骨喰丸が笑う日 第二十六回
骨喰丸が笑う日 第26回 森 雅裕
鏡子は押形を手に取って、首をかしげた。
「さかなかげ……。面白い作者銘ですね」
「兼」を「魚」に似た書体に銘を切る刀鍛冶は多い。それを承知しているはずの登録審査員さえもが登録証の刀銘欄に「和泉守魚定」などと書き込むことがある。
徳志は笑っている。
「普通なら『うおかげ』と読むでしょうが『さかなかげ』とはユニークですね。しかし、兼景です。僕の父の刀工名です。本名は才藤志郎。元禄の頃に作州津山から赤穂へ移封された森家に従い、移住した刀工の末裔と称しています。『骨喰丸が笑う日』原作者の母里さんは森家の分家の末裔らしいですが、これも何かの因縁でしょうか」
母里音平の名前がこれ以上出ないうちに、絵衣子は会話に割り込んだ。
「この短刀も子を思う親心がこめられているんでしょうか」
「作品のすべての押形をとっておく刀鍛冶もいますが、父は何かしら思い入れがある作刀だけ採拓していました。仕事場でこの押形を見つけた時、これは何かと尋ねたら、わが子のための懐剣だとヌケヌケと教えてくれました。懐剣なら女の子でしょうね。僕には妹がいるらしいです。会ったことはありませんが」
「そうなんですか」
「僕の母の死後、よその女の人との間に娘ができたんです。もっとも、うちの父は適当というかデタラメというか無頓着というか、能天気で勝手で自由な男ですから、どこまで本当なのか冗談なのか、わかりません」
「随分と並べましたね」
「いくらでも並べられますよ。借金は踏み倒すわ、他の職人と取っ組み合いの喧嘩はするわ、ふらりと旅に出て何か月も帰ってこないわ、実に迷惑な人物でした。しかし、癌で倒れると、見知らぬ御婦人方が大勢見舞いに見えました。その中に娘の母親はいなかった。どんな事情があるのか、もはや昔話なのか、絶縁したようです」
「お父様は御病気なんですか」
「末期です。愛人のところに転がり込んで、入退院を繰り返しているようですが、もう長くないでしょう。その愛人というのは僕の妹の母親とは別人です。ややこしい話です」
嘲笑の響きはあるが、徳志の明るさを見ると、父に対しての恨みや憎しみはないようだ。
「相手の女の正体は教えてくれませんでした。お前の刀がコンクールで特賞でもとったら教えてやるよ、といってましたが」
「……特賞取れなかったんですか」
「賞については僕にも言い分がありますが、長くなるのでやめておきます。
「あはははは」
空気も読まずに絵衣子は声をあげて笑い、鏡子に脇を小突かれた。しかし、徳志は絵衣子よりもさらに大きな声で「あははは」と屈託なく笑い、いった。
「この短刀は妹が持っているのでしょうが、今どこでどうしているのかわかりません」
「短刀の年紀がその子の生まれた頃なら、私たちと同い年くらいのようですが」
と、絵衣子。
「なるほど」
と、鏡子はおかしな相槌を打った。タカラジェンヌの感性は少々ズレている。
「わざわざこういう押形をお持ちになって、見せてくださるんですから、父親のかつての愛人とその娘を探したいというお気持ちなんですね。家族の絆を確かめ、末期癌で余命幾ばくもない父親に心置きなく最期を迎えてもらうため……ですよね」
「そうハッキリいわれると、身も蓋もないですが」
「いえ。感動してるんです」
鏡子は良くも悪くも真っ直ぐな娘なのである。多くのタカラジェンヌがそうであるように世の中の悪意というものを味わうことなく生きてきた。絵衣子はそんな鏡子を保護者目線で見てしまう。男役と娘役は現実の生活では娘役が諸事万端をリードするのである。
徳志は鏡子の目の輝きに勇気づけられたのか、手近な紙に漢字を書きながら、言葉を続けた。
「『いもんのぼう』はこのように……倚門之望と書くことが一般的ですが、骨喰丸の鞘書きと父の短刀の彫刻は倚門而望となっています。まあ、戦国策の原文では後者なんで、この文字を使うのはこだわる性格で几帳面といえますね」
両者の一致は偶然なのかと彼は疑問に思っているらしい。鞘書きを書いた絵衣子の実父・母里音平はこだわりと几帳面な性格のために敵ばかり作っている男ではある。
「うーん。偶然の一致なのか……不思議ですね」
絵衣子はまったく不思議そうでもなく、そういった。彼女も素っ頓狂なタカラジェンヌではあるが、何人か集まる場では全体を冷静に見渡す性分である。そもそも刀剣にさほどの興味はない。
徳志は空気を読めない男ではないらしく、
「すみません。何やら縁を感じたもので、つまらない話をしてしまいました」
頭を下げて、話を打ち切った。絵衣子はもう少し話に乗っかってやればよかったかと後悔した。
帰路は夕刻だった。姫路から神戸方面へ向かう電車の中で、鏡子は遠い眼差しで暮れなずむ車窓を見ていた。金色の髪にすらりと背筋の伸びた立ち姿は誰の目にもタカラジェンヌだ。その姿を見ていると、絵衣子には音楽学校入学式の翌朝の記憶が甦った。
「三人で青い顔して、電車に乗ったよね」
寮から脱走した鏡子を絵衣子と佑里で連れ戻し、通勤通学時の混雑した電車に乗った。今は佑里が急な休演で周囲をあわてさせ、鏡子が「路線」として嘱望されている。奇妙なものだ。
「あの時……鏡子はどうして脱走したのか、考えたりしなかった。そんな余裕もなかったし」
前触れもなしにいきなり切り出した話題だが、鏡子は理解した。これが同期というものだ。
「ホームシックということで、かたづけられたやないの」
「うん。でも……あなたは理事の娘だよ。血筋に恥じない優等生だった」
それだけではない。あとで知ったことだが、鏡子は花組組長の姪でもあった。つまり、鏡子の母親と華斗詩音は姉妹なのだ。
「そんな子が最初の夜に脱走なんて、釈然としないやね。父親に対して、何か反発でもあったのかな、同期の私たちは漠然とそう感じてはいたけれど、遠慮もあって、追究はしなかった」
「私の立ち姿に見とれながら、そんなこと考えてたん?」
「こうして電車に乗ってたら、ふと思った」
「あの時は家に急用ができたから、ということにしといてよ」
「学校や仲間よりも優先する急用?」
「子供だったねぇ」
その一言で鏡子は話題を打ち切った。
宝塚という時代錯誤な封建社会に放り込まれた少女たちは、同期と助け合わなければ何もできず、同期と助け合えば何でもできることを音楽学校の二年間で叩き込まれ、常に連帯責任の意識を持たされる。それが劇団の思うつぼの生徒操縦術であるとしても、彼女たちの結束は固い。同期の絆は退団後も生き続ける。
鏡子はそんな伝統を入学前から熟知していたはずだ。同期愛よりも大事な「急用」とは何だろう。疑問を抱いた絵衣子だが、感覚的な娘なので、思考は長続きしない。車内にこもる喧騒に包まれるうち、何を考えていたのかも忘れてしまった。
電車を降りて宝塚駅の近くを歩いていると、店先に並んでいるガチャガチャの前で鏡子は足を止めた。
「しばし待て。わが友よ」
それは葛飾北斎の絵を立体化したミニフィギュアのガチャだった。硬貨を投入し、転がり出たカプセルを開けると、
「これも運命ってものね。あげる」
と、絵衣子に渡してくれたのは、杖をつく北斎の自画像フィギュアだった。他に妖怪や富嶽図もあるのにこれが出るということは「運命」とまで行かなくても「運」ではありそうだ。
「絵衣子を宝塚へ送り出した両親……ほんとの両親の気持ちがわかっちゃったね。倚門而望だって。Kiroroの『未来へ』みたい……」
「違うと思う」
絵衣子は吐息をついたが、たまには実の父親に連絡してみようかと考えた。それでも実行するには数日の猶予が必要だった。話し始めれば互いに遠慮なく言い合うのだが、連絡をとるに至るきっかけが必要なのである。
娘役はスポンサーもつかず、楽屋の出入りにお付きを従えることもなく、つつましく生きている。絵衣子の場合は気楽に生きているといってもいい。
数日後、午後の部の公演を終え、ファンから差し入れられた葛飾応為(北斎の娘・栄)の画集を眺めて、彼女の破天荒な生き様を思いやり、自分の気楽さをパワーアップした。お栄は「骨喰丸が笑う日」にも登場し、新人公演での絵衣子の役どころでもある。
アパートに戻ると、東京へ電話をかけた。父の母里音平の声が返ってきた。
「久しぶりだな」
「東京公演も来てくれないしね」
「遠慮してるんだ。お前には育ての両親がいるし」
「くだらない。伊上の家はあなたのことなんて、歯牙にもかけてないわよ」
「ふん。預金残高でしか人の価値を決められない連中だからな。で……今日は何だ。役作りを原作者に相談か」
絵衣子は原作者の縁者だというのに異例の抜擢をされることもなく、これまでと扱いは変わらない。本役ではソロで踊る場面こそあるものの、遊び好きな清麿を取り巻く芸妓の一人に過ぎない。新人公演では北斎の娘のお栄という癖の強い役だ。ただし、これは中年から初老の登場人物で、ベテランが扮する役どころだから、本役は組長の華斗詩音である。宝塚ファンから、グラビアアイドル向きだと批判(決して賛辞ではない)される絵衣子としては意外な配役だった。
「俺の小説に出て来る、わが道を行く女はお前の母親をモデルにしていることが多いんだ。母親を手本にしろ」
母の名は伊上磨美。音平とは東京芸大美術学部の同級生で、四年生の夏休みに絵衣子を産んだ。登校日の少ない四年生で、しかも芸大は夏休みが長く、学生も個人主義の一匹狼ばかりだから、同級生たちも彼女の妊娠、出産に気づかなかった。
卒業直前、単位が足りなかった母は担当教官に「結婚したし、就職も内定しているんです」と直談判したが、教官も学生の泣き落としは例年のことだから「子供でもいれば単位はやるがね」と本気にしなかった。そこで、彼女が生後半年にもならない絵衣子を学校へ抱いていくと、教官も同級生も仰天した……。そう聞かされている。
当時、父の音平は学生作家としてデビューはしたものの、大学の寮に住んでおり、籍は入れたが、卒業後も食うや食わずのアパート暮らしだったため、鎌倉の旧家のお嬢様だった母とは一度も同居することなく、離婚してしまっている。
そして、人気企業の広報部にデザイナーとして採用された母は、十年ほどでそこを飛び出して独立し、ついでに娘からも独立して、単身、アメリカへ渡った。
「俺はね、舞台は原作とは別物だと割り切ることにしてる。これまでにも漫画化やらドラマ化やら本質から離れた企画を持ち込まれてるからな。刀鍛冶の物語なのに刀鍛冶のところへ取材にも行かない舞台作りであろうと、脚本と演出の不足を出演者の頑張りでカバーしようって算段であろうと、お前が世話になってる歌劇団だから、見て見ぬふりを決めてる」
「見て見ぬふりといいながら、文句はいうんだ。ふふ……」
父は考証にこだわり、物語を緻密に作り上げていくタイプなので、多分に鷹揚なところがある宝塚の演目に対しては手きびしい。絵衣子の入団当初はマメに観劇にも来てくれたが、この一、二年は彼女にいい役がついた公演にしか足を運ばない。「骨喰丸が笑う日」は来月には東京公演となるが、音平は来るかどうか。
「役作りは自分の本能にまかせるとして、おとうさんに訊きたいことあって……」
「俺の意見なんか聞かないことでは母親以上のお前が何の用件だ?」
「アラ。ちゃんと聞いてるわよ。宝塚受験の時も相談した」
伊上家の義父は、うちから芸人は出せないと反対、義母は合格するかどうかもわからないうちから反対はしないという人だったが、合格したら反対するのは目に見えていた。
発表の日、合格していたらさっさと手続きをしてしまえと入学金その他の費用を持たせて送り出してくれたのは音平だった。音楽学校では合格者は発表後に講堂へ直行させられ、その場で制服の採寸や入学手続きが行われる。
「あのさあ……。私が音楽学校入る時に骨喰丸を渡してくれたよね。あの短刀の鞘書きのことなんだけど。『門によって望む』とかいう」
「お前にあれが読めたのか」
「教えてくれる人がありましてね」
「あの鞘書きはお前に渡すにあたって、俺が書いた。十八史略という子供向け通史の春秋戦国あたりの項目にある言葉だ」
「斉の王に仕えた王孫賈(おうそんか)の母親の故事とかいうんだけど、なんだか気恥ずかしくなる意味らしいじゃない」
「しまった。離れて暮らす娘に対する心情がバレてしまったか。お前のことだから鞘書きなんか気にするまいと思っていたが」
「気にしないわよ。同じ言葉を彫り込んだ短刀が他にもあるという話を聞かされなきゃあね」
「何のことだ?」
「おとうさんなら、才藤兼景という名前を知っているかと思ったんだけど。赤穂の鍛冶屋さんだというんだから」
音平は現代の刀剣職人とそこそこ交際がある。
「赤穂の兼景さんねえ……。作刀承認を得ている鍛冶屋は全国に三百人以上。コンクールの常連で名前を知られているのはそのうち一割ちょっとだろう。その一割には入っていないな。兼なんとかという刀鍛冶は昔から少なくない。聞き覚えがあるような気がするが、歳をとると記憶から一番消えていくのが人名だ。待て。パソコンを見てみる」
何かの資料を探している気配があり、父の言葉は続いた。
「赤穂というと、幕末まで森家の領地だ。その抱え鍛冶だった兼景の末裔らしいな」
「おとうさんと気が合うかもね テキトーな人みたいだから」
「どうかな。同族嫌悪ということもある。それに俺は結果としてテキトーな人になっているのであって、本質は几帳面で遠慮深い性格……」
言葉の途中で何やら記事を見つけたらしく、口調が変わった。
「兼景の遠祖は美濃鍛冶だ。南北朝期、大和国より美濃国に移住した直江志津派に発する。織田信長の家臣だった森家に抱えられ、慶長八年、津山藩主となった森右近太夫忠政は兼景を招致。先祖は土岐氏重臣・斎藤妙椿の一族にして、のち斎藤道三に追われ、山県郡伊自良村平井に逃れる。ゆえに兼景はその姓を斎藤もしくは平井と称す」
「才藤の字が違うようだけど」
「本家への遠慮でもあったんだろう」
「おとうさんの御先祖が森から母里へと表記を変えたように?」
兼景の主家であった森家から分かれて徳川将軍の旗本となり、そこからさらにわずかな石高で枝分かれしたのが母里家だと聞いている。兼景と母里。これも何かの縁というものか。
「どんな家にも、一族からはみ出した分家があるものさ。兼景という刀工一派は豊臣政権、徳川政権のもとで主家の移封にともない、信州川中島、作州津山と移住するが、たいした名門刀工でもないのに分家がいくつもある」
「そのうちひとつが播州赤穂に移住したらしいわよ」
「で……その兼景がどうかしたか?」
「現代の兼景さんは愛人に短刀を作っていた。倚門而望という刀身彫りがある。骨喰丸の白鞘に墨書された言葉と同じ」
「子供の守り刀か。その刀鍛冶が選んだ言葉とも限らんぞ。子供には母親もいるし……」
話の途中で、アッと父は声をあげた。
「記憶は作家を裁く者。覚えられそうもないことに深入りするなとポール・ヴァレリーはいっているが、記憶と思い出は違うような気もする」
「何をいってんのよ」
「昔……俺が新人作家だった二十四、五年前のことだが、ファンレターくれた読者と何度か手紙をやりとりするうち、母里さんの御先祖のお抱え刀鍛冶に兼景っていますよねと書いてきたことがあった。大阪の人だった。赤穂とは同じ関西ではある。現代の兼景を知っていたのかも」
意外と律義な音平は、読者からの手紙に返事を書く習慣だった。過去形だ。今ではまったくの筆無精になってしまっている。
「刀剣女子なんてものが存在しなかった時代だ。少しは刀に興味がありそうなので、お前の実家から預かっていた骨喰丸の押形をとって、送ってやった。お守りとして」
「刀剣女子ではないということは、相手は女の人だったのね。お守りって、どういうことよ?」
「俺の手元にあった名刀は骨喰丸だけだったし、持ち主であるお前の母親の了解をとってから送ったが」
「そういうことじゃなくて……」
「お前が生まれた頃で、一緒に暮らせない心情に向こうも何やら意気投合するものがあったようだ。倚門而望という言葉はその時、私と彼女の間で交わしたキーワードみたいなもんだ」
「ファンに私の存在を知らせたわけ?」
「お前のことは文章にも書いているし、雑誌のグラビアにお前を抱いてる写真も載せたぞ」
「……知らなかった」
「赤ん坊の頃だけだ」
「そんな昔から倚門而望という言葉が頭にあったわけ?」
「骨喰丸にこの言葉を添えて、いつの日かわが娘に渡すつもりだった」
「あはははは」
「笑うな。彼女も自分に子供が生まれたら、そんな心境になるだろうと書いてきた」
「ふうん。子供ができたらじゃなくて、生まれたらという言い方は正確?」
「何?」
「すでに妊娠して、出産の予定があったようなニュアンスだから」
「正確なことは覚えてないよ。会ったことはないし、年齢も職業も聞き出そうとは思わなかった。そんなことはどうでも……」
「その人からの手紙、保存してある?」
「ファンレターは作家活動の戦利品みたいなものだからとすべて保管していたが、豪邸暮らしじゃないから、涙をのんで処分した。何年も続くファンはほとんどいない。考えてみりゃ、ラブレターだって、すでに熱が冷めた相手がいつまでも持っていたら気持ち悪いだろ」
「なかなかむなしい商売ね」
若かった音平はファンレターへの返信だけでなく、時には記念品も送る小説家だったが、そうやって近づいてきたファンあるいは読者の中には面白半分にネットにガセネタを流す連中も少なくない。調子に乗って誹謗中傷する者もあった。
もともと非道な業界人が跋扈する文壇に辟易していた音平である。ファンにも背を向け、芸大出身であるから文筆よりも美術方面へ軸足を置くようになり、今では義理がある媒体にしか寄稿しない。
「私もファンレターの扱いは慎重にすべきかな」
「お前は俺みたいに他人からの好意に飢えてないから、手紙もらって我を失うこともなかろうよ」
「何それ。意味がわからない」
「とにかく、俺は何度か引っ越すうちに手紙類も資料や本も整理した。なんとか生活できるスペースを作っただけだが」