鬼鶴の系譜 敗戦編 第三回

鬼鶴の系譜 敗戦編 第三回 森 雅裕

「母里。あれを降ろせ」

 山田飛行長が目線で指したのは、碧空にひるがえる菊水旗である。抗戦決起の象徴だった。山田と別れ、友弥は兵に手伝わせて旗を降ろした。これを見て、遠くから敬礼する者、見向きもせずに通り過ぎる者、隊員の反応は様々だが、終戦がいよいよ実感となった。もはや飛行場に残るのは赤と白の吹き流しだけである。

 畳んだ旗を飛行長に渡そうとしたが、本部、指揮所、地下防空壕、どこにもその姿はなかった。行く先を誰も知らなかった。

 本部前で、雷電隊の菊田長吉中尉が何やらさかんに燃やしている。機密書類ならそこら中で焼却しているが、近づくと、立派な大礼服まで炎に投じている。彼は怒りを吐き出すように、いった。

「オヤジ(小園)のものだ。俺たちは即時退隊を命じられているからな。残して、進駐軍の土産にされるくらいなら焼き捨てる」

 小園司令はもう基地に戻らないということか。

「菊田中尉。飛行長を知りませんか」

「さっき、燃すのはもったいないなア、とかいいながら見ていたが……帰宅したんじゃないか」

 山田は町田に自宅がある。妻がそこで暮らしているが、多忙な山田はほとんど帰宅することがない。ひさしぶりに夫婦水入らずなのかも知れない。菊水旗は明日にでも渡せばいいかと、友弥は考えた。ただ、明日には彼も基地から立ち退かねばならないが。

 毛織地の焼ける独特の匂いが広がり、士官たちが血相変えて飛んできた。

「菊田あ! オヤジの私物を焼き捨てるとは何事だ、やめろやめろ!」

「寄るな!」

 菊田中尉は軍刀を抜いた。小園の軍刀だ。昭和に制定された太刀型ではなく、明治以来の装飾的なサーベル様式の長剣拵で、柄に護拳がついている。小園が狂乱状態で振り回したこともあり、刃こぼれが目立った。

「邪魔する奴は叩っ斬るぞ!」

 どうして士官という人種は何かといえば刀を抜くのか。友弥はかねてから疑問に思っていた。搭乗員でさえ、飛行機に持ち込める脇差サイズの軍刀を携帯する。まったく時代錯誤である。

「この馬鹿野郎!」

 士官の一人が拳銃のホルスターに手をかけた。こういう現代的な士官はむしろ珍しい。もっとも、そんなもの構えられたら双方とも引っ込みがつかなくなる。咄嗟に、友弥は抱えていた菊水旗を広げ、頭上に掲げて、走り出した。

「わあああああああああ」

 叫びながら旗を引きずり、焚き火の周囲を右往左往した。

「何だ、何を始めた? 母里!」

 まともな神経ではこの状況を乗り切れない。狂えばいい。どいつもこいつも、そして自分も。友弥は奇声を張り上げながら駆け回り続けた。

「しょうがない、こいつ」

 士官たちは呆気にとられ、ついにはあきれ果て、この場を離れていった。友弥は吐息とともに立ち止まり、旗を畳みながら菊田を見やった。彼は軍刀を手に、泣いていた。友弥が思わず目をそらすと、

「煙が目にしみるだけだ」

 菊田は怒鳴るようにいい、他の品々も残らず火中へ放り込み、軍刀でかき回した。

「焼きが戻ってしまいます」

 思わず、友弥は手を伸ばしかけたが、菊田が制した。

「実用刀だ。燃やすのが惜しいような名刀ではない。武人の魂というべき愛刀は自宅に置いてあるさ」

 菊田は最後に軍刀を炎に投じた。名刀ではないとはいえ、開戦以来、小園とともに最前線をくぐってきた軍刀だ。悲鳴が聞こえるような気がした。

「母里。車の運転はできるか」

「飛行機ほどには慣れていませんが」

「よし。オヤジの見舞いに行くぞ」

「じゃあ、手ぶらというわけにもいきませんな。菓子でも調達しましょう」

「オヤジがそんなもの喜ぶか」

「いいえ。軍医や看護婦への差し入れですよ」

「お前も妙なところに気が回る奴だな」

 少年の頃に親から離れて世間に揉まれ、無意識のうちに周囲の顔色をうかがう習慣が身についたのかも知れない。

 友弥の意見を容れ、菊田は士官室から羊羹を詰めた箱を持ち出し、基地本部の前に停まっていた車へ放り込んだ。

 

 

 海軍病院で小園の病室を尋ね歩くと、そこは鉄格子のはまった、独房としか思えない個室だった。この有様に菊田は憤り、軍医に食ってかかった。

「罪人扱いではないか。歴戦の海軍航空隊司令を遇する道とは思えん」

 しかし、軍医長の少佐は動じない。

「この病院での権限は私にある。小園司令をこの部屋に入れたのは悪意ではなく、司令の身の安全を考えてのことである」

 そう突っぱねた。

 菊田の怒りはおさまらなかったが、婦長らしい看護婦が声をかけると、冷静に応対した。

「厚木の皆さんはどうなさっているのですか。戦い続けるのですか」

「司令が入院された今、解散するしかありません。他の基地へ飛んだ者たちもいますが、鎮圧されるでしょう」

「アメリカ兵がやってくるのですね。私たちも覚悟はできています」

 婦長はポケットから小さな薬瓶を取り出した。看護婦たちは辱めを受ける前に自決する覚悟なのだろう。

「そんなものより……」

 菊田が目で合図したので、友弥は持参した羊羹の箱を差し出した。無邪気に喜ぶ婦長を見て、菊田も小さく笑った。

「お前が気の利く奴でよかったよ、母里」

 重い空気の中で、友弥はどんな返事をすればいいのかもわからず、仏頂面を決め込んでいると、「独房」の小園が目覚めたと知らされた。

 部屋に施錠はされていたが、小園は手足を拘束されているわけではなく、身を起こしていた。二人の部下が目の前に現れると、いつもの強い眼光を向けた。

「おお、菊田。それに母里か。基地はどうなっている?」

「皆、司令のお帰りを待っています」

 むろん嘘である。解散命令が出た以上、隊員はもはや基地内にとどまることも許されない状況だ。小園も厚木に戻ることはあるまい。

「副長や飛行長は?」

「あの人たちのもと、隊員たちは結束しています」

「山田(飛行長)の夢を見た。申し訳ありません、と謝っていた。何を謝るんだと訊いたら、答えずに行ってしまった。あの、いつものように草履でパタッパタッと歩く足音を残して……」

 飛行長は軍靴ではなく、草履をひっかけて歩くのが常だった。飛行長が司令に謝るとしたら、みすみす大量の「脱走」を許してしまったことへの謝罪だろうか。夢とはいえ……。

 山田九七郎少佐の妻はもとは横須賀の料亭の養女で、海軍士官たちの人気を集めた看板娘だった。しかし、謹厳なる士官の嫁にふさわしくないと眉をひそめるお偉方がいたため、一旦、小園司令が養女とした上で、山田と結婚させた。彼は小園が自分の後継者と見込んだ軍人だったのである。

 発熱が続いている小園がまた眠りにつくと、菊田は友弥を外へ促した。

「母里。俺はここに残る。お前は基地に帰れ。退去の支度があるだろ」

 そんなことより、友弥はやり残したことがあった。おはぎ作りである。今さら無意味だとは思うが、飛行長以下にふるまいたかった。

 後ろ髪引かれる思いで、海軍病院をあとにした。

 小園司令は精神錯乱であらぬことを口走り、暴れ回る狂乱ぶりだと聞いていたが、意外なほど落ち着いており、理性を保っていた。もっとも、翌二十二日に目覚めた小園は、どうして自分が囚人のような扱いを受けているのかと怒り、荒れ狂ったのだが、友弥が知るところではなかった。

 後年、武名高き小園安名が狂って別人と化したと語られるたび、友弥には信じられなかった。マラリアで精神錯乱つまり心神耗弱であったというのは、彼の「抗命罪」を少しでも軽くしたい支持者たちによる方便ではなかったか、とさえ思ったものである。

 戦後史において、事件は反乱と見なされ、小園司令は反逆者と呼ばれることになる。進駐してくる米軍の顔色をうかがう処置だった。軍人恩給ももらえぬ犯罪者の烙印を押されたのである。

 小園は官籍剥奪の上、無期禁錮刑となり、横浜、宮城、熊本の刑務所で服役するが、大赦令の特赦基準と特別上申により、昭和二十七年十月に仮釈放、故郷鹿児島へ戻り、八年後に脳溢血で没する。

 晩年まで「あの時、降伏なんかするのではなかったぞ」と、笑っていたという。

 

 

 友弥が基地に戻ると、隊員たちには給与が配られ、退去の準備が進んでいた。全員解散、即時退隊の命令が寺岡中将から繰り返し出されていた。それもそのはず、二十六日には、この厚木基地に米軍先遣部隊が進駐予定である(実際は台風のため二十八日に延期)。基地のすべてを整理した上で明け渡さねばならない。残っている者は捕虜になる、と噂が流れていた。

 しかし、敗戦の混乱において「整理」は「略奪」に変わる。持てる限りの荷物を抱え、背負い、門を出ていく者がいる。徒歩なら可愛いもので、車で物資を運び出す士官もいた。秩序はもはや崩壊していた。

 戦争に負け、軍隊が解散するというのはこんなものなのか。特に別れの儀式のようなものもなく、基地から人が少なくなっている。

 飛行機を盗んだ連中……脱出組はどうなるのだろうか。児玉や狹山へ向かったのは三十三機。乗り込んだ隊員は、彗星隊の岩戸良治中尉以下七十名。しかし、連絡のためそれらの基地へ飛んだことのある搭乗員が、首を振った。

「各基地とも抗戦の熱はすでに冷めているよ。厚木の熱血漢が押しかけても厄介者扱いされるだけさ。上官の制止を振り切って所属部隊を離れれば、大詔再渙発どころか党与抗命、逃亡罪で監獄送りだ。やりきれねぇな」

 馬鹿な連中だという感想はない。人は目的もなしには生きられない。いや、目的のためには命も捨てる。敗戦が軍人からその目的を奪おうとしている。彼らはそれに抵抗し、あがいているのだ。

 しかし、人は順応する生き物である。本土決戦で何もかも蹂躙されるよりも、ここで和を講じて、一時の屈辱に耐えた方が祖国に将来の希望があるのではないか。今や隊員たちはそう考え始めていた。ただ、その考えには詭弁や欺瞞のうしろめたさがつきまとったが。

 こののち、脱出組は巣鴨刑務所へ収監され、軍法会議の結果、士官には禁錮刑の実刑、下士官には執行猶予がいい渡される。

 

 

 厚木基地の食糧庫は銃を持った見張りが警戒している。略奪を防ぐためではない。略奪を円滑に進めるためである。士官が車にありとあらゆる物資を詰め込んでいる。下っ端の兵は近づきもできない。

 友弥はかねてから航空加給食など「袖の下」を使って懇意にしている主計科の下士官と交渉し、人手不足の烹炊所を手伝うという名目で食材を調達、おはぎを大量に作った。

 すでに夜だった。下士官食堂や近くにいた兵たちに配った。幹部は兵ほど甘いものに飢えていないだろうが、山田飛行長には食べてもらいたかった。しかし、防空壕の飛行長室は留守である。作業机の上に置いた。傷みやすい時期だ。朝早くに出勤してくれればいいが。

 山田飛行長が自決したことを友弥が知ったのは後日、復員先だった。飛行長は自宅で、妻とともに服毒自殺したのである。

「海軍上層部から小園司令を殺せと渡された毒だ」

 そんなことをいう者もあった。遺体は二十六日まで発見されなかった。

 脱出組を止められなかった責任感か、高松宮からの説得電話を切ってしまった自責か。動機は明らかではない。小園司令が見たという夢は、山田飛行長の暇乞いだったのだろう。

 

 

 すでに深夜だが、基地内の灯火は消えない。いたるところで書類を焼く煙があがっている。一部の飛行機、機械類は米軍に渡してなるものかと破壊された。飛行場の隅で燃えている機体は雷電だ。排気タービンつきの試作機だろうか。滑走路のいたるところに、残骸と化した飛行機が放置されている。米軍の進駐を少しでも妨害しようという子供じみた抵抗だった。「立つ鳥、あとを濁さず」などというキレイ事はここにはない。

(つわものどもが夢のあと……)

 友弥は何度もそう呟いた。そして、数日かけて修理していた自転車を完成させ、試乗してみた。格納庫前に離陸用滑走路があり、さらにその向こうに長い着陸用滑走路が広がる。昼間だったら、荒涼たる敗残の光景を見渡すことになっただろう。

 友弥は菅原副長を見つけ、尋ねた。

「副長。菊水の旗を預かっているのですが、どうしましょうか」

 菅原は忘れていたのか、怪訝な表情で、

「お前も義理堅い奴だな。好きにしろ」

 苦笑したが、声は不機嫌だった。疲労の極限だろうから無理もないが。

 焼却するのも忍びないので、旗は復員の荷物の中に押し込むことにした。

 仲のよかった隊員たちを探して、別れの杯でも交わそうかと自転車を漕いでいると、機銃の発射音が轟いた。あちこちで燃え続ける戦闘機の機銃弾が熱で暴発したのかと思ったが、そうではなかった。呼応するように、他の場所からも銃声が響いた。次第にその数が増え、広がっていく。

 何事が始まったのか、理解した隊員たちは乗り遅れまいと駆け回った。ある者は銃を持ち出し、ある者は対空銃座へ飛びついた。これが彼らの別れの儀式だった。あちらからこちらへ、乱射音が広がる。夜空に曳光弾が華々しく交錯した。高角砲陣地が空へ向けて咆吼し、炸裂音を響かせた。

 あの弾や破片はどこへ落ちるのか。友弥はそんなことが気にかかる。几帳面な上にも几帳面というのが搭乗員の必要条件だ。操縦席に糸クズほどのゴミが落ちていても拾い、車輪についた泥も払い落とす。些細なことでも、後々どんな悪影響を及ぼすか、わからないからだ。周囲の状況に注意を払い、原因と結果を常に考える。

 空へ発射された弾丸は思わぬところへ被害をもたらす。真珠湾奇襲でハワイの民間人に死傷者が出たのは米軍の対空砲火によるものといわれる。しかし……こんな神経質な性格は、彼の今後の人生にはもはや必要ではなかった。

 友弥は自転車を停めて、花火のような光と音を見上げた。海軍航空隊屈指を誇った精鋭部隊の終焉を告げる慟哭の叫びである。この夜、厚木の空が明るく染まるのが遠くからも見えたという。

 

 

 二十二日。台風が近づいており、雨が落ちてきた。戦時下で中断していたラジオの天気予報はこの二十二日から再開されたのだが、気象観測は空襲で破壊されていない気象官署でかろうじて行われていたものの、航行する日本の船舶がほとんどなく、通信回線も復旧していないため、海上の気象情報が入らず、不意打ちのような台風だった。

 暗雲が垂れ込める空の下、隊員たちは搭乗員、整備員の順で、配給物資を背負い、基地を去っていった。母里友弥は自分で修理した自転車に乗って、復員した。やがて豪雨となり、基地は菅原副長以下、わずかな士官を残すのみとなった。

 二十三日未明、台風は房総半島に上陸し、北西へと進んで関東を直撃した。空襲で半壊状態だった基地施設の中には完全に倒壊したものもあったが、その猛烈な風雨もモノとせず、近隣住人が我先にと殺到した。そして、それから数日間、広大な厚木基地は手当たり次第の略奪の場となった。