶつかり、鉄瓶をひっくり返したのである。さらに鉄の火箸を振り回して抵抗し、まくし立てた。

「や、やい、一笑! おめぇはどっかの家主なんだろ。家主といやあ住民の世話役で、旅の通行手形の取り次ぎもすれば自身番に詰めたりもする、お上の手伝いをする町役だ。そ、それが刃傷沙汰やらかしていいのかよ!」

「ゴミを掃除するのも仕事だよ!」

 一笑は春潮を刺したが、充分な手応えは得られなかった。弟子たちが一笑に飛びつき、これと揉み合ううちに春潮には逃げられてしまった。春賀の姿もない。

 長助は奪った脇差を手にさげているが、

「逃げたぞ」

 叫んで、廊下へ出た。

「外へ逃げられぬよう、庭から回れ。俺は玄関から回る」

 一笑はそう指示して、廊下の途中から玄関方向へ走り、刀架けの星鉄刀と長助の脇差を回収した。それを手に屋敷を回り込むと、弟子たちが悲鳴をあげて逃げ散った。

 喧嘩は損得勘定を捨て、狂った方が勝ちだ。一笑も長助も命を捨てるつもりでいる。このような狂人に対しては、分別や常識を持つ者の負けである。しかし、駆け歩きながらも建屋を取り巻く庭地に目を配り、春賀と春潮親子が塀の外へ逃げてしまうことを警戒した。頭の隅ではそんな冷静さも生きていた。

 弟子は逃げてくれてかまわないのだが、長助が巨漢の弟子に組み敷かれて苦戦していたので、一笑は相手の頭へ跳び蹴りを食らわせた。怯んだところを長助が刺し貫いた。長助はひん曲がった得物を捨て、持参した脇差に取り替えた。

 刺された弟子は血を流しながら這っている。その涙まじりの呻き声をかき消す人間のものとも思えぬ絶叫が、建屋の陰で響いた。縁側をたどると、厠の扉が開いている。中に血まみれの春賀が倒れていた。厠に隠れようとしていたのだろう。胸には鉄の火箸が刺さり、さほど鋭くもない先端が背中まで貫通している。まだ息があった。

「痛い痛い。は、春潮が……。あの不孝者……」

 断末魔の呻き声はそう聞こえた。

「春潮の仕業か」

 と、長助は冷たく見下ろしている。一笑は胸が悪くなる血の匂いをこらえながら、いった。

「跡取りとして認めてもらえなかったからな。火箸が背中まで抜けてるんだから、よほど恨みをこめたと見える」

 その春潮の姿は見えない。しかし、落ちている血痕をたどり、部屋から部屋へと歩くと、物陰から白刃が突き出された。一笑は星鉄刀で跳ね返し、障子を蹴破りながら、激しく斬り結んだ。火花が散り、血の匂いが鼻の奥を突く。相手は稲荷橋の弟子だった。

 その向こうに春潮がいた。水に溺れるように手を振り回し、

「行け、行けよ、殺してしまえ!」

 弟子を押し出して、自分は庭へ飛び降りた。弟子は長い刀を振り回し、刃が鴨居に当たって止まった。その隙に一笑は彼の喉元を斬り裂き、春潮を追う。長助は他の弟子どもと争っていた。勇敢に立ち向かう者はいないが、なにしろ数が多い。棒きれを振り回されて囲まれると、思うように動けない。

 庭の先は畑につながっている。春潮は垣根沿いに裏木戸へと向かうが、一笑に腹を刺されているから、足はもつれている。彼はいつ手にしたのか刀を持ち、杖がわりに突いていた。追いつめた一笑めがけて、そいつを投げつけたが、届かずに落ちた。

 その拍子に春潮は体勢を崩し、転んだ。畑の隅には小さな肥溜めがあった。そこへ腰からドブンと落ちた。這い上がりながら屎尿を掻き出し、あたりかまわずぶちまけた。

 一笑は思わず手にした脇差を後ろ手に隠し、あとずさった。その隙に、春潮は裏木戸から逃げてしまった。この男が転がるように走ったあとには、汚物が点々と続いていた。

 一笑が屋敷の軒先へ戻ると、長助は肩で息をしながら、縁側にへたり込んでいる。

「どうしました? 春潮は?」

「クソまみれで逃げる奴を追いかける気にならなかったよ。あいつ、ひどい有様で外へ飛び出していきやがった」

 二人は殺気混じりの苦笑を交わした。

「一笑さん。これは本当のことなんですかね。自分の人生にこんな突拍子もない経験があるなんて、今ひとつ実感がないんです」

「俺もだよ。夢じゃねぇかとさえ思う」

 疲労のせいで、驚くほど重くなった身体を引きずり、厠の前へ戻った。すでに春賀は息絶えていた。

「私たちがやったことにされそうですね」

「いいさ。どうせ、やるつもりだったんだ」

「春潮は私たちに濡れ衣着せて、跡継ぎにおさまる気ですぜ」

「ふん。生き恥さらすがいいさ」

 周囲にはもう抵抗する弟子もいない。物陰から見ているだけだ。当然、番所へ急報するため走った者もいるだろう。このあたりは有力武家の屋敷が多く、八丁堀の与力や同心の組屋敷も近い。

 長助は急に震え出した。正気が戻ったらしい。

「引き上げましょうや。わが家の連中に報告せねば」

 一笑もいつまで立っていられるかわからないほど疲労困憊し、血の匂いで吐きそうだ。二人は返り血を羽織で隠し、江戸の中心部を避けて、川岸沿いに両国経由で下谷へ向かった。

 このまま、芳栄が待つ吉原へ向かうことができたら……。道すがら、未練たらしいと自省しながら、一笑がそんな思いを何度も振り払っていると、長助が妙に明るく、いった。

「宮川の一門もおしまいですね。もっとも、殴り込みをかけずに堪え忍んでも、世間からは蔑まれ、家名は続かなかったでしょうが」

「俺たちがどうなろうと、玲伊さんと春泉、弟子たちもいます。画流は絶えませんや」

「私たちは死罪ですかね」

「さあ。しかし、恥じることはねぇ。堂々とお裁きを受けましょうぜ。それがあとに残る者たちのためでさあ」

 長助がどんな表情で聞いているか、一笑は見ていなかった。

 宮川長春の屋敷に入ると、ただならぬ一笑たちの気配に弟子たちは息をのんだ。

「やったんですか、若先生。一笑さん!」

「とうとうやりましたか。首尾は?」

 口々に問いかけ、長助が荒い吐息まじりに答えた。

「稲荷橋はもう終わりだ。宮川一門も同様だがな。お前たち、家のある者は帰れ。ない者はどこか行ってろ。ここは、じきに役人が押しかけてくる」

「そんな、水臭え……」

「ぐだぐだいう奴は破門だ!」

 どうせもう廃絶となる運命だから、破門もへったくれもないが、長助は弟子たちを一喝し、長春の部屋へ入った。長春は床は離れたものの、身体の自由は取り戻していない。何をするでもなく火鉢に寄りかかっていた。

「血の匂いをさせて帰ってきやがったな」

「春賀は死にました。弟子も二、三人……」

「何だとぉ」

「倅の春潮は逃げましたが、稲荷橋狩野の評判はガタ落ちでしょう」

 長春は瞑目した。

「そうか。やっちまったか。俺が不甲斐ないばっかりに……」

 再び開いた目に涙を滲ませ、長助と一笑を見やった。

「すまなかったなあ、長助。迷惑をかけたな、喜平次」

 と、一笑を俗称で呼んだ。

「なぁに。いい冥土の土産ができましたよ」

「お前は今にも寿命が尽きそうなことばかりいっているが、長生きしたらどうするんだよ」

 さて、表絵師に刃をふるった凶悪犯が生きられるだろうか。一笑は投げやりに視線を泳がせた。その視線の先に長春の妻が現れ、

「本懐を遂げたそうですね。よくやってくれました」

 忠臣蔵みたいなセリフをいつものように小声でぼそぼそと呟いた。

 長助が、

「役人が来る前に……ちょっと整理してくる」

 とこの場を離れると、一笑も仕事場の弟子たちを見回った。彼らはここから離れろと命じられたものの、素直に実行できるわけもなく、右往左往している。その中の信用できる一人に、一笑は星鉄刀を託した。

「春笑にな、俺の形見だといって渡してくれ」

「役人に差し出さなくていいんですかい」

「もう一本、短刀を持ってる。使ったのはこっちだ。そういうことにするさ」

 その時、

「うぎゃあああえええええ!」

 女の悲鳴が炸裂した。一笑と弟子たちが廊下を回って裏庭へ駆け込むと、長春の妻が血まみれの長助を抱きかかえ、

「この家はどうなるの、この家はあああ」

 と、泣き叫んでいる。

 長助は喉を掻き切って、息絶えていた。手元に脇差が転がっている。

 稲荷橋の修羅場にも動揺しなかった自分に安堵していた一笑だが、ここで叫びたいほどの後悔に襲われた。長助が自裁することは予測できたはずなのに、まったく油断していた。いや、予感のようなものはあったが、気づかぬふりをした。馬鹿である。愚かである。やはり心は平穏ではなく、判断力が鈍っていたのだ。

 かねてから用意していたのか、遺書があった。

 そこには「此度の刃物沙汰は父の仇を討ったものであり、一笑は門下生として助力してくれただけである」旨が書き記されていた。

 心身とも虚脱してしまった一笑の耳に、どたどたと足音が、そして怒声が聞こえた。押し寄せた捕り方だった。

 

 この事件で、稲荷橋狩野では当主の春賀と弟子たち合わせて四人が死亡した。現場から逃走していた狩野春潮もじきに拘束されたが、父の春賀を殺したのが誰か、一笑と主張が対立し、裁きが下るまでには長い時間を要した。首謀者の宮川長助は自決しており、師匠の長春は病床のため、一番弟子の一笑が身代わりとなって、罪を一身に背負うことになった。

 宝暦二年(一七五二)十一月、一笑は伊豆国新島へ流罪。仇討ちとは認められずに喧嘩両成敗となり、稲荷橋狩野家は断絶。狩野春潮も同年十月、八丈島へ流罪。年内には宮川長春も病没した。

 遠島は専用の流人船が仕立てられるわけではなく、寛政年間には伊豆諸島へ向かう交易船に便乗するようになるが、それまでは島から漁船か廻船で迎えに来させる制度であった。いずれにせよ、諸事情で船が出ない時期には何カ月も牢で待機ということになる。出航前日には髪結いにかかり、役人からお手当銭をもらい、牢食にはお頭付きが出たという。

 一笑が流される当日。まだ暗い明六ツに伝馬町の牢から永代橋へ護送され、ここから艀舟で出て、川岸から離れて停泊する本船へ移乗させられた。

 日の出とともに流人船が動き出すと、佃島あたりで、客を乗せた数隻の小舟が近づいてきた。船頭たちが、

「お願いでございます、お願いでございます」

 と、決まり文句を叫ぶ。その中の一人が、

「宮川一笑こと喜平次の縁者でございます。御慈悲をもって一目だけでもお会わせ願います」

 一笑の名を告げた。他の船頭たちもそれぞれ流人の名を呼んでいる。乗船前には許されなかった別れの対面を、流人船の甲板と小舟の上から行うことを「お目こぼし」してもらう。それが慣例である。むろん、対面者は船頭に高い料金を払うのであり、船頭は船頭で、役人に日頃から袖の下を渡している。 

 流人は船底の船牢に入れられると浦賀番所へ寄港するまで出られないから、その前のわずかな時間を狙うのである。

 一笑は船頭が自分の名を呼ぶ小舟を舷側から見下ろした。芳栄の姿がそこにあった。もちろん互いに声はかけられない。視線を交わすと、

(ばか)

 と、芳栄の口元が動いた。船足がだいぶ違うので、距離はたちまち開いていく。

 一笑は彼女の姿を忘れまいと心に刻んだ。

(朝妻舟だなア)

 落ちぶれた平家の女房たちが京都朝妻川で「浮かれ女」となった姿そのものだ。悲しく、美しかった。

 朝妻舟は定番の画題である。元禄の頃、英一蝶はこの情景に柳沢吉保の妻と徳川綱吉を仮託して描いたために八丈島へ流罪となったという。

 一笑は無性に絵を描きたくなった。江戸の見納めに美しいものを目に焼きつけた。新島では地獄を目のあたりにするだろう。美醜両極端な世界を経験できる絵師など、滅多にいるものではない。決して、一笑が望んだことではなかったが。

 その後、流刑地の新島でも一笑は絵師として生きた。流人は自給自足が原則であるから、原始的な生活の果てに困窮死する者も少なくなかったが、親類縁者から仕送りを受ける者や手に職を持つ者は比較的恵まれた生活を送り、水汲女という名目の現地妻を持つ者もあった。一笑は福神や仏画を描いて露命をつないだ。吉原から流れてきた女を妻にしたとも伝わるが、真偽は不明である。

 安永八年(一七七九・一七八〇)十二月十四日、一笑は赦免されぬまま、新島で没した。遠島生活は二十八年に及ぶ。九十一歳であった。

(心積もりがはずれて長生きしちまったな。こんなことなら……)

 そう思い、少しは悔いたであろうか。

 一方、八丈島に流された狩野春潮はといえば、宝暦三年(一七五三)十二月、八丈島に中国船が漂着し、その乗組員六十三名(七十一名とも)の肖像を描き残している。皮肉にも、これがこの狩野派絵師の唯一の代表作となった。しかし、絵画史では見向きされず、春潮という画名さえも春湖、春朝などと混乱して伝わっている有様である。「八丈島流人銘々伝」では、春潮は文化七年(一八一〇)正月に八十歳で病没したとあり、逆算すると殴り込み事件当時には二十一歳の若者となるが、この労作の書冊は「春賀」を「春雅」とし、宮川長春が三宅島へ流罪となったと記すなど、絵画史の通説とは異なる部分も見られる。

 一笑の弟子の春笑は表向き宮川春水の門下となるが、この一門は名前をはばかって、宮川に勝る「勝宮川」さらに「勝川」と称した。そして、春笑は「春章」と改め、やがて江戸中後期の浮世絵界に大きな一家を成すことになる。

 一笑が新島で没する前年、この勝川春章のもとに十八歳の若者が入門し、勝川春朗の画名を与えられた。その俗称を中島鉄蔵という。のちの葛飾北斎である。

星光を継ぐ者ども 第十二回

星光を継ぐ者ども 第12回 森 雅裕

 江戸は寛延四年(宝暦元年・一七五一)の正月を迎えたが、宮川長春一門は年賀どころではなかった。それでも義理を欠くことはできない。年始回りの客はやって来るし、こちらから出向く相手もいる。当然、長春の身に起こったことは噂となって広がっていく。

 逆に、もたらされる情報もある。一笑が長春を見舞っていると、挨拶回りから戻った息子の宮川長助が報告した。

「親しい町狩野に聞きました。狩野春賀や春潮は例年と変わらず、正月は年始回りで忙しいようです。稲荷橋の屋敷は留守ですが、それを承知で、独立している弟子や客たちが挨拶に押しかけます。土産だけ置いて帰るわけで……」

「いつまでも正月じゃあるまい」

「筆の始めは六日です。日が暮れる前……七ツには終わるとか」

「そのあと、春潮は悪所へ遊びに行くなんてことはないのか」

「翌七日の朝は弟子たちと七草粥をいただくのが稲荷橋の決まり事なんだそうで、その準備もあるんで、春潮といえども夜遊びはしないだろうとは思いますが……」

「親父の春賀はいるんだな」

「七日は五節句のひとつ。御用絵師には登城日ですからね。朝が早い。屋敷でおとなしくしているはず。そもそも、春賀は武士でもないのに武士を気取って、夜は出歩きません」

 有事にそなえて、夜は屋敷に待機するのが武士の決まりである。

「寝込みを襲えば、昼よりも在宅の見込みが大きいですが」

「いや。まず、謝罪と支払いを求めるのが筋だ。正面から堂々と訪ねる」

「すると、決行は六日の昼」 

 当日に様子をうかがい、在宅を確かめるしかない。留守なら、決行を延期するだけのことだ。

「なんだか、一笑さんが大石内蔵助に見えてきましたよ」

「滅相もない。内蔵助ほど若くねぇよ」

 赤穂事件は浅野内匠頭の自刃から吉良邸討ち入りまで一年十か月を要している(元禄十五年は閏年のため八月が二回)が、これには御家再興を第一目標とした武家社会の事情もある。宮川一門には復讐を先延ばしにする理由がなかった。そもそも、こいつは討ち入りというより、殴り込みだ。喧嘩である。熱いうちに決行せねば名分が立たない。

「一笑さんは身内もいないし、この世に未練はないんでしょうねえ」

 長助は感心しているようだが、一笑は苦笑するしかない。

「まあ、もう充分に生きたからね。ろくな人生じゃなかったが」

「私は少しは未練があります」

 長助にはだいぶ前に別れた妻子があり、子は七、八歳だろうか。

「しかし、離縁しておいてよかったですよ。私が何をやらかしても縁座の心配はない」

 長助には義理の母となる長春の後妻が顔を出し、

「松戸へ知らせをやりました」

 と、小声で告げた。娘の玲伊の駆け落ち先である。重傷だった長春は身を起こせる程度には回復している。

「一日も早く次の知らせをしたいものです」

 長春が半殺しにされたことを知らせたから、その仕返しを果たしたことも早く知らせたいというわけである。

「でなきゃ、一笑さんも当家の敷居をまたぐのに気が引けるでしょう」

 さっさと決行しろという催促だ。事件はおとなしい後妻をこんな嫌味な女に変えてしまったのである。

 一笑は曖昧に頷いた。

 

 正月の数日は部屋に閉じ籠もって、絵を描いていた。三味線を爪弾く遊女とその傍らでくつろいでいる鍾馗の組み合わせである。

 春笑はためつすがめつ眺め、吐息を洩らした。

「こいつはいいなあ。有り得ない取り合わせなのに、遊女と鍾馗の心が通じ合ってる」

「俺ももう年だからな。これが最後になるかも知れねぇと思って描いてる」

「ここ数年、師匠は絵を描く度にこれが最後かもといい続けてますぜ」

「人生五十年。俺は十年以上過ぎてる」

「この絵、納める客は決まっているんですかい」

 大店の呉服商からの依頼だ。

「模写させてください」

 春笑はそういい、熱心に写し取った。

 そんなことをしているうちに正月三が日が明け、いつものようにふらりふらりと出入りしていた春笑は、餅を焼いて食いながら、

「俺にだって、狩野派に知り合いくらいいます」

 と、切り出した。

「探りを入れましたがね。稲荷橋狩野は師匠筋の山下狩野の家に不幸があったとかで、六日は不在。翌七日は奥絵師、表絵師は登城日です。登城を妨げることはお上への逆心となりますぜ」

「何だって、そんなことを俺に教えるんだ?」

「師匠と長助さん、その日に何やら企んでましたよね」

「七草粥が食いたきゃ女のところにでも行きな」

「とぼけちゃいけませんや。宮川一門の弟子たちは、命を預けてくれと声をかけられるのを待ってるんです。なのに、俺の師匠は何もいってくれねぇ。水臭えじゃありませんか」

「祐助」

 と、一笑は弟子の俗称を呼んだ。

「こいつは忠臣蔵の討ち入りじゃねぇぞ。俺たちはな、あくまでも謝罪と支払いを求めるために稲荷橋へ乗り込むんだ」

「そいつを拒絶されたら、狩野春賀の首をとるんでしょう」

「お前は宮川長春の直弟子じゃねぇ。関係ないんだよ」

 年末年始の挨拶回りの時期で、人の出入りが多かったこともあり、事件は江戸画壇で知れ渡っている。なにしろ稲荷橋狩野の一門がいいふらしているのである。

「赤穂の卑怯者の血筋は金の亡者でもある。ゆえに鉄槌を加えてやった」と。

 罪の意識は皆無だった。その一方では、宮川一門は稲荷橋狩野に復讐しないのか、と非難めいた声も聞こえていた。稲荷橋狩野ごときに何と罵倒されても、こちらはその何倍も軽蔑しているからかまわないが、世間から侮蔑されるのは耐え難い。春笑も宮川一門に連なる者として肩身の狭い思いをしているのだろう。

「世間は忠臣蔵と重ねて面白がっているだけだ。踊らされるんじゃねぇ」

 一笑は春笑が焼いていた餅を取り上げ、おろし大根をつけて食い始めた。

「こっちが世間を踊らせるくらいでなきゃ絵師にはなれねぇぞ、春笑」

 とはいえ、春笑のもたらした稲荷橋狩野の動向は事実だった。宮川家の長助もまた稲荷橋の周辺に探りを入れ、六日七日は仇敵が留守であることをつかんだ。一笑と長助は計画を延期せざるを得ない。

 

 一月六日。

 稲荷橋狩野へ乗り込むことが中止となったこの日、描き上げた絵は日本橋の角亀屋という呉服商へ持ち込んだ。角亀屋の主人は一笑の顔を見るなり、笑っているのか悲しんでいるのか不明の表情を作った。

「災難でしたなあ。長春先生は筆を持てぬどころか、歩くのも不自由な有様だとか」

 事件から七、八日しか経っていないのに、画壇とは無縁の商人にまで知られている。一笑は驚き、あきれた。

 角鶴屋の眼前に広げた絵は、表装していない「まくり」の状態である。角亀屋は知り合いの表具師に立派な表装をさせるつもりだ。一笑にしても、金も時間もないし、このまま渡した方が都合がいい。角亀屋も先刻承知である。

「おお。鍾馗さんに遊女……。面白い。はあああ。金に困っているとは思えない丁寧な仕事ですな。急いでいることを微塵も感じさせない」

「急いでいる?」

 意味ありげに、角亀屋は微笑んだ。

「だって、ほら。……やるんでしょ? 討ち入り」

「やりませんよ」

「またまた……。あっ、これは気がつかんことで。そりゃまあ、やるとは広言できませんわな。ははは。でも、私には本当のことをいってくださいよ。ねっ」

 こういう俗物には絵よりも絵師の抗争の方が興味深いらしい。

「やりませんよお」

 一笑は間延びした声で否定した。たちまち、角亀屋は不機嫌になった。

「あのね、一笑さん。師匠の仇も討たない腰抜けの描いた絵なんぞ、いりませんよ」

「そうですか。じゃ、結構です」

 一笑は絵を仕舞い、あきれ顔の角亀屋に背を向けた。暖簾をかきわけて外へ出る時、

「塩まいとけ!」

 そんな怒鳴り声が追いかけてきた。情けない。赤穂の浪人も討ち入り前はこんなだったのかな、と一笑は嘆息した。

 翌七日。

 吉原の茶屋「玉ね屋」の主人が前々から一笑の絵を欲しがっていたので、こちらへ持ち込んだ。

「ほお。一笑さんと芳栄さんの絵ですな」

 鍾馗と遊女だが、玉ね屋には一笑と芳栄にしか見えないようだ。

「気に入りました。しかし、値段はお安く願いますよ。なにしろ、宮川一門の名は評判がよろしくありませんからな」

 これが世間だ。胸算用していた金額の半分しか支払ってもらえなかったが、一笑はそれをそのまま玉ね屋の前に投げ出した。

「芳栄を呼んでくれ。『道中』をやってもらいたい」

「へ? ああ。道中の様子を描くんですな。それなら何も自腹切らなくたって……」

「いいから、頼む」

 一月七日は吉原の紋日である。遊女が稼がねばならない日で、すべての料金も割高になる。しかし、芳栄が籍を置く浦島屋のような大見世は八日から営業だ。

「わかりました。今日は芳栄さんも他に客をとらないでしょう。一笑さんのため、特別に来てもらいます」

 主人は何かを感じたのか、手を叩いて、承知した。それでも気を遣ったのか、費用はおさえてくれた。にぎやかしの余分な人数は繰り出さなかったし、幇間も芸妓も職業として確立しておらず、そのようなものも呼ばない。

 酒と台の物は出たが、一笑は飲めないわけではないものの、酒は好きでもないので、ほとんど手をつけずに窓から仲之町を見ていた。

 やがて、人垣の中を行列が進んできた。妓楼の若い衆が長柄の傘をさしかけ、新造、禿が周囲を固める。芳栄の足運びは踵を大きく外へ回し込む、吉原遊女の意気地を象徴する外八文字である。その歩調に合わせ、一行は悠然と進む。

 いわゆる「花魁道中」だが、花魁という言葉が高級遊女を指すようになるのは太夫や格子が消滅した宝暦以降であるから、この頃は単に「道中」と呼んでいる。

 座敷にあがると、

「あい。お出でなんし」

 と馬鹿丁寧に挨拶はしたが、あとはいつもの芳栄だった。

「馬鹿だねェ、こんなことにおアシ使って……」

「祝儀をばらまいて『道中』やらせてみな、といったのはお前さんだぜ」

「そいつは申し訳なかったけど……どういう風の吹き回し?」

「お前の晴れの姿を画紙にとどめておきたかったのよ」

 一笑はこの場で覚え描きのような下絵を描いていた。

「お宅の師匠が半殺しにされたのと関係があるのかい?」

「噂は吉原にも聞こえているのか」

「稲荷橋の春潮さんが自慢たらたら吹聴して回ってらア」

 芳栄は一笑に酌をし、量の少ない台の物には見向きせず、

「どん、と飯付き台を出しておくれ」

 と、茶屋に求めた。新造、禿といった女たちは常に腹をすかせているから、姐さん遊女のおこぼれにあずかるのである。むろん客の金だ。江戸後期なら鮨が喜ばれたが、この頃はまだ存在しない。

 芳栄は三味線を乱暴にかき鳴らすかと思えば、静かに爪弾き、いった。

「こないだの話、受けてもいいかい」

「三弦師のところに居候する話か。狩野春潮とは手を切るのか」

「そうするよ。一月十五日に私は吉原を出るけど」

「迎えに行く」

「大門は一人で出たいんだ」

「日本堤で待ち合わせよう」

 何を約束しているのか。一笑は自分でも驚いた。いずれ殴り込みを決行する予定だというのに、心のどこかで実感が湧かないのだった。

 

 一月十一日。

 宮川家で鏡開きを終えた一笑が長屋へ戻ると、松戸の百姓家に隠れているはずの狩野春泉が待っていた。留守宅に上がり込んでいたわけではなく、春笑と絵画談議で盛り上がっていた。

 春笑はなにしろよくしゃべる。

「鈴木春信ってのは俺より一つ年長でね、まだ売り出し前だが、美人画はなかなかのもんだ。線が細くて、童女みたいで俺の好みじゃねぇけど。でもね、奴はいずれのしあがってきますぜ。紅摺絵なんかじゃ飽き足らねぇ。もっと多色の摺物を工夫しようじゃねぇかって、絵暦の板元や金のある商人に働きかけてましてね……」

「そうか。町絵師は一途なものだなア。狩野派はそこへいくと……」

 そんな話で盛り上がっていたが、一笑は春笑を蹴飛ばすように隅へ追いやった。

「ちったぁかたづけろ。家主の部屋が散らかり放題じゃ店子に示しがつかねぇ」

 そして、苦虫を何十匹と噛みつぶしたごとく眉根を寄せ、春泉を睨んだ。

「春泉さん。たとえ親が死んでもしばらくは江戸へ戻るなと釘を差しておいたはずだ」

「はい。しかし、うちの親のために長春先生が深手を負ったと知らせを受けまして……」

 そういえば、長春の妻が松戸へ知らせたといっていた。

「長春先生を見舞いたいところですが、私が出入りすれば、かえって御迷惑かも知れず、こうして一笑さんを訪ねたわけで」

「お前さんが心配していたことは伝えておくよ」

「……で、けがの具合は?」

「駄目だな」

 長春はもはや体力だけでなく気力までも失っていた。もはや、ただ死を待っているだけの老人だ。

「申し訳ありません」

 と、春泉は頭を垂れたが、一笑はせいぜい明るく言葉を返した。

「お前さんが謝るこたぁねえ。玲伊さんを大切にしてくれりゃ、うちの長春師も文句ねぇさ」

「はあ……」

「お前さんたちの所帯が末永く続けば、それが稲荷橋狩野への仕返しにもなろうってもんだ」

「それはそれとして……このまま泣き寝入りするんですか」

「お前さんには関わりのないことだ」

「ということは、やるんですね、討ち入り」

「おいおい。しがない絵描きに忠臣蔵の真似事なんぞ期待しないでやってくれ」

「あんなこといってますが」

 と、春笑が横から口をはさんだ。

「決行前にね、たまっていた仕事を俺に手伝わせて、大急ぎでかたづけちまいましたよ。筆始めか七草あたりを狙っていたんですが、稲荷橋は留守と知って、取りやめになったんでさあ。しまらねぇ話で」

 一笑は手近な茶碗を春笑に投げつけ、だまらせた。

 そんな師弟を春泉は羨望のような眼差しで見ていたが、ふと真顔になった。

「夜なら大抵は在宅していると思いますが」

「寝込みを襲うような卑怯なことはできねぇ」

「はは。それじゃ赤穂の浪人たちが卑怯みたいに聞こえます」

「いや。俺には今ひとつ、切った張ったの覚悟ができてないのかも知れねぇ。まず話し合いだ。そんな甘いこと考えてる」

「そうですか……。十五日の昼なら、親父も兄もいるはずです」

「十五日?」

「奧絵師は一と六のつく日が登城する御定日ですが、表絵師には御用の定日はありません。しかし、年始、五節句、八朔、月次御礼には奧絵師ともども登城します。近いところでは十五日と二十八日です。朝から千代田のお城へ行き、挨拶だけすませて、昼には屋敷へ戻ります」

「寄り道せず、か」

「十五日は小正月ですから、左義長のあとかたづけをしたり、小豆粥を家族や弟子たちと食べたり……家内でやるべきことがありますから」

「ふむ。左義長かあ……」

 十四日の夜か十五日の早朝に門松や注連縄をとりはずす。子供たちが町内を回ってそれを集め、川岸にやぐらを組んで、書き初めと一緒に燃やす。それが左義長である。

 子供中心の行事だが、炎が大きくなる火祭りであるから、大人が監督につく。稲荷橋狩野は大川(隅田川)河口に近い鉄砲洲に屋敷を構えており、川岸で火を焚くには都合がいい。

「うちの親父は登城しますが、兄の春潮と弟子どもは朝早くから左義長に付き添っております。うちには子供はおりませんが、近所の武家と町家の仲介役なんでね。終われば、灰を持ち帰って屋敷の周囲に撒くと、その年の病を除くというので、家族の男がそれをやります。去年までは私もやりました」

「春潮はそんなもの放り出して、出かけたりしないかな」

 一月十五日は芳栄が吉原を出る日である。春潮が指をくわえて見逃すだろうか。つまらぬ下心をかかえて、駆けつけられると厄介だ。

「親父を怒らせても得なことはありませんからね。遊び好きの兄とはいえ、家族の行事が終わるまでは在宅しておりますよ。そのあとはわかりませんが」

(やるなら、十五日の昼か)

 一笑はつい真顔になる。だが、目の前にいるのは仇の家族である。これ以上の言葉は控えたが、春泉は彼の胸中を察した。

「御心配なく。親兄弟だからといって、守り守られる関係とは限らない。私は稲荷橋へ注進には及びませんよ。あの家の敷居をまたぐ気もない。ややこしいことになるだけですからね」

「さっさと松戸へ戻ることだ。どんなとばっちりが及ぶか、わかったものじゃねぇ」

 その夜は春泉を長屋に泊めたが、翌朝早くに追い出した。寄り道せぬよう、春笑を見送りにつけた。

 そして、一笑は宮川長春の屋敷へ足を運び、息子の長助に十五日決行を報告した。

「左義長のあとですか。刃物沙汰になっても、子供は巻き込まずにすむだろうね」

「稲荷橋狩野に子供はいない。近所や親族の子が居合わせたとしても、逃がしてやればいいだけのこと」

「こっちは私と一笑さんだけかい」

「弟子どもを巻き込むのは気が進まねぇ。気づかれたら、連れていけとうるさいから、当日は何食わぬ顔で出て来てくれ。日本橋あたりで待ち合わせよう」

「そうですね。俺たちだけの方が潔いかも知れねぇ」

 彼らは無頼漢ではないから、ハナっから喧嘩腰で乗り込むのではない。とはいえ、交渉決裂した場合の準備も怠りない。一笑は曽祖父の村正が鍛えた星鉄刀を携えるつもりだった。

「そうと決まれば、いろいろ整理しなきゃなりませんね」

 と、長助は顔料を溶く膠の準備を始めた。

「描きかけの絵は仕上げておかなきゃ。刃傷沙汰を起こす絵師の作なんか、欲しがる人はいないかも知れませんが、何もせずにはいられなくてね」

「わかりますよ。俺もそうだ。ここんとこ毎日、これまでにないくらい必死で描いてまさア」

 そのせいで、長屋の家主という身過ぎ世過ぎもなおざりだ。

星光を継ぐ者ども 第十一回

星光を継ぐ者ども 第11回 森 雅裕

 娘の逃避行に手助けしたことを父親に報告せねばならない。翌日、一笑は宮川長春が住む下谷へと足を運んだ。

 長春は上機嫌で迎えた。

「隠れ家を世話してくれたらしいな」

 すでに長春は玲伊から聞いていた。

「お前んとこの春笑が案内してくれるとか。世話になるな」

「差し出がましいことをしました。根本の解決にはならない気もします。狩野春賀がどう出て来るか……」

「なァに。駆け落ちは別に罪じゃねぇんだ。反対したって、子供でも生まれりゃ春賀もあきらめるさ」

「東照宮の修復代はどうなりましたか」

「卑怯者の血縁者が東照宮修復に参加するなど、詐欺にも等しい。逆に弁償しろ、とかぬかしていやがる」

「勝手な理屈があるもんですな」

「息子に駆け落ちされて、町絵師への金払いも悪いとなりゃあ、稲荷橋狩野もいい恥さらしよな。もっとも、恥という言葉の意味も奴らにはわかるまいがな」

 表絵師は狩野家の姻戚筋と門弟筋に分けられる。稲荷橋狩野の家は永徳や探幽という歴史的画人と血がつながっているわけではなく、門弟筋である。狩野の名は免許として与えられているに過ぎない。宮川長春も一笑も叩き上げの町絵師であるから、そんな稲荷橋狩野に対して畏怖する気はさらさらなかった。

 

 師走に入り、玲伊を松戸へ送り届けた春笑が戻った。大根、里芋など詰め込んだ藁縄袋を置き、低く唸るように嘆息した。

「重かったあ。土産です」

「どこか行ってたのか」

「玲伊さんを松戸へ送り届けろといいつけたのは師匠ですぜ」

「物忘れがひどくなってな。お前みたいな風来坊がどこで何してるか、気にしちゃいられねぇ」

「玲伊さん、すっかり百姓に馴染んじまってます。あれなら心配ないでしょう」

「そうか。御苦労だったな」

「あとは春泉さん次第です。明日をも知れねぇのが絵師ってもんだ。駆け落ちなんかやらかして、十年後二十年後にどうなっているか」

「老い先短い俺には見届けることはできねぇな」

「俺が師匠の墓にお知らせに参じますよ」

「俺に墓なんかあるもんか」

 町絵師など芸術家ではない。しがない職人の類である。ましてや天涯孤独の一笑が墓を持てるはずもない。

 親子以上に年齢の離れた師弟がそんな会話を交わした数日後、師走も半月ばかり過ぎた。

 一笑は吉原で遊女の絵を描いていた。芳栄ではない。芳栄は一笑が望んで描いているのだが、遊女屋の主人から依頼され、他の看板遊女をも描いている。

 以前、女への思い入れが絵にあらわれると春笑に指摘されたので、ここは丁寧に描くことを心がけた。その作業中を楼主が覗き、

「一笑さん」

 声をかけた。

「今、狩野春潮さんが玉ね屋に来ておりましてな」

 玉ね屋というのは引手茶屋である。この当時、吉原の揚屋はより簡素化された引手茶屋へと移行しつつある。原則として、太夫、格子という高級遊女と遊ぶにはこうした店を通さねばならず、ここに宴席をもうけて遊女を呼ぶのが手順である。それによって、茶屋には席料、料理屋には料理代、見世には揚げ代が入る仕組みであった。

 一笑は遊びに来ているわけではないので、茶屋には上がらない。だが、春潮という絵師は遊びも仕事も区別がない。

「一笑さんに顔を出して欲しいとおっしゃってます」

「春潮か。芳栄も呼ばれているのかい」

「まあ、そんなような……」

「俺は行きませんぜ」

「まあ、そうでしょうな。恋敵ですからなあ」

「そんなんじゃねぇ。稲荷橋狩野とは少々揉めていましてな」

「ははあ。稲荷橋はあまり評判がよろしくないですからな。私としては、芳栄さんは一笑さんにもらってもらいたいですが。なにしろ、春潮さんは……」

 楼主は苦笑しつつ言葉を切った。

「どうした?」

「いや。悪口はやめましょう」

「悪口なら好きだ。いってくださいよ」

「実は」

「いや、いい。聞きたくない」

 だが、楼主は口に出した。

「博打で借金まみれですよ、あの人」

「芳栄ならもっといいお大尽から誘いがあるだろうに」

「芳栄さんはみんな断っちまいましてね。春潮さんだけはあきらめずに通い詰めて、しかもお前との子供が欲しいと泣きついたりするもんで、芳栄さんも情にほだされたようなあきらめたような……。利口な女ですが、吉原の外の世界を知りませんからな、年明け後は一人で生きていけるわけもなし」

「煮えきらねぇな」

「あのね。煮えきらねぇのは一笑さんで」

「俺はハッキリしてまさア。芳栄のことは絵標本(モデル)としか思ってねぇ」

「またまた……。はいはい」

 楽しい気分ではなくなり、早めに作業を切り上げ、一笑は妓楼から大門へと最短距離を目指した。しかし、

「待ちねぇ。一笑さんよ」

 吉原の中央通りである仲之町を追ってきた声があった。

「芳栄と酒飲みながら待ってたのに、つれねぇじゃねぇか。そう忙しい絵師でもあるめぇに」

 表絵師らしからぬ無頼漢のような口振りだ。これが狩野春賀の長男・春潮である。一笑とは親子ほども年齢が離れているが、敬意などカケラも見せない。常に他人の欠点や失敗を探しているような男である。

 一笑も言葉がぞんざいになる。

「なら、俺にかまわず飲み続けていろよ」

「へへへ。お前さん、茶屋に上がるほど稼いじゃいねぇんだろ。女郎の絵を描いて、いくらになるんだい?」

 他人をけなすこと、他人の懐具合を知りたがること、この男の悪癖である。

「なあ、いくらだい?」

「貧乏暇なし、と答えておくよ。」

 一笑は歩調を緩めない。

「へっ。まあ、のんびりしてる場合じゃないかもなあ。今頃、うちの親父が宮川長春さんのところへ怒鳴り込んでるだろうから」

「何?」

「弟が逐電しちまってな。どうせ玲伊と示し合わせての駆け落ちだろう。どこへ行ったのかと、親父は半狂乱だよ。けへへ」

「覚悟の家出なら、春賀さんが長春師のところへ怒鳴り込んでも無駄だと思うが」

「親馬鹿にそんな冷静さを求める方が、よほど無駄ってもんだ」

「春泉がいなくなりゃ跡目はお前さんが継ぐんだろ」

「そうだよな。俺としちゃ帰ってこなくてもいい弟だ」

「博打なんかやめて、家業に専念しな。吉原の看板遊女を嫁にするんだろ」

「へへっ」

 春潮の短い笑いには嘲りが混じった。ふと、不吉な予感が一笑の胸裏をよぎった。こいつには女に対する誠意はない。直感であった。しかし、究明している暇はない。

 春潮を振り切り、宮川長春の屋敷へ急いだ。下谷に居並ぶ寺院の隙間をたどって駆け込むと、町家であるから玄関というようなものはないが、土間の入口では宮川一門の弟子たち、狩野春賀の弟子たちが睨み合っていた。一笑は一直線に彼らの真ん中を突っ切り、草履を蹴り脱ぎ、奧へ進んだ。座敷に長春と春賀が対峙していた。

「春泉と玲伊はどこにいるんだ、ああ!」

「こっちが聞きたいわ」

 彼らの表情を見ると、そんなやりとりがさんざん繰り返されたらしい。むろん長春は知っているのだが、答えるわけがない。

 現れた一笑に春賀は毒づいた。

「お前さんとこの師匠、卑怯者の末裔というのは盗みまでやらかすのか。息子をかどわかされたとお上に訴えてやろうか」

 春賀は興奮して声が枯れているが、ここまで急いだ一笑も息切れしている。

「聞き捨てなりませんな。いい年した男が若い娘にかどわかされたなんて話はきいたことがない。当家こそ、お宅の息子に娘を盗まれたようなものじゃありませんか」

「狩野と宮川じゃあ、人の値打ちが違うんだよ、値打ちが」

「お宅の春潮さん、博打場に入り浸っているようですが、無頼の徒は値打ちある人間ですかね」

「春潮なんか期待しておらん。どうせ卑しい妾が産んだ子だ」

 春賀は興奮し、こちらが尋ねていないことまで、まくし立てた。

「吉原の女郎をだまくらかして、年季が明けたら品川の岡場所へ売り飛ばそうなんて企むようなクズだよ、春潮は」

「吉原の女郎? 誰のことです?」

 それこそ聞き捨てならないことだが、春賀には興味のないことらしい。

「くだらん女郎の名前なんか知らんっ」

 春賀は逆上して腰を浮かし、その勢いが止まらずに立ち上がってしまった。険悪な気配を読み、隣室で息を殺していた長春の弟子たちが廊下に出て来た。

 一触即発の空気の中で、長春が静かにいった。

「表絵師の名誉を守りたいなら申し上げるが」

 声が震えている。

「東照宮修復の画料を払ってから、偉ぶって欲しいですな」

「おや。もし、そこのお方、どちら様ですかな。わしに説教するとは……。金の亡者が」

 自分のことを棚に上げている。

「そんなに金が欲しけりゃ稲荷橋まで取りに来るがいい。それとも、自分の弟子が大勢いる場所でなきゃ恐いか。ええっ」

 春賀は捨てゼリフを残して席を蹴り、

「帰るぞっ!」

 控えていた自分の弟子たちに声をかけた。

 土間に並べてあった履物を蹴散らし、稲荷橋狩野の一門が引き上げるのを一笑は見送ったが、それは礼儀ではなく、彼らがつまらない置き土産でも残していくことを危惧し、目を離せなかったのである。この疑り深さは一笑の性格の悪さであった。

 一笑が座敷に戻ると、長春は床の間に掛けた自作の美人画を見つめていた。そして、しみじみと呟いた。

「俺はただ絵を描きたい一心で何十年も腕を磨いてきた。しかし、目の前に現れるのは嫌な野郎ばかりだ」

「絵描きでなくても、世の中は嫌な奴ばかりでさア。しかし、厄介ですな。画料はあきらめた方がいいかも知れませんぜ」

「あそこまで侮辱されて、泣き寝入りなんかできるかよ。怒鳴り込んででも、ふんだくってやるさ。年内にはけりをつける」

「私も同行しましょうか」

「それには及ばん」

「くれぐれも一人では行かないように。春賀には俺たちの常識は通じませんぜ」

「はは。こんな忌々しい世の中でも、俺はまだまだ長生きするつもりだからな。行く末を見届けなきゃならん家族もいる。お前のように気楽に老い先短いなどといってはおられん」

 一笑とて気楽なわけではないのだが、宮川長春は元来の育ちがいいためか、どこか能天気である。人間の性悪をもっと警戒すべきであった。しかし、一笑にしても、他に心配なことがあった。狩野春潮が「くだらん女郎」をだましているという春賀の言葉だ。芳栄を指しているのか。

 

 十二月十八日。江戸は雪であった。足元の悪い中、浅草は歳の市で、吉原では年末の挨拶回りが始まり、見世によっては煤払いが行われる。江戸市中では煤払いといえば十三日と決まったものだが、吉原は二十日前後が多い。年末が迫り、張り見世の営業を終えて、門松や注連縄を飾るなど、迎春の支度に入っている妓楼もある。

 吉原の門松は妓楼の門口に立てるのではなく、通りの中央に背中合わせに二列並べる。吉原を南北に貫く仲之町では二十五日に一気に立ててしまう慣例だから、今はそうした正月飾りはまばらだった。

 一笑は吉原の引手茶屋・玉ね屋に芳栄を呼び出した。本来なら「道中」を挙行する芳栄だが、身軽な足取りで雪を蹴散らし、やってきた。この日、彼女が在籍する浦島屋は煤払いで、昨夜の客は朝には帰してしまい、昼は営業していない。

 茶屋の主人が気をきかし、年末挨拶の手拭いを配るという口実で、芳栄を呼んだ。揚屋よりも大衆向けとなった引手茶屋とはいえ、手順を踏むと大金を投じなければ会えない遊女なのである。

 芳栄は手拭いの束を傍らに放り、長屋の女房みたいな口をきいた。

「珍しいじゃないか、一笑センセ。茶屋に私を呼ぶなんて。うちの店に直付けすりゃいいでしょうが」

「歳の市で買い物している玉ね屋の連中にバッタリ会ってな。荷物をドサッと持たされて、ぜひ寄っていって、鯨汁を食っていけと引きずり込まれちまった。お前と食いたいと思ってな」

「……私たちの前にあるのは蕎麦だよね。それもデロンデロンにノビた蕎麦」

「早く来ないお前が悪い」

「私がいってるのは、そういうことじゃなくて……」

「面倒なものだよな、遊女に会うのは」

「ふん。年の暮れに金も使わずに呼び出しておいて、何をいってるんですか。面倒でも、会うことはできる。嫁に行ったら会えないですよ」

「そのことだがなア」

「何です?」

「狩野春潮なんぞのところへ行くのはヤメにできねぇのか」

「だってさ、泣くのよ、あの人。二人で暖め合って生きていこうなんつって」

「本心だと思うか」

「あのさ、私の身の振り方をとやかくいうからには、もっと素晴らしい生き方を用意した上でのことなんでしょうね」

「芝居小屋の三味線方ならアテがなくもない。お前の腕なら、浄瑠璃音曲の師匠にもなれるだろう。道楽息子どもが押し寄せるぜ」

 三味線を弾くにしても、芸者という職業はまだない。歌仙(歌扇とも)という吉原の遊女が初の女芸者に転身するのは翌年の寛延四年(宝暦元年)のことである(宝暦十二年とも)。

「やらないよ」

「え?」

「音曲はもううんざりだよ。仕事にありつけたとしても、住まいはどうするんだい?」

「知り合いの三弦師がいる。三味線作りの職人だ。半分引退したような年寄りで、弟子も皆出ていったから、部屋が空いてる。職人になるって道もある」

「絵師になりたいっていったら、年寄りの絵師のところに居候できるのかい」

「絵師なんぞたいした商売じゃねぇ。人は誰でも絵が描けるからな。だから、絵で食っていくのはむずかしくもある」

「たいした商売じゃないとか、むずかしくもあるなんて、一笑さん自身の言い訳だろ。情けないったらありゃしない。茶屋に祝儀をばらまいて、私に新造や若い衆を引き連れた『道中』やらせてみな。今後の身の振り方の説教は、そのあとにしておくれ」

 芳栄はいつのまにか蕎麦の器を空にしている。視線を器に落とした。

「まずい蕎麦だね。私ならもっとうまい蕎麦屋になるよ。蕎麦屋を世話してもらおうかね」

「よくいえたもんだ。料理や針仕事ができるようになってから、いいな」

 遊女上がりを皮肉って「二十七 長屋一番 手ぶっちょう」という。家事の経験などないから、二十七歳で年季が明けて娑婆に出ても、女として必要なことは何もできない。

「絵を描く用もなさそうだし、私は行くよ。挨拶回りという建前でここへ来たからね。もう馬鹿らしい胴上げも終わった頃だ」

 妓楼では煤払いが終わると遊女たちを胴上げする慣例だ。遊女にしてみれば着物も髪もぐしゃぐしゃにされ、迷惑な行事なのだが、それに参加するのが粋だと思い込み、煤払いを手伝う客もいる。

 外の雪は激しくなったようだ。一笑は芳栄を見送らなかったが、この雪の中を歩く後ろ姿を鮮明に思い浮かべることができた。

 この日は大雪となり、八丁堀で破船の被害が出たほどであった。

 

 十二月三十日の朝である。

 自宅で画紙に滲み止めのドーサを引いていると、

「師匠!」

 春笑が裏通りに続く垣根の間を早足に抜けてきた。宮川一門の中でも一番能天気なこの若者が、血相を変えている。倒れ込みながら、叫んだ。

「長春先生が……!」

 それだけで、一笑は何が起こったかを察した。手にしていた刷毛を落とすように放り出した。

「お前、ドーサ引いとけ!」

 いいつけて、駆け出した。

 下谷の宮川長春邸まで走り抜く体力はなく、途中で何度か歩いた。こけつまろびつたどり着いた時には、土間でしばらく動けず、懸命に呼吸を整えた。

「畜生。年寄りに無理させやがって……」

 奧の座敷に長春は寝かされていた。その顔はどす黒く腫れ上がり、傍らでは長春の息子が看護していた。画号は長助である。彼に尋ねた。

「一体、どうしたんだ、これは」

「稲荷橋へ支払いの催促に行ったんです」

 長助は一門の嫡流とはいえ、親子ほど年長の一笑に対する言葉遣いは丁寧だ。

「昨夜、帰ってきませんで……今朝になって、鉄砲洲の河口近くで見つかりました。この寒空の下、荒縄で縛り上げられて、ゴミ溜めに打ち捨てられていました。腕を砕かれて、もう絵筆を持てないかも知れません」

「稲荷橋へ一人で行ったのか」

「弟子の春円を同道しましたが、こいつも足腰立たない大ケガで……」

 長春は意識がなく、掻巻の中で時々、獣のような唸り声をあげた。

 見守る長助は涙ぐんでさえいる。

「やったのは春賀と春潮。それに稲荷橋狩野の弟子ども数人です」

 温厚な長助がこれまで見せたことのない怒りをむき出しにした。

「一笑さん。私は仇を討ちますよ」

 すぐにでも飛び出していきそうな気配だ。

「まあ待ちねぇ。仇を討つのはいい。だが、あんたはまだ若い。軽挙妄動はいけねぇ」

「親父を半殺しにされて泣き寝入りしたんじゃ、それこそ赤穂の臆病者の血筋だと笑われます」

「どうしても……っていうなら、あんた一人を行かせやしねぇよ。だがね、今は稲荷橋も仕返しを警戒しているだろう。油断を待つんだ。それこそ赤穂の浪人どもの討ち入りと同じだよ」

「しかし……」

「春賀と春潮を討ち洩らしちゃ意味がねぇ。在宅の時を調べるんだ」

「なるほど。吉良上野介が茶会で在宅している時を狙ったように……ですか」

 事件が大きくなれば、宮川一門は廃絶となるかも知れない。長助が頭を冷やしてくれればそれでよし、その時は老い先短い自分が一人で稲荷橋狩野と差し違えようと考えた一笑だが、長助はおとなしくて生真面目な男だけに、思いつめたら後戻りはできないだろう。

星光を継ぐ者ども 第十回

星光を継ぐ者ども 第10回 森 雅裕

 葛飾北斎は九十歳の寿命が尽きるまで絵を描き続けたが、およそ七十年前にも九十一歳まで現役だった浮世絵師がいた。しかし、晩年は流罪となった伊豆国新島での作画であった。宮川一笑。元禄の初めに生まれ、安永の末に没した絵師である。

 その日、一笑は吉原遊郭の大見世で画紙を広げ、女を描いていた。目の前にいる絵標本(モデル)は吉原浦島屋の遊女・芳栄。描かれていてもかまわずに動き回り、三味線をかき鳴らしている。

「これからは太夫も格子もなくなって、散茶が一番上になるらしいよ」

 芳栄は他人事のように、いった。

 寛延三年(一七五〇)の十一月である。吉原も変革しつつあった。客層が大名や豪商から一般町人へ移っているのである。

 吉原遊女は二千人を大きく越え、太夫はその最高位だが、一人からせいぜい五人しかいない大名道具で、芳栄はその下の格子である。それでも六、七十人のみという上級遊女に数えられる。その下には散茶、埋(梅)茶と階層が広がり、さらに切見世やら下級の遊女群が入り乱れ、時代によって名称も格付けも混乱している有様である。そればかりでなく、客と上級遊女を引き合わせる揚屋も簡便な引手茶屋へと転換しつつあった。

「まあ、私はじきに年明けだから関係ないけどさ」

 吉原の年季明けは二十七歳の暮れと決まっている。過酷劣悪な環境で罹病したり早死にする者が多いから、この年まで生き抜く遊女はよほどの強運だ。芳栄は上州の貧乏百姓の娘で、借金と口減らしのために売られてきた。実家に帰らないのか、などと訊くまでもなかった。

「普通なら、吉原を出たらどうするんだって訊くもんだよ」

「あ。うん。……どうするんだ?」

「嫁に来てくれという人がいてね」

「いるだろうな、お前なら。で、どこのどなたかと訊かなきゃいけないのかな」

「教えてあげる。狩野春潮さんだよ」

「稲荷橋か」

 御用絵師の狩野家には中橋(宗家)、鍛冶橋、竹川町(のち木挽町)、浜町という四家の「奥絵師」を頂点として、十家を越える分家「表絵師」があり、さらに一般町人の注文に応じる「町狩野」と呼ばれる外弟子群が存在する。この頃、「奥絵師」「表絵師」は公式名称ではないが、階層は厳然と存在していた。稲荷橋狩野は表絵師の中でも比較的新しく、当代はまだ二代目の春賀理信。この春賀には二男があり、長男が春潮全信、次男が春泉明信である。

「行くなというなら、考えるけど」

「俺にはお前さんの生き方に口出しはできねぇ。しかし、春潮をどう思うかと訊かれりゃ答えてやる。いけ好かない野郎さ」

 昨年、日光東照宮の彩色修復に狩野春賀は門下生の他に町絵師たちを率いて参加した。その中には浮世絵師である宮川長春の一門も含まれていた。長春は若い頃には各所で修業しているが、稲荷橋狩野の初代である春湖元珍の弟子筋でもあるのである。

 その修復には長春の一番弟子である一笑も参加した。

「春賀もその子の春潮も、ただ絵具を塗りたくるだけの面白くもねぇ絵しか描けねぇくせして、表絵師の威光を笠に着て、町絵師を見下していやがる」

 奥絵師は武家にたとえれば旗本格で帯刀を許され、表絵師は御家人格であるが一部の例外を除いて帯刀は許されない。幕府御用も分担制となっており、徳川家霊廟の補修は表絵師の職掌である。

 奥絵師は商家や遊郭での席画など自由にできないが、表絵師はまだしも束縛がゆるい。幇間まがいの表絵師もいるくらいだ。そうはいっても、天下の狩野派には違いなく、宮川一門のような町絵師とは格式が違う。

「あのね。そんなこというけど、私に春潮さんを紹介したのは一笑さんだよ」

「そうだったかな」

 一笑が芳栄を描くのは初めてではない。以前の作画を見た豪商がこの遊女に会いたいといい出し、一笑としては断る理由がなく、引手茶屋を通して、芳栄に引き合わせた。春潮はその豪商に付随してきたのである。おそらくは春潮が熱望したのだろう。一笑に芳栄の紹介を頼んでも断られると見越して、豪商を表に立てたのである。

「自分も描きたい」

 と、春潮は芳栄や遊郭の者たちにしつこく訴え、実際に何枚かは描いたようである。一笑にしてみれば、心ならずも自分が取り持ったようなものだ。いい気分ではなかった。それでも冷静を装うことで、芳栄に対して特別な感情を持っているわけではないと、自分にも他人にも表明してしまったわけである。

 彼はもう六十歳を越えている。よほどの売れっ子で金も地位もある絵師なら芳栄のような人気遊女と格別の関係になるのもよかろうが、その日暮らしの貧乏絵師である。そうした自嘲ともいえる分別が歯止めとなっていた。

 芳栄とは遊女と客として知り合ったのではなく、浦島屋からの作画依頼がきっかけだった。その絵は好評で、以後は一笑の方から望んで芳栄を描いているのだが、あくまでも仕事上のつきあいである。一笑はそのように自分にいいきかせている。絵師としての潔癖さも足かせとなっていた。

「ところで、何でそんなにたくさん描くんです?」

 芳栄は一笑の膝元に重ねられた画紙を指した。すべてこの場で描いた芳栄の姿である。席画といっても、即興的な小品ならともかく、現場では下描きにとどめ、自宅で仕上げるのが普通だ。

「いつまでお前さんを描けるかわからねぇからな」

「今のうちに描き溜めってわけかい」

 芳栄は三味線を放り出し、どたどたと近づいてきて、絵の束を取り上げた。

「きさんじなもんだね」

「何?」

「洒落てるっていったんですよ。少なくとも春潮さんに描いてもらった絵より」

「春潮なんぞと比べるな」

「やれやれ。春潮さんに見そめられてようございましたネといってくれる奴なんかいやしない。天下の表絵師なのに」

「春潮には春泉って弟がいてな。そいつはまだしもマシな男で、稲荷橋狩野はこの弟が継ぐという話だ。うちの師匠の宮川長春の娘と縁談もある」

「なるほど。嫁にも兄弟で差があるってわけかい」

 芳栄は窓辺に座り込み、外に目をやりながら頬杖をついた。その横顔を一笑は早業で走り描きした。

 

 浅草は酉の市で、吉原では鷲明神の参詣客を呼び込むために普段は閉じてある西の一門も開かれる。大きな熊手をかついだ客たちででごった返す吉原を離れ、一笑は帰宅した。芝田町二丁目(現在の田町駅付近)のボロ長屋の家主をまかされている。家主といっても所有者ではなく、店子を管理する「差配」として雇われているのである。

 ボロ長屋の路地入口に一笑の住まいがある。まだ明るい時刻というのに、若い男が画紙とゴミの山に埋もれて寝ていた。一笑に家族はいない。弟子の春笑である。親元を飛び出し、一笑の長屋にいない時は女のところに転がり込んでいる。

 一笑は物音を立てずにゴミの隙間へ座り込み、部屋に立てかけてあった画板と向き合った。そこに張り付けられた下絵は居眠りする鍾馗である。これを見守る形で芳栄を組み合わせ、描いてみようと思う。

 吉原から持ち帰った画紙の中から、適当な芳栄の姿を選んでいると、ゴミの山の中から春笑が身体を起こした。

「あ。お帰りなさい。起こしてくれりゃよかったのに」

「起こしたら掃除でもしてくれるのか」

「しやしませんよ。世間の出来事を御報告したら、女のところへ行きます」

「じゃ、早くいえ」

「師匠が吉原に御滞在の間に事件が起こりましてね」

「何だ」

「玲伊さんの嫁入りが破談になったんです」

 玲伊とは、稲荷橋狩野の次男・春泉に嫁入りすることになっている宮川長春の娘である。

「ああ?」

「狩野春賀先生が宮川長春先生に、申し入れてきたそうです」

「春泉坊やと玲伊さんは相思相愛だと思っていたが」

「当人同士も親同士も乗り気だったはずですがね」

 玲伊は宮川長春が五十近くになってから後妻が生んだ娘で、今は二十歳前である。少女の頃からこの縁談はあった。今さら何の支障があるだろうか。あるいは表絵師の息子と町絵師の娘が釣り合わないというなら、一旦どこかへ養女に入れるとか、方便がありそうなものである。

「何があったんだ?」

「私は宮川一笑の弟子なんでね。宮川長春先生の家庭の事情なんざ知りませんや」

 春笑は一笑の手元の絵を覗き込み、唸った。

「芳栄さんへの思い入れが籠もっていますなア」

「何をいいやがる」

 春笑は一笑に付き従って吉原へ出入りし、芳栄の顔は知っている。

「師匠の描く女人は出来不出来が激しいので、好きな女かどうか、よくわかります」

「勝手にわかっていろ」

「女の方も絵師に気を許してなきゃ、こんな姿は描かせませんよ。似合いだと思いますがね。でもさ、芳栄さんは遊女の身であることを遠慮して、自分から押しかけちゃ来ませんぜ。師匠。聞いてます?」

 聞いていたが、返答を考えているうちに一笑は部屋を出て、草履を履いていた。土間に野菜が届けられている。近隣の百姓が肥料とする汲み取りの礼に置いていったのだろう。

「あ。礼金も受け取っておきましたよ」

 春笑が野菜の傍らに置かれたわずかな銭を指した。一笑は総後架(共同便所)や井戸端を見回りに出た。これが家主としての仕事なのである。もっとも、汲み取りの謝礼などは、年末の餅代として店子に還元する慣例だ。

 宮川長春の屋敷は下谷で、破談については気がかりだったが、日が暮れかかっている。今日はもう出かける気になれなかった。

 

 翌日、宮川長春を訪ねた。勝手知ったる屋敷に上がり込むと、長春の妻とすれ違った。長春とは親子ほど年齢差があり、普段は声を聞くこともないほどおとなしい女だが、意外な言葉が聞こえた。

「情けない。ああ情けない」

 聞こえよがしに呟かれると、一笑は自分のことかと肩身を狭くしながら、仕事部屋を覗いた。宮川長春が画紙の前に座っていたが、絵筆を握った腕を見ると、心ここにあらずという重い動きだ。どうやら情けないのはこの男らしい。

「稲荷橋の気が変わったんですかい」

 いきなり切り出したが、長春は表情を動かさない。青ざめた固い表情で、筆を置いた。

「俺の素姓がバレたってことだよ。ふん。かみさんにも隠してきたことだったが」

「師匠。もとは盗賊の親方だったとでもいうんですかい」

「もっと恥ずかしいかも知れねぇ。俺の生家のことよ」

 宮川長春は尾張宮川村の出身ということになっている。

「実はな……江戸へ出る前は美濃高須藩の武士だった。尾張支藩なので尾張といえぬこともない」

「へええ。侍の出ですかい。まあ、ただの田舎者じゃあるまいとは思っていたが……」

「もとは播州赤穂、浅野家家臣の次男に生まれたんだが、美濃高須の親戚に跡継ぎがなかったので、養子に入った。赤穂事件の前だ」

「赤穂? するってぇと……」

「俺の兄が赤穂の実家を継いだが、吉良邸討ち入りの義挙からは脱盟している」

「それはそれは……。参加者は英雄視されたが、脱盟者は一族郎党に至るまで唾棄されたそうですなア」

「卑怯者、恥知らずと蔑視され、素姓を隠して生きるしかなかった。事件後まもなく、俺は養家を追われた。卑怯者の実弟だからな」

「討ち入りはもう五十年近く前のことじゃありませんか。それが今さら稲荷橋狩野に知られたと?」

「昨年の東照宮修復の折、尾張藩から差し向けられた絵師の中に花村喜斎という男がいた。狩野派だ。若い頃の俺は尾張で狩野派を学んだことがあるからな。喜斎とは面識があった」

「そいつが師匠の素姓を告げ口したんですかい」

「東照宮で会った時には、こちとら昔とは名前が違うし、面変わりもしている。むろん俺もすっとぼけていた。喜斎にしてみりゃ、江戸で評判の宮川長春に妬み嫉みもあったのだろうよ、狩野春賀に告げた。赤穂の卑怯者の血縁者にこの長春が似ている、となア……。春賀にしてみりゃ、息子の嫁をもらおうという宮川家だ。聞き捨てにはできねぇやな。喜斎は東照宮の仕事を終えたあと、しばらく尾張藩江戸屋敷に滞在していたが、この夏に尾張へ戻ると、俺のことを調べたらしい。尾張宮川村の出身というのは嘘だと知れた。美濃高須の養家とは縁を切った俺だが、江戸で絵師になっていると風の便りが届いていたようだ。そうした俺の正体がつい最近、稲荷橋狩野に報告されたわけさ。人間の運が尽きる時はこんなもんだ」

 赤穂浪士による吉良邸討ち入りは元禄十五年(一七〇二)十二月だから、四十八年も経っているのである。しかし、討ち入りの翌年からこの事件を題材とした浄瑠璃、歌舞伎が繰り返し上演されている。一昨年の寛延元年(一七四八)には決定版ともいうべき浄瑠璃の「仮名手本忠臣蔵」が大坂で初演され、翌年には江戸でも大当たりをとった。

 歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」も同時期に大坂、江戸で立て続けに上演されて、赤穂義士の名声が高まる一方、脱盟者は怯懦、仇敵の吉良方は横暴という見方が定着した。今はまさにその時期なのである。

「そういうわけで、春賀は息子の嫁に俺なんぞの娘はいらぬといってきた」

「しかし、春泉と玲伊さんは好いた者同士でしょう」

「親にしてみれば、息子の色恋よりも狩野の画名が大事ということだ」

「長男の春潮は好き勝手やってますがね」

「春潮は遊女を嫁にするという噂だな。春潮は博徒どもとつきあうような野良者ゆえ、親父の春賀も見放している。だからこそ、次男の春泉には恥ずかしくない嫁を迎えて跡継ぎにしたい。それが春賀の考えだ」

「はあ。遊女とて恥ずかしくはありますまいが」

「お前のような市井の民なら遊女の嫁でもよかろうがな」

 無礼な言い方だが、長春に悪意はない。ただ無神経なのである。そして、自尊心が強い。

 長春は芳栄という遊女を知らなかった。一笑は彼女を思い、少しばかり胸が痛んだ。その理由は自分でもわからない。わかろうとしなかった。

 一笑の胸中にかまわず、長春は言葉を続けた。

「絵師は家柄じゃねぇ。腕だ。見下される筋合いはねぇ」

 話しているうち、気力とともに怒りが湧いたらしい。顔に血色が戻った。

「表絵師の看板に慢心していやがるが、評価するのは自分じゃねぇ。世間だぜ。世間の皆様が東照宮修復の腕を見て、稲荷橋狩野と宮川一門のどちらが上だと思うかな」

「まあ、そのへんがわかっているからこそ、稲荷橋狩野は面白くなくて、あの仕事の賃金を払ってくれないのでしょうがね」

 東照宮修復は去年の仕事である。宮川一門は稲荷橋狩野の下請けという形で参加したが、現場では稲荷橋狩野と対等以上の仕事ぶりで、幕府の役人や東照宮の関係者からも評価された。しかし、賃金、画料は稲荷橋狩野に預けられ、そこで止まっている。

 当然、一笑にも支払いは回ってこない。元々、狩野春賀は吝嗇で、しかもいい加減な男なのである。長春にしても、姻戚を結ぶならうるさく催促するのはためらわれた。だが、破談となればもう遠慮する必要はない。

「手間賃だけじゃねぇ。高価な絵具を使ったんだ。勘定書きを束にして送りつけてやろうか」

「そうですな。私もね、若い頃からあれこれ我慢してきましたが、それでも、たいしていいことはなかった。六十過ぎて、もう我慢はしたくねぇ。腹が立ったら、遠慮なく怒りたいと思っています」

「思っている」のである。実行しているかどうか、自分でも何ともいえない。若い頃も短気ではあったが、道を踏みはずす手前でいつも自重してきた。年をとって、堪え性がなくなったのは確かだが、今もぎりぎりのところで踏みとどまってしまう。それが一笑の性格だった。

 

 それから数日。十一月も終わろうとしている。

 一笑は長春と七歳しか違わない一番弟子であるから、宮川一門では頼りにされている。一笑の自宅へ「その二人」も今後の相談にやってきた。破談になったはずの春泉と玲伊である。

「狩野の家を出ようと思います」

 と、春泉は晴れがましいほどに顔を上げ、宣言した。

「町絵師になります」

 一笑は散らかり放題の部屋を「見ろ」とばかりに、指を回した。

「お前さん、町絵師をなめちゃいないだろうね。お上からの拝領屋敷も俸禄もないんだ。絵具だって、いいものは使えねぇ。ゴミ溜めで暮らしながら、食うためにはゲス野郎に頭を下げることもある」

「覚悟の上です」

「まだまだ、そればかりじゃねぇぞ。あんたたちの場合は」

「わかっています」

 春泉ではなく玲伊がいった。

「赤穂の卑怯者の血筋となれば、肩身の狭い思いをするでしょうが、図々しく生きてやります。父にもいってやりました」

「ふむ。あんたたちが世間を敵に回してでも所帯を持つこと、長春師も承知か」

 なら、一笑がとやかく説教する筋合いでもない。

 春泉が思いつめた表情で、いった。

「ついては、住まいを探しているのですが、うかつな場所では父に見つかるかも知れず……」

 世間知らずの男女なのである。顔も広くはない。

「そうかい。ほとぼりが冷めるまで、江戸を離れた方がいいな」

 一笑はそういったものの、ほとぼりが冷めることなどあるだろうか。春泉が狩野家を勘当される覚悟だとしても、話をつけずに逃げるような行動は禍根を残すのではないか。一笑はそう危惧したが、狩野春賀への反発心が、こんな発言をさせた。

「松戸に知り合いの百姓がいる。野良仕事を手伝うなら、置いてくれるだろう。絵も描ける」

 春泉と玲伊の顔が明るくなった。

「お願いします。そこをお世話ください」

「何があろうと、一年や二年は江戸に戻るんじゃねぇぞ。たとえ親が死んでも」

「はい。一笑さんを手本にして、家族のしがらみは捨てます」

 少しばかり傷ついた。一笑とて、好んで家族を持たないわけではない。

「紹介状を書いてやる」

 一笑は押し入れから荷物を取り出したが、筆や硯ではなかった。長い布袋である。長脇差だった。

「あのな、先祖の汚名には俺も肩身の狭い思いをしたぜ。こいつは今まで内緒にしてきたことだが……」

 一笑は柄を抜き、春泉に渡した。銘は「村正」である。

「これは……」

「俺の曽祖父が京都で作ったものと聞いている。堀川国広の甥だとかいう大隅掾正弘の手も加わっているらしい。合作というところかな」

「村正が一笑さんの御先祖でしたか」

「村正でも有名なのは初代と二代だが、曽祖父は四代だと聞いている。徳川家に祟るとか噂されて、刀鍛冶としては不遇だったようだ」

「妖刀と聞きますが……」

「どうだ。見入っていると、無性に人を斬りたくなるか」

「いいえ。しかし、変わった地鉄ですね」

 春泉は脇差の肌模様に絵師らしい目を向けた。

「光の筋が流れています」

「星鉄というものを使っているらしい」

「へええ。流れ星ですか。私もこの名刀のように子孫に残せる絵を描きたいものです」

「いいなア。俺には子孫はいないけどな」
「あ。いや、失礼しました」

「別に失礼ってことはないさ」

 紹介状を書きながら、言葉を続けた。

「ところで、手に手を取り合っての駆け落ちでは、思うように動けまい。まず、玲伊さんが先に行きなさい。うちの春笑を供につけよう。行く先は江戸川の向こうだが、両岸に田畑を持つ百姓はいちいち松戸の関所まで遠回りしていられないから、農民渡船を許されている。春泉さんは普段通りの生活をして、春賀さんが油断した隙をついて、あとを追うがいい」

「さすがは年の功。一笑さんなら、力になってくれると思っていました」

 自分のことはからっきしだが、他人の色恋なら知恵も浮かぶのである。それにしても、いちいち癇に触る春泉の物言いだが、何かをいい返すのも面倒だった。

星光を継ぐ者ども 第九回

星光を継ぐ者ども 第9回 森 雅裕

 京都中心部を出て北に上がると、小高い山の上に幡枝八幡宮がある。平安前期の創祀で、石清水八幡宮の分社とされ、南麓に清泉が湧くことで知られている。隣接する末社の針神社は金属技工の神である金山毘古命を祀り、鍛冶屋から信仰されている。

 石段下の参道に正弘は足を運んだ。木戸をくぐったのは菓子屋である。裏の作業所で、村正が働いていた。顔の広い国広が紹介した馴染みの店だった。

「いいところだな。もう少し慣れて、住まいが広くなれば、あずさと暮らせる」

 村正は仕事の手を止め、快活にいった。今は店の近所の粗末な長屋に寝泊まりしている。

 正弘は友人が元気なことに安堵し、自分もまたせいぜい明朗に声を発した。

「堀川国広はここの湧き水で焼入れをしているという寝言が流布している。幡枝と一条がどれだけ離れていることか」

「その一条からはるばる俺の顔を見に来た理由は何だ?」

「頭のいかれた侍が来た」

 名前を出さずとも、村正は察した。

「そうか。迷惑をかけたようだな」

「内府様や禁裏の御用をつとめていると知ったら尻尾を巻いて立ち去ったが、村正の首を差し出せと脅してきた。お前の作は徳川家に祟るけしからん刀だそうだ」

「そうか。いよいよお前に娘を育ててもらうことになるかな」

「この町で、むざむざとお前を殺させはせぬ。堀川国広の一門は京都でちょっとは顔が利く。職人や町人には、侍にはわからぬつながりがある」

「というと?」

「茶屋四郎次郎という名を知っているか」

「聞いたことはある」

「京都で困ったことがあれば、茶屋に相談すれば何とかなる。お前のことを話してみた」

 茶屋といっても商売は呉服商である。創立者のもとへ将軍足利義輝が茶を飲みにしばしば立ち寄ったことから茶屋の屋号を称し、それ以降は代々が茶屋四郎次郎を襲名している。初代は徳川家康の覚えめでたく、本能寺の変が起こった際には堺を遊覧中だった家康に急報し、「伊賀越え」を支援した。以来、徳川家の御用商人の地位を築いたのである。当代の二代目は家康の権勢拡大とともに商売を広げ、京都・大坂の物流の取締役にのしあがり、関ヶ原の合戦においては京都の情勢を東軍にもたらすなど、徳川政権にとって重要な存在となっている。

「尾田は異常者だ。どうせあちこちで嫌われているだろうと思ったら、案の定だ。茶屋四郎次郎も奴の悪名を承知している」

 正弘は不快なこの話題を早々に打ち切りたかった。早口になりそうなのを懸命におさえた。

「明日、四郎次郎は別宅にいる。要するに妾の家だが、茶でも飲みに来てくれ。俺は先に行っている」

 およその時刻を決め、地図を示して、場所を教えた。四条の鴨川に近い裏通りである。

「角に小さな稲荷の祠がある家だ。すぐわかる。しかし、誰の目が光っているかわからん。お前は命を狙われている身の上だ。見つからぬよう気をつけろ」

「わかった。ところで、あずさは元気か」

「弟子たちが面倒見ているし、近所に遊び仲間の子供も多い。心配するな」

 

 翌日、正弘と村正は茶屋四郎次郎の前に雁首を並べた。四郎次郎の本宅は新町通蛸薬師下ルであるが、別宅や持ち家がいくつもあり、四条もその一つである。

 二代・茶屋四郎次郎は正弘や村正と同世代だった。福々しい風貌でもなく、眼光は鋭いが、神経質そうだ。この三年後の慶長八年には急死してしまう男である。

「お話は聞いとります。災難なことですなあ」

 と、四郎次郎は村正を見る目を細めた。好意的である。

「いや。こちらこそ、茶屋さんに関係ない話を持ち込んで、申し訳ありません」

 村正は頭を下げたが、四郎次郎は制するように手を上げた。

「関係ないこともおまへん」

 四郎次郎は遠い目で庭を見やった。この四条縄手は京都随一の盛り場だが、裏通りまでは喧騒は届かなかった。

「四条縄手の鴨川沿いには多くの茶屋がおましてな。その実態は遊女屋ですけど、右府(信長)様、太閤様、それに内府(家康)様、それぞれ好みの茶屋があってお通いになったという、社交の場でもおます。私が作った店もある。はは、本物の茶屋になったわけですわ」

 この男は人生を楽しんでいるのだろう。自嘲の響きはない。

「尾田黄一郎もそこで毎夜のように遊んでますわ。本多様の屋敷は伏見ですけど、奴は京都に駐在しとる。要するに、本多様でもあの男をもてあまし、伏見には居場所がないちゅうことです。押しつけられた京都こそ迷惑というもの」

「と、いわれると……?」

 村正が訊いた。四郎次郎はさほど迷惑そうでもない。

「尾田が寝泊まりしている屋敷は私が用意したんや。本来は本多様が京都にお出での時に利用していただく屋敷なんやが」

「四郎次郎さんも災難ですなあ」

「酒や料理に注文がうるさいやら小遣いをせびるやら……まあ、それくらいなら可愛げがおますけどな。尾田は四条縄手でも鼻つまみ者ですけど、酒が入るとさらにタチが悪い。さすがに私の店では牙をむいたりせんけど、よその茶屋では、そこら中に火をつけようとする悪癖がおます。店の者たちが止めようとすると、げらげら笑いながら殴ったり蹴ったり……。所司代も往生してますわ」

 茶屋四郎次郎は京都の顔役であり、治安を担当する所司代への影響力も大きい。関ヶ原の合戦後、京都所司代をつとめるのは奥平美作守信昌。家康の娘婿という有力大名である。

「弱い者を見ると、いじめずにおれん。病気ですわ、尾田は」

「そんな者を徳川家の重臣が何故、手駒としているのか……」

「得てして、ああいう手合いは有力者にはおべっかを使うもの。茶屋で奥平様と鉢合わせしたことがおましてな、額を床にこすりつけるほどの平身低頭を見せておりました」

 愉快な話題でもないが、四郎次郎は富豪らしく悠然と構え、微笑さえ浮かべている。

「それにまあ、本多様としても汚れ仕事を行う者が必要ゆうことです。しかし、世は移り変わる。手の汚れた家臣は主人にとって、いずれ荷厄介となるもの」

「つまり、尾田は本多様にとって、もはや邪魔者だと?」

「以前、本多様から直々にいわれたことがおます。京都は武家にとっては得体の知れぬ町。その京都があのような男をどう扱うのか、知りたくもあり知りたくもなし……と」

「つまりそれは……尾田がどうなっても知ったことかという意味でしょうかな」

「この京都にはな、本多様の家臣は他にもいてはる。大きな声ではいえまへんけど……」

 しかし、四郎次郎の声には遠慮はない。

「尾田を始末する主命を帯びたお侍たちですわ。とはゆうても、寝込みを襲うんでは、屋敷を貸しとる私が迷惑する。さりとて、往来で抜き合わせれば、尾田は腕力だけは強いし喧嘩慣れしとる。本多様としても大ごとにせず、闇から闇へ葬りたい。確実に仕留めるなら、だまし討ちに限る。私としては、手を貸すのは躊躇しておりましたが、正弘さんや村正さんの話を聞いて、決心がつきました。尾田を殺りましょ」

 こともなげに、四郎次郎はいった。

「四条の茶屋に手を回して、溺れるほどの酒を飲ませます。遊んで帰る侍の多くは人目を避けて船で鴨川を下るんやが、尾田の帰り道は四条通を西へ歩く。ええ気分で千鳥足ですわ」

「そこを本多家の家臣たちに討たせますか」

「そうどす」

 京都を牛耳る茶屋四郎次郎である。裏の世界にも顔はきくだろうが、

「町の徒ら者なんぞ雇うと、口止めが面倒ですさかいな」

 油断なく目を光らせた。だが、その光はすぐに打ち消された。

「ところで、正弘さん」

 と、正弘を柔らかな目線で見やった。

「あんたこそ、今後どうなさる?」

「流浪生活には慣れております。しばらく金道師のところに居候して、郷里に戻りますよ」

 四郎次郎と正弘のやりとりに、何のことかと村正は二人を交互に見やった。

「何や。聞いてはらしませんの。このお人、師匠から破門されましたんや。偽物作ったとかいうて」

「おい。それは……」

 村正が投げてきた刺すような視線を、正弘は軽く振り払った。

「お前のせいではない。飫肥で再興した伊東家から招かれている」

 若い頃の国広が仕えた伊東家は、一旦は島津家に日向を追われたのだが、天正十五年、秀吉の九州平定軍の先導役をつとめた功績により、失地回復を果たしていた。そして、老齢の国広ではなく正弘に帰参を求めてきた。

「もともと京都は俺の性に合わん。今後は、この町で身につけた品格というものを九州の刀鍛冶に教えてやることにする」

 正弘は仏頂面でそういい、四郎次郎は苦笑を隣の村正に移した。

「せっかく四条縄手にいらしたことやし、遊んでいかはりますか」

 村正をそそのかしたが、この生真面目な男は困惑しか浮かべなかった。

「尾田が死んだら、ひっそりと祝杯をあげることにします」

 

 この年の十月は関ヶ原合戦の論功行賞が順次発表され、東軍に加担した豊臣恩顧の大名たちは加増されたものの遠国へ転封となり、重要地域は家康の身内や譜代大名で占められることになった。

 一方、西軍の武将たちは続々と自刃を迫られ、名目上の総大将であった毛利輝元は首こそ求められなかったものの、減封の処分を受けた。島津義久、上杉景勝はまだ屈していなかったが、謝罪した上での和睦は時間の問題であった。

 京都にもそうした剣呑な空気は流れてくるが、武家の争いなどに巻き込まれてたまるかという市民感情もあり、表面上はこれまでと同じ日常が流れている。

 夜風の冷たさはすでに冬の始まりを告げていた。正弘と村正は四条寺町の会所へ足を運んだ。四条縄手で遊んだ尾田黄一郎の帰り道である。

 会所とは、のちには江戸の番屋(自身番)にも相当する行政の末端組織となるが、元来は町衆自治のための寄合所である。会所守が家族と住んでいるが、当然、茶屋四郎次郎の息がかかっている。

 正弘と村正の他に本多家の家臣が三人、この場に控えていた。ごく普通の肩衣袴姿で、ものものしい身なりではないが、尾田を屠る刺客である。正弘らと彼らは挨拶を交わしただけで、まったく会話はなかった。それでも正弘らが追い払われないのは、四郎次郎から話が通っているからだろう。

「その場にいたい」と村正が申し出た時、四郎次郎は、

「尾田の最期を見届けたいんですな」

 と頷いたが、そればかりではあるまい、と正弘は見ている。隙あらば自らの手で亡き妻の仇に一太刀……正弘だってそう考える。正弘も村正も丸腰ではなく、脇差を差している。

 四つ半。照明の乏しいこの時代、深夜である。四条縄手の茶屋の使いが駆け込んできた。尾田が茶屋を出ると、先回りしてきたのである。

「来ます」

 とだけ告げ、姿を消した。

 武士たちが立ち上がり、外へ出た。やや離れて、正弘と村正も彼らのあとを歩いた。町並みは寝静まっている。星明かりが、通りに並ぶ軒の影を冷たく落としている。

 しばらくすると、ふらふらと人影が現れた。羽織袴姿の武士である。尾田に間違いない。立ち小便を始めたから。しかも、物陰で、などという気配りはなく、往来に面した店屋の正面に浴びせている。正弘は神聖な鍛錬場で放尿されたことを思い返し、胃の底から燃えるような憎しみが煮え立った。

 好機と見た武士たちは駆け出した。逆効果だった。ただならぬ足音を聞いた尾田は身構えるように振り返った。走りながら抜刀した武士が斬りつけたが、尾田は小便を散らしながら避け、叫んだ。

「んが! 何じゃ何じゃあ。追い剥ぎかっ」

 反射的に抜刀したところは、さすがに喧嘩慣れしている。しかし、足がもつれ、肩のあたりに一太刀浴びた。

「ひえっ」

 大仰な悲鳴をあげたが、たいした傷ではない。闇雲に刀を振り回して、軒下の陰影の中に隠れた。そして、相手は同じ本多家中の同輩と気づき、怒りと驚きをこめ、闇の中からダミ声を張り上げた。

「お。お前ら、何の真似じゃ。と、殿の差し金か。それとも私怨か」

 命を狙われる心当たりはあるらしい。戸惑いはすぐに嘲笑に変わった。

「けっ。泣きそうな顔して、震えとるじゃないか。ふへへへへ」

 相手を罵倒することで主導権を握ろうとしていた。武士たちは尾田を囲み、連携して斬りつける頃合いをはかっていたが、軒下の尾田は闇に溶け込んでしまっている。

 物陰から見ていた正弘には、刺客たちが逡巡しているように見えた。正弘は石を拾い、投げた。尾田に命中させられる距離ではないから、この男が背にしている店屋の戸板へぶつけた。どん、という音が闇に響いた。二発目は戸板に届かなかったが、尾田の足元へ転がった。

「誰じゃああああ!」

 尾田は我を忘れ、咆吼した。何事かと、店屋の戸が半開きになり、軒下の闇に灯りが差した。尾田の姿が見えた。全力で逃走すれば命は拾えたかも知れない。しかし、酒の酔いがそうはさせなかった。

 只事ならぬ気配を察したのだろう、すぐに戸は閉ざされたが、武士たちが刃をきらめかせた。一撃目は跳ね返した尾田だが、軒下から出た瞬間、次の斬撃が右腕を切断した。手首とともに刀が落ち、同時に尾田は猛烈な音を立てて放屁、脱糞した。

 怒声とも悲鳴ともつかぬ意味不明な叫びをあげながら、尾田は何も持たない両腕を振り回した。その腹を切り裂き、喉を刺し貫き、武士たちは離れた。逃げ足は早く、あっという間に闇に消えてしまった。

 残された尾田は、どさ、と大きな音とともに横転し、この世のものとも思えぬ奇妙な音を喉から発していたが、すぐにそれも止み、もう動かない。

 正弘と村正は息を殺して近づいた。血と糞尿と酒の混じった悪臭があたりに満ちていた。

 正弘は死体を見下ろし、すぐに目をそむけた。

「とどめを刺す必要はなさそうだ。顔を踏みつけるくらいにしておけ。草履が汚れるが」

「そんなことのために来たわけではない」

 村正は尾田の腰から脇差を抜き取った。見覚えある拵だ。

「徳川に祟るけしからん刀といいながら、どうせ自分のものにするだろうと思っていた。しかし、この刀はこんな外道を持ち主には選ばない」

 村正銘の星鉄刀だった。

「何だ。そいつを取り返しに来たのか」

「左文字の星鉄刀は内府(家康)が持っているとすれば、もう世上に出て来ることはあるまい。由緒ある武具庫か宝物蔵に眠り続ける。そんなところは刀の墓場だ。しかし、この刀は武器として生き続ける」

「……行こう。祝杯をあげるぞ」

 正弘は村正を促して、西へ歩き出した。烏丸通を北へ折れれば、今の正弘が居候している伊賀守金道の屋敷がある西洞院夷川の方向だ。悪臭が鼻に残り、嘔吐しそうだったが、飲まずにいられそうもない。

 そして、それは正弘と村正の別れの盃でもある。正弘は数日のうちに日向国飫肥へ旅立つつもりだった。

 後世に伝承が残っている。堀川国広一門でも随一の実力といわれた大隅掾正弘が京都を追われたのは、偽作を行ったためだという。ただしそれは、正宗の偽作だったことになっている。

星光を継ぐ者ども 第八回

星光を継ぐ者ども 第8回 森 雅裕

 それから間もなく星鉄刀が研ぎ上がり、正弘はあずさを連れて引き取りに出かけた。本阿弥光悦は座敷の隅で正座しているあずさをまじまじと見つめ、しばらく微笑んでいたが、ふと我に返って、正弘に訊いた。

「親戚の子かいな」

「親戚?」

「あんたの子にしてはしつけがよろしい」

「俺の子です」

 思わず、語気が強くなってしまった。

「へ。子供がいるなんて聞いてへんで」

「いってませんでしたか」

「あのな、話し込んどる暇はないんや」

 光悦は研ぎ上がった星鉄刀を寄こした。研師は埃を恐れて、客を仕事場に入れないものだが、周囲では弟子たちが右往左往している。

「ああもう、えらいこっちゃ。いよいよ始まったわ。伏見城を西軍の宇喜多、小早川、島津の大軍が囲んだそうや。これはあっという間に西軍優勢になるで。東軍にひっついた金道師はアホやわ。噂では、千本の刀を内府様に注文されて、在京の刀鍛冶すべてを支配下に入れる条件で引き受けたそうや」

 はてさて。国広一門が金道の支配に入った覚えはないが。

 光悦は仕事部屋から廊下にまであふれ出た刀槍の束を指した。

「もう、うちは仕事部屋に入りきらんほど刀の研ぎが持ち込まれてなあ。本阿弥本家も分家も総動員や」

「ほお。西軍の依頼ですか」

「ああ。東軍からの依頼も多いけどな、そんなもんは台所に積み上げてある」

「商売繁盛で結構ですなあ」

 皮肉を投げてやったが、気づいたのか気づかぬのか、光悦は上下左右にせわしなく手を振った。

「いやはや。てんてこ舞いですわ。早よ帰って。あ、その子にこれ」

 あずさに羊羹をくれた。村正が作った菓子の方がうまいだろうと正弘は思ったが、あずさが行儀よろしく礼をいうので、余計なことは口に出さなかった。

 本阿弥光悦に追い出されたその足で、正弘は拵師へ星鉄刀を持ち込んだ。寸法が合いそうな拵は見つけたが、今ひとつ気に入らずにいると、あずさが壁の刀架けを指した。

「あれがいい」

「ん?」

 柄に黒革を巻いた合口拵である。

「あ、そうそう」

 拵師は手を叩いて、その拵を刀架けから下ろした。

「さるお武家の注文で誂えたんですけどな、ほれ、もう受け取ってもらわれしませんのや」

 どこかで急死した武将の注文なのだろう。

「中身は入っとりません。よかったら、お譲りしますわ」

 試しに星鉄刀を入れてみると、すらりと納まった。多少の調整は必要だが、何やら運命的なものさえ感じた。

「あずさ。お前、これのどこが気に入った?」

「目貫」

「この図柄は団子か」

「北斗七星でしょ。もう」

「冗談だよ」

 串刺し団子のように北斗七星を象った目貫だった。他の金具には鉄を用いた黒一色の拵なのだが、目貫のみ赤銅に金をかぶせ、漆黒の中に映えていた。

 

 七月二十四日、下野小山に到着した会津征討軍は、石田三成が挙兵したという報告を受け、その翌日、家康が主導権を握った「小山評定」で三成迎撃が決定した。諸大名は二十六日以降、続々と反転を開始した。会津の上杉景勝、秋田の佐竹義宣がこれを追撃しなかったのは、三成には大きな誤算であった。西と北から家康を挟撃するという目論見は潰えたのである。

 それでも緒戦の西軍は勢いづいていた。八月初め、伏見城が西軍の手に陥落し、さらに小野木重勝が丹後へ、宇喜多秀家、毛利秀元、鍋島勝茂、長束正家、長宗我部盛親らが伊勢へ殺到した。大谷吉継は北陸における諸将の調略を行い、三成自身は美濃制圧のために居城である佐和山城を出て、西軍の拠点・大垣城に入った。その先の岐阜城は織田信長の嫡孫である織田秀信が城主だったが、これを西軍へ引き入れることにも成功した。

 ここまでは西軍優勢であった。それはそうである。会津征討から反転した東軍の大勢力はまだ前線に到達していない。

「さて。村正よ」

 正弘は完成した星鉄刀を前に、いった。

「注文主にはどうやって納める? 島左近という軍者は石田の家臣だろ。屋敷は大坂城内、領地は佐和山、今は前線の大垣にいる。こんな時勢じゃ自由気楽には会えまいよ」

「書状を大坂屋敷宛てに出してある。返事はまだない」

 そんな会話を交わした数日後、弟子が突然の訪問客を案内してきた。端正な顔立ちだが、眼光が異様なほど鋭く、徒者ならぬ武士である。石田治部少輔の家臣、島左近と名乗った。

「急ですまぬ。諸事手配のためにあちこち駆け回っている。遅くなったが、書状を見た」

 村正はこの注文主と面識があるが、正弘は初対面だ。戦況など聞きたい気もしたが、口から出たのは、

「菓子でもいかがですか。村正という人は刀より菓子作りの方がうまい」

 そんな言葉だった。村正は白と緑の層が渦を巻いている菓子を出し、説明した。

「渦巻百合です。百合根を茹で、濾して板状に伸ばし、青海苔粉を塗り重ねて、経木で巻いたものです。塩と砂糖で味付けしてあります」

「面白いな。土産にしたい。包んでくれるか」

「承知いたしました」

 左近は星鉄刀を抜き、短く唸った。

「見事なものだ。奇矯な乱れ刃であるな」

「村正流の箱刃です」

 さらに左近は柄を抜き、茎に「村正」の銘を確認した。

「これはわが陣営には縁起が良い」

「石田治部少輔様がお持ちになるので?」

「そうなると、村正殿だけでなく正弘殿も徳川から疎まれるかも知れぬな」

「は?」

「この刀、村正殿だけの仕事とも思えぬ。正弘殿も手を貸しておられるな」

 さすがに眼力は鋭い。威張り散らすだけの武将ではない。正弘は気安ささえ覚え、いった。

「まあ、いずれにせよ刀は一人では作れません。手伝いが必要です」

「師匠の国広殿は当代随一の刀鍛冶と聞く。腕のいい代作者がいるようだ」

「恐れ入ります。まあ、私どもはどなたかのお抱え鍛冶ではありませんので、注文があれば東西関係なく引き受けるだけのこと」

 左近は代金を置いた。

「いただいていく。刀談議などしたいところだが、時勢は切迫しておる」

 馬上の人となり、雲行きが早くなった堀川の町に消えた。

 

 八月末、東軍の先鋒は美濃へなだれ込んだ。木曽川を渡って、竹ヶ鼻城、岐阜城を陥落させ、西軍を圧倒した。八月二十四日には西軍の拠点である大垣城目前まで迫った。同日、徳川秀忠は中山道を制圧すべく宇都宮を進発。九月一日には準備万端の家康が江戸から腰を上げ、東海道を西上した。

 十四日、島左近の作戦により杭瀬川の戦いで西軍は東軍を破った。しかし、総大将の毛利輝元が大坂城を動かず、京極高次、前田玄以が離反するという齟齬も生じていた。

 十五日、関ヶ原で東西両軍が衝突。秀忠は真田親子が守る上田城攻めにてこずり、決戦の合流には遅参したが、優勢であるはずの西軍もまた諸将の連携を欠いていた。

 島津義弘は「使者が下馬しなかったのは無礼」という理由で応援要請を拒否、また毛利秀元・長宗我部盛親・長束正家・安国寺恵瓊は東軍に内応した吉川広家に道を阻まれて動けず、これに小早川秀秋の裏切りが加わって、西軍は敗走。十八日には石田三成の佐和山城が落城した。

 二十一日、高時川の上流から近江古橋村へ逃れていた三成は田中吉政の手勢に捕縛された。大津城の門前でさらしものとされ、大坂で本多正純に身柄を預けられたのち、京都へ送られて京都所司代の監視下に置かれ、十月一日、六条河原で斬首された。

 さらされた首を見るつもりなど正弘にはなかったのだが、所用で三条大橋近くを通りかかった時、野次馬の人垣が目に入った。気分のいい光景ではなかった。ちらりと視線を流した限りでは、三つ四つの首があったようだ。もしや島左近の首も……と思ったが、目に入らなかった。まあ、名軍師とはいえ、石田三成の一家臣にすぎない左近の首に、そのような扱いはするまいが。

 足早に離れようとした時、

「おお。正弘はんやおへんか」

 声をかけられた。振り返ると、同業の伊賀守金道だった。三条西洞院に居住し、禁裏御用鍛冶であるから羽振りはいい。正弘より数等高級な身なりである。

「治部少はんの首を見たかいな。栄枯盛衰は世の習いとはいうものの、太閤はんのお気に入りやったお方が、はかないもんやなあ。他にも小西はん、安国寺はんの首が……」

「石田治部少輔様の後家来衆も全滅したのでしょうかな」

「ああ。そういえば、島なんとかいう軍者の最期が語り草になっとるらしいで」

 島左近は寡兵を率いて黒田長政・田中吉政隊へ突入し、討死を遂げている。

「勝ち残った武将や雑兵たちは夜ごと悪夢にうなされ、島なんとかが発した『かかれー』の声を聞いて、布団から飛び起きるそうや。島なんとかとやら、どれほどの武将やったんか、生前に会うてみたかったなア」

「そうですか……。浮き沈みは世の常とはいえ、侍が沈む時は死ぬ時なのですなあ」

「何をわかりきったことを今さら……。しかし、これからは徳川様の天下やで。沈みそうにはないな」

「はあ。そういや、金道師は東軍に肩入れなさっていたようですな」

「それそれ。先見の明っちゅうやつやな。西軍にすり寄ってた本阿弥光悦はんは今になって、あわてて徳川陣営に鞍替えしようとしてな、わしにうまいこと取りなしてくれとゆうてきよった。いずれ洛北鷹峯に芸術村とやらを作るから、わしも招いてくれるそうや。そんなことしてもらわんでも、いずれわしは日本鍛冶宗匠になる。そしたら、本阿弥一族をこき使うたるわ。はははははは」

「へえ。楽しみなことで」

 金道は格別に大言壮語する性格ではないのだが、正弘という男はどうにも他人から余計な言葉を引き出してしまう空気を醸しているらしい。心の中を開陳させてしまうのである。それは正弘の長所でもあり短所でもあった。

「うちも忙しゅうてな。人手が足りんのや。あんた、ちょっとだけでも手伝うてくれんか。いや、うちの弟子どもを指導してくれるだけでもええわ。待遇は目一杯考えさせてもらうで」

「そうですなあ。その時はよろしくお願いします」

 適当にいなしたつもりだが、そんな返事になってしまった。自覚はなかったが、自分の身に起こる異変に何か予感があったのかも知れない。

 

 風が冷たさを増した頃、正弘が鍛錬場とは別棟の仕上げ場で刀に樋を掻いていると、聞き慣れぬだみ声が外で響いた。何やら怒鳴っているようである。神経にさわる不快な声だ。

 庭に出た正弘は、鍛錬場の横に並ぶ物置小屋を見やった。そこでは弟子たちが炭切りをしていた。室内は炭塵で黒く霞んでおり、戸口や窓から漂い出た微細な炭塵が陽光にきらめいている。

 その煙った空気の中で、武士が物置小屋へ向かって叫んでいた。

「汚いっ。客が来たんだ。やめろっ!」

 この男が何者か見当がついたが、一応、正弘は尋ねた。

「どちら様で?」

 武士はすぐには答えなかった。嘲笑の形に吊り上がった口角、他人の懐を狙うような目つき、いかにも荒事専門という風情の男だった。

「使用人に用はない。親方はどこか」

「御用なら母屋へお回りくだされば……」

「はっ。母屋も物置も見分けのつかぬ屋敷ではないか」

「しがない職工の住まいでございますから」

「ほお。使用人にしては態度が大きいのお」

「国広の甥で、正弘と申します。あなた様は?」

「本多弥八郎(正純)の家臣、尾田黄一郎」

 村正から聞いた名だ。こいつか、と正弘は心臓が縮むような悪寒を味わった。動揺というより嫌悪感だったが、それを悟られぬよう炭切りの作業場を覗き、手を止めている弟子たちに、

「手を休めるな」

 そう命じた。尾田は嫌な色に目を光らせ、口元を歪めた。

「やめろ、というておる。刀鍛冶というのは耳が悪いのか」

「ここは仕事場ですから、勝手に入られても困ります」

「勝手とな。ふはははは。命知らずな口をきくものだな、刀鍛冶風情が」

 この男とはまともに口をきく気にならず、正弘は先に立って歩き出した。

「御案内します」

 国広は母屋の前で、小さな畑の世話をしている。のし歩く尾田を顔色も変えずに迎えた。

 尾田は繰り返して名乗るようなことはしない。

「俺のことは聞いているだろう。村正を探している」

 国広はのんびりと腰を伸ばし、ヨボヨボと縁台にもたれかかった。いかにも情けない年寄りに見えるが、芝居である。

「村正を見つけて、どうなさるので?」

「徳川家に弓引く者として、首をはねる」

 無茶な話だ。村正が何をしたというのか。

「村正は徳川に祟るという話だな」

「ただの噂にすぎぬではありませんか」

「ふん。徳川調伏を祈念しているとなれば、ただの噂とはいえぬ」

 尾田は縁台に腰掛け、持参した包みを解いた。見覚えある脇差が現れた。

「石田治部少が捕らえられた時に持っていたものだ。治部少は卑怯未練にも樵夫に化けて逃げ回っていたが、田中兵部(吉政)に見破られた。この刀は兵部が戦利品としたものを俺が預かった。村正の銘がある。徳川に縁起のよろしくない刀ゆえ、へし折られる運命だが、なかなか風変わりな出来よな。本阿弥光悦が研ぎ上げた星鉄刀であることはわかっている」

 本阿弥は諸大名家に出入りし、行く先々で仕入れた話を大名の耳に入れて機嫌をとる。訊かれもせぬことまで吹聴しているのだろう。

「わが主君が内府様に献じた星鉄刀はめでたく勝利をもたらしたが、この星鉄刀には御利益なく、治部少はさらし首になったわけだ」

「わが主君が」といっても、この尾田が村正の妻を刺し殺して奪った左文字作の星鉄刀である。

「光悦がいうには、星鉄刀は独特の地肌を見せるために刃文は控え目な直刃を焼くものだが、こいつは箱乱れだ。このような高低差が大きい刃文を均等に焼入れするのはむずかしいらしいな。さすがは村正だと賞賛していた」

 本阿弥光悦、余計なことをいってくれたものだ。

「もっとも、村正と承知で研いだのかと問い詰めたら、あわてて、うちに持ち込まれた時は無銘でございまして、と弁解していた。持ち込んだのは誰あろう、国広門下の正弘とやらいう刀鍛冶だそうな」

 ニヤ、と尾田は嘲笑をぶつけてきた。

「はてさて、何故に村正の作がおぬしの手元にあったのかな、正弘よ」

「私の作です」

 正弘は感情を殺しながら答えた。

「村正風の箱乱れという注文でした。希望に応えるのが私どもの仕事。そして、注文主がどなたであろうと刀鍛冶風情に選り好みはできません」

「注文主とは島左近か」

「しかし、無銘でかまわずといわれましたので、銘を入れずに納めております。村正銘はあとから誰かが入れたのでしょう」

 むろん、実のところは村正本人の手になる正真銘である。

 尾田は大袈裟に鼻を鳴らした。

「ほお。左近が偽銘の村正を石田治部少へ献じたと……。治部少はだまされ、偽物とも知らずに徳川調伏の霊力を期待したか。ふん。馬鹿な話だ」

「霊力などは持ち主が信じれば存在し、信じざれば存在せず。そんなものです」

「おやあ。聞いた風なことをぬかしおるな。ふへへ。俺が馬鹿な話というのはな、村正本人がここにいたなら、他の誰かに偽銘を切らせる必要はなかろうということだ」

「へえへえ」

 否定すれば逆上するだろうし、さりとて肯定もできず、正弘は神妙に相槌を打った。村正の滞在を尾田は知っているのか。しかし、村正はほとんど外出せず、人目にも触れていないはずだが。

「光悦から聞いたぞ。おぬし、幼い娘を連れていたそうだな。自分の子だとかいって……。おぬしのことくらい調べてある。子などおらぬ。そういえば、村正には五、六歳の娘がいたよなあ」

「いかにも村正は知らぬ仲ではありませんから、拙宅に滞在していたことがございます。しかし、あの男はすでに刀工を廃業しておりますし、滞在も短い期間でした。この屋敷のどこを探していただいても結構。村正もそんな子供も今はおりません」

 星鉄刀の制作から三か月が経っているのである。村正はすでにこの屋敷を離れていた。ただ、村正の生活が落ち着くまで、娘のあずさは国広一門で預かっている。今は正弘の妻と出かけており、屋敷を捜索されてもかまいはしないが。

「左様か。では、探させてもらおう」

 まさか実行するとは思わなかった。異常者の行動は良識ある者には予測できない。尾田は手近なところから戸という戸を開けて回った。納戸や物置、人が入るはずのない戸棚も容赦しなかった。仕舞ってあった物品は掻き出して床へぶちまけながら歩いた。もはや捜索ではなく暴虐であり、嫌がらせであった。常軌を逸している。

「けけけ。住人もゴミなら屋敷もゴミだらけだな」

 笑いながら、母屋だけでなく鍛錬場、仕上げ用の工作場もひっくり返した。ついには制作途中の刀をつかみ、これを振り回して、手当たり次第に破壊を始めた。弟子たちが悲鳴をあげて逃げ惑った。

 正弘はさすがに殺意さえ抱いたが、国広が目で制した。戦乱の時代を生きた国広は修羅場をくぐっている。無法者の乱暴狼藉ごときでうろたえたりしない。

 尾田は荒らし回ることに飽きると、あろうことか鍛錬場の火床に向かって小便しながら、大声で国広と正弘を呼びつけた。

「おい、正弘よ。村正の偽物を作ったと認めるのだな」

 なんだかそんな話になっている。

「恐れながら、無銘は偽作とは異なります」

「ふん。大宝令では作刀に銘を入れるよう定められておる。わしが知らんと思うか」

 九百年も昔の法令を持ち出されても馬鹿馬鹿しいだけだが、この男、他人に難癖をつける口実だけは用意周到らしい。

「偽作は許せんなあ。ふへへ。厳罰に処してくれようかの」

 尾田は向き直ると、国広や正弘の顔色を覗き込むように身をかがめ、首を切る仕草を見せて、下品に哄笑した。

「恐いか。ひゃはははは。泣け。うほほほほほ」

 いよいよ堪忍袋の緒を引きちぎりそうになった正弘だが、この険悪な気配を吹き飛ばすように、

「破門だ」

 国広のきびしい声が響いた。

「偽作の疑いをかけられるような者はこの門下に置かぬ。正弘よ、破門だ」

 そう宣告し、

「尾田様」

 尾田の髭面を直視した。老いた職人にすぎないはずの国広の方が、はるかに威厳がある。

「この年寄りに免じて、愚かなわが弟子を見逃してやってくれませぬか」

「年寄りに免じろだとぉ。ふん。お前がどれほどの年寄りだというのか」

「長く刀工をやっておりますと、色々な方々と御縁が生まれるもの。内府(家康)様に御注文をいただき、守り刀を打ったこともございます。今も禁裏からいくつか御依頼を受け、この正弘を含めた一門の者たちに手伝わせております。それ、あなた様が小便をかけた火床で作っている刀ですぞ」

 堀川国広といえば、当代随一の刀鍛冶である。貴人、有力者との交誼も少なくない。

 尾田は傍若無人な一方、計算高くもある。ただ想像力がないため、目の前の国広の人脈に考えが及ばない。暴虐を働くのは上策でないと気づき、不快そうに顔をそむけたが、もはや手遅れなのである。すでに越えてはならぬ一線を越えてしまった。自覚はないだろうが。

「そうか。それほどのお偉い刀鍛冶様が正弘を破門するというなら、こいつの首は勘弁してやる。だが、お前らを信じたわけでもなければ、村正を見つけ出すことをあきらめたわけでもないぞ」

 この男が人をいたぶるのに大義名分などない。快楽なのである。

「徳川家の敵を隠し立てすると、おぬしらも同罪ぞ。早いうちに村正の首を差し出すよう、おすすめする。げはははは。また来る。必ず来る。震えながらお待ちあれ。けっ」

 さんざん恫喝し、尾田は去った。備品、調度品が散乱した屋敷には、吐き気を催すような空気が残っていた。

星光を継ぐ者ども 第七回

星光を継ぐ者ども 第7回 森 雅裕

 慶長五年(一六〇〇)の夏。信濃守国広こと田中金太郎が堀川一条に居を定めて一年になる。若い頃から各地を流浪した彼も七十歳となり、仕事は門下生たちに代作させることが多い。多くの人材の中でも国広に劣らぬ実力者は甥の大隅掾正弘。国広とは親子以上に年齢が離れている。
 
その正弘が、

「師匠。ちょっと来ていただけるか」

 国広を自分の住家に呼んだのは六月初め。暑気に騒然とした剣呑さが混じり、徳川家康は会津の上杉討伐を諸大名に号令し、自らも大坂城から出陣する準備を進めている。そんな風雲急を告げる時節であった。

 国広の屋敷は広く、正弘は敷地内の別棟に妻と二人で住んでいる。座敷には三十代と見える男と五、六歳の女子が控えていた。

 正弘は明るい声で紹介した。

「しばらく俺のところに滞在してもらう」

 正弘も各地を点々として技を磨いた刀鍛冶である。そうした旅先で知り合った同業者だった。

「伊勢桑名の刀工で、村正四代目だ」

 そう聞いて、国広は好奇の光を目に点した。

「村正……? 徳川に祟る妖刀という噂の村正か」

 村正は頭を下げた。

「通称は寛助と申します。これは娘のあずさ」

 世評とは裏腹に物静かで好感の持てる男だ。娘も利発そうで、しつけのよさを感じさせる。 

「妖刀の噂のために桑名には居づらくなりました」

「それで京都へ流れてきたわけでもあるまい」

 村正は静かに国広を見つめ返した。

「国広師は星鉄刀というものを御存知ですか」

「ふむ。伝説の名刀だな」

 国広はシワに埋もれた目を細め、いった。

「遠く蒙古襲来の頃、博多で二振りの星鉄刀が作られた。のちの南北朝騒乱の折、一本は足利尊氏の手に渡り、一本は新田義貞が海に投じたが、失われずに正宗刀匠を経て左文字に譲られたと聞く。左文字に渡った星鉄刀は破損し、さらに今の世、尊氏の星鉄刀は織田右府(信長)の所有となったが、本能寺で焼失して、すでに二本ともこの世にない。そのように話は伝わっておるなあ。しかし、もう一本……」

「はい。南北朝の頃、左文字がもう一本を作っています。太刀よりだいぶ短い腰刀となっております。それが現存唯一の星鉄刀です」

「その話の流れだと、見せてもらえるのか」

「いえ。今は私の手元にありません」

「以前はあったのか」

「私の妻が伊予の旧家の出で、嫁入り道具として持ってきました。どうしてまた伊予にこのような名刀が伝わったのか、大森彦七に因縁があるという伝承ですが、はっきりしたことはわかりません」

 妻、と言葉に出した村正の表情に暗いものが走った。国広は見逃さない。

「その女房殿はどうした?」

 村正が硬直したので、正弘は空気を読み、妻を呼んで、あずさをこの場から連れ出させた。娘も母の命運は知っているようだが、あらためて聞かせたい話でもない。

 村正は息も忘れたかと思うほど感情を殺し、いった。

「妻は病に伏せっておりました。星鉄刀は守り刀として身近に置いていたのですが、その星鉄刀を譲れといってきた武将が多くおります」

「大名たちは内府(家康)にすり寄る者、反発する者の二派に分かれ、なにやら骨肉相食む様相だからな。天下をもたらす霊刀ならば、そりゃ欲しいだろう」

「特に執心だったのが本多弥八郎(正純)です。その使いで尾田黄一郎という家臣が押しかけてきました。大坂城の中納言様(秀頼)に上納するのだという建前で」

「本多は徳川の重臣ではないか。豊臣ではなく徳川のためだろう。そんなたわけ者に渡したりはするまいな」

「病身の妻の守り刀だからと断りました。一旦はそれで引き上げてくれたのですが……」

「あきらめてもらえなかったか」

「後日、私が娘と一緒に出かけていた隙に奪われました」

「なんと」

「出先から戻ると、妻は虫のように刺し殺されておりました。尾田の仕業です。その場から逃げのびた飯炊き婆さんがいうには、これでもう守り刀はいらなくなっただろう、と高笑いしていたとか」

「不愉快な話だ。で、仕返しでもするのか」

「娘がおりますから、短慮に走ることはできません」

「そうよなあ」

「石田治部少輔も星鉄刀を求めております。石田家の島左近という軍者は、私の妻の守り刀だと知ると、では新たに作ってくれぬかと依頼してきました。受けようと思います」

「ふははは。徳川に祟る妖刀の作者なら、さぞ御利益ありそうだ。石田というのは徳川と対立して、佐和山に蟄居させられている人物だな。どれほどの武将か知らぬが、大喧嘩になって、妖刀の霊験あらたかに徳川を打ち負かしてくれたら、おぬしの復讐も成就するわけだな」

「そんな他力本願は期待しておりませんが」

「いやいや。たかが刀工には武将は討てぬ。されど刀工。作刀で仕返しをする。それはそれで見上げた性根よな。左文字の星鉄刀に村正の星鉄刀が勝つということでもある。面白い」

「それもこれも、刀に霊力なるものが宿れば、の話です」

「うむ。宿らぬ場合、おぬしはどうする?」

「つまり、石田方が戦に負けたら、ということですか」

「そもそも、戦になるかどうかもわからぬ」

「…………」

 村正は言葉をのんだが、正弘には彼の覚悟がわかっていた。重くなった空気をかき回すように、にこやかにいった。

「その時は娘さんはうちで面倒を見る。本多でもその家臣の尾田でも、心置きなく襲うがいい。ははは」

「聞かなかったことにしておく」

 と、国広は表情を変えない。

「うちへ来た理由もわかった。星鉄が目当てだな」

 国広は諸国をさすらううちに様々な鉄を入手した。星鉄刀も秘蔵している。持っているぞと触れ回っているわけではないが、

「うちにあると俺が話した」

 そういう正弘には屈託がない。何か自慢でもしているようである。

「村正にはここで星鉄刀を作ってもらう」

 国広の屋敷内には鍛錬場が二棟建っており、それぞれに火床が二つずつ備わっている。

「この男の桑名の鍛錬場はもうない」

「廃業したのか。ふむ」

 国広は短く吐息をついた。

「村正殿。おぬし、目を傷めておるな」

「……気づいた者は誰もおりませんが」

 正弘も気づかなかった。村正のうつろな目つきは妻を殺されたためだと思っていた。

「この国広をなめてはいかん。その目で作刀はできるのか」

「おそらく最後の作刀になるかと」

「思いつめて作刀してもろくな結果にならぬぞ」

「俺も手伝う」

 と、正弘。

「よろしいな、師匠」

「好きにせよ。弟子たちには客人のことは他言無用と申し渡しておく。村正殿の名前は縁起が悪そうだからな」

 国広の言葉はきついが、声は柔らかい。

 村正は竹皮の包みを差し出した。

「土産を持参しました。私が作ったものです」

「正弘から、俺が甘いものが好きと聞いたか」

「はい。饅頭です。米粉に山芋を練り込み、蒸してあります」

 国広は即座に口へ運んだ。

「包んであるのは小豆か。砂糖は貴重だろう」

「伊勢神宮の参道にある菓子屋が懇意で、鍛冶をやめて、そこを手伝っておりました。砂糖はその店のものです」

「結構だ。京都でもこれほどの菓子はめったに出会えぬ。鍛冶屋をやめても生きていけるな」

「煮た野菜を包んだ点心なども作りますが、京都までの道中、日持ちが心配だったので、やめておきました」

「じゃあ、滞在中に作ってもらおう」

 国広は微笑んだが、拒否できぬ迫力があった。

「うまければ、京都の菓子屋を紹介して進ぜる。気が向いたら、そこで働くがよい」

 国広の言葉は冗談なのか本気なのか、つきあいの長い正弘にもわからない。
 
 

 

 翌日から、国広に使用を許された星鉄を用い、村正は作刀を始めた。そればかりでなく、国広一門の作刀をも手伝い、実力を見せつけた。

 刃味を左右する焼き戻しの技術は国広一門の誰よりも上手だった。地鉄の違いか、あるいは眼病のためか、失敗する作業もあったが、村正と正弘は互いに教え合い、学び合うことが多々あった。もっとも、廃業を決めた村正には今さら有益でもなかっただろうが。

 星鉄刀はほとんど二人の合作である。彼らは星鉄を扱うのは初めてだった。

 少量を切り取って、まず伸展性や焼入れの感度を実験し、

「星鉄は赤めて叩いても伸展せずにボロボロと崩れてしまうので、塊から削り出すしかないという鍛冶屋も多いが、大嘘だな」

 正弘は巷の刀鍛冶を嘲笑したが、村正は控え目だった。

「嘘とばかりはいえん。星鉄にも色々あるようだ。ここの星鉄は性がいい」

 そういって、星鉄の細片を上鍛えの和鋼に混ぜ込んだ。混入の割合については正弘と村正の意見が一致した。三分である。これ以上は地鉄が冴えぬという予感が働いた。長さは二尺に見たぬ脇差である。左文字の星鉄刀も腰刀であったし、武士が常に帯刀するのは脇差である。

 七月に入り、打ち上げられた星鉄刀は名門の本阿弥に研ぎを依頼した。普段からつきあいのある正弘が、御所の西北の堀川沿いに建つ本阿弥光悦の屋敷まで持参した。

 光悦は本阿弥の分家であるが、本家よりも声望が高かった。ただ、それは刀剣に関してではない。光悦という人物は、書、陶芸、茶の湯など諸芸に幅広く熱中し、本業であるはずの刀剣研磨には飽きている。正弘はそう感じている。あまり好きな類の職人ではない。もっとも、本人は職人ではなく芸術家志向であるわけだが。

 しかし、どうせ研ぎは大勢いる弟子や一族の誰かが代行するのである。光悦の弟子の中に正弘が気に入った者がいるので、その職人を指名した。

 光悦は刀身を見やり、唸った。鍛冶押しを終えただけの段階でも、肌は見える。

「おやおや。ううん。変わった地鉄やなあ。星鉄を混ぜると光の筋がこんなふうに流れると聞いとるが」

「御慧眼の通り。星鉄です」

 この時点では無銘である。村正のことは光悦に知らせなかった。その名前はいらぬ波風を立てる。銘は研磨後に刀の出来具合を確認してから入れることも多いので、光悦は不審には思わなかったようだ。

「注文打ちかいな」

「はあ。まあ……」

「大きな戦がありそうな気配やが、お宅の国広師はどちらに与しとるんかいな」

「どちら?」

「軍陣には刀鍛冶や研師も付き従うもんや。金道師匠は弟子を徳川様に従わせとる。刀槍の修理係としてな」

「金道師は如才ないですからな。しかし、どちらに与するも何も、大名たちはいずれも豊臣家の臣下でしょう」

「何をゆうとりやすか。朝鮮出兵以来、現地の武将と大坂城の奉行衆との間に軋轢が生じ、太閤の没後はこじれにこじれて、徳川と石田の二派が対立しとる。徳川が会津へ向かった今、石田は大坂で画策しとるわ。石田治部少輔では貫禄がないゆえ、毛利中納言(輝元)あたりを御輿にかつぐことになるやろが、すでに近江愛知川に関所を作って、西国大名が徳川様と合流するのを妨げとるという話や。会津征討軍はすぐ取って返すやろ。これからは東軍と西軍やぞ」

「おくわしいですなあ」

 本阿弥光悦は各大名家に出入りする名士であるから、見聞することも多い。しかし、国広も正弘も山伏修業など流浪し、有為転変が身に染みている。国広が仕えた日向の伊東家も支援者であった下野の長尾家も没落した。今さら有力大名に取り入ろうとは思わなかった。

 

 

 七月も半ばを過ぎ、その日の仕事を終えて、正弘が台所を覗くと、妻の佳世が湯漬けの用意をしていた。この時代は朝と昼夕兼用の一日二食の習慣であるが、夏は陽が長いので、仕事も長くなるし、国広一門では一食追加していた。

 国広や弟子たちはそれぞれ食卓は別で、正弘は妻や村正親子と一緒の食卓である。といっても、台所の隅で簡単にすませてしまう。

 飯に漬け物をのせ、だし汁をかける。

「こんな湯漬けだが、織田右府が好んだそうだ」

 と、正弘。

 おいしい、と喜ぶあずさを村正は見守り、いった。

「織田なら、さぞかし注文がうるさいことだろうな。熱すぎてもぬるくても、ぶちまけそうだ」

「そういえば、織田が所持していたという噂の星鉄刀、本能寺で焼けたとも安土城と運命をともにしたともいわれているが、そんなものに霊力があるなら、織田が横死することもなかったろう。そうは思わぬか」

「刀の方が持ち主を選ぶこともある」

「何をいいたいのだ?」

「選ばれるより選ぶ。俺はそのような刀を作りたかった、ということだ」

 過去形である。この男の心はすでに刀作りにはない。

「あずさ」

 と、正弘は傍らの幼女に声をかけた。

「親父殿がもう刀を作らんというなら、お前が嫁入りの時には、守り刀を俺が作ってやろうか」

「自分で作る」

 と、あずさは湯漬けに箸を使いながら、いった。村正は渋い表情だが、正弘は微笑んだ。

「ほお。将来は刀鍛冶か」

「それはいい考えですね」

 給仕をしていた佳世がいった。

「女が手に職をつけるのは大変結構。亭主を持って、それで人生アガリではつまりませんからね」

「あれ。なんだか意味ありげな物言いだな」

 正弘は眉をゆるめて妻を見やった。

「出入りの商人から聞きましたが」

 と前置きして、佳世はいった。

「昨夜、大坂城内で火事があったそうです。玉造の細川屋敷が焼けたとか」

 昨夜とは、七月十七日である。

「細川越中(忠興)殿の屋敷か。あそこには名刀が多く所蔵されているらしいな。火事の跡地に名刀だけが無傷で残っていたという怪異話もよく聞くが、そんな与太話でも……」

 いいかけて、正弘は箸を止めた。

「石田治部少輔が挙兵したのか」

「商人は世の趨勢には聡いもの。いろいろ教えてくれます。石田様は大坂に残る諸大名の妻子を人質とするべく兵を動かしたとか……」

「火を放ったということは、越中殿の奥方は人質となることを拒んだか。武家の妻女も命がけよなあ。なるほど、運命は亭主次第というのはつまらんな」

 細川忠興の妻は美貌を謳われた細川ガラシャである。一介の鍛冶屋には知る由もない名前だった。そんなことより、目の前の仕事の方が優先だ。

「……で、星鉄刀が研ぎ上がったら、拵はどうする?」

 正弘の問いに、村正は無表情に答えた。

「出来合いでよかろう。新規に誂えている猶予はなさそうだ」

 この刀鍛冶はもう燃え尽きたのか。どこか他人事のようだ。

 拵は刀に合わせて作るものだが、時間と予算がない場合には既成品で間に合わせる。刀は長さ、身幅、重ね、反り、それに姿も一本一本違うとはいっても、およその形状は決まっているから、あらかじめ量産された数種類の拵の中から適当なものを刀身に合わせて調整するのである。今回、予算はともかく、時間が切迫している。戦いが始まれば、注文主の島左近がどうなるか、まったく予断を許さない。

 どんな拵を選ぶか、

「お前にまかせる」

 と村正はいった。

「俺はもう刀職者の間を歩き回りたくないからな」

「そういわれてもなあ。思い描いた拵と違う、とガッカリされても困るのでな。あずさに見てもらおうか。拵師のところへ連れていく」

「子供だぞ」

「ただの子供じゃない。刀が好きなんだろ」

 正弘はあずさに訊いた。五歳の少女はしっかりと頷いた。あずさは言葉は少ないが、目が明るく性根の強そうな輝きを放っている。

「村正の五代目は女刀工か。面白いじゃないか。親父の四代目が廃業したなら、わが国広門下で鍛えてやる」

 正弘の言葉は本気だった。

星光を継ぐ者ども 第六回

星光を継ぐ者ども 第6回 森 雅裕

 数日が過ぎ、まだ明るいうちにその日の作業を終えると、弟子の良吉が千早に、

「お送りしましょう」

 と声をかけた。

「筥崎宮へついでもありますから」

 ついでとは何か、と安吉が良吉へ無言の視線を送ると、

「酒殿から今年の米で作った新酒ができたと知らせがあったもんで、もらってきます」

 筥崎宮の酒殿といえば、大森彦七が投宿しているところだ。

「俺も途中まで行こう」

 安吉は他の職人のところへ出かける用事があった。筥崎宮の境内を突っ切る道筋である。

 太陽の燃えさしが西の空を染めている。安吉は茜色の空気の中に千早を見やった。

「先日、正宗の弟子だという左文字の作を見ました」

 そう切り出したが、誰の持ち物であるか、質問の隙など与えずに言葉を続けた。

「太宰府の左馬亮とはまったく別物だった」

「あら。どうでしたか」

「品格と面白味の両立はむずかしいものだが、どちらも損なわれていない、たいした刀だった。あれが弟子の作とすると、正宗はどれほどの刀工なのか……」

 筥崎宮を覆う雑木林の中を進む彼らの視野に、武士たちの影がゆらめいた。屈強な男たちだ。猿楽の舞台にでも並ぶように立ちふさがった。

「楠木家の千早殿ですな」

「千早です」

「兄上はどこかな」

 千早は答えず、

「私どもに無礼な御用らしいですね。一好神社をお訪ねになったのですか」

 武士の一人が持っている長い布袋に目を留めた。刀だろう。

「その長いものは、もしや私の荷物から盗み出したのでしょうか」

「いただいて行く」

「お断りします」

 断ろうが承知しようが関係ない。武士たちは殺気しか発散していない。安吉は千早の肩を叩き、叫んだ。

「逃げろ!」

 武士たちが抜刀した。安吉は一尺五寸の腰刀を差している。これを振り回して白刃をかいくぐり、千早のあとから走った。千早は敏捷で、勇敢だ。石を拾い、襲撃者に投げつけた。

 目前には酒殿の建屋が並んでいる。こけつまろびつ、弟子の良吉がそこら中の戸や窓を叩いて、助けを求めた。

「何事かっ」

 顔を出した男があった。痩身だが、大男である。その体型から、大森彦七だとすぐに知れた。
 
 彦七は事態を即座に理解したが、帯刀していなかった。どこから持ち出したのか、心張り棒を手にして、豪快に振り回した。

 一方、千早は武士に追いつめられ、太い木をはさんで、右へ左へと繰り出される刃を避けていた。そこへ彦七が駆け寄ると、たちまち武士たちは総崩れとなり、

「引け、引けっ」

 負傷した仲間を抱え、逃げ腰となった。

「あ奴、あ奴!」

 千早は叫びながら、長い袋を持っている武士に追いすがり、彦七が加勢すると、男は荷物を投げ捨てて遁走した。
 彦七は心張り棒を身体の前に突き、背を丸めて安吉たちを見回した。

「誰が襲われているのかと思ったら、安吉殿か」

「これはどうも……」

 大森彦七の名前を出すのはためらわれた。そのかわり、

「こちらは楠木様の千早姫です」

 あなたに遺恨を抱く姫君だと暗に注意を与えたのだが、

「おお、左様か。私は伊予の大森彦七だ」

 この能天気な武将は平然と名乗った。安吉は力が抜け、肩を落とした。千早はと見ると、武士が落としていった袋を拾い上げている。やはり、刀だ。

 その様子を視界の隅にとらえながら、安吉はこの場を取り繕うように彦七へ話しかけた。

「あの侍どもはどこの家の者でしょうか」

「少弐家で見かけた顔もあったな。少弐頼尚の家臣ゆえ、私とはコトを構えたくなかったのだろう。それで逃げた」

 千早が刀を抜き、近づいてきた。いきなり、斬りつけた。

「父の仇、この遺恨覚えたか!」

 彦七は苦もなく太刀筋をかわし、安吉は懸命に千早を抱き止めた。

「やめなさい。恩知らずですか、あなたは! この人は助けてくれたのですぞ」

「いずれ……」

 決着はつける、といいたげに千早はそっぽを向き、安吉は刀を取り上げた。夕陽はすでに西の空にもなく、筥崎宮の境内は暗くなり始めているが、この刀だけは独特の光を放っていた。刀身には強い輝きが糸のように何本も流れている。

「これは……」

 星鉄刀である。

「千早殿。これは正宗刀匠が弟子に餞別として与えたという星鉄刀ですな。茎にはサギリの銘があるはずだ」

 それを聞きつけた彦七が、安吉の手から刀を奪い、見入った。無礼だが、あまりに自然な動作だったため抵抗はなかった。

「これが噂に聞く星鉄刀か。少弐頼尚は力ずくでもこいつが欲しかったようだな。いや、誰もが霊力宿るこの刀を求めているだろう」

「うるさい!」

 千早が怒鳴るので、安吉は刀を取り返し、

「彦七殿。行ってください。早く!」

 救ってくれた恩人ではあるが、追い払った。

「そうか。また会おう」

 その捨てゼリフに、千早は石を拾おうとした。安吉は彼女の肩を押さえながら、這うように近づいてくる良吉を見やった。

「腰が抜けたのか」

「冷たいお言葉ですな、師匠。何度も転びました」

 全身すり傷だらけで、転んだ拍子に手首を傷めたらしく、腫れ上がっている。

「師匠。これでは大鎚を持てません」

 鍛錬は終えているのだが、まだ素延べに先手が必要だ。

「仕方がない。先手は千早殿に頼もう」

 安吉は千早を横目で睨んだ。目つきはよくない男である。

「正宗の弟子の左文字とはあなたですな、千早殿」

 千早はどう反応したものか、しばらく迷ったようだが、結局、

「あははは」

 声をあげて笑った。安吉は苦虫を噛みつぶしている。

「あなたが作刀をやたら見たがったのも単なる好奇心でなく、私のやり方を学ぶためだ。なら、先手をやってもらうのが手っ取り早い」

「承知しました。やらせていただきます」

「私も正宗一門の流儀を拝見させてもらう」

「それだけですか」

「……何か?」

「また襲われるかも知れません。宿泊先の一好神社には戻れません」

「兄の三郎様は?」

「博多におりません。九州各地を回り、博多には寄らずに長門へ渡る予定です」

「では……うちの物置小屋の屋根裏にでも潜むしかありませんな。ええと、良吉」

 疲れ切った表情の弟子を呼んだ。

「千早殿の身の回りの品を運んで差し上げろ」

 良吉は無言で、腫れ上がった右手を掲げた。安吉は嘆息した。彼が運ぶしかなさそうだ。さらに良吉は意味ありげに微笑んだ。

「お忘れですか、師匠。私は酒殿の新酒をもらいに来たんで……」

 安吉は安吉で、職方を訪ねる予定があったのだが、そちらへは良吉を使いに出し、千早の私物と酒殿の新酒は安吉が運んだ。

 千早に提供したのは、独立した弟子が使っていた空部屋である。

「狭くて汚くて不満だろうが、風呂は近い」

「風呂とは、もしかして外のアレですか。たたら炉にしては小さく、卸し鉄の炉にしては大きいと思っていましたが」

「あなたが最初から正体を打ち明けてくれたら、もっと早くからここで仕事してもらったし、風呂に屋根も壁も作ってお迎えしましたよ」

「楠木兄妹といえば、命を狙う物好きがおりますから。呉越同舟の九州では、初対面の方に気安く正体は明かせません」

「命を狙う物好きとは、少弐か一色か。おおかた彼らは表面上は敵対しているが、裏ではつながっているのだろう」

「兄の目的はそうした武将たちとの会見。私は自分と同じ左文字を名乗る刀鍛冶に興味があったので、九州へやってきました。幸か不幸か、女子はその存在も名前も世間は気にとめません。安吉師にも内緒にしましたけど、あなたに作刀をお願いしたかったのは事実」

「命を狙う物好きについて、少し考えてもよろしいかな」

「どうぞ」

「太宰府の左馬亮は以前から正宗の弟子の左文字を詐称していたが、それを『物好き』は利用しようとした。楠木兄妹をおびき寄せる囮だ。つまり、正宗の弟子である左文字は楠木正成の子と……その性別はともかくとして……嗅ぎつけられていた。兄妹が博多の『左文字』を訪ね歩いていることも知られていた。正宗の弟子なら、武将たち垂涎の星鉄刀を持っているはずであることも『物好き』の強欲を刺激した。それを知ったある一本気な武士が、許せぬ謀略であるから左馬亮を斬り捨てたとは……考えられませんか」

「一本気な武士とは、大森彦七ですか」

「敵とはいえ、あの人物は楠木正成公に思い入れがあるようだ」

「左馬亮とて職方の矜持はあったでしょう。『物好き』の企みに手を貸すことを拒否したので、その『物好き』に殺された……というのはどうです?」

「その場合は、少弐、一色が下手人ということですか。彼らが裏でつながっているという秘密保持のためにも、左馬亮が邪魔になった……と」

「そのいずれかが正しい答なのでしょうが、でも、そんな物語が必要あります? 左馬亮は単に嫌な奴だったので、どこかの誰かに殺されただけかも」

「まあ、知らぬ者の悪口はいえないが……」

「そうですね。悪口は知っている者でなければ楽しくない」

「うちの親父殿の悪口でも並べますか」

 外で、実阿が声をあげている。

「おおい、飯の支度を始めるぞお」

 そんなことを叫んでいる。普段は安吉や弟子にかまわず勝手に食っているのだが、千早の存在を感知したらしい。

「とりあえず、飯を食いましょう」

 安吉は千早を母屋へと促した。命を狙われた直後で、千早は顔面蒼白ではあるが、安吉は気づかぬふりをした。

 

 

 千早という先手を得て、安吉は素延べを行った。千早は有能な先手だった。安吉が何を求めているか、的確に判断して大鎚をふるう。弟子を見れば師匠がわかる。正宗という刀鍛冶は見識ある名手だろう。

 素延べを終えれば先手は必要ないが、手伝いや雑用は他にいくらもある。千早はいちいち指示されずとも、よく働いた。

 千早と一緒に生活することにも慣れた数日後、大森彦七がのっそりと現れた。土間の入口に頭をぶつけそうな長身である。

「少弐頼尚殿に会って、釘を差しておいた。楠木の姫に手を出すな、と。もっとも、向こうは何のことかととぼけていたが」

 無邪気に自慢でもするようにいい、振り返った。庭先で風呂の薪割りをやっていた千早が、斧を片手に背後に迫っていた。

「おお。楠木の姫か。お近づきになれたが、私は明日、博多を去る」

「では、大森彦七殿。父の仇として、果たし合いを申し入れます」

「兄の三郎殿も一緒か」

「兄はすでに九州を離れ、畿内へ向かいました。今、私一人で父の仇を討ちます」

「左様か。承知した」

 彦七の声は冷たいほど平静だ。安吉には制止するすべがない。昼過ぎというのに暗い雲に覆われた鉛色の空を見上げ、

「仇討ちには悪い日和ですなあ」

 そんなことを口走る程度である。むろん、無視された。

 彦七はさっさと西の方向へ歩き始めている。

「日が暮れる前に終わらせよう。博多湾の浜の方なら邪魔も入るまい」

 千早はサギリ銘の星鉄刀を持ち出し、刀鍛冶の仕事着のまま、彦七のあとを追った。安吉も追わざるを得ない。
 薪割り場で手持ち無沙汰げに立っていた弟子の良吉が、

「お揃いでお出かけですかあ」

 のんきに声をかけてきたので、

「風呂を湧かしておけ」

 と、命じた。

 筥崎宮の雑木林を抜ける途中で、雨がぽつぽつと落ち始めた。頭上では雷鳴さえ聞こえる。

 浜には人の気配はなかった。彼方に陸揚げされた漁船のあたりで、小さな人影が見えるだけだ。蒙古襲来のあとも幕府が構築を続けた石築地が、今は見渡す限りの海岸線にむなしく続いている。

 雲は低く重く、空そのものが海へ落ちてしまいそうだった。波と風の音に彼らが砂を踏む足音が混じり、さらに雨音が加わった。

 彦七と千早が足を留め、刀を抜いた。

「鞘を預かります」

 と、安吉は二人から鞘を受け取った。鞘に雨水を入れると、あとの手入れが面倒だ。もっとも、死んでしまえば何の意味もないが。

 千早は一切の躊躇もなく距離をつめ、猛然と斬りかかった。火花が散った。彼女の武器はサギリ銘の星鉄刀、それを跳ね返す彦七の佩刀は千早が南木神社に奉納した自作である。皮肉な因縁だった。

 千早は驚くほどの手練れで、激しく剣先を繰り出し、彦七を後退させた。砂浜は互いに足場を悪くした。鐔迫り合いでもつれ、千早は転びそうになって、刀をザックリと砂に突いた。彦七の太刀が唸りをあげて彼女を襲い、千早は転がって避けた。刀は手から離れ、突き刺さったままだ。

 彦七は丸腰となった千早を追いつめることはせず、雨の中に仁王立ちしている。

「勝負はついた。まだやるか」

「むろん」

 千早は両手で盛大に砂をかき、彦七の顔面へ見舞った。

「何をするか」

 彦七が怯んだ隙に、千早は刀を取り返そうとしたが、彦七はそんな隙は見せない。彼女の前に立ちはだかり、彼も砂を蹴り上げた。千早は石まで投げた。もはや子供の喧嘩である。

 空が閃光をほとばしらせ、空気が震動し、轟音が耳を貫いた。蹴られたような衝撃を受け、安吉は尻餅をつき、千早と彦七は膝をついた。呆然と周囲を見回し、彼らの視線は砂上の刀で留まった。これに落雷したのである。

 サギリ銘の星鉄刀は柄が燻っており、刀身は曲がり、黒ずんでいた。千早が引き抜き、小さく悲鳴をあげて取り落とした。刃は割れており、この有様では焼きも戻ったかも知れない。

 彦七はすでに冷静さを取り戻している。

「あたら名刀を……惜しいことしたな。私は引き上げる」

 そういい、千早を挑発するように見やった。目元は明るい。

「なおも私をつけ狙うというなら、伊予まで追って来られるがよい」

 彦七は安吉が差し出した鞘を受け取ったが、水が入らぬよう鯉口を下に向け、濡れた刀は納めなかった。

 その後ろ姿を千早は追うこともできず、曲がった刀を拾い上げて、よろめいた。

「安吉師匠。サギリの星鉄刀は御臨終です。あなたに作ってもらった腰刀、星鉄の方をいただきます。それでよろしいですか」

「お好きなように」

 千早は長身だが、今は小さく見えた。 

「疲れた」

 命のやりとりをしたのだ。彦七は手加減したようだが、千早は全力で刀をふるった。精根尽き果て、砂の上にへたり込んだ。全身ずぶ濡れだ。安吉はそんな彼女を引きずり起こし、強い雨足の中を泳ぐように、帰路についた。

 

 

 それから半月ほどで、二尺未満の星鉄刀を打ち上げた。陰打ちの用意もしていたのだが、途中で傷が出たのでこれは捨て、仕上げたのは一本である。研いでいない打ち下ろし状態で千早に納める約束だから、最終的な出来不出来は確認できないが、ここまでの手応えは悪くなかった。刻んだ銘は「筑州住 左」である。

 刀を納めた日が千早との別れの日だった。千早は代金を置き、宣言した。

「伊予へ行きます」

「湯治ですか。……そんなわけないか」

「大森彦七を討ちます」

「兄上と力を合わせるべきですな」

「兄は京都の奪還しか頭にありません。足利直冬様をかつぎ、九州・中国地方の武将たちと呼応して、上洛する考えです。彦七は私がやります」

「彦七殿の佩刀はあなたの作ですぞ。南木神社の奉納品が気に入ったらしい」

「なかなか見る目のある奴……。しかし、親近の情など湧きません」

「刀鍛冶に専念した方がいいと思うが」

「鍛冶屋はやめません。左文字の名前も返上しません。後世には、左文字は正宗の弟子といわれ、あなたと私は左文字の初代と二代だといわれるでしょう。腕のいい方が初代です」

 千早はまとめてあった荷物から折り畳んだ布を取り出した。

「私の左袖です。受け取ってください」

「私も左文字の名乗りをやめませんよ」

 安吉も着ていた小袖の左袖を引きちぎり、千早に渡した。そして、屋敷の外の林道入口まで送り、別れた。

 夕刻、雑用で出かけていた実阿が戻り、千早が旅立ったことを知って、

「やっぱり風呂に屋根と壁がなかったのがいけなかったか……」

 ぼんやりと呟いた。

 

 

 翌年の正平九年/文和三年(一三五四)、楠木三郎(正儀)は足利直冬が反尊氏派の武将たちを率いて上洛した際に共闘し、京都を奪還するが、足利義詮の反撃を受けて撤退した。

 以後も京都奪還を試みて失敗、さらに南北朝の和睦を画策したために孤立し、北朝へ投降、南朝へ帰参など変転するが、元中六年/康応元年(一三八九)から元中八年頃に死亡したと伝わる。

 大森彦七はその武名よりも「太平記」の怪異話で有名となるが、没年は不詳である。ただ、その子孫は伊予国風早郡小川村の庄屋として、明治に至るまで続いたという。

「太平記」を素材として、大森彦七と千早姫の舞踊劇「大森彦七」が初演されたのは、はるか後年の明治三十年のことである。新歌舞伎十八番の一つであるが、批評家は彦七の「忠臣義烈」というセリフをもじり「忠臣愚劣」と酷評した。

星光を継ぐ者ども 第五回

星光を継ぐ者ども 第5回 森 雅裕

 左馬亮の死後の始末をしていた武士たちは、彼を支援する一色範氏の家臣だった。範氏は幕府方の武将であるが、この年、正平八年(一三五三)二月の筑前針摺原の戦いで肥後の菊池武光に大敗し、肥前へと駆逐されている。目下のところ、太宰府は少弐頼尚の勢力下である。

 四、五年前には一色範氏と少弐頼尚は北朝方で協同していたが、頼尚が足利直冬(尊氏の庶子)を取り込んだことで政治の均衡が崩れ、両者は対立するに至った。とはいっても、直冬の後援者であった足利直義(尊氏の弟)が急死すると、九州にはもはや直冬の居場所はなく、中国地方へ本拠地を移している。そして今現在、少弐頼尚は懐良親王・菊池武光と同盟し、九州から幕府方の勢力を一掃する構えである。

 のちの正平十年には、肥前小城の千葉胤泰、豊後の大友氏泰、豊前の宇都宮冬綱らを一旦は屈服させ、翌年には一色範氏を九州から長門へ追い払うことになる。しかし、寝返りなど珍しくもないこの時代であるから、のちに少弐頼尚は再び北朝方へ与し、大友氏時(氏康の弟)・宇都宮冬綱と呼応して、今度は懐良親王・菊池武光を相手に、正平十四年(一三五九)七月、南北朝時代の九州最大の決戦となる大保原の合戦を繰り広げることになる。

 ともあれ、今、一色家には敵地ともいうべき太宰府周辺で、一色家の家臣たちが肩で風を切って歩いている。敵も味方も混沌としている。しかし、さすがに長居は無用と考えたらしく、埋葬を地元の百姓にまかせて、さっさと引き上げてしまった。

 左馬亮の屋敷は大きくはないが、弟子が二人いた。妻子はなかったようだ。

「一体、何があったのか」

 安吉が弟子たちに尋ねると、二日前、彼らは鍛錬に使う稲藁をもらいに近隣の農家へ出かけており、戻った時には左馬亮は絶息していたという。

「下手人は?」

「わかりません」

「斬り口を見ると、武士のようだが」

「不穏な御時世ですから、刀の注文に見えるサブライ(侍)は途切れませんが」

「最近、出入りした武家は?」

「数日前、訪ねてきた侍が一人おります」

「何者か」

「大森様とか申されました。伊予の湯桁の話なんぞ師匠と交わしているのを、ちらりと洩れ聞きました。その時は何事もなくお帰りでしたが」

 伊予の湯桁とは、のちの道後温泉である。

「こう、まぶしそうに目を細めて笑う、人のよさそうな武士ではなかったか」

「いえ……。目玉がギョロリとした美男でありました」

 安吉は、千早が横から睨む気配を感じた。人のよさそうな武士というのは、彼女の兄の三郎正儀である。兄を疑っているのか、と詰め寄るような視線だ。楠木正儀は四国の伊予とは無縁である。

 安吉はチラリと彼女を見やり、呟いた。

「いや。確かめただけだ。念のためです。……睨まないでください」

「鉄も人も、見れば素姓はわかるとおっしゃっていましたが、兄が刀鍛冶を手にかけるような人物に見えましたか」

「それは事情によるでしょう。武士はおのれの筋を通すために人を斬る。三郎様の素姓など関係ない」

 安吉は左馬亮の弟子に尋ねた。

「うかがうが、左馬亮殿は鎌倉の正宗刀匠の弟子か」

「そのように聞いております」

 確証はない。鎌倉は九州から遠く、情報網などない時代だから、経歴を詐称したところで、露見しにくい。安吉と千早が確認したいのは別のことだった。

「左馬亮殿は星鉄刀というものをお持ちだったかな」

「セイテツ……?」

「正宗師から別れ際に譲られたという、星鉄をもって作られた刀だ」

「いえ。存じませんが」

「では、左馬亮殿の作刀があれば、見せていただけるか」

 弟子が奧から出してきた刀は、これから外装の制作に回すらしく、研ぎ上げた刀身を油紙に包んであった。白鞘などない時代である。

 銘は「筑州住 左」のみだ。刀身の出来は特に興味を引くものではなかった。地鉄が硬そうで、刃文は沸がムラになった凡庸な作である。

「このところ、師匠は左と銘を切るのはやめようかといっておりました」

 と、弟子はいった。

「理由はわかりませんが」

 

 

 博多から乗ってきた馬は天満宮に預けてあったので、安吉と千早は左馬亮の屋敷を辞すると、雑木林の中を歩いた。

「下手人は左馬亮を殺して、星鉄刀を奪ったのだろうか」

 安吉の疑問を千早が打ち消した。

「そもそも、左馬亮殿は星鉄刀など持っていなかったでしょう」

「あまり期待していなかったような口振りですな」

「あの作柄では正宗刀匠の弟子というのは嘘でしょうからね」

「ほお。作柄がよくおわかりですな」

「…………」

「私は正宗という刀鍛冶の作を経眼したことはない。あれが正宗一門の作柄なのかどうかはわからない。しかし、師匠たる者が左袖をちぎって餞別にするほど優秀な弟子とも思えぬ。左と銘を切ることをためらい始めたというのは、詐称に対する良心の呵責なのか。左馬亮は嘘をついてまで、刀鍛冶として売り出したかったのか」

「さあ。それだけとも思えませんが」

「ところで、左馬亮が期待はずれだった時には、私に新たな注文をしたいと仰せだったが……」

「ええ。楽しみにしています」

「星鉄か和鉄か、どちらがよろしいのか」

「安吉殿は星鉄でおやりになりたいのでしょう」

 この女は見透かしている。安吉にしてみれば、星鉄を使うつもりで気持ちを高めていた。動き出した創作意欲は止められるものではない。

「おまかせします」

 と、千早は物わかりよさげだが、どんな刀を作るのかと挑発する気配もある。

「して、長さは?」

 南北朝騒乱のこの時代、馬上での打物戦が盛んで、太刀も長大となっている。

「太刀ではなく腰刀を願います。二尺以下で」

 腰刀は太刀のように吊して「佩く」のではなく、帯に「差す」脇差もしくは短刀であるが、これがのちに打刀へと変化していく。室内でも肌身離さぬ最終兵器であるから、長い刀よりも吟味すべしと考える武士も少なくない。

「研ぎは畿内の研師に出し、拵もこちらで誂えますゆえ、打ち下ろしの刀身のみで結構です」

「承知しました」

「ついては、お願いがあるのですが」

「何です?」

「作刀の様子を見せていただきたいのです。鍛錬場は女人禁制ですか」

「昔はうちの母も先手なんぞやっておりましたし、その前にはサギリという女鍛冶もいたわけですから……。しかし、お客様としてお構いはできませんし、こちらもあなたの注文だけを手がけているわけではありませんからな。いつ何の作業をやるか、決まっておりませんぞ」

「結構です。私は一好神社に滞在していますから、毎日でもうかがいます」

 一好神社は筥崎宮に付属する摂社であるが、遠来の客を泊める宿舎となっている。安吉の屋敷から目と鼻の先である。

 

 

 博多へ戻って、借りていた馬を返し、屋敷へ帰り着く頃には日が暮れていた。刀鍛冶は汚れ仕事であるから、粗末ながら風呂場が作られている。父の実阿がそこで火を焚きながら、迎えた。

「太宰府に行ったようだな。同道した千早姫はどうした?」

「宿に戻った。楠木兄妹は一好神社に滞在しているらしい」

「何だ。せっかく風呂を湧かしているのに」

「姫様がこんな屋根も壁もない吹きっさらしの風呂なんか入るものか。しかし、これから毎日でも来るそうだ」

「そうか。お前と気が合ったか」

「そんなことはいってない」

「そういや、左馬亮というのはどんな奴だった? 屋敷の風呂場には屋根と壁があったか」

「知るものか。挨拶もしなかった」

「無礼だな」

「死んでたよ。星鉄刀もなかった」

「あっ」

 実阿は頓狂な声を発したが、それは安吉の言葉への反応ではなかった。

「留守中、お前を訪ねてきた御仁がいるぞ」

「誰だ?」

「大森なんとかいったかな」

「大森……?」

 左馬亮を訪ねた武士がそんな名前だったと聞いたが……。

「飯でも食って待っていなされ、と台所へ行かせた」

「あ?」

「それが午の刻くらいだったかの」

「昼じゃないか。もう日が暮れかけてるぞ。早くいえ」

 安吉がその場を離れると、

「おおい、左馬亮って奴はなんで死んだのだ?」

 実阿の声が追いかけてきたが、無視した。

 台所へ回ってみると、板間にその男は座り込んでいた。柱にもたれかかり、腕組みをした姿勢で寝息を立てている。年齢不詳。若僧ではないが、枯れてもいない。長身痩躯、がっちりとした身体つきは彫像のような存在感を放っていた。

 彼の太刀は傍らに立てかけてあった。柄に革を巻き、鞘は黒漆塗りという、平凡に見えるが、腕のいい職人仕事だとわかる、渋い拵だ。

 誘惑に勝てず、手に取った。鯉口を切る。名刀か鈍刀かは三、四寸も抜けばわかるものだ。つまらぬ刀ならその場に置くつもりだったが、手を止められず、抜き放った。

(ほお……)

 杢目肌に沸が強く輝き、互の目の刃文には金筋がからむ。並みの刀ではない。太宰府の左馬亮を斬殺した刀でもないようだ。人を斬った刀は血脂を拭っても生臭さが残るものだが、そんな気配はない。磨き上げられた肌も清澄で、曇りがなかった。

「武士の佩刀を無断で見るとは、度胸がよろしいな」

 明るい声が響いた。武士が目を開けている。

「失礼しました。仕事柄、つい……」

「何。おぬしにその刀を見せるために、ここへやってきたのだ。作者に会いたいと思ってな」

「作者? 誰です?」

「こっちが訊きたい。おぬし、その刀、どう見る?」

「噂に聞く鎌倉の正宗の作風ではないかと……」

「茎を見られるがよい」

 柄をはずすと、茎には居住地はなく「左」とのみ銘がある。しかし、太宰府の左馬亮の作とは雲泥の差だ。

「これは……」

「左文字の作だが、おぬしではないのか。聞くところによると、相州正宗の弟子で、別れ際に師が左袖をちぎって渡したことから『左』とのみ銘を切るとか」

「まあ、その話はごく最近も耳にしましたが、私ではありません」

 安吉でも左馬亮でもない、もう一人の左文字が存在するのか。

「この刀、どのようにして入手されましたか」

「話せば、ちと長くなる」

「どうせ暇です」

 安吉はこの武士の前に酒を置いた。安吉は愛想のいい男ではないから、普段、誰かと酌み交わす習慣はないのだが、この相手にはどういうわけか、心安いものを感じた。

 茶碗を満たした一杯を飲み干し、武士はようやく名乗った。

「もう十七年前になるが……湊川の合戦で、楠木正成を敗死させたのは私だ。伊予国砥部庄の千里城主、大森彦七と申す」

「あ」

 思わず、周囲に聞いている者がいないか、いるはずもないのに見回しそうになった。正儀、千早と鉢合わせしたら面倒なことになっただろう。父の仇敵である。

「正成は南朝方随一の武将。その敵に勝利したのは誇らしくもあり、惜しくもある」

「はあ」

「つまり、干戈を交えた相手だからこその思い入れがあるのだ。わかるか」

「なんとなしに」

「ところで、河内国千早赤阪村に楠木正成を祀る神社がある。朝廷から南木明神の神号を賜った南木神社だ」

 建水分神社の摂社で、御神体は後醍醐天皇が自ら彫刻したと伝わる正成像である。

「昨年、北朝方の武士どもが荒らして、御神体や奉納された品々を持ち出した。それを私が諫め、返還させた。この太刀も含まれておってな、私は心を惹かれ、神官に頼み込んで、譲り受けた」

「正宗の弟子の作がどうして南木神社に?」

「楠木正成にゆかりの者が奉納したとしか聞いておらぬ」

「ゆかりの者……。それだけですか。たいして長い話でもありませんな」

「不足なら、神前郷松前村(愛媛県伊予郡松前町)の金蓮寺へ向かう途中、矢取川で楠木正成の怨霊の化身である鬼女に出くわしたという怪談も聞かせるが」

「いりませぬ」

「まあ、そういわずに」

「いりませぬ」

「そうかあ……」

 彦七は無念そうな視線をぶつけてきたが、安吉は気づかぬふりを決めた。

「大森様は……」

「よせ。彦七でよい」

「彦七様は太宰府の左文字こと左馬亮を訪ねておられますな」

「おぬしを訪ねたのと同じ理由だ。この刀の作者かと思ったのよ。どんな刀工か会ってみたかったが、どうやら別人だったようだ」

「殺されましたぞ」

「ははあ。するとおぬし、私を下手人と疑って、刀を見たか」

「そればかりでもありません。タダモノならぬ作とも見えましたし……」

「不愉快だ。帰る」

 彦七は佩刀をつかんで立ち上がった。

「また来る」

「また……来られるので?」

「うむ。酒を用意しておけ」

「彦七様はどちらに御滞在です?」

「筥崎宮の酒殿にいる」

「酒殿というと……御神酒を造るところでは?」

「それが何か問題か」

 問題は筥崎宮の境内に楠木兄妹も宿をとっていることだ。広大な筥崎宮には各地から武将たちが訪れているから、呉越同舟もあたりまえではある。敵味方が離合集散を繰り返しているため、即殺し合いにはならないのである。

 

 

 他に急ぐ仕事もないので、星鉄という素材に興味があった安吉は、星鉄刀を作ることに決めた。といっても、一本に専念するわけではなく、同時に通常の和鉄による刀も作るのである。しかし、どちらを千早に納めるか、決めかねていた。

 作刀は鍛錬から仕上げまでを一本ずつ順追って進行させるのではなく、鍛錬、素延べ、火造り、焼入れなどの各工程ごとに数本分をまとめて行うのが普通だ。和鉄は普段から鍛錬し、準備したものがあるので、これを使う。

 最近まで弟子は二人いたのだが、一人が独立して郷里の長門へ戻ってしまい、先手をつとめるのは残る一人である。大鎚一挺では足りない場合は、近所の野鍛冶を臨時に雇い、二挺で鍛錬する。

 星鉄刀の鍛錬法は祖父の代から伝わっている。星鉄を赤めて打ち伸ばしていくと、表面が鱗片のように剥落するので、これを集めて上鍛えの和鉄を最初に折り返す際に挟み込む。割合は三分(3%)である。これだけでも、顕著な肌が出る。

 千早は宣言通りに、朝からやって来た。鍛錬場に入ると、邪魔にならぬ位置、換気の良い場所を自然に選び、安吉一門の仕事ぶりを観察するのである。観察はお互い様で、安吉の弟子も千早に見とれる有様だった。

「集中せぬとケガするぞ」

 安吉は大鎚をふるう弟子を叱ったが、説得力はない。

「しかし師匠。人目を引く姫様ですから仕方ありません。姫様見たさに近所をうろつく連中もおりますよ」

 安吉が外を見回ると、武士の姿が見え隠れしている。嫌な予感がした。

「千早様」

 安吉がそう呼ぶと、千早は、

「様……? 私ですか。やめてください」

 謙虚というより不機嫌に、いった。

「太宰府まで一緒に旅した仲だというのに」

 と、今度は笑っている。

「では千早殿。お供を引き連れて来られたのか」

「……何のことです?」

 楠木家の家臣などではないらしい。

 昼過ぎに休憩に入ると、千早が茶を点てた。

「京都のお茶です」

 日宋貿易で製造法が伝わった抹茶である。僧侶と武士には広まっているが、庶民が習慣的に飲むものではない。 

 普段は仕事場に現れぬ実阿が、

「何やらいい匂いがした」

 と座り込み、千早は彼にも茶碗を差し出した。

「一旦、別の茶碗に熱湯を注ぎ、少々冷ますのが茶の作法ですかな。これじゃあ、ちと、ぬるいな」

 実阿は不満げだが、

「俺にはちょうどいい」

 安吉はそういった。世辞ではない。鍛錬直後の指先は軽い火傷状態にあり、熱には過敏となる。熱い茶碗など持てない。

「風呂場に屋根と壁を作ろうと思うが」

 と、実阿は風呂にこだわっているが、千早は何の話かわからず、呆気にとられている。

「ついては、千早殿」

 実阿はいきなり「千早殿」である。

「千早殿はいつまで博多に滞在されるのか」

「刀が出来上がるまでは」

 えっ、と安吉の視線は宙を泳いだ。作刀は数日で終わるものではないから、全工程を見学するというのではなかろうと、たかをくくっていた。しかし、しばらくの間は押しかけて来るらしい。さらに、実阿は勧誘の追い討ちをかけた。

「出来上がるまでといわず、もっとゆっくりしていかれぬか。風呂場に屋根……」

 この楽隠居の言葉を、安吉は強い語調でさえぎった。

「兄の三郎様もお忙しいだろうから、そうは博多に長居できますまい」

 だが、千早の反応は否定的ではなかった。

「兄は豊田十郎(菊池武光)様と会見のため肥後へ向かいました。その後もどこへ立ち回り、どなた様と腹の探り合いをするのやら、知れたものではありません。私は勝手に博多に残っております」

「残りなされ残りなされ。ふはははは」

 実阿は上機嫌である。実阿は妻をすでに亡くし、安吉も独り身なので、女っ気といえば、朝に飯炊きの婆さんが来るくらいなのである。

星光を継ぐ者ども 第四回

星光を継ぐ者ども 第4回 森 雅裕

 弘安合戦から七十二年後、西暦一三五三年は南朝の正平八年、北朝の文和二年である。得度して西蓮と称した国吉はむろん没しており、子の実阿、孫の安吉の代となっていた。

 博多の筥崎に彼らの鍛錬場があった。実阿はほとんど隠居状態で、ここの主は三十代の安吉である。秋も終わろうという頃、安吉を訪ねてきた男女があった。

 兄妹である。武家だが、徒者ならぬ気配を発している。兄は安吉と同じくらい、妹は二十代だろうが、女の年齢を見抜くのは安吉には苦手だ。

 同道した紹介者があった。九州探題の役人で、安吉とも親しい赤岩大蔵である。彼が、

「楠木兵衛尉(正成)殿のお血筋だ」

 と、二人を紹介した。

「息子と娘です。それがしは三郎」

 男が名乗った。楠木正成の三男である。諱は正儀。父の正成は延元元年/建武三年(一三三六)に湊川で戦死、長男正行と次男正時は正平三年/貞和四年(一三四八)に四条畷で戦死しており、正儀が楠木家の当主となっている。一見、頼りなさげだが、戦場ではこういう男が勇敢であったり、豪傑風を吹かせている男がだらしなかったりするから、見かけはアテにならない。

「これは妹の千早」

 そう紹介された妹は美女である。目には聡明な光が宿っている。これまた見かけはアテにならぬクチだろうか。

 紹介者の赤岩は、

「俺は仕事があるので失礼する。出歩いていると、戻る場所がなくなりそうなのでな」

 さっさと引き上げてしまった。九州は南北朝の勢力分布が混乱しており、統治機関である九州探題もどちらに属するか、変転を繰り返している。中国地方の守護たちの使者も頻繁に往来し、博多には不穏な空気が漂っていた。

 楠木正儀がにこやかに、いった。

「安吉殿は博多で随一の刀工と聞き、訪ねてまいった」

「九州で随一です。いや、西日本で随一かな」

「おや。日本一と自称するのは遠慮されますか」

「日本一となれば、もはや目指すものがなくなります」

「なるほど」

 正儀は頷いたが、傍らの千早は下を向いた。笑っている。正儀はそれにかまわず、用件を切り出した。

「安吉殿は、祖父殿の作だという星鉄刀を御存知か」

「祖父? 国吉のことですか」

 蒙古襲来の頃、博多談議所の国吉とサギリという二人の刀鍛冶が、星鉄を使って二本の太刀を打ち上げた。ともにしばらく行方不明だったが、突然、南北朝騒乱の舞台に登場する。

 元弘三年/正慶二年(一三三三)五月、鎌倉へと進撃する新田小太郎(義貞)は、幕府軍が守りを固める極楽寺坂切通しで苦戦していた。しかし、稲村ヶ崎の海へ太刀を投じて龍神に祈ると潮が引き、鎌倉突入を可能にしたという。

「それが星鉄刀だったと話に聞いています」

 と、正儀は語った。

「それには談議所サギリと銘があったそうです。しかし、星鉄刀は海の藻屑とは消えず、どういう経緯をたどったのか、鎌倉在住の刀鍛冶五郎入道正宗の所有するところとなった。その正宗には優秀な弟子が何人もいたが、特に可愛がっていた一人が故郷へ帰る折、別れ際に左袖を引きちぎって渡し、さらに星鉄刀をも守り刀として持たせたという。以来、その弟子は『左』と銘を切るそうな」

 安吉も「左」とのみ銘を切る。通称が左衛門三郎だからである。刀鍛冶としての通り名は「左文字」だ。

「正宗という刀鍛冶の名前は聞いたことがあります。しかし、私はその弟子ではない」

「では、星鉄刀も?」

「私の手元にはない。それが目当てですか」

「ぜひ、お譲りいただきたいと思い、はるばるやってきたのです」

「それは申し訳ない。しかし、何故、星鉄刀を求められる?」

「その神力、霊力に惹かれております」

「うわあ……」

 安吉は思わず苦笑した。

「神力を持つとお考えか」

「星鉄刀は二本。もう一本の国吉銘の星鉄刀について、御存知でしょうかな」

「う……む」

 安吉は唸った。彼が子供の頃には「談議所国吉」と銘を入れた星鉄刀が自宅にあった。蒙古襲来で戦火にまぎれたのち、いかなる流転を経たものか、古道具屋で見つかり、子孫である実阿、安吉のもとへ持ち込まれた。

 しかし、延元元年/建武三年(一三三六)年、

「都落ちして博多に逃げてきた武士が、言い値で買い取っていきました」

 家族に病人が出て、経済的に苦しい時だった。十七年前だ。安吉が父親に師事し、刀鍛冶の修業を始めた頃である。

「その武士が何者か、おわかりですな」

「足利又太郎と名乗っていました」

「又太郎は通称です」

「諱は……尊氏」

「左様。星鉄刀を手に入れた武士こそは足利尊氏」

 建武三年二月、摂津豊島河原の戦いで新田義貞に大敗を喫した足利尊氏は摂津兵庫から播磨室津に退き、京都制圧を断念して九州へ下った。筑前に至ると、宗像大社の大宮司である宗像氏範の支援を受けた。その折、安吉の師父・実阿を博多に訪ね、星鉄刀を入手したのである。

 南朝方が延元元年と改元したこの年の三月、筑前多々良浜の戦いで菊池武敏らを破り、天皇方勢力を圧倒して勢力を挽回した尊氏は、京に向かう途中の鞆で光厳上皇の院宣を獲得し、西国の武士を傘下に従えて東上。五月の湊川の戦いで新田義貞・楠木正成の軍を破り、六月には京都を制圧した。これが延元の乱である。

 ちなみに内戦を「役」と呼ぶのは天皇の命令という大義名分を持つ戦いであり、「乱」は逆賊による反乱を指す。つまり「延元の乱」とは南朝側の見解であり、結局はいつの時代も「勝てば官軍」なのであるが。

 正儀は悠然と胸を張り、いった。

「尊氏の復活こそ星鉄刀の神力。そういう声があがるのも、むべなるかな」

 一方、この正儀は正平一統後の正平七年/文和元年(一三五二)に北畠顕能、千種顕経らとともに足利義詮を駆逐して京都を南朝方に奪還したものの、反撃に転じた義詮に男山八幡で敗れ、わずか一月あまりで京都を追われている。

 その後も畿内において、南朝方随一の勢力を維持してはいるが、尊氏の前例にあやかり、正儀もまた星鉄刀の神力によって捲土重来を期そうというのである。

「尊氏めは征夷大将軍に任じられ、執事の高師直も副将軍の足利直義も抹殺し、権力を掌中にしている。彼奴の星鉄刀には星鉄刀をもって対抗するべし」

「はあ。星鉄刀を求めておられる理由はわかったが、刀なんぞにそんな御利益がありますかなあ」

 安吉が首をひねると、

「安吉殿は商売が下手ですね」

 千早がいった。柔らかで、心地よく響く声だ。

「新田義貞はサギリ銘、足利尊氏は国吉銘の星鉄刀で武名をあげた。刀には人智を超えた魂が宿る。所有する者はそう思いたいのです。なら、応えてやるのが刀鍛冶というものでは?」

「私は命のやりとりをする武器を作っている。霊験あらたか、などと売り込んで、戦に負けたら私は嘘つきになる」

 それを聞いて、正儀が膝を叩いた。

「なるほど。作刀そのもので評価されるべし、ということか。正宗という刀鍛冶も同様の心根を持つと聞き及びます。他に紛れずという自負から、銘を入れぬとか」

「そうです。その心根……」

 安吉はいいかけ、やめた。

「……ちょっと違うような気もするが」

「いやいや。感服いたした。もう一人の左文字もそのような気概を持つかどうか、会ってみることにします」

「もう一人の左文字?」

「安吉殿の他にも……筑前には『左』と銘を切る刀鍛冶がおりますな」

「太宰府のあたりにそんな者がいるという噂は聞いています。ごく最近、一色氏の庇護を受けて住み始めたようですが、筑前の出身というわけではないらしい」

 建武三年、多々良浜の戦いにおいて南朝方を下した足利尊氏は、九州の守りとして、一色範氏を他の足利一門とともに残している。

 安吉は唸った。

「ううむ。私はその左文字に会ったことはないし、師匠が誰なのかも知りませんが……。何故に『左』と銘を切るのか、疑問には思っていました。正宗の左袖がその由来ですかな」

 自分の作と世間に混同されることがあるので、迷惑には感じていた。しかし、著作権や商標の価値観などない時代である。偽作にも罪悪感は乏しい。

「太宰府の左文字は名を左馬亮とかいうらしい。父祖は馬寮の官人だったかも知れぬ。意図して安吉殿の偽物を作っているわけでもなかろうが……」

 正儀がそういったのに続いて、千早が、

「あちらはあちらで、安吉殿の方が偽者だといっているかも」

 真顔で、本気とも冗談ともつかない言葉を投げた。安吉は顔色も変えない。

「別にかまいません。偽者の方が腕がいいということもある」

「なるほど。失礼しました。むしろ私どもの方こそ、どこの馬の骨やら、胡散臭いですね」

「お二人を疑う気はありません。鉄も人も、見れば素姓はわかります」

 安吉と千早の間には見えない火花が散ったが、正儀は気づいているのかいないのか、能天気に微笑み、いった。

「そういわれると、私どもも安吉殿を疑うわけにはいきませんな」

「三郎(正儀)殿も正直というか、こだわりがないというか、権謀術数に長けていないというか、胸の内を隠せぬお人のようですな」

 と、安吉。これでも褒めている。

「かつて星鉄刀の一本を楠木様と敵対する足利尊氏に売り渡した、そんな鍛冶屋なんぞ信用してもよろしいのか」

「実阿、安吉のお二人が南北朝のいずれにも与せぬ刀鍛冶であることはすでに承知しております」

 訪問前に調べていたようだ。紹介者の赤岩大蔵にも聞いているだろう。

「しかし、太宰府の左文字については、一色範氏の庇護を受けているとすれば、北朝寄りの刀鍛冶なのかも知れませぬなア」

 正儀は屈託もなく、いった。敵かも知れぬ刀鍛冶を訪ねるつもりらしい。もっとも、各地の守護たちも昨日の敵は今日の友という時勢であるが。

「赤岩殿の紹介状もある。まあ、問答無用で殺されることもあるまい」

 正儀は軽薄なまでに陽気だ。行く先に何が待ち受けていようと、それはこの武将の宿命だ。乱世に生きる者は開き直っている。

 千早も何やら浮世離れしているが、兄とはまた別の方向を見ているような印象を受ける。

「では、安吉殿」

 と、彼女はまっすぐ安吉を見つめた。

「新田義貞佩用の星鉄刀が手に入らぬ場合、新たな星鉄刀の制作をあなたに依頼することはできますか」

「さて。国吉とサギリが使い残した星鉄はどこかに転がっていると思いますが……当家も移転などしておりますし、親父などは散らかし放題の性格ゆえ、見つけるのに一日かかるかも。ははは」

「では、一両日中にまた参ります」

 楠木正成の遺児たちはそういい残し、去った。

 見送ったその足で、安吉は父の実阿が居住するボロ屋敷へ向かった。実阿は息子とは別棟に住んでいる。体力を要する刀作りよりも刀子や小刀などの小物を気ままに手がけ、それらに凝った刀装をつけて悦に入っている。

「親父殿。星鉄はどこにある?」

「セイテツって、何だ?」

「空から落ちてきた鉄だよ。蒙古襲来の頃、御先祖が刀を作ったという……」

「ああ。庭だ」

「庭石にでも据えたのか」

「そんなに大きいもんかよ。庭の祠に納めてある」

 庭に金屋子神を祀った小さな祠がある。

「御神体がなくては格好がつかんからな。あれで間に合わせておいた。星鉄で作刀するのか。冴えない刀しかできやせんぞ」

「有り難がる人たちもいる」

「そういや、昔、足利なんとかいう男に売ったな。ほれ、国吉銘の星鉄刀だ」

「その御利益で足利尊氏は京の都を制圧して、天皇を吉野へ追い落とした。それより昔、新田義貞はサギリ銘の星鉄刀の御利益で、稲村ヶ崎の海を渡り、鎌倉の幕府を滅亡させたそうな。だが、刀を海に投じて失ったためか、尊氏と対立し、ついには越前藤島で討ち死にしている」

「サギリ銘の星鉄刀? 長く行方知れずだったが、そんなことになっていたのか」

「流れ流れて、今は太宰府の左文字が持っているかも知れぬそうだ」

「太宰府の左文字とはお前の偽者か」

「向こうは俺の方を偽者といっているかも知れない。楠木正成の子女がそいつを訪ねていくらしい。三男と娘だ」

「ほお。楠木様の娘は美人か」

「そうだな」

「太宰府の梅がこないだ倒れたらしい」

「え?」

「菅公(菅原道真)ゆかりの古木だ。小刀の柄や鞘に使える。梅の木は匂いもいい。お前、もらって来い」

「俺は彼らと一緒に太宰府なんぞへ行きはしない」

「何だ。美女を案内してやるくらいの気を利かせろ。俺の遺言だ」

「死ぬ気配なんかないじゃないか」

 祠の奧を探り、取り出した木箱に星鉄は納まっていた。表面は酸化鉄で真っ黒だが、内部まで朽ち込んではいないようだ。広げた掌にのるほどの大きさだが、これだけで作刀するのではなく、和鉄に混入するのだから、量的には充分だ。

 

 

 翌日、千早が一人で訪ねてきた。壺装束に指貫という外出着である。比較的身分の高い女の身なりだが、指貫は裾を紐でくくる袴で、機能的だ。

「いかがですか。星鉄刀、引き受けていただけますか」

「やりましょう。ただ、太宰府の左文字から入手できれば、私が作る必要はありませんな」

「その場合は、安吉殿には星鉄ではなく、和鉄でお作り願います」

「星鉄の御利益がお望みだったのでは?」

「私は安吉殿の本来の地鉄に面白味を覚えます」

 安吉の実力に興味があるというのか。この姫君は地鉄の良し悪しが判別できるのか。

「これより、太宰府へ向かいます」

「三郎(正儀)殿は?」

「足利直冬様、少弐頼尚様と同盟の相談に忙しく、太宰府へは私一人で参ります」

 足利直冬は尊氏の側室腹だが、父とは対立し、九州北部の守護である少弐頼尚の娘を娶り、上洛の機会を狙って雌伏している。楠木正儀にしてみれば、こうした武将たちとの会談こそが九州を訪れた目的だろう。星鉄刀などは、ついでにすぎない。しかし、千早はそんな兄の気まぐれに振り回されるだけの娘とも見えない。

「太宰府へ……女一人で歩いていかれるのか」

「はい。供など引き連れて歩くのは面倒ですから」

「馬は乗れますか」

「はい」

「私の友人から馬を借りましょう。それなら日帰りできる。安楽寺天満宮(太宰府天満宮)の神官に知人がいるから、案内も頼めます」

「え。安吉殿も同行してくださるのですか」

「太宰府の周辺では、北朝方と南朝方が腹の探り合いをしておりますぞ。楠木様の姫が一人歩きするような土地ではない」

 

 

 天満宮までの道のり、二人はそれぞれ馬を操っていたためもあり、ほとんど口をきかなかった。

 知人の神官は境内を掃除していたが、木の枝を拾い、地面に簡単な地図を描いた。

「刀鍛冶なら、遠くもない高雄山の麓にいるようだ。この天満宮に太刀奉納もしている。お前より世渡り上手だ」

 天満宮から南へしばらく歩くと、洞穴に祠を祀った小さな神社があり、そこから脇道に入った先が、目指す刀鍛冶の住処だった。周囲に他の人家はなく、鍛錬場は屋根に煙突が突き出ているので、すぐわかる。

「世渡り上手な刀鍛冶は仕事をせずとも人の出入りはあるようだ」

 鍛錬場には仕事をしている様子はないが、住居らしき家屋には人の姿があった。武士もいる。安吉と千早に怪訝そうな視線を投げ、誰何した。

「どなたかな」

「刀鍛冶の安吉という者ですが、左馬亮殿を訪ねてまいりました」

「同業者か。死んだ」

「え?」

「左馬亮は死んだ。これより裏山へ運んで埋める」

 庭先の荷車に菰がかけられている。武士はそれを指し、

「死骸だ」

 と、面倒そうに嘆息した。

 庶民に墓などない時代だ。死を悼んでも、弔うという感覚は薄く、死体は山に埋めるか川に流す。簡単なものである。

「何かの病でしたか」

「ふん。見るがいい」

 菰をめくると、着物などは貴重だから、死体は裸である。鍛冶屋らしく腕に火傷の跡がいくつもある。袈裟がけに深い斬り口が開いていた。斬殺である。

星光を継ぐ者ども 第二回

星光を継ぐ者ども 第二回 森 雅裕

 七九郎に納める前に、二本の星鉄刀を拵師へ持ち込んだ。七九郎に納める一本は彼の好みに合わせ、もう一本は標準的な拵を注文した。依頼した職人は名を不二造といい、本業は鞘師だが、刀装全般を取りまとめる練達の工匠である。

 元々は博多の人間なのだが、鎌倉へ出張するかと思えば、ここ数年は京都で仕事をしており、最近になって、地元へ戻ってきた。

 国吉の刀を一目見て、

「何やの。お前、作風変えたんか」

 不二造は国吉の父の良西と同世代で、先輩職人だから言葉遣いはぞんざいである。

「奇っ怪な肌が出とるなア」

 この男の言葉は各地の特徴が入り混じっている。ぶつぶつ小言でもいうように呟きながら、茎の「星光」という添銘に目をとめた。

「ははあ。空の彼方から降ってきた鉄かいな」

「対馬の幸吉さんが持っていた星鉄らしいです」

「サギリの親父か。幸吉さんいうたら……」

 不二造は太刀拵を奧から出してきた。

「あん人から拵を頼まれた刀や。生前やから、もう七年くらい前ということになるけんが、引き取り手がのうなったもんで、俺の道楽として、のんびりやってたら、できあがったのはつい最近よ」

 柄に革を巻き、鞘は黒漆を塗っている。金具も上手で、装飾と実用を兼備した拵だ。国吉が目をとめたのは目貫である。漢字を彫っている。何やら違和感があると思ったら、左右が反転した逆文字だった。

「何だろう、これは」

「目貫に使ってくれと幸吉さんが刀身と一緒に寄こした。注文主から預かったらしいで。書物を刷るための印やろ」

 活字である。蒙古に追われて江華島に遷都した高麗王朝が『詳定礼文』なる書物を金属活字で少部数を印刷したという記録がある。活字も印刷物も現物は残っていないが、とりあえず、これが史上最古の金属活字とされている。

「もとは薄っぺらな銅製やったけんが、裏を補強して、目釘もつけた。注文主は高麗人だったのと違うかな。南宋や日本にはない技術で、高麗の誇りというわけやな」

 膠泥製の活字は北宋にも例があり、のちには蒙古で木製活字も作られたというが、そもそも漢字は膨大な数を用意せねばならないので、活字になりにくい。日本にも鎌倉中期には活字が輸入されているが、江戸時代まで至っても、印刷物は活版ではなく手彫りの木版によるものがほとんどである。

 目貫に使われた活字の表は「本」、裏は「然」である。

「この文字に何か意味があるのかな」

「注文主の名前と違うか。何者かは知らんが」

「高麗人が幸吉さんに作刀を依頼したのか。南宋からの依頼なら、さほど抵抗はないが、高麗となると……」

「大きな声ではいえへんなア。うちでこんなの見たと他言するなよ」

 高麗は文永合戦の十五年前(一二五九)に蒙古の統治下へ入り、その蒙古が日本へ食指を伸ばすにあたり、案内役となっている。文永合戦では、高麗は否応なしに蒙古軍に組み込まれ、先陣として日本へ向かわされた被害者ともいえるが、日本側にしてみれば、対馬や博多湾周辺で非道を働いた加害者である。文永合戦の直後には、幕府は高麗征伐の準備を始めたほどだ。ただしかし、日本と大陸の交易は高麗を経由することも多かったのだから、高麗と対馬の間に民間の往来があっても不思議ではない。

「この拵は、幸吉さんから直接依頼されたのですか」

「うん。というても、本人が対馬から博多までいちいち海を渡ってくるわけないやん。依頼の時は、いつも刀を荷造りして送って来よった。本人の手紙が添えてあったけんが、昔のことで、どこか紛れ込んでしもた。それがどうかしたんか」

 国吉は柄をはずし、茎を見ている。そこには「文永十一年十一月」の年紀が刻まれていた。

 文永合戦はこの年の十月である。戦禍に巻き込まれて死んだなら、十一月に作刀などできない理屈だ。後世には二月または八月と入れるのが慣例となるが、鎌倉中期はようやく一部の刀に年紀を入れることが始まったばかりで、月についてはこだわりも習慣もない。製造年月を素直に刻んでいるはずだ。

 

 

 不二造に星鉄刀を預け、善導寺に戻った国吉は、食材採りから戻った思英をつかまえ、噛みつくように切り出した。

「幸吉さんは文永合戦で高麗軍に殺された……のではないのか」

「え?」

「むしろ、高麗とはよしみを通じていたようだぞ。これはどういうことだ? お前、弟子としてそばにいたなら知ってるはずだな」

「あ……」

「答えなければ、今すぐここを追い出す。腕に抱えているタケノコを置いて、さっさと去れ」

「せっかく掘ってきたんです。一緒に食べてからでは駄目ですか」

「駄目だ」

「一本くらいは……」

「駄目だ」

 国吉は目力が強い。表情を動かさず、一直線に思英を凝視した。

「文永合戦後に作られた幸吉さんの刀を見たぞ。拵の目貫に高麗の文字印が使われていた。『本』と『然』だ。人名だな」

「はあ……」

「これが何者なのか、お前、知っているな」

「金方慶。字を本然といいます。蒙古の支配下に入った高麗の将軍です。文永合戦では東南道都督使、つまり、まあ要するに高麗中央軍の総大将でした。将軍自身が所持する刀と高麗から蒙古へ献上する星鉄刀と、幸吉師に依頼しました」

「その依頼を伝えた使者は……お前か」

「はい」

 国吉が不二造のところで見たのは将軍用の一本だったことになる。その拵を発注したのちに幸吉は死んでいる。もっと早く作るか、もっと長生きしておれば、あの刀は高麗へ渡っていたことになる。

「なるほど、そんな事情があれば、対馬を襲った高麗軍も幸吉さんには手を出さないというわけかな。南宋人には今なお蒙古に抵抗している遺臣がいると聞くが、お前は高麗の使い走りに成り下がったのか」

「私はしがない鍛冶屋ですよ。大きなことは考えず、小さなことにはこだわらず、生きていくしかないんです。私の師匠は南宋の臨安府では知られた鍛冶屋でした。星鉄はその師匠が昔に手に入れて、いつか刀剣に仕立てようと持っていたものです。それを知った金方慶が、自分に譲れと使者を差し向けてきました。しかし、断った師匠は高麗の兵士に殺され、星鉄は奪われてしまいました。金方慶はかねてから日本の刀剣に関心があって、自分の愛刀をまず一本、そしてこの星鉄を用いて、蒙古の皇帝へ献上する刀を日本の鍛冶屋に作らせよ、と私を使者に立てたんです。蒙古が耽羅国(済州島)で抵抗する最後の高麗軍を征討した時期です」

 蒙古の高麗侵攻は四十年以上の長期にわたって行われているが、征服完了となった耽羅の陥落は文永十年(一二七三)。文永合戦の前年である。一方、南宋の首都・臨安が無血開城したのは建治二年(一二七六)であるから、思英が星鉄を託されて対馬へ派遣された頃には、まだ蒙古相手に抗戦を続けている。

「そうか。蒙古の属国となって、東征の準備を始めている高麗からの作刀依頼では、さすがにまずい。だから、南宋人のお前が……」

「蒙古に通じていた南宋高官の書状も持たされました。私も日本刀を学びたかったですし、私の師匠と対馬の幸吉さんは知らぬ仲ではなかった。師匠は対馬を訪れたことがありました」

「その金なんとかいう将軍は、自分用の刀には星鉄を使えと望まなかったのか」

「献上用の星鉄刀は一本限りという注文ではありません。金方慶は刀を作るのにどれほどの鉄が必要なのかも知らない。手に入れた星鉄から複数作れるものなら、作れという依頼……いや、命令でした。そうなれば、蒙古皇帝だけでなく高麗王にも献上し、一本くらいは自分のものにするつもりだったでしょう。それはそれとして、大陸や半島の者たちは、日本刀が優れているのは特別な鉄を使っているからだと考えています。だから、まず自分用には本来の日本の鉄……和鉄で作るように命じたのです。ただ、幸吉師匠は当時、体調を崩していて、その一本は打ち上げたものの、星鉄刀までは手をつけることができませんでした」

「幸吉さんが、お前の正体を見抜けないほどお人好しとは思えないな。ここにいる娘の気性はあの親父から受け継いでる」

「サギリさんは人間悪くありません。幸吉師匠も……」

「あのな、お人好しにあらずというのは誉め言葉だ。幸吉さんは、実は高麗からの注文だと承知していたんだな」

「あの師匠には南宋も高麗もありませんでした。仕事ができればいい、それだけです。根っからの職工でしたから」

「あの人の父親は故人だが、交易でやってきた高麗人だった。つまりはサギリにも高麗の血が入っていることになるが……」

 幸吉が日本の「中央」から離れた対馬で刀鍛冶をやっていられたのも、父親のツテで、大陸や半島に販路を持っていたからである。

 高麗が蒙古の支配下に入るまで、太宰府との間には進奉関係の交易があり、民間レベルでも非公認の往来は行われていた。それは友好的なものばかりとは限らず、海賊行為をも含んでいたが、中継地点となったのが対馬である。

「金方慶という将軍は」

 と、思英は場違いなほど爽やかな声で、いった。

「文永合戦ののち、讒言によって、蒙古に対する謀反の疑いをかけられました。献上する星鉄刀の入手ができなかったことと無関係ではないでしょう。犬のように引き回され、鞭を打たれたあと、島流しにもなっています。しかし、高麗王が冤罪を訴えてかばったため、ようやく許されたと聞いています」

「唐房あたりで仕入れた噂話か」

 博多の租界地には高麗の情報も入るだろう。高麗に駐屯しているのは占領軍である蒙古軍ではなく、やはり蒙古に屈した南宋軍なのである。

「近いうち、金方慶は再び高麗軍を率いて、日本を襲うことでしょう」

「ああ。次は、南宋も一緒になって攻めてくるだろうよ。さてさて、幸吉さんは文永合戦後も生きていた。では、いつ、どうして死んだ?」

「あの年の暮れまで生きておられましたが、高麗に通じていたと疑われたんです」

「その話の流れだと、日本の武士に殺されたことになるぞ」

「はい。そうです」

「それが何故、幸吉さんは文永合戦に巻き込まれて死んだという話になったのだ?」

「知りませんよ。私がそんな話をいいふらしているわけじゃありませんし、国吉師匠にも聞かせていません」
 そうだ。聞かせてくれたのは波多野七九郎だ。

「お前、口止めされていたな」

 七九郎は戦後の処理に対馬へ赴いた武士たちの一人だった。彼は幸吉とは旧知の仲である。幸吉の安否を気遣う国吉やサギリへ、年が明けた頃になってようやく、彼の死を知らせる手紙を寄こした。のちに博多へ戻った七九郎の言によれば、幸吉の鍛錬場を訪ねると、あたりは焼き払われ、そこら中に穴を掘って、死屍累々たる島民たちの骸を埋めていたという。住民が全滅した村落もある。いちいち誰が死んだのか、確かめてなどいられない。当然、幸吉の死体も見つかっていない。連絡が遅れたのは、一縷の望みを持って、捜索していたからだと七九郎は説明していた。

 若ければ奴隷として売られることも有り得るが、幸吉は当時、五十歳を越えていた。殺されたものと考えるしかない。それが七九郎の報告だったのである。だが、嘘だったのか。

「思英。今話したことはサギリにはいうな」

「タケノコ、どう料理しますか」

「サギリと相談してくれ」

「姫皮を捨てるのはもったいないので、胡麻油で炒めて、醤と酒で味付けしようと思いますが」

「もう、好きなようにしろ」

 国吉は何やら面倒になってしまい、思英を台所へ追い払った。鍛錬場の前では、サギリが縁台に座り込んで、何かをかじっていた。収穫したばかりのキュウリらしい。声が聞こえる距離ではないが、食いながら、彼女はじっとこちらを睨んでいた。

 聞こえるわけはない。しかし、胸中を見透かされた気がした。

 

 

 国吉は波多野七九郎を屋敷に訪ね、畑で収穫した青菜などの届け物をドサドサと玄関に置きながら、部屋へ上がり込んだ。

「文永合戦の折、高麗軍は対馬、壱岐で暴虐の限りを尽くしたそうだな」

 国吉はいささか投げやりになっている。疑問を七九郎にぶつけたところで、あまり楽しい答は返ってきそうもない。

 七九郎は強い視線で国吉の言葉を跳ね返した。

「どうした? 今さら何だ?」

 高麗軍のあまりの非道ぶりに対し、日蓮の言葉をまとめた『高祖遺文録』では「当時の壱岐対馬の様にならせ給はん事思ひやり候へば涙も留まらず」と、悲嘆している。

 住民の多くは虐殺され、捕縛された者は奴隷として連れ去られた。女は掌に穴をあけて縄を通し、船の舷側に並べられ、矢を避ける盾とされたという。そうした高麗軍の残虐性は対馬や壱岐のみならず、博多湾の前線でも発揮され、倒れた日本武士の腹を裂き、肝を食ったという話も伝わっている。

「そんな高麗軍が、幸吉さんを生かしておく理由は何だったのかな」

「幸吉さんが生きていた……と?」

「おい。お前とは年少の頃からのつきあいだ。禅僧の何とかいう伝記集には、単刀直入という言葉があるそうだ。それでいこう」

「鍛刀直入? 刀に何を入れるんだ?」

「幸吉さんが高麗の敵でないなら話は違ってくる。逆に高麗のために作刀するような鍛冶屋なら、日本の敵だ」

「日本の武士が幸吉さんを処刑した。うむ。そういう理屈だな」

「それなのに、幸吉さんは合戦に巻き込まれて死んだと、お前が嘘をついた理由は何だ? 誰があの人を手にかけたのか、隠したかったのか」

 七九郎は部屋の縁に出て、庭を見渡した。領地の自邸とは違い、異国警固番役としての役宅であるから、さほど広大ではない。

 七九郎はその庭を眺めつつ、背中を向けたまま、

「俺だ」

 と、明瞭な声を発した。

「俺が斬った」

「……聞くんじゃなかった」

 文永合戦は文永十一年十月である。五日に対馬侵攻が始まり、壱岐、博多へと戦火は拡大したが、月末までには終了している。戦後、対馬へ派遣された鎮西奉行の配下、及び異国警固番役の御家人に波多野七九郎も加わっていた。

「生きている幸吉さんに会った。だが、無事を喜んでもいられなかった。多くの島民が殺されたというのに、どうして生き延びた? むろん、他にも戦禍を逃れた者はいる。そんな近所の住人が、幸吉さんは高麗に通じているのだと訴え出た」

「たとえ、そうだとしても、高麗軍では現場の末端の兵にまで、幸吉さんに危害を加えるなと命令が徹底していたとも思えん」

「そうだな。運よく逃げ延びただけなのかも知れん。だが、あの人の父親は高麗人だったし、作刀を求める高麗の商人が往来することもあった。疑われるのは当然……」

「当然なものか。それは杯中の蛇影というものだ」

「戦のあとだ。誰もが気が立っている。生け贄を出さねばおさまらぬ事態だった。取り調べは異国警固番役の職掌ではないが、幸吉さんはきびしい詮議を受けた。その挙げ句、博多で刀鍛冶をやっている娘もまた高麗に通じているのではないかと疑われる始末だった」

「馬鹿馬鹿しい」

「むろん、俺もそんなことは有り得ぬとかばったが、異国警固番役の組頭は、俺にさえも猜疑心を向けた。そして、潔白を示すために幸吉さんを斬れと俺は命じられた」

「そんな命令に従ったのか」

「責めるか、俺を」

「いや。お前ともあろう者が手を下したなら、それなりの理由があったのだろう」

「幸吉さんは罪人のように身柄を拘束されていたわけではない。仕事場で自裁したのだ。娘は自分とは違う、高麗とは無縁だと遺書を残して……。見つけたのが俺だった。喉を突いても死にきれず、苦悶していた。だから、俺が介錯した」

「そんな事情だから、俺やサギリに幸吉さんが生きているとは知らせられず、死んでからの報告になったか」

「そして、幸吉さんのところで修業中だった思英の身柄は俺が預かることになった」

「つまらん疑惑ごときで幸吉さんを死に追いやっておきながら、思英が無事なのはどういうわけだ? 充分にあやしい渡来人だぞ」

「あれは南宋人だ。文永合戦の当時、南宋も蒙古と戦っている。それにな、対馬に派遣された異国警固番役の組頭は島崎新兵衛という。この男は母も妻も日本と南宋の混血だ。南宋の事情に多少は通じている。鄭思英は鄭思肖という南宋の遺臣の縁者らしい」

「ていししょう……? 何者か」

「詩人にして書家だそうだ。本来の名は知らぬが、南宋の軍兵が蒙古軍に続々と投降するに及んで、この文人は世に背を向け、思肖と改名したらしい。蒙古語を聞くと耳をふさいで逃げ,また坐臥に北向きを避けるなど、悲憤すること甚だしい人物だという」

 のちに鄭思肖は『心史』において、

「倭人狠不懼死、十人遇百人亦戦、不勝倶死。……倭刀極利」

 と、死を恐れぬ日本武士の勇猛さを畏怖し、日本刀の鋭利さに驚嘆すること甚だしい。

「思肖はしばらく消息不明だったが、最近になって、生存していることが唐房(租界地)あたりまで伝わってきた。思英は時々唐房へ出入りもしていたから、その噂を聞いたようだ。すると、それまで俺の領地でおとなしくしていたあいつが、また刀鍛冶の修業を再開したいといい出した」

「ほお。その鄭思肖の名前には、あいつを元気づける何かがあるようだな」

「そういや、名前も思肖になぞらえた思英と変えたんだ。以前は別名だった」

「それで、文永合戦から七年も経った今頃になって、俺のところへ入門してきたか」

「お前やサギリの名前は幸吉さんから聞いていたらしい。腕のいい刀鍛冶だと」

「その言葉は正しいが、思英がいつでもどこでも正直者だということにはなるまいよ」

「そうだな。高麗の金方慶将軍の命を受けて、対馬へ派遣された南宋人だからな」

「お。知っていたのか」

「何年もわが領地に置いていた男だぞ。正体はわかる。しかし、対馬で出会った頃は当然、そんな事情は隠していた」

「斬らぬのか、あいつを」

「実はあいつの真意がよくわからんのだ。まあ、大陸の人間とはああしたものなのかも知れぬが」

「なるほど。納得だ」

 幸吉の死の真相はサギリにはいえぬな、と国吉は考えていた。広義に考えれば、幸吉は合戦に巻き込まれて死んだといっても間違いではなさそうだ。

星光を継ぐ者ども 第三回

星光を継ぐ者ども 第三回 森 雅裕

 弘安四年(一二八一)五月半ば。

「海が馬糞だらけで、釣りなんかできやしない」

 博多湾から戻ったサギリが釣具を放り出しながら、いった。

「警固番どもが血相変えて、右往左往してた。あれじゃ、しばらく海には近づけないよ」

 サギリはのんきな口調だが、国吉は内臓という内臓を締め上げられるような緊張を感じた。

「馬糞が流れ着いたのか。蒙古軍襲来の前触れだな」

 博多の町にせわしなく埃が舞い立っている。避難する人々と戦闘配置につく武士団が交錯し、異敵降伏の祈願、祈祷に熱を入れる社寺もあれば、逃げ出す神職、坊主もいる。往来では、露天商がここぞとばかりに値を吊り上げ、客と怒鳴り合っている。

 五月二十一日、東路軍(蒙古・高麗混成軍)が対馬へ到達し、第二次日本侵攻が始まった。弘安合戦である。

 対馬からの急報が博多へもたらされたのは、星鉄刀の拵の完成とほぼ同時であった。引き取りにやってきた波多野七九郎は、

「避難した方がよいのではないか」

 国吉に提案した。

「今回は石築地を築き、異国警固番役も増強されているから、文永合戦のような侵入は許さぬと思うが、蒙古軍も前回より本腰を入れてくるだろう。油断はできぬ」

 文永合戦における日本側は蒙古襲来を予測しながらも準備不足で、博多への侵入を許し、筥崎の八幡宮も焼かれた。武士の家族、市民も避難が遅れたため、蒙古軍の捕虜となる人々が多かったのである。

「避難といわれても、行く先なんかないしなア」

 国吉は楽天家ではないが、深刻に考えるのが面倒という性格だ。刀剣以外のことに頭が働かないともいえる。

「俺の領地へサギリだけでも逃がしたらどうだ?」

 七九郎はそういったが、

「彼我の刀剣の働きを戦場で実見できるせっかくの機会を逃すような女じゃない。文永合戦の折には、蒙古軍が捨てていった刀剣や皮甲を拾い集めて、調べていた。今回の合戦も千載一遇の機会だと手ぐすね引いている」

「そうか。そうだな」

 完成した星鉄刀を七九郎に渡した。拵の金具は鉄で揃え、華美ではないが、頑丈な造作である。

「この鐔、うちの家紋の縦二引両を透かしてあるのは結構だが、飾りっ気がないな」

「質実といってくれ。その鐔は星鉄を加えて、サギリが作った。お前のために」

「なるほど。気に入った。これを佩いて合戦に臨む」

 七九郎は代金を置き、持参していた包みを視線で指した。

「これをサギリに渡してくれ」

「何だ?」

「ただの土産だ」

「自分で渡せ。鍛錬場にいる」

 七九郎を鍛錬場へ行かせ、国吉は研ぎ場へ足を運んだ。砥石の面直しをやっていた思英が、声をかけた。

「星鉄刀は波多野様に納めたのですね」

「ああ」

「もう一本は?」

 サギリが鍛えた星鉄刀も拵に入れられている。物騒なので、完成品は床下に隠してあった。

「欲しがる武士はいくらでもいる。すぐ買い手がつくさ」

 鍛錬場からサギリが現れ、火造りをすませた短刀をがちゃがちゃと数本、床に放り出した。七九郎は帰ったらしい。

 国吉はいきなり訊いた。

「何を話した?」

 七九郎と、である。サギリは炭塵で汚れた顔を洗いに出ていき、戻ってくると、愛想もなく答えた。

「何も。新しい小袖を一枚くれただけだよ。合戦が始まるって時に、着飾ってどうしろっていうの」

「戦場から離れていろということだ」

「離れてどうするんだよ。私ら、刀を作ってなきゃただの徒ら者だよ。年貢や課役をめぐって、地頭や預所と駆け引きする百姓のような才覚もない」

 

 

 蒙古軍の動員数には諸説あるが、文永合戦においては蒙古・漢の混成軍が二万、高麗軍に女真軍を加えた六千、それに水夫など含めた総計三万二千人。軍船は大小合わせて九百隻程度とされている(実数は一万数千人に百数隻とする説もある)。

 弘安合戦においては蒙古・高麗を主力とする東路軍が四万から五万、軍船は九百隻、南宋軍を主力とする江南軍十万に軍船三千五百隻、総計十四万から十五万人、四千四百隻という空前の大遠征軍が編成された(この途方もない数字にも疑問の声がある)。

 鎌倉幕府への「脅し」であった文永合戦と違い、今回は日本移住を予定し、船団には牛馬や農具まで積載する用意の良さ……というより能天気さであった。ただし、寧波で軍容を整えた江南軍の出航は六月半ばまで遅れ、まず日本へ殺到したのは東路軍である。

 迎撃する日本軍は文永合戦で一万にすぎなかったが、弘安合戦では博多に四万、長門に二万五千と結集し、瀬戸内海から京都にかけて予備軍六万も配置されていた。

 六月五日から六日にかけ、博多湾に現れた東路軍は上陸を試みたが、海岸線の石築地と日本武士団の頑強な抵抗に阻まれ、博多湾入口の志賀島へ進路変更した。日本軍は守勢から攻勢に転じ、これに夜討ちをかけた。

 国吉は沿岸のあちこちを見て回った。蒙古軍の軍船が湾を覆い尽くし、日本軍が守る石築地には数千もの旗が翻り、盾がびっしりと並べられている。夜は篝火が焚かれ、壮観であった。

 博多の町は戦場となっていないが、善導寺にも武士団の一部が宿泊しており、鍛錬場には曲がったり刃こぼれした刀が修理に持ち込まれ、寺というのに血なまぐさい喧騒と無縁ではなかった。

 そんなある朝、国吉は息ができずに目を覚ました。サギリが現れ、彼の鼻をつまんでいた。

「……何だ?」

「思英が朝餉の支度に現れない。部屋にもいない」

「お前がいじめるから逃げた……わけではないよな」

「あいつ、仕上がった刀を床下に仕舞ってあったこと、知ってるね」

「そりゃ、あいつには隠したりしなかったから……。え?」

「私が鍛えた星鉄刀、なくなってる」

「盗んで逃げた? やはりお前への意趣返しか」

「二、三回殴っただけだ。あ、手鎚も投げたか」

 国吉は薄明るい窓の外を見やった。静かな朝だ。

「あの刀が人手に渡る前に、どうしても欲しかったと見えるな」

「高麗の将軍への土産かい」

「どうしてその話を知ってる?」

「だから、殴ったといったろ。殴りつけて聞き出した」

 この女のいうことは本当か冗談か、わからない。たぶん本当だろうが。

「しかしな、あいつは鄭思肖とかいう蒙古嫌いの南宋人の身内らしい。素直に高麗の使い走りをするとも思えんのだが」

「あいつの真意がどうであれ、異国人がどこへ逃げる? 帰国するにしても、どう海を渡る?」

「協力者がいるな」

 国吉とサギリは顔を見合わせた。考えることは同じだった。

「唐房だ。行ってみよう」

「私はここに残る」

「戦火から鍛錬場を守るのか。無理はするなよ」

「いや。ここなら博多湾が目の前だから、合戦見物には都合がいい」

 そうだろう。鍛錬場には蒙古軍の剣や鉾が転がっている。開戦早々、サギリが戦場から収穫してきたものである。遺棄された武具など拾い歩く戦場泥棒が多いため、武士団に見つかると追い払われてしまうのだが、彼女はどういう才覚があるのか、手ぶらでは戻らない。

 

 

 櫛田神社の周囲には唐房が広がっている。異国風の家屋が並び、大陸の衣裳をまとった住人たちが往来している。今は怒号が飛び交い、荷車を押したり引いたり、騒然としている。内陸へ避難するらしい。

 この唐房は国吉には馴染みの町である。弘安二年(一二七九)の夏、蒙古への服属を勧告するため「宋朝の牒状」を持参した南宋人の使者たちが斬られ、晒しものとなった時、唐房の南宋人が死体の埋葬を願い出た。それを鎮西奉行にかけあい、太宰府の許可を取りつけたのが波多野七九郎であり、埋葬場所を善導寺に交渉したのが国吉だった。死者に墓を作るのは上流階級だけに限られているこの時代であるから、簡単な土饅頭を盛っただけだが、南宋人に感謝された。南宋が滅亡する前には、国吉に作刀を依頼し、大陸へ送っていた唐房の商人もいる。

 国吉が訪ねたのはそうした知人である。梁希正という雑貨商で、唐房では顔役ともいうべき老人である。

 訪ねた国吉に対し、無愛想ではあるが、シワの中に埋もれた目は柔和だ。

「博多上陸をあきらめた蒙古軍は志賀島を占領したようだな。海を埋め尽くすほどの大船団だとか」

「その大船団も補給が続かねば飢えるのみ。蒙古軍には不利な戦いだ」

 七年前の文永合戦とは違う。日本本土への上陸が果たせねば、蒙古軍は疲弊、消耗するのみである。

「鄭思英という男を探している」

「ふむ。あなたのところに南宋人の弟子が入ったという話は聞いている。修業に耐えかねて逃げたか」

「以前、唐房の女と一緒にいるところをうちのサギリが見ている。若い娘など多くはなかろう。心当たりあるか」

「見つけたらどうする? 師弟の縁など、刀鍛冶らしくスッパリ斬って捨てろ」

「出ていくなら、師匠である俺にきちんと挨拶をさせる。それだけだ」

「ふむ。薬屋の娘だよ。思英とはよろしき仲のようだが、結婚の約束をしているわけでもない」

「そりゃ、将来が不安な思英だからな。で、どこだ?」

「牌楼の脇に小さな禅寺があるだろ。その裏手の狸の置物がある家だ」

「狸?」

 路地をめぐると、教えられた家はすぐわかった。狸の置物など見当たらないので少々迷いそうになったが、入口に置かれた奇怪な形状の陶器がそれなのだろうと解釈した。

 薬屋と聞いたが、店内は古道具屋みたいに雑然としていた。老人と若い娘が何やら激しく言い争っていた。国吉を見るなり、老人は奧を指した。娘は止めようとしたが、裏庭に出ると、そこに建つ小屋に思英がいた。

「やはり、来ましたね、師匠」

「こんなところで船を待っているのか。合戦が終わるまで、博多津(港)は使えまい」

「博多を避け、唐津の港に交易船が入っています。私はそちらへ向かうつもりです」

「土産は星鉄刀か。もう一振り、高麗の何とかいう将軍のために対馬の幸吉さんが作った刀は拵師のところにある。そっちは盗み出さないのか」

「金方慶へ届けるつもりはありません」

「星鉄刀は高麗から蒙古への貢ぎ物ではないのか」

「いえ。星鉄刀は心の清廉な者にこそふさわしい。南宋の鄭思肖へ届けます」

「それがお前の真意か。南宋人であることを忘れたわけではなかったんだな」

「取り戻しますか」

「いや。もともと星鉄はお前の国の師匠が持っていたものだ。返してやるよ。その刀に使った星鉄はほんの一部にすぎないが、お釣りがくるほどの手間をかけて、サギリが作ったものだ」

「サギリさんは怒りますね」

「お前はサギリをわかっていないな。お前の裏切りを怒るよりも悲しむ女だ」

「お代というわけじゃありませんが、玉石を置いてきました」

「ほお。ま、早いところ博多を離れることだ。俺やサギリが許しても、お前は入門を世話した波多野七九郎の面目をつぶした」

 国吉は背を向けた。思英は拍子抜けしたようだ。

「あの、師匠。それだけですか」

「うむ。お前の真意を知りたかっただけだ。高麗の使い走りを弟子にしたとあっちゃ、談議所国吉の名折れだからな。唐人(南宋人)の意地を忘れてないなら、無礼な別れも許してやるよ」

 思英は彼の後ろ姿に向かって深々と頭を下げたが、国吉は見ていなかった。

 

 

 善導寺に戻ると、サギリは鍛錬場とは別棟の工作場で、修理に持ち込まれた刀の曲がりを直していた。欅の台の上で、銅鎚を使って叩くのである。

「思英は見つかった?」

「見送ってやった。唐津から船出するようだ」

「どこから船出しても安全とは思えないけど。博多が石築地に守られていれば、蒙古軍は他に上陸できる場所を探すでしょう。長門へ向かった船団もあると聞くよ。で、思英が持ち出した星鉄刀は?」

「土産にくれてやった」

 サギリは仕事の手を止めない。

「くれてやったと聞こえたけど」

「うむ。そういった」

「はああ?」

「南宋の文人への土産だ。蒙古や高麗の武人の持ち物になるわけではない。まあ、よかろう」

 サギリが手にしていた銅鎚を投げつけたが、国吉はかろうじて避けた。

「作ったのは私だよ。タダ働きするほどの余裕はないだろ、この貧しい鍛錬場には」

「お前に玉石をくれたそうじゃないか。奴にしてみれば代金のつもりだろう」

「玉石? そういや、私の部屋に何か置いてあったな」

「何か装飾でも彫り込んであったか」

「いや。草色のただ四角い石のカケラだった。砥石にしちゃ小さいけど、研ぎ場に放り込んでおいた。貴重なものなのかね」

「お前は……和氏の璧という話を知らんのか」

「何? それ」

「大陸の戦国時代、秦王は趙王の持つ玉石を十五の城と交換しようと申し出た。しかし、秦王が約束を守らないので、趙の使者は命がけで玉石を持ち帰ったという。この故事から完璧という言葉が生まれ……聞いているのかっ」

 サギリは部屋から出ようとしている。ぼそり、といった。

「御家人どもは志賀島の蒙古軍を攻め立てている。七九郎殿は無事に戻れりゃいいが……」

「合戦は始まったばかりだ。七九郎がそう早々と死ぬものか」

 国吉がいい終わる前にサギリは姿を消していた。

 

 

 七月八日から九日にかけ、志賀島の東路軍は海と陸の両面から日本軍の猛攻を受け、両軍とも大きな損害を出しつつ、東路軍は壱岐島へと後退した。ここで、江南軍の到着を待つのである。しかし、江南軍の出撃は六月半ばまで遅れ、しかも主力は壱岐島ではなく平戸島を目指した。江南軍が平戸島の近海へ到着したのは六月末。日本軍数万が壱岐島の東路軍へ総攻撃をかけた頃であった。

 壱岐島の戦いは七月に入っても続いたが、東路軍は江南軍と合流するため、壱岐島を放棄して、平戸島へ移動。蒙古軍四千四百隻という数字が正しければ、先頭が博多湾に入っても、後方は平戸島や五島にあり、東シナ海を航行中の船もあるという大船団である。

 七月二十七日、日本軍船がこの蒙古軍船を襲撃し、大きな損害を与えたため、蒙古軍は博多への侵攻戦略を見直し、ここは一旦、伊万里湾口の鷹島へ上陸して、防塁を築いて守りを固めた。その大船団は海上に停滞している。

 対馬襲撃で始まった弘安合戦は、日本本土への上陸を果たせぬまま、すでに三か月。弘安四年七月三十日はグレゴリオ暦なら八月二十二日である。これが蒙古軍の命運を決めた。

 この日、夕刻から湿気をたっぷりと含んだ風が吹き荒れ始めた。時折、これに天の底が抜けたような雨が混じった。

 国吉が隙間風の吹き抜ける鍛錬場で、雨漏りを避けながら道具類を整理していると、

「嵐になりそうだよ」

 野菜を荷車に収穫してきたサギリが、いった。

「畑が被害を受ける前に収穫してきた」

「鍛錬場の破れ窓に板を打ちつけたいが、善導寺の物置小屋にあった材木は警固番役に供出されて、もう残ってないんだ」

「じゃあ、物置小屋の床板でもひっぺがしてくる」

 この女ならやりかねない。国吉は止めなかった。

 翌日は閏七月一日(弘安四年は閏年のため七月が二回)である。暴風は一日荒れ狂った。蒙古に帰服した高麗、南宋が建造させられた軍船は、日本の軍船よりも構造的に進んでいたが、江南軍(南宋)の船は船大工が手抜きしたといわれるほど脆弱で、荒れ狂う海で衝突し、多くが沈没、漂流した。

 翌七月二日には空は晴れ渡ったが、伊万里湾から平戸島まで埋め尽くしていた大船団の威容は消え、累々たる死骸が沿岸一帯に漂着した。しかし、蒙古軍は台風によって一夜にして壊滅したわけではない。兵士の大部分は鷹島に上陸している。蒙古軍船四千四百隻のうち残ったのは二百隻というが、この数字に信憑性は乏しい。

 残存する蒙古軍船に対して、日本軍船は接舷攻撃を繰り返し、合戦の趨勢は決した。武士団の一部は補給や再編成のために博多へ戻り、町に安堵の空気が流れ始めた。

 そんな時、波多野七九郎が善導寺の鍛錬場へ現れた。開戦以来、初めての訪問である。頬がこけ、目許が険しくなっている。

「土産だ」

 と、戦利品を置いた。蒙古軍から分捕った皮甲である。国吉は笑ったが、それは意味ありげな苦笑だった。

「これは面白い。試し切りに使える。蒙古軍の兜や刀剣はサギリが拾ってきたが、さすがに死体から皮甲を脱がすのは気が引けたらしく、手に入れていない。あいつがいうには、お前が気を利かせて分捕ってくるだろうと。以心伝心だな」

 日本武士団の大仰な甲冑に比べ、蒙古軍は機能的な皮革製の戎衣である。その防御力には、国吉もサギリも刀鍛冶として、大いに興味があった。

 七九郎は佩刀を国吉の前に置いた。

「お前の星鉄刀はよく働く。働きすぎて、ボロボロだ」

 抜いてみると、刃こぼれだらけである。一体、何人の血を吸ったことか。

「私が研いであげるよ」

 サギリが茶を持ってきた。この時代には禅僧の間で飲まれており、碾茶の原型というべきものである。これを置き、サギリは傷だらけの星鉄刀を取り上げた。

「研師が施すような肌合いには仕上げられないけど、実用には間に合うよ。待っていておくれ。柄も傷んでいるようだから、応急処置をしておく」

 研ぎを待つ間、国吉と七九郎は酒を酌み交わした。国吉は軽く後悔していた。思英のことだ。

「もう一振りの星鉄刀が残っていたら、お前に渡してやりたいところだが」

「話は聞いている。思英が持ち逃げしたそうだな。すまぬ。俺がお前に押しつけた男だ」

「いや。こちらこそ、お前から預かった男を消息不明にしてしまった。あいつ、無事に大陸へ戻ることができたかどうか……。海の藻屑かも知れん」

 七九郎はサギリが修復した星鉄刀を携え、日暮れ前には善導寺をあとにした。国吉は途中まで送った。夕陽が彼らの正面にある。

「国吉。お前、サギリを嫁にせんのか」

「あいつは俺の身体の一部みたいなもので、女として見ると面倒な気がする。お前こそ、合戦から帰ったら、嫁にするがいい」

「俺はあいつの父を殺した」

「そんなこと、おそらくサギリは知っている。知っていても、お前の無事を願って、鐔を作り、刃こぼれを研ぎ直した」

 善導寺の境内を出て、博多の町につながる広場へ出た。七九郎は戦場にならなかった町並みを眺め渡した。

「博多の神職や坊主の中には逃げた者も多いようだが、社寺からは相変わらず祈祷、祈願の声が聞こえるな」

「蒙古軍の敗走が濃厚になったもんで、勝利に乗り遅れまいと戻ってきたんだ。自分たちの祈祷や祈願がわが国の勝利を呼んだことにしたいのよ。蒙古船団を襲った嵐こそは日本が神の庇護する国である証し、神風だと吹聴して回っている者たちもいる」

「朝廷や幕府に勝利が伝われば、国をあげて、神風だと喧伝されることだろう」

 まだ合戦は終わっていない。鷹島で、最後の掃討戦が行われる。蒙古覆滅が京都に伝わるのは閏七月の半ばである。

「明日、また出陣だ」

 七九郎の声はどういうわけか遠くに聞こえた。すぐ横にいるが、夕陽に染まったその表情から顔色は読み取れない。

「七九郎よ。勝ち戦だ。無理はするな」

 国吉はせいぜい明るく声をかけ、町の雑踏の中にこの旧友を見送った。

 

 

 閏七月五日、蒙古軍は撤退を決定した。この日、伊万里湾に残存していた蒙古軍の軍船は日本軍によって掃討され、将軍、指揮官たちは我先にと帰路についたが、船数が不足していたため、十万の兵士は鷹島に置き去りであった。

 閏七月七日、この敗残兵の群れは日本軍最後の総攻撃にさらされた。一連の掃討戦で日本軍にも少なからぬ損害が発生したが、蒙古軍は壊滅し、二万から三万の捕虜を出した。そのうち、蒙古人、高麗人、漢人は那珂川で処刑されたが、唐人(南宋人)は助命し、奴隷としたという。ただし、この定説も史実と確認されたわけではない。

 合戦が終わっても、波多野七九郎は帰還しなかった。国吉は七九郎の屋敷を訪ね、彼が戦死したことを教えられた。伊万里湾で敵船に斬り込みをかけた時である。海へ落ちたらしく、死体は収容されず、星鉄刀を含めて遺品も回収されなかった。

 善導寺へ戻ると、鍛錬場ではサギリが力自慢の修行僧を向こう鎚に回して、鍛錬をやっていた。人手が足りない時は寺坊主に依頼するのである。国吉がどう声をかけたものかと逡巡していると、

「何?」

 フイゴを操作しながら、彼女の方から射抜くような視線をぶつけてきた。国吉は反射的に口走った。

「七九郎が討ち死にしたそうだ」

「知ってる。凱旋した警固番役の武士から聞いた」

「お前という奴は……」

 炭塵でサギリの全身は黒ずんでいるが、目は恐ろしく光っている。一直線に国吉を睨み、いった。

「何? 泣くの? 胸を貸そうか」

「汗と埃を洗い流してから、いってくれ。湯屋を見てくるから」

 入浴が一般的ではない時代だが、善導寺には湯屋がある。もっとも、鍛冶仕事で真っ黒なまま入浴するわけにいかないので、軽く水浴びしてから湯屋へ向かう習慣である。

 国吉は鍛錬場を離れ、西の空を見上げた。七九郎を最後に見送った日と同じ夕陽が博多の町を包んでいた。夏が終わろうとしていた。

星光を継ぐ者ども 第一回

星光を継ぐ者ども 第一回 森 雅裕

 蒙古・高麗の連合軍による二度の日本侵攻を「元寇」と呼ぶのは、徳川光圀が編纂した『大日本史』が最初だという。鎌倉・室町時代の日本の文献では「蒙古襲来」「異賊襲来」「異国合戦」などと表記し、こうした外敵に対しては「異賊」「凶徒」と呼称した。また、文永十一年(一二七四)の第一次侵攻は「文永合戦」、弘安四年(一二八一)の第二次侵攻は「弘安合戦」と表記されている。

 一方、蒙古や高麗の文献では、日本侵攻を「東征」「日本之役」などと表現している。

 

 

 博多の善導寺は聖光上人の百日説法が行われたことにより、談議(義)所という別名を持っている。ここに鍛冶場を構えて「談議所国吉」と銘を切る刀工があった。名は九角国吉。豊後国彦山(のち英彦山)の山伏鍛冶の流れを汲み、のちに得度して「西蓮」と称し、子に実阿、孫に左衛門三郎安吉(左文字)を持つことになる人物である。

 弘安四年の春、この男はまだ二十代半ばで、独り身であった。その国吉を波多野七九郎が訪ねてきたのは、雪さえ降りそうな底冷えの日だった。

 七九郎は七年前の文永合戦で武功のあった鎮西(九州)御家人である。国吉とは幼馴染みであった。

「この鉄で太刀を打ってもらいたい」

 と、七九郎が持ち込んだのは表面が黒く焼けた鉄塊だった。片手で持てるほどの大きさで、鉄というより表面が溶けた岩塊に見える。

「星鉄だ」

 隕鉄である。この大きさの塊は国吉も初めて見た。

「出所は?」

「対馬の幸吉さんだ」

 幸吉も刀鍛冶で、国吉の父である良西とは山伏鍛冶の兄弟弟子になる。つまり国吉から見れば叔父弟子にあたる。故郷の対馬で鍛刀していたが、対馬は文永合戦で蒙古軍(実態は高麗軍)に蹂躙され、虐殺、略奪の場となった。幸吉も巻き込まれて生命を落としている。

「幸吉さんが持っていた鉄か」

「霊力の宿る星鉄で、鍛刀したいと考えるのは刀工として自然なこと。またそんな刀を武士が求めるのも当然」

「本当に霊力が宿るものならな」

 文永合戦の際、七九郎は博多で戦い、戦後処理のために対馬に出張している。彼は国吉の父や一門の者たちと少年の頃から親しんでいるから、対馬の幸吉とも知らぬ仲ではない。

「幸吉さんはどこから入手したんだ?」

「文永合戦の少し前に、南宋の家臣から、この鉄で刀を打ってくれと持ち込まれたらしい。南宋はすでに滅亡した」

 注文は宙に浮いたのだから、星鉄は七九郎が私有してもよかろうという理屈であるらしい。

 蒙古の第一次日本遠征である文永合戦の五年後(一二七九)に、南宋は蒙古によって滅ぼされており、その後は一部の遺臣が細々と抵抗を続けている状態である。

「それからもうひとつ、お前に頼みがある」

 七九郎はうしろに控えていた若者を振り返った。

「南宋の鍛冶で、鄭思英という。南宋の使者として、星鉄を持ち込んだのはこの男だ。そのまま対馬に居着いて、幸吉さんのもとで修業していた。言葉はできる。わが国の刀剣を勉強したいという。お前のそばに置いてやれ」

 宋と日本は平安中期から交易し、民間貿易も盛んであった。北宋が南宋にかわったのちも、日本の武家政権が禅宗を保護したこともあり、商取引ばかりか渡来僧までもが往来した。鎌倉中期以降、幕府はこうした野放し状態に統制を加え始めるが、南宋人は博多に租界地を持っており、渡来者はほとんど男であるため、日本人妻を持つ者も多く、混血の娘を妻とした日本の武士もあるほど、よしみを通じていた。

 日本刀は重要な輸出品目の一つである。製法に興味を持つ南宋の鍛冶屋がいても当然ではあるが、刀鍛冶はきびしい徒弟制度の世界である。

「南宋人に刀作りを教えてやれと?」

「幸吉さんが仕込んでいるから、一通りの仕事はできる」

「幸吉さんも物好きだなあ」

「お前も物好きでは人後に落ちまい」

「刀鍛冶をやっていること自体、物好きだからな」

「文永合戦から七年、俺の領地に鍛冶場を作って、野鍛冶などやらせていたが、せっかく日本に来たのだ。刀を作らねばつまらんだろう」

 鄭英思と紹介された男は板の間に頭をこすりつけ、挨拶した。

「よろしくお願いします。どうぞ、おそばに置いてください」

「おいおい。大仰に頭を下げるほどの人間じゃないぞ、俺は。いたきゃそのへんにいろ。しかし、ろくでなしだったら、すぐに追い出すぞ」

 国吉は思英の入門を許し、七九郎が去ったあと、

「来いよ。この寺に居候しているもう一人の刀鍛冶を紹介しよう」

 と、善導寺の外へ促した。境内を出て、町並みの裏通りを抜けると、博多湾の眺望が広がっている。

 蒙古の再襲来に備えて、石築地の工事が進められていた。香椎から今津まで、延々五里にわたって博多湾を守る石塁である。

「幸吉さんのところにいたなら、サギリのことは知っているか」

「幸吉さんの子ですね。博多で、刀鍛冶やってる……。そう聞いていますが、会ったことはありません」

「あそこにいる」

 石築地の突端に座り込む人影があった。岸壁から乱杭の中に釣り糸を垂れている。寒空の下で、体格もわからぬほど厚着しており、頭巾までかぶっている。

「おい。引いてるぞ」

 国吉が声をかけても反応せず、背後から肩を押すと、ごろりと寝転がってしまった。国吉は釣竿をつかみ、魚をたぐり寄せながら、いった。

「寝てる。迎えに来なかったら凍死したかもな。これがサギリだ」

 がっ、とその釣り人は立ちすくむ思英の腰元をつかみ、這い上がるように身を起こした。

「寒い。三途の川で渡し賃が払えずに泳ぐ夢を見た。帰る」

 呻くようにそういい、立ち上がった。頭巾の下は長い髪を団子にまとめている。

「女人……ですか」

 呆気にとられる思英に、国吉は冷たく頷いた。

「誰も男だとはいってない」

 国吉は魚籠を水中から引き上げ、思英に押しつけた。中身が重い。

「善導寺で魚を調理するのですか」

「嫌なら食わなくてヨシ」

 と、先を歩きながらサギリがいった。

「ところで……誰?」

 サギリは振り返りもしないが、国吉は傍らの思英を紹介した。

「今日から入門だ。鄭思英という」

「南宋人? 物好きな」

「以前にはお前の親父殿のところで修業していたそうだ。物好きは俺だけじゃない」

「私が物好きだというのは、その南宋人だよ。他にも鍛冶屋はいるのに国吉さんの弟子になるなんて」

「俺はな、鎮西じゃ一番といわれる鍛冶屋だぞ」

「私が手伝ってるおかげでしょ。いくら腕がよくたって、仕事の選り好みしてるから、食べるにも困って、こうして海で食材を調達する日々じゃないか」

「波多野七九郎から格別の注文があった。これで金が入る」

「貧乏しながら刀を作っても、ろくなもんできやしないよ。思英とやら、これから釣りはあんたにまかせる。それから、善導寺の裏手には畑もあるんで、野良仕事も頼んだよ」

 サギリは筒袖を重ね着し、下は括袴という男の身なりだ。その後ろ姿を追いながら、思英は首をひねった。 

「あの、サギリさんは国吉師匠にどうしてあんな口をきくのですか」

「姉弟子だからだ。年齢は下なんだが」

 サギリは、よそのメシを食ってこいという幸吉の方針で対馬を離れ、国吉の父である良西に師事した刀鍛冶である。以来、博多で鍛刀しているので、彼女は対馬の戦禍は免れた。一方の国吉は武家の養子になっていた時期があり、刀鍛冶の修業を始めたのはサギリより遅い。ただ、武家として得た人脈が今も役立っており、波多野七九郎も少年時代からの仲間である。

「女の鍛冶屋では眉をひそめる者もいる。だから、善導寺鍛錬場の代表は俺ということになっているが、サギリの腕は京都の鍛冶屋にも負けぬ」

 鍛冶屋が信仰する金屋子神は女神とされ、人間の女に嫉妬するため鍛冶場は女人禁制であると格式張る者もいるが、気に留めない職人も少なくない。鎌倉時代は儒教に感化された江戸時代などに比較すれば女の地位が高い。

 善導寺に戻ると、鍛錬場に隣接して、国吉たちの住居が建っている。国吉は下の階で、サギリは二階というより屋根裏で暮らしていた。裏に炭小屋があり、その二階を思英に与えた。

 

 

 翌日、彼らは鍛錬場に入った。

「これが星鉄か」

 サギリは黒い鉄塊を手に取った。父の幸吉が残した隕鉄である。

「表面が溶けて黒いのは、天から落ちてくる時に燃えたのか」

 人類最古の鉄器は隕鉄製だという。製鉄技術が生まれたのちも、天空から飛来した隕鉄が、権力や儀礼の象徴とされた刃物と結びつくのは自然なことだった。正倉院にも隕鉄製と見られる刀子が所蔵されている。

「この星鉄、どうにか細工をしようとした様子はないね」

 と、サギリ。

 鉄はそれぞれ性質が異なるから、いきなり作刀には使えない。新しい素材を入手した鍛冶屋は様々な実験を行う。それほど大きな星鉄ではないので、実験には限度があるだろうが、一部を切り取って、伸展性、鍛着性、焼入れの感度など調べねばならない。だが、切り取った形跡もないのである。

 思英が説明した。

「この星鉄、幸吉師の鍛錬場の神棚に飾ってありました。手をつける前に師匠は殺されました」

 文永合戦の少し前に、南宋の家臣から、この鉄で刀を打ってくれと持ち込まれた……。七九郎はそういっていた。だが、思い出してみると、国吉にはその言葉が胸のどこかに引っかかる。

 その理由を考えそうになったが、サギリが火床に炭を入れ、仕事の準備を始めているので、国吉の思案は中断した。

 仕事はこの鉄を切り分けることから始めた。木工用の鋸さえも充分に発達していないこの時代、金属用の金鋸などないから、火床で赤めてタガネを入れて割り、叩いて潰した。柔らかい鉄である。ボロボロにヒビが入り、薄く伸ばして割ると、その割れ口が汚ない。

 国吉は落胆した。

「こいつは性の悪い鉄だな。不純物だらけだ」

 しかも炭素が含まれていないので、焼きは入らない。卸し鉄の処理で吸炭させる手もあるが、それでも良質な鋼とはなりそうもない。星鉄といえば神秘の霊力を漂わせているが、刀鍛冶から見れば、有難くも何ともない厄介な鉄である。単独では刀の材料とはなり得ない。

 赤めて叩いても、作刀に使う鋼のような火花は飛ばない。酸化しないのである。棒状に伸ばしていくと、パラパラと鱗片みたいに表面が剥がれ落ちる。普通の鉄なら金肌(酸化鉄)であるが、隕鉄の場合は小さなカケラなのである。

 サギリはこれを拾い集め、

「鋼にこのカケラを少しだけ混ぜ込むしかあるまいよ」

 と、こともなげにいった。

 つまり、大部分は既存の鋼である。隕鉄は肌模様を出すために混入するだけだ。

 問題は混入する量と折り返し鍛錬の回数である。比較的多めの隕鉄と少なめの鍛錬で、短刀を試作した。その結果、どんよりした肌とぼんやりした刃文しか出なかった。しかも傷っぽく、名刀とは程遠い。しかし、この実験で太刀を作る見当はついた。

「芯鉄を入れた方がよさそうだな」

 国吉はそう判断した。鎌倉中期の日本刀には芯鉄を入れない丸鍛えもあるが、これは鍛錬の折り返し数を二、三回にまで減らして、表面酸化による鋼の目減りを少なくした製法である。肌は出やすいが、傷もまた出やすい。

 国吉としては、きれいな地鉄の中に隕鉄の模様を出したかった。折り返し鍛錬の回数を増やせば地鉄はきれいになるが、多すぎてはせっかくの肌が出なくなるので、下鍛えは鋼のみを六回折り返し、上鍛えはこれを短冊に切って積み重ね、伸ばして折り返す際に隕鉄のカケラをはさみ込み、そののち、やや高温で四回だけ折り返して鍛錬した。これが皮鉄である。芯鉄は通常の刀と同様で、炭素量の少ない鋼を四回折り返した。

 肌を出すことを想定し、刃文は直刃を焼くことにする。乱れ刃だと肌にからんで汚い場合があるし、研ぐ際に砥石の上で暴れ、肌を出しにくいと考えたのである。

 直刃であるから、造り込みは乱れ刃に金筋や砂流しをからませることを狙った本三枚ではなく、甲伏せとした。

 国吉とサギリで一本ずつ、計二本を打ち上げたのは三月であった。先手は交替でつとめ、思英も参加した。彼は大鎚をふるうばかりでなく、朝の掃除、夕のかたづけ、仕事の準備、それに釣りや畑仕事など、いちいち指図せずともよく働く。

 蒙古の再襲来にそなえて刀の需要も増しており、国吉たちも意に染まぬ依頼は受けぬとはいえ、忙しい日々を過ごしている。思英は役に立つ男だった。

 彼を食材調達のため釣り場へ送り出したあと、

「思英は一通りの鍛冶仕事はできる」

 サギリが、ぽつりといった。星鉄刀の鍛冶押しをやっている。その傍らで、国吉は自分の刀の曲がりを直していた。

「なのに、いつまで日本にいる気なんだろう」

 独り言かと思ったら、国吉に話しかけているらしいので、

「帰るべき南宋はもうない」

 そう言葉を返すと、サギリは無表情に呟いた。 

「国は滅んでも、故郷は残るだろ。家族や友人知人もいるはず」

「日本にも友人知人はできただろう」

「そういえば」

 サギリは鍛冶押しの手をまったく止めずに、いった。

「先日、櫛田神社の近くで思英を見かけた」

「あいつ、日本の神を信仰しているのかな」

「何いってるんだよ。唐房(租界地)のすぐそばじゃないか」

「唐房に知り合いがいてもおかしくないからな。会いに行ったんだろう」

「どんな知り合いなんだか」

「お前、声をかけなかったのか」

「かけたさ。女と会う前には炭の汚れくらい洗い落とせって」

「何だ。女と一緒だったのか」

「唐房のまだ若い娘だった。まあ、どんな仲なのかは知ったことじゃないけど」

 サギリは勘の鋭い女だ。というより、性格が悪くて気軽に人を信じない。思英に何か不穏なものを感じているのか。

 南宋はもはや友好国ではない。そもそも、国そのものがない。故国が消滅した南宋人にとって、租界地も居心地のよいものではなくなっている。

 弘安二年(一二七九)には、蒙古に下っていた南宋の将軍・范文虎が高麗を経由せずに日本へ使者を送り、蒙古への服属を勧告したが、幕府はこの使者たちを京都にも鎌倉にも行かせず、博多で斬殺してしまった。

 一方、文永八年(一二七一)に中国の代表国家「元」となった蒙古と日本は戦争状態にありながらも政経分離で、交易は行われていた。いつの時代も世界は経済原理で動くのである。

 

 

 昨年末から、蒙古の再襲来はこの夏の初めだろうという噂が流れていた。夏が近づき、博多の町は緊迫の日々を送り、寺社は異国降伏を祈願している。

 外から戻った思英が、いった。

「善導寺の本堂から洩れ聞こえる読経も、声に力がこもっているようです」

「文永合戦では筥崎宮も焼かれたからな。あんなことは御免だと祈りたくもなるだろうが、御利益があるなら、そもそも何で焼かれる?」

 と、国吉。サギリはもっと辛辣だ。

「まあ、合戦に勝利すれば、祈願のおかげだと幕府からお褒めにあずかりたいんだよ、どこの寺社も」

 罰当たりな発言に、思英は周囲を見回し、声をひそめた。

「お二人は神仏を信じないのですか」

「信じてるぞ。ただ、頼らないだけだ。まあ、たまには頼りたくなるがな」

「日照りが続いて、畑が干上がりかけた時、雨乞いしたものね」

「あれは御利益あったな。あはは」

 そんな二人にかまわず、思英は鍛冶押しを終えた刀を覗き込んだ。二本の星鉄刀はこの段階でも地肌が明瞭だった。強く光る糸状の模様が随所に走っている。

「すごいものですね」

 思英は感嘆した。

「しかし、このような肌模様に武器としての意味があるのですか」

「折れず曲がらず、という条件を求めて硬軟の鉄を混ぜ合わせ、鍛え回数を減らした結果、肌が現れるわけだ。しかし、芯鉄を入れるなら、皮鉄は鍛え回数を増やして、きれいに作ってもかまわないことになるな。ただ、この肌の『景色』を愛でて、肌にからむ刃に『働き』を見出すのが日本人の感性だ」

「はあ……」

 それから一月半ほどのち、研師の手を経て、二本の星鉄刀は完成した。出来のいい方を七九郎に納め、残りは陰打ちとするつもりだが、どちらがいいとも決めかねる出来だった。

 国吉が鍛えた一本は冴えているが、隕鉄模様がおとなしい。サギリの作は今ひとつ冴えないが、地肌は派手だ。ただそれは、あえて比較すればの話であって、ほとんど差違はなかった。

 七九郎の屋敷へ持参し、彼自身に選ばせた。見るなり、七九郎は唸った。

「なるほど。これは普通の刀ではないな。強い光が幾筋も走っている。星光の太刀とでもいうべきか」

「いっておくが、霊力など期待するな。この刀にそんな力があるなら、作者には大金が支払われるはずだ」

「刀を生かすも殺すも持ち主次第だ。しかし、代金に色をつけてやる。星鉄はだいぶ余っているだろう。あれをお前にくれてやる」

「どうせ、お前が持っていても仕方のないものじゃないか」

 七九郎は二本を比べ、国吉の作を選んだ。

「陰打ちはお前の方で好きにしろ」

「仕方ない。どこかの長者に売りつけるとするか」

 刀を持ち帰り、二本に銘を入れた。「談議所国吉」である。サギリが鍛えた刀も普段は代表者である国吉の銘を入れることが多いのだが、今回の陰打ちには彼女が「談議所サキリ」と刻んだ。そして、二本とも「星光」の銘を添えた。