「雙」第22回

雙 第22回 森 雅裕

「助広殿。由比正雪に関心がおありか」

「隠し銘が入った刀を見ました」

「ほお……。見聞を広められたようだな」

「気づいてみれば、正雪という文字の中には止雨殿の名前が含まれていますね」

 餡を練る止雨の手は止まらない。

「人騒がせな刀があったものよな」

「湯島天神の離れ社から出たようです」

「あれだけの謀反を準備するには、人や物を隠匿する場所も必要ではあろうな。処刑された正雪一味の中には、湯島天神の神職が数人含まれていたという話もある。連座のとばっちりを食っただけかも知れぬが……。一味はことごとく死んだゆえ、埋蔵したきり回収する者もいなかったのかな」

「捕縛を逃れて生き残った者もいるでしょうが、刀の埋蔵は知らなかったということも有り得ます」

「あるいは、いずれ何かの役に立つかも知れぬと埋蔵したままにしておいたか」

「何かの役……といわれると?」

「取り引き材料」

「何の取り引きです?」

「謀反人が身を守るための切り札ということ。正雪一味には何の庇護もないのだからな」

「よくわかりませんが、止雨殿のお言葉、一味に同情的に聞こえます」

「由比正雪という人物は、瞳がふたつある双瞳だったという噂だ」

「は……?」

「瞳の外周が色変わりしていて、瞳が二重のように見える、いかにも謀反人らしい異相のことだ」

 止雨は巨大な餡ヘラを操りながら、顔を助広へ向けた。

「私の瞳はどうかな」

 何も変わったところはない。大きく輝いてはいるが。

「双瞳という噂……ですか」

「そう。あくまでも噂だ。もはや伝説の人物だからな」

「止雨殿は――」

 正雪とは呼べない。

「どういう経緯で、この山野様のお屋敷に寄寓なさっているのですか」

「山野殿は年上ではあるが、私の門弟の一人だった」

 菓子作りの門弟ではあるまい。兵法の門弟だ。つまり、かくまわれたということか。近所の住人も避けて通る人斬り加右衛門の屋敷なら、隠れ家にはふさわしいかも知れない。数千とさえいわれた正雪門下生のほとんどは謀反に関与していないのだ。

「正雪という大罪人は死んだことになっている。一族郎党、友人知人、地方で息を潜めていた者までも探し出され、ことごとく磔、打ち首となった。処刑の日、鈴ヶ森刑場へ親と一緒に引かれていく小さな子供は切縄を首にかけられ、玩具を手に持って、大人たちが乗った馬について歩いていた。先頭の幟や捨札が桜田門外を過ぎても、後続は麹町土橋(半蔵門)あたりに見えた。前代未聞の処刑だった。由比正雪は腹を切るべきだったが、考えが変わった。墓を建てることもかなわぬ死者たちを供養するために生きる。わずかに捕縛の網を逃れた残党もいたが、一切、つながりは絶った」

「すると、あれが……」

 助広は格子窓の外を指した。苔生した庭に据えられた小さな石碑は墓がわりの慰霊碑なのか。

「毎日、自作の菓子を供えている」

「それだけが菓子師となった理由ではありますまい」

 まるで、ここにいない他人の境遇を噂するかのようだった。

「そうよな。食は人の一番の楽しみだ。しかし、菓子はなければなくても生きるに差し支えない。そんなところが止雨という人でなしの性には合っている。とはいえ、菓子は本来、社交饗応のためのもの。それを求める大身武家、富裕商人どもが、私を世捨人にはしてくれなかった」

「清風残月を友とする境地に至ることが死者への供養ではありますまい」

「そうだな。なりふりかまわず、とにかく生きることが、お上に対して大罪人が勝つことになる」

「それは、生きたいがための言い訳ではないのでしょうな」

 助広にしては遠慮のない言葉だった。明らかにしたい気持ちが強かったのだ。止雨こと由比正雪が卑怯未練な小人物ではないということを、である。

 止雨は、

「言い訳には違いない」

 大鍋を火から下ろし、滴る汗を拭った。

「私には、まだ生きて見守らねばならぬものがあるのだ」

 誰にだって、そんなものはあるだろう。助広はこの男を非難すべきなのか、同情すべきなのか、わからなかった。もう会うことはないだろう。それが少しく名残り惜しかっただけだ。

「どれ。求肥餅をいただいてみよう」

 止雨は助広の土産をひとつ口へ運んだ。

「求肥は葛粉と米粉に黒砂糖や赤砂糖を使うので、色が汚なく、牛の皮のようだというのが語源だ。白砂糖を使ってみたらどうかな」

「そんなもの、私ごときは見たこともありません」

 そもそも、砂糖が広く普及するのは徳川吉宗以降のことである。

「あの娘は餡に自信があるといっていたが……それだけのことはある。柔らかく煮ている」

「小豆の余熱で砂糖を溶かすのだとか」

「うむ。そうせねば固くなるからな」

「ほお。止雨殿もそうされますか。あの娘は母親から教わったらしいですが」

「良き母親のようだ」

 そんな会話を交わしていると、山野加右衛門の門弟が現われ、声をかけた。

「佐倉堀田様の御用人・盛田権十郎様がお見えです」

「おお。お通ししてくれ」

 止雨は品よく口を動かしながら、助広を見やった。 

「堀田上野介様のお屋敷へ呼ばれている。下総佐倉の殿様だ。その迎えです。昼過ぎの約束だが、御用人は菓子作りの様子を見たがって、いつもお早い」

「私も江戸に在住なら、通ってみたく思います。私の女弟子はなかなか料理の才があるようですから、気が向いたら、指導してやってくださいませ」

「かなわぬな、それは」

 にべもなかった。しかし、

「弟子にはとらぬが、あの娘に土産をお持ちなさい。先日、いっていた花林糖だ」

 止雨は作業場の奥から、紙袋を取り出した。

「それから白砂糖も差し上げる」

「ありがとうございます。求肥に飴と餅があるように、かりんとうにも種類があるようでございますな」

「植物の花梨の砂糖漬けもあるが、お宅の女弟子に所望されたものとは違う。花林糖の字をあてるのは、信長、秀吉公の頃にオランダから渡来した菓子です。小麦粉に水飴など練り合わせ、油で揚げて、黒砂糖の衣をかけてある」

「山野様にはお嬢様がおありだったそうですが、もしや、そのお嬢様がお好きで、御自分でも作ることがあったというのではないでしょうな」

「……かも知れぬな」

 止雨の前を辞した助広は、花林糖を袂に入れた。庭先で、供侍を連れた壮年の武士とすれ違った。助広は足を止め、頭を下げたが、相手は見向きもしなかった。

 着替えをすませた山野加右衛門は、すでに玄関に出ている。助広の先に立って歩き出した。まるで、助広は従者である。

「堀田家の用人が来たな」

「はい。止雨殿をお屋敷へお連れするようです」

「ふむ。堀田上野介様はこのところ、何かと止雨をお召しになって、話し込まれておるようだ」

 下総佐倉城主・堀田上野介正信は老中であった堀田加賀守正盛の子で、外祖父は大老をつとめた酒井讃岐守忠勝、実弟は信州飯田城主の脇坂中務少輔安政である。名門の出だ。ただ、正信自身は幕閣に列せられない不遇であった。

 正信はかつて、困窮した家臣が盗みを働いた時、盗心を起こさせる禄しか与えなかったのは自分の責任だととがめることをしなかった。そんな人物であるから、明暦の大火で被災した窮民を見るに及び、精神が屈折していく。

 のちの芝居や講談では「義民」佐倉惣五郎(宗吾)の怨霊の祟りで発狂したことになっているが、例によって、真実ではない。もっとも、堀田家の後裔はこの芝居を民百姓をおろそかにしてはならない戒めとして、見物するよう家臣たちに通達したという逸話も伝わるが。

「上野介様は幕政を批判――というより、幕政に失望しておられるようだ」

「止雨殿が幕政批判を焚きつけていると……?」

「いや。止雨は菓子の話しかせぬ。しかし、人は止雨と一緒にいると、妙な血が騒ぐらしい」

「山野様も、ですか」

「わしは人ではない。人斬りだ。だから、止雨を預かることができる」

 加右衛門は助広を振り返った。

「おぬしはどうだ?」

「いささか」

「血が騒いだか。よかったな。それは人である証だ」

「では、止雨殿本人は人ですか」

 加右衛門はもう振り返らない。

「人なものか」

 確かに。一族郎党、友人知人、すべて死なせた男だ。菓子作りを始めたのも、霊前への供物として、だ。これが人のやることか。

 寒々しかった。しかし、始まったばかりの秋の陽差しは、風物景色を焼くだけの夏よりも、地上を輝きで満たしている――。

 この年の九月、堀田上野介正信は、公儀の悪政のために窮乏している幕臣に分与するべく、自身の所領十一万石を返上する旨、保科肥後守正之と老中の阿部豊後守忠秋に書き残して、無断で領地の佐倉へ帰った。

「輔導の人、其の道を得ず、麾下将士、窮乏の淵に臨み、四海庶民、罷弊塗炭す。――依って今は我伝ふ所の封邑を収め、以て諸士の恩給に充てん」

 これにより、所領を没収され、配流先を信州飯田、若狭小浜、阿波徳島と転々とし、延宝八年(一六八○)五月、将軍・家綱が没すると、その家綱が禁止した殉死を遂げることになる。徳川政権の安定期に入ったはずが、平和な時代は武家の経済にほころびを生じ始めていた。

 

 伊達綱宗は外桜田の上屋敷を脱け、隅田川を上る。吉原へ繰り出す「淫酒」仲間が上屋敷を訪ねることはさすがにできず、汐留の船宿で合流する手はずだった。すでに伊達家の家臣数人が先着し、迎える支度をしていた。

 安倫もいた。助広に同道した山野加右衛門には目礼したが、言葉は助広にだけ向けられた。

「お待ちしておりました」

「そういうからには、茶菓でも用意してあるのかね」

「もちろん」

 安倫は自信ありげに菓子器を差し出した。経巻に似た巻き形の菓子が入っている。

「江戸で今、評判の助惣です」

 助惣焼きといい、要するに麩焼きである。餡ではなく味噌を小麦粉の皮で包んでいる。

「麹町まで行って、買ってきました」

「山野様。どうぞ」

 助広が加右衛門に回すと、愛想のかけらも洩らさずに口へ運び、その表情のまま、いった。

「うまい」 

「止雨殿の菓子に慣れて、舌が肥えていらっしゃる山野様がお誉めになるとは、たいしたものでございますな」

 助広の言葉にも加右衛門は眉さえ動かさず、呟いた。

「小麦粉を水でこね、平焼き鍋に胡桃の油を塗り、少しずつ広げて薄く焼き、その中に胡桃を刻み込んだ山椒味噌、砂糖と芥子を入れ、包んで焼く。それが助惣だ。昔、義経が奥州へ落ちのびた時、弁慶が銅鑼を残した。それを使って焼いたので、銅鑼焼きの名で呼ばれることもある。千利休が茶席で好んだという。したがって、こんな煎茶よりも濃い抹茶が合う」

 この頃の煎茶は今の番茶に近い。

 唖然としている安倫を睨み、加右衛門はむっつりと続けた。

「止雨から聞いた。麹町の助惣も待乳山の米饅頭も止雨が作り方を教えたものだ。いずれ、もっと江戸に流行る」

「……なるほど」

「饅頭は象の好物という。ただし、餡は入れぬそうだ。それも止雨からの受け売りだ」

 濃い抹茶を用意させましょう、とは安倫はいわなかった。

 やがて、綱宗の一行が到着した。目通りの前に、

「お腰のものを預からせていただきます」

 侍臣が声をかけた。

 加右衛門と安倫の刀は船宿の壁に造り付けの刀架けにある。安倫は今もまだ武家の身なりだった。彼らは脇差をも腰から抜き、差し出した。相手が貴人の場合は脇差をたばさむことも許されない。助広はこうなることを予測していたし、常時帯刀する習慣もないので、来た時から丸腰だった。

 綱宗が入ったのは江戸湾に面した奥座敷である。彼らが招き入れられると、入れ替わりに侍臣たちは部屋から出た。

 綱宗は扇子を使いながら、相変わらず眼差しを遠くに遊ばせていた。

「陸奥守様。此度は――」

 助広が綱宗の隠居逼塞について遺憾の言葉を発しようとすると、

「ああ。よせよせ」

 素早く制した綱宗の視線が、

「その方は――」

 と、加右衛門に焦点を結んだ。

「山野加右衛門永久にございます」

「ああ。人斬りか」

 別に侮蔑ではなく、まっすぐに育った貴人には遠慮が欠けるものらしい。

「お前が試し斬りを断わった脇差は、ここに差しておる」

 綱宗は腰にある脇差の柄を叩いた。

「もとは伊達の家臣で、わが父の代に禄を離れたと聞いておる。今日は何じゃ。助広の警護か」

「陸奥守様の御器量を見極めにまいりました」

「噂通りの愚かな殿様かどうか……か」

「今に噂ではなく、真実として定着しかねませぬ」

「町で流行っている戯れ句があるらしいな。――貞女には困り果てたと三浦いい。大名が恐いものかと高尾いい」

 身請けされた山本屋の薫が、三浦屋の高尾ということにされている。高尾は土佐光起もその絵姿を描くほどの傾城であったから、面白おかしくその名が使われたのだろうが、前年の万治二年には没している。

 なのに、

「高尾からはっきりわかる江戸の張り」

 などと、高尾は田舎大名に買われることを拒んで殺された、という巷説が疑われることもなく、流布し始めていた。

 すでに綱宗は伊達家当主の座を追われており、こののち、いわゆる伊達騒動が起こると、世間の想像力は一層、無遠慮となる。

 江戸後期の儒者・山田蠖堂(かくどう)は『三叉江』という詩に、

「木蘭舟中、蛾眉ヲ斬ル」

「遺恨ハ知ラズ深サ幾尺ゾ、三叉ノ水、終古碧ナリ」

 と、惨劇を詠んだ。

 斬殺されたのは三派(三叉・三股)つまり両国橋と永代橋の間で、死骸は永代橋へ漂着し、それを祀ったのが高尾明神(のち高尾稲荷)だという。

 しかし、永代橋西岸に高尾明神はあるにはあるが、起源については諸説が伝わり、これは京都から勧請したもので、事件以前から存在しているから、後世の付会にすぎないともいう。第一、永代橋が架かったのは元禄十一年(九年とも)のことで、万治三年より三十八年後である。永代橋創架と時を同じくして、近くに仙台伊達家の下屋敷が建てられることから、こじつけたものとする推論もある。

 無責任な作り話は続く。伊達家には柴舟と銘する伽羅の香木が秘蔵されていたが、綱宗はその伽羅で作った下駄をはいて、吉原へ通い、高尾の体重と同じ重さの黄金で身請けした――。

「たきものをはきものにする御放埒」

「歩くたび壱弐両ずつ下駄がへり」

 こうして、綱宗は笑いものとなる。そこまで予想できないにしても、批判の目が向いていることに気づかぬ綱宗ではあるまい。世間の目だけではない。仙台伊達家内部、それに公儀の目である。

 伊達家家老・茂庭定元は「色々御諫言ヲ尽サルトイヘドモ、御行跡宜カラズ」と記録している。老中・酒井忠清のみならず、綱宗と縁戚につながる徳川頼房(水戸城主)、立花忠茂(筑後柳川城主)も意見を加えたが、無駄であった。

「逼塞を命じられているこのような折に、吉原へ繰り出されますか」

 すでに隠居とはいえ、大名を諫めるのだから、山野加右衛門はたいした度胸である。だが、綱宗は静かに目の前の男たちを見据えているだけだ。

「政事(まつりごと)は性に合わぬ」

 江戸育ちであるから、田舎大名でもなければ洗練されていないわけでもないこの青年だが、悪評に甘んじて、名誉を捨てるつもりか。

「一夜会わねば千夜の思い。おぬしらも覚えがあろう。今日は吉原の紋日じゃ。この日は馴染み客の面目として、薄雲太夫を余人には渡せぬ」

「陸奥守様」

 助広は、いった。

「私をお誘いになったのは、いかなるわけでございましょうか」 

「一言ではいえぬ。船で話そう」

 

 巨船ではない。柱を立て、屋根の下には幕と簾をめぐらせているが、大名の船にしては目を見張るほど豪奢でもなかった。槍も立てない。

「仰々しいのは好まぬ。見栄を張るのも遊び心ではあろうが、それでは家臣や領民どもが困る」

 とはいうものの、綱宗は楽しそうだ。

「しかし、伊達者の面目もあるでな。恥ずかしくない船に乗らねばならぬ」

 長い屋根の下は二室に仕切られている。一室には、綱宗と助広だけが着座した。綱宗がそう指示したのだ。

 加右衛門、安倫は隣室にいる。綱宗の侍臣が二人、外に控え、預けられた刀を傍らの刀箱にまとめている。綱宗は他に五、六人の侍臣を伴っているが、彼らはもう一艘に分乗した。身辺の世話や警護のためではなく綱宗を見張るのが役目だろう。

 船が川面を滑り出し、風が部屋を流れ始めた。

「助広。安倫から聞いたぞ。脇差の銘がわしの名と気づいたか」

 その脇差は今、綱宗の腰にある。

「虎徹師との合作でございますな。つまり、陸奥守様は以前から虎徹師とお知り合い。あの刀鍛冶が興里か興光か、薫ことすみの殿を吉原から身請けして、今さら面通しさせるまでもなく、陸奥守様にはおわかりのはず」

「にもかかわらず、あの虎徹をお前に疑わせようとした。その理由は……?」

「酒井雅楽頭様に、興里虎徹は死んだと思わせること。雅楽頭様はいかなる理由でか、虎徹師の消息が気がかりらしゅうございます」

「見当はついておるであろう。雅楽殿が虎徹に執着する理由は――」

「由比正雪」

「ほお」

 綱宗はまぶしげに目を細め、微笑んだ。

「正雪は莫大な軍資金を湯島天神境内に隠したという噂がある。知っておるか」

「軍資金は存じませぬが、小石川堀普請の折、発見された刀は拝見いたしました。尾張柳生拵に納まっておりました。しかし、錆びて抜けなかったため、作柄も銘も確認されぬまま、本阿弥光温師へ手入れをお命じになられましたな」

「む。いわくありげな埋蔵刀だったゆえ、捨て置くこともできず……。柳生兵助とやらの趣向による拵らしいが、いずれ数奇者どもに広まるにしても、今の江戸で知る者は少ない。迂闊であった。もっとも、あのように腐った拵、仔細に目が届くものではなかったが」

「拵をこわしはしたものの、本阿弥がこれを抜くと、虎徹師と合作者の銘が刻まれておりました。以前から虎徹師と交誼ある陸奥守様のこと、察するものがあったのではございませぬか。合作者はその名を出すことさえはばかる由比正雪であると……。しかし、本阿弥が黙っているわけはありません。本阿弥には隠し銘が解けずとも、幕閣には切れ者がいらっしゃる。問題の刀は……酒井雅楽頭様の知るところとなった」

「拵も尾張柳生のものと知れた。天下の謀反人のうしろだてと疑われたのは紀伊様であったが、実は尾張様にこそつながりがあった……というわけじゃな。拵は虎徹と正雪の合作刀に、尾張のどなたかが交誼のしるしとして、柳生に命じ、あつらえさせたもの。となると、尾張と正雪の交誼とはどのようなものであったのか、虎徹に糾問が及び、追及されかねぬ」

「疑惑が迫るのを、指をくわえて見ている尾張様ではありますまい。柳生兵助様も刀を回収するために動いておられます。もはや手遅れとなりましたが」

 何度か助広の前に兵助が現われたのも、むろん偶然ではないのだ。

「左様。だが、手遅れだからこそ、尾張は幕閣に働きかけねばならなかった」

 と、綱宗は認めた。

「会津中将――保科肥後殿に、な。尾張は幕閣がかつて行なった闇の政策の片棒をかつぎ、秘密を共有する仲。互いに封印すべき過去を持っておるのじゃ」

「闇の政策……とは?」

「闇は闇じゃ。政事には裏というものがある。いずれお前も聞くことがあるかも知れぬ」

 聞いたところで、気持ちのいい話ではなさそうだ。

「すべては湯島天神の社殿で錆びた刀が発見されたことから始まった。正雪一味の主立った者も滅び、埋蔵したことも忘れ去られた。慶安の変以来、少なくとも九年の間、埋蔵されていたことになる。何故、正雪一味は禍根となり得る刀を破棄しなかったのかのう」

「さあ……」

 止雨はいっていた。取り引き材料と。しかし、その意味など考えようともしないのが助広だ。その目を綱宗は微笑みながら覗き込んだ。

「天神様に謀反の願かけのために奉納したわけでもあるまい。おそらくは尾張に裏切られた時にそなえての……」

 保険、と現代ならいうだろう。

「正雪と尾張のつながりを裏づける切り札であろう。畢竟、両者は信義で結ばれた盟友ではなかった、ということよ」

 何の庇護もない謀反人が身を守るための切り札とも止雨は語った。その切り札は今も有効だったのだ。

「社殿からは、刀以外にも何か出たのでございましょうか」

「表沙汰にできぬものが少々。これも正雪一味が秘かに隠したものであろう。尾張大納言の書状でも見つかれば話はわかりやすいが、謀反人どももそこまで迂闊であるはずがない」