骨喰丸が笑う日 第二十四回
骨喰丸が笑う日 第24回 森 雅裕
マンダレーからは患者移送の汽車に便乗である。自分で歩ける者を優先し、重患は少なかった。それでも腐肉の悪臭が漂っていたが、ラングーンへ向かうという希望のせいか、患者たちの顔色は明るかった。
「アーシャもいなくなったか。この旅はますます殺伐とするな」
綿貫はつまらなさそうに菓子を食っている。餅米とココナツミルクの焼き菓子である。
「けっ。何を食っても砂を噛むようだ」
「砂ですよ、それ」
八七橋が冷たくいうと、綿貫はあらためて手元の菓子を見た。
「菓子だぞ」
「ああ、そうですか」
八七橋は綿貫に背を向けて横になった。
マンダレーからラングーンまで六百五十キロ。一晩中走り通し、夜が明けてもまだ目的地へは着かない。
貨車側板の破れた穴から外を覗くと、雲はあるのだが、降っていない。突然、猛烈な振動とともに急制動がかかり、怪物の絶叫のような汽笛が鳴り響いた。
寝ていた兵たちがぶつかり合い、悲鳴をあげながら身を起こした。
「敵機だ。逃げろ!」
八七橋は寝ている者を蹴り起こしながら貨車の扉を開けた。
綿貫がバク、三文を呼び止め、
「俺の荷物を持て!」
と命じながら、自分は八七橋にしがみつくように貨車から転がり出た。他の貨車からも兵たちが続々と飛び降りた。兵站病院へ送られる患者たちだから迅速には動けない。
八七橋は手近な数人を線路下の溝へと引きずった。頭上に爆音が覆いかぶさり、機銃掃射が降りそそいだ。身体を吹き飛ばされる者が続出し、肉塊、肉片が飛び散った。
反撃されるおそれはないから、敵の戦闘機は悠々と反復攻撃を繰り返す。一方的ななぶり殺しだ。
弾を撃ち尽くすと、ようやく引き上げていった。汽車はぼろぼろだが、動くようだ。しかし、昼間は走れない。機関車が引っ張って飛行機が近づけない山間に隠した。
軍医と衛生兵は負傷者を見回ったが、救いようのない重傷者は放置するだけで、撤退路の白骨街道と何も変わらない。歩ける者は付近の集落へ退避するよう、命令が出た。
しかし、八七橋は軍医に反論した。
「待て待て。やめた方がいい。イギリス機は好餌ありと見ると必ず仲間を呼ぶ。新手がやってくるぞ。日本兵が付近の集落へ逃げ込むことを予想してるはずだ」
「ふん。お前、イギリス野郎の考えが読めるのか」
「最前線で顔を突き合わせてきたからな」
「そいつはお見それした。だがな、汽車は夜まで動かない。雨が降るかも知れん。患者たちを野ざらしにはできん。食い物もない。お前らも負傷者を運ぶのを手伝え」
「集落で治療できるのか」
「そういうわけではないが……」
「じゃ、そのへんの木陰にでも運んだ方がマシだ」
「勝手にしろ」
「そうするよ」
八七橋と軍医は背を向け合った。
酸鼻を極める散乱死体をかきわけ、助かりそうな者を十人ほど線路脇の物陰へ運んだところで、爆音が近づいてきた。イギリス機が二機、低空で侵入し、線路を素通りして、集落を襲撃した。爆弾投下と機銃掃射の轟音が鳴り響くのを八七橋はいたたまれぬ思いで聞いていた。
空襲が通り過ぎ、八七橋たち囚人部隊が集落へ駆けつけると、そこは容赦ない殺戮の場であった。現地の住民は避難して残っていなかったが、負傷兵の叫び声、呻き声がそこら中で交錯し、衛生兵が下半身のなくなった軍医を抱えて泣きわめいている。その衛生兵も身体のあちこちが焼け焦げ、血まみれなのである。
八七橋はこの光景にも動じず、死体を埋める穴をどこにどうやって掘ろうかと考えていた。冷静というのと違う。死体に対して事務的になっていたのである。
そんな自分への自己嫌悪を振り払うように横を見ると、綿貫が革トランクを両腕に抱えていた。
「閣下は飛行機よりも戦争のやり方を一変させる兵器があるとか、のたまわっておられましたな。間に合うのですか」
「無理だろうな」
「じゃ、俺たちは何のためにあなたの石ころを運んでいるんです?」
「ちっ。やはり見たのか」
「ウラン鉱石ですね」
「ここまで来たら教えてやってもいいだろう。インド東部ビハール州・ジャドゴダで採掘した」
平成十二年、日本で開催された「第八回地球環境映像祭」において大賞を受賞したドキュメンタリー「ブッダの嘆き」で、ウラン鉱山の放射性廃棄物による環境汚染と住民被害が表面化する地域である。
「カルカッタの西の山岳地帯ですな。それは御苦労なことで」
「もっと御苦労なことがある。兵器化するためにはウラン鉱石の中に〇・七パーセントしかないというウラン235を抽出して、これを濃縮ウランに変えねばならない。莫大な経費と工業力と人材が必要だ。日本にそんな国力がないことは軍部にも研究者にもわかっている」
なのに原子力研究を行う理由は、好意的に解釈すれば、日本の科学者たちは戦後の平和利用を想定していたからである。
日本軍の原爆研究は陸軍が理化学研究所に依頼した「ニ号研究」、海軍が京都帝大に依頼した「F号研究」の二本立てで行われているが、二号研究は陸軍総体を挙げての計画ではなく、航空本部が中心で進められており、兵器行政本部はカヤの外という役所仕事であった。
いずれにせよ、最大の問題はウランの入手である。朝鮮半島、満州、モンゴルなどの各地で発掘が試みられたが、成果はあがらない。戦況が悪化していく中、南方要域の駐屯軍はそれどころではなかったのである。
昭和十九年初めにはドイツの潜水艦がチェコ産のウラン鉱石一トンを積んで日本へ向かったが、マレー沖で消息を絶った。
同年七月、インパール作戦が無残な失敗に終わり、太平洋戦線でサイパン守備隊が玉砕した頃、東條英機はウラン鉱石と濃縮ウランの区別さえつかずにウラン十キロあれば原爆が作れると盲信し、陸軍兵器行政本部にウランを集めよと命じたが、海外からの入手は絶望的であり、昭和二十年になると、福島県石川町で中学生を勤労動員して、終戦まで採掘が試みられるが、これも徒労となるのである。
綿貫はこの絶望的状況と自分は無関係とばかりに、自慢顔で語った。
「俺は最初から軍なんか頼りにせず、アジアの有望な地域を調べ歩いてきたわけだが、ウラン鉱石らしきものを発見しても成分を調べなければ使いものになるかどうか、わからん。お前たちが運んでいるのが、その見本だ。仮に使えるとしても、実用化のためには大量に必要だが、もはやインドへのこのこ出かけて採掘することはかなうまい」
「なるほど。仮に英印軍があなたの任務を知ったとしても、追いかける価値もなかったわけだ。無駄な努力でしたね」
「戦争は無駄な努力の殿堂だよ。努力しましたと宣伝することに意味がある。軍隊もしょせん役所だ。予算よりも人命を食う役所だ。戦死者が多く出れば、わが軍は頑張っていますと言い訳ができる」
散らばる死体を埋葬したが、すべてを埋める時間はなく、負傷者をろくな治療もできぬまま貨車に乗せて、日が暮れると、また動き出した。貨車の何両かは破壊されていたが、どうせ乗客も減ってしまった。
敵の夜間爆撃機を警戒し、途中で何度も停車したため、ラングーンへ到着したのはマンダレーを出た二日後だった。
ラングーンでは光機関の本部と支部が同じ建物に入っている。こういうところが、光機関も役所である。綿貫を同行すると、支部長は立ち上がり、自分の椅子を少将閣下にすすめた。
「八七橋、御苦労だったな。しばらく兵站病院で療養しろ。少将閣下にも療養してもらって、それから帰国の手配をします」
綿貫は煙草の煙の行方を見ながら、冷たく呟いた。
「ふん。俺がおとなしく帰国すると思うか」
「は……?」
「インドが駄目ならビルマで石を掘るさ」
綿貫が何をいっているのか、支部長は理解できない表情だが、
「気にしないでくれ」
八七橋はニコリともせずに告げた。
綿貫は囚人部隊が苦労して運んできた革トランクを指差した。表面の革はほとんど腐っている。
「こいつを最優先の軍機貨物として本土の航技研に送れ。船はいかん。飛行機に載せろ」
ウランの含有を調べるわけである。調べたところで、もはや無駄な努力であるが、綿貫にしても「山師」としての責任感があろう。
光機関支部を出ると、彼らは兵站で防暑衣一式を受領した。新しい編上靴はこんなに重かったかと驚いた。
それから第五十四師団の司令部へ向かった。宮崎繁三郎中将はこの「つわもの兵団」師団長に任命されている。綿貫、バク、三文も同道したが、宮崎はベンガル湾北東部へ赴任する準備に追われていて留守だった。しかし、ようやく追い着くことができたわけである。
出直すことにして、彼らは兵站病院へ検査入院した。入院すると一気に疲労が出て、八七橋は丸一日寝続け、目覚めると綿貫はまだ寝ていたが、バクと三文は退屈そうに院内をうろついていた。
「空襲があったもんで、職員も患者も防空壕へ退避しましたが、八七橋さんはよく寝てましたなあ」
「気づかなかったよ」
「まあ、俺たちも今さら逃げ隠れはしません。厨房でメシを盗み食いしてました。しかし、甘味が欲しいですなあ」
彼らはそういったが、八七橋は冷たく無視した。
「俺に同意を求めるな。泥棒の仲間入りはせんぞ」
「へへへ。この病院の厨房の裏手に食糧庫があるんですわ。今夜あたり忍び込みましょうかね」
「そんな元気があるなら、すぐ退院だな。行く先は陸軍刑務所だぞ」
八七橋は忙しい。コヒマから持ち帰った戦死者の遺骨や遺品など、家族の住所がわかるものはそちらへ送り、わからないものは自分の実家へ送った。帰国することがあれば、捜索するつもりだ。
光機関支部や軍司令部など回って、その夜、八七橋が病院へ戻ると、バクの姿が見えなかった。三文によると、やはりよからぬ行動を起こしたらしい。
「食糧庫で羊羹でも手に入れたら、どこぞの女給への手土産にするつもりでしょう」
「探しに行くぞ。ついてこい」
「放っておきゃいいのに」
「宮崎閣下へ報告を終えるまで、事件など起こされては困る」
病院を抜け出し、ヤシの木に囲まれた食糧庫を見回ったが、バクの姿はない。病院の通用門の外には町中へと道路が続いている。衛兵の詰め所があるが、塀を乗り越えることは造作もない。
敗戦の痛手からか、町には活気がなく、通行人も少ない。そう遅い時刻でもないが、深夜のような静けさだ。八七橋と三文が歩くうち、薄闇の中に人影が動き、二人の男とすれ違った。ビルマ国民軍の兵士のようだが、八七橋たちに敬礼するでもなく、よそ見しながら離れていく。肩にかけた雑嚢が膨らんでいる。不吉なものを感じてその後ろ姿を見送っていると、
「八七橋さんっ」
三文が悲鳴のような声をあげた。路地の入口に人が倒れている。息絶えたバクだった。防暑衣も靴も身ぐるみ剥がされている。
「さっきのビルマ人だ」
八七橋は踵を返し、走り出した。ちょうどそこへ自転車が通りかかったので、
「人殺しを追いかける。貸してくれっ」
有無をいわさず、自転車をひったくり、ペダルを漕いだ。目指す二つの人影が少ない街灯の下で見え隠れしている。
「待ちやがれ、バルマ!」
「バルマ」は「ビルマ」の現地発音なのだが、ビルマ人の蔑称でもあり、普段の八七橋なら口にしない言葉である。
男の一人が振り返りざま、刃物を抜いた。銃剣だ。八七橋は自転車を振り上げて投げつけ、ひるんだ隙に蹴り倒した。なおも暴れる男の喉元を踏みつけて絶息させ、銃剣を奪った。もう一人は拳銃を向けてきたので、銃剣で腕を切り裂き、胸を刺し貫いた。
八七橋は格闘術の猛者ではないが、何か月も無数の死体を見てきた経験が彼を無慈悲にしていた。躊躇なく身体が動くのである。
二つの死体を残して、バクが転がる現場へ戻ると、やはり死体を見慣れた三文が、自転車を貸してくれた男と話し込んでいた。
「死体には慣れてるのに、仲間の死体を見るのはつらいもんだなあ」
「つらいといいながら、何を熱心に書いているのかね」
三文は手帳の余白にこの状況を記しているようだ。
「そいつは小説家志望だ」
八七橋がいいながら近づくと、男は頷きながら彼を見やった。
「人殺しはかたづけましたか」
「かたづけた。すまん。自転車をこわした」
「どうせ軍の廃品をもらった自転車だからかまわんが……」
男はほとんど裸のバクの死体を視線で指した。
「頭を石か何かで殴られてる。服が血で染まるのを嫌ったか。タコとかダコとかいう匪賊の仕業だろうか」
「いや。ビルマ国民軍の中に寝返りが起きているんだ。歴戦の日本兵でも油断してしまうさ」
八七橋は犯人から取り上げた雑嚢を開き、盗品を確認した。わずかな軍票の他は、防暑衣、靴。箱入り羊羹もあったが、こんなものでも強盗に狙われるのが敗軍というものだ。
自転車をこわされた男はひとつの品に目をとめた。使い込まれた銃剣だ。
「これもこの被害者のものか。なんで持ち歩くのかね」
「お守りみたいなもんだ。コヒマ以来、銃は捨てても銃剣は手放さなかった」
「へえ。お宅ら、インパール帰りですかい」
男は革鞘から銃剣を抜き、町のかすかな明かりを当てた。
「日本軍の銃剣は先端の三分の一だけグラインダーで研いであって、刺すことはできても切ることはできない。しかし、こいつは凄い。根元まで刃をつけてありますな。禁止のはずだが」
「戦地で牛や豚を解体することに慣れた兵なら、皆こうしているよ」
「ほお……。申し遅れた。私は軍刀修理班の芝浜天平といいます。本業は日本刀研師です」
「ふうん。兵隊とは縁のない職人さんですな」
日本兵が自軍の将校に対して一番憤慨するのは、役にも立たない軍刀をぶらさげていることだ。敵は白兵戦なんかやる気はないし、将校も自動小銃をぶっ放して戦う。これでは先進国と後進国の戦争である。
「私は光機関の八七橋謡太だ」
憲兵隊に事件を知らせ、バクや犯人たちの死体が運ばれるのを見届け、八七橋は兵站病院へ戻った。憲兵隊は八七橋を拘束したかったようだが、「とがめられる筋合いではない」と撥ねつけた。
翌日、八七橋は綿貫、三文とともに再び宮崎繁三郎の師団司令部を訪ねた。すでに九月も後半に入っていた。宮崎が率いる第五十四師団はベンガル湾方面へ進出し、英印軍を迎え撃つことになっている。そこまでたどり着くだけでもアラカン山系を越える難路である。
綿貫は宮崎の従兵に紅茶を持ってこいと命じ、手近な椅子にドサリと座って、だみ声を響かせた。
「八七橋はスパイなんかやらせておくのは惜しい。陸軍刑務所の所長くらいはつとまるぞ」
宮崎は彼らに饅頭を配りながら、いった。
「ラングーンで有名な菓子屋の饅頭だ。……綿貫さんが人をほめるとは珍しい」
「ほめちゃいない。陸軍は適材適所ということを知らん、と批判している」
「まあ、この男にはもっと大きな囚人部隊を指揮させたいとは思うが……」
そいつは御免だと八七橋が他人事のように聞き流していると、宮崎はあらためて彼らを見やった。八七橋につけた囚徒兵は七人だったが、ここにいるのは三文だけである。
「おい。お前だけか」
宮崎は眉を曇らせた。八七橋は手短に報告した。
「ハカセはウクルルの野戦病院、相笠とカノンはタナンで離脱。和尚はトンへの寺院で修行に入りました」
「おいおい。何だそれは」
「彼らはあとから追及してくるものと期待します。五右衛門はウントーで戦死、バクはビルマ国民軍に昨夜殺されました」
宮崎は小さく唸った。
「そうか。御苦労だったな。三文は五十四師団で引き取ろう。八七橋はどうする? 光機関には前線で遊軍となっている者も多いようだが」
「当面はインド国民軍の立て直しに協力することになりそうです。彼らに立て直す気があれば、の話ですが」
「なければ、うちへ来い。五十四師団の戦闘担当区域はアラカン山系東の海岸地区だ。現地で情報収集できる奴が欲しい」
結局、そういうことになった。というのも、光機関ラングーン支部では八七橋を持て余したのである。
後日、支部へ顔を出すと、支部長は露骨に迷惑顔だった。
「八七橋。憲兵がお前を差し出せといってる。ビルマ兵を殺したからだ」
「先に殺されたのは日本兵だ」
「まずいんだよ。日本軍としちゃビルマ国民軍を刺激したくないんだ」
インド国民軍と同様にビルマ国民軍も日本軍が顧問となって育成した軍隊だが、ビルマ政府が日本の傀儡であることに不満も多く、軍内部には抗日運動すら見られる。インパールで日本軍が惨敗したため、反日の機運はさらに表面化し、旧宗主国のイギリスに内通する軍幹部さえ出ている有様である。インド国民軍は日本軍とともに戦ったが、ビルマ国民軍にはそんな期待はできない。
こうして八七橋はラングーンから厄介払いされ、宮崎の第五十四師団に従って、活動することになった。
第五十四「つわもの」兵団は宮崎の指示で実戦的な訓練を重ねつつ、ベンガル湾に面したアキャブの南に浮かぶラムレ(ラムリー)島とその対岸に主力を展開させた。
昭和二十年が明けると、猛烈な艦砲射撃と空襲のあと、英印軍はアキャブとその南のミエボン半島を攻略。二月にはラムレ島へ上陸した。
第五十四師団は河川が複雑に入り組むアラカン地域を後退しつつ、ミエボン東のカンゴウで激戦を繰り広げ、タマンド、ダレー河畔、ドケカン、タンガップと圧倒的な敵軍相手に抵抗を続けて「イラワジ会戦」における戦線の一端を担った。
しかし、三月半ばには、押し寄せる英印軍の前にマンダレーが陥落した。八七橋はラングーンへ呼び戻され、ビルマとタイ国境の調査斥候を命じられた。ビルマ戦線はもう維持できない。タイへの脱出路を探れというのである。千古未踏のジャングルは道路も集落も変化している。日本軍が持っている古い地図では役に立たない。
八七橋は数名の部下を率いてチェンマイまでのルートを調べ歩いた。目印に巨木を削り、通過の日付を書き込んだ。
難路を踏破して、五月初め、ラングーン方面は危険という連絡を受け、タイ国境に近いモールメインまで戻った。サルウィン河の下流、ビルマ第三の都市である。ここから首都ラングーンはアンダマン海を隔て、西へ百六十キロ。そのラングーンが陥落したという情報が流れている。ビルマ国民軍は寝返って反乱軍となり、日本軍を背後から襲撃した。
モールメインは北部地区に高射砲陣地があり、敵機と交戦する砲撃音が響いてくる。日の丸つけた飛行機も飛んでいた。珍しい光景だ。軍の施設が居並ぶ界隈では、将校が軍馬を飛ばしている。隊列を組んで移動する部隊もあった。
八七橋は光機関のモールメイン支部へタイ国境やチェンマイ付近の自作地図を提出し、道路の状況、集落の有無を報告した。そして、
「もうラングーンへは戻れんぞ」
と聞かされた。
「先月末、ビルマ方面軍木村司令官がモールメインへ逃げてきた。ビルマ主席バー・モウも一緒だ」
モールメイン支部長は書類を両手に抱えて右往左往していたが、八七橋は顔色も変えずに尋ねた。
「ラングーンの在留邦人は?」
「置き去りだ」
「イラワジ河西部で交戦中の第二十八軍は?」
「見捨てられた」
これが日本軍上層部の正体である。机上の空論というべき作戦で多くの兵を犬死にさせて恥じず、自らの保身しか考えていない。
「では、宮崎師団は?」
「ここに至っても宮崎繁三郎という将軍は不敗だ」
第五十四師団は四月前半に「レモーの大殲滅戦」を攻勢発起し、アフリカ師団とインド師団からなる敵軍に痛撃を与えたが、アラカン山系以東に転進すべしとの軍司令部命令を受け、イラワジ河(エーヤワディー河)流域へ後退した。
「いかに宮崎閣下が戦上手とはいえ、多勢に無勢だ。さらにペグー山系へ後退することになるだろう」
そこから東へシッタン河を渡り、シャン高原を横断すればサルウィン河、さらに東は隣国タイである。引き際を誤れば、敵中に孤立する。
八七橋は表情を動かさないが、声には苛立ちが混じった。
「もうじき雨季になる。そこら中が冠水地帯になるぞ。俺の調査斥候を無駄にせず、タイへ全軍脱出できりゃいいが」
「それは軍の上層部の責任だ。八七橋。お前には次の任務がある。カレン州ビーリン川の西側で将官が孤立している。救出しろ」
「将官? まさか」
「綿貫平蔵少将だ」
「カレン州で何やってるんだ、あの閣下」
「何かの稀少鉱石を掘っているらしい」
カレン州でウラン鉱石らしきものが採掘されたと報道されるのは戦後七十年近く経った平成二十四年のことである。以前から金の採掘現場でウラン鉱石はしばしば発見されていた。しかし、当時のミャンマー鉱山省は「そのような情報は入っていない」と明言を避けている。
八七橋はこの男に珍しく肩を落としてうなだれた。
「妙に仕事熱心なんだよなあ、あのタヌキ」
「英印軍が迫っているというのに、光機関の八七橋を寄こせ、他の者が迎えに来ても動かんと頑張っている。御指名だ」
「やれやれ」
「兵站へ行って、必要な武器弾薬を受け取れ。鹵獲兵器もあるはずだ」
「一人で行けというんじゃあるまい」
「あ、そうそう」
支部長は急にニヤつき、肩の荷を放り出すような声を発した。
「支部の裏にカレー屋がある。めちゃくちゃ辛いが、ビルマのカレーにしては脂っこくない。うまい店だ」
「だから何だ?」
「その上が旅館になってる。お前に同行する連中が数日前から滞在中だ」
「同行? 何者だ?」
「戦友だよ、お前の」
支部長はあまり興味があるようでもなく、書類の束を抱えて、背を向けた。
「タヌキ閣下を救えというなら、途中まででいいから車を出せ」
八七橋はそう声をかけ、苦虫を噛みつぶしながら支部から退出したが、支部長のいいなりになるのが業腹で、カレー屋とやらへ直行する気にならなかった。床屋で髪を切りながら新しい任務を頭の中で整理した。
それから教えられたカレー屋へ行き、二階の広間を覗くと、見知った顔があった。
「八七橋さんっ」
タナンで別れた相笠曹長だった。昨年の夏以来だ。
「おおい、俺たちの隊長が来たぞ」
声をかけると、廊下に並んでいたいくつかの部屋から馴染みの連中が顔を出した。
相笠、カノン、ハカセ、和尚、三文。戦死した者以外は囚人部隊の全員が揃った。八七橋は吐息とともに顔をしかめた。うんざりしているようにしか見えない。いいたいことは山ほど溜まっていたが、実際に会ってみるとどうでもよくなる。
「悪運の強い奴らだ。生きていたか」
どいつもこいつも別人のように血色がよくなり、肉がついている。
「誰だ、お前」
一番の変貌は修行のためトンへの寺院に置いてきた和尚だ。よほど厚遇されたらしく、あきれるほど肥え太り、別人となっていた。
仏頂面の八七橋を笑い飛ばすように、相笠が明るくいった。
「俺たち、ちりぢりになって、英印軍をかきわけるようにしてラングーンへたどり着きました。原隊の五八はマンダレー方面からシャン高原をサルウィン河へと敗走中。宮崎閣下の第五十四師団はイラワジ河の渡河に苦心惨憺。陸軍刑務所も所員は逃走。日本大使館も在留邦人を集めて脱出。ラングーン市内は無法化して、略奪が横行しています。俺たちは行く先もないまま、いつのまにやらこの顔ぶれが揃っちまった。八七橋さんの消息を光機関支部で訪ねると、モールメインで合流して、新任務に同行してくれと頼まれましてね。タヌキ閣下をまた救出に行くんでしょ。俺たちゃどうせ員数外の囚徒兵だ。好きにやらせてもらいますわ。あんたについていきます」
「馬鹿どもが。俺は知らんぞ」
武器調達のため、兵站へ向かおうと宿を出ると、階下のカレー屋で声をかけた客があった。
「やあ。奇遇ですなあ」
ラングーンでバクが殺された時、犯人を追うのに自転車を借りた男だった。遊び人風で、異相といえる顔つきだが、親しみは持てる。
だが、八七橋は無表情に彼を見つめ、愛想は洩らさない。こういう男である。
「ええと、魚屋さんでしたな」
「研師をやっている芝浜です。落語の『芝浜』の主人公は魚屋ですが……。これからタイ経由で帰国します。そちらは日本刀には興味がない光機関の八ツ橋さんでしたな」
「八七橋です。刀に興味がないわけではない。現代戦では役に立たないと思っているだけだ」
「八ツ橋、いや八七橋という珍しい名前には覚えがある。数奇者の間で知られた源清麿の短刀があってね。地蔵だか何だかが彫られている。その持ち主がそんな名前だった。短刀には号があって、確か……」
「骨喰丸」
「そうそう」
「俺の実家だ。俺の御先祖は職人だったらしい。清麿や固山ともつきあいがあったそうだ」
「それはそれは……」
「俺の親父は上野の美校で教官をやってる。俺がこの地から帰れなかったら、アジア解放のために戦ったと伝えてくれ」
「お近づきのしるしに、一緒にカレー食いませんか」
「うん」
八七橋は自分の仲間たちを振り返った。
「こいつらも明日はどうなるかわからん身だ。食わせてやってくれ」
芝浜が返事もしないうちに囚徒兵たちは店先に並べられている数種類のカレーから選んで注文し、席についている。
「八七橋さん。ビルマにはシャン族がおり、シャン高原もある。両者が必ずしも一致するわけではないが、美人をシャンという由来はここにあると聞きました。本当ですかね。確かに目がパッチリした美人が多いようだが」
「さあ。ドイツ語に由来しているという説が一般的と思うが……。その昔、山田長政の家来たちが住み着いたのがシャン高原だといいます。住民は日本人と似ている」
「そうそう。シャンの若者が日本刀らしきものを差しているのは驚きました。総髪をうしろに束ねて、勤王の志士みたいだ」
男たちはそんなのんきな会話を交わした。
終戦の八月は三か月後に迫っていた。