骨喰丸が笑う日 第三回
骨喰丸が笑う日 第3回 森 雅裕
旭屋の軒先には杉の葉を束ねて球形にした「酒ばやし」が下がり、暖簾をくぐると、銘酒の樽、様々な徳利が並んでいる。使用人も抱えた小さくない店である。
その裏手では、いつものことではあるが、アサヒと栗原信秀が掛け合いのように言葉をぶつけ合っていた。
「勝手に梅干し食うんじゃないよ、漬けてる途中なんだから」
「お前がケチって、酒のつまみを出してくれねぇからだよ」
「あたりまえだろ。酒まで盗み飲みしやがって」
「いいじゃねぇか。売るほどあるんだから」
「売ってるんだよ、うちは。しかも升まで持ち出して、傷だらけにしてくれて……あんたの玩具じゃないんだよ」
「玩具とは失礼な」
二人が客を見向きもしないので、宗次は割って入った。
「どうしたんだ?」
アサヒは傍らにあった薄汚れた一合升を指した。
「この男、店の升を鐔作りに使いやがって」
「鐔作り?」
ハイな、と信秀は大きく頷いた。
「普段は鐔など作らんのだが、ちょっと気が向きましてね」
鐔を升へ斜めに嵌め込むように固定すると、一定角度で耳の面取りができるというわけである。
「こう汚されちゃ、店で使えやしない。……で、宗次さんたち、何の御用?」
アサヒが向き直った隙に信秀はこの場から抜け出したが、アサヒは振り向きもせずに後方へ升を投げ、信秀はそれを避けもせずに受け止めた。妙に息の合った二人である。
「そちら、清麿師のところの客かい」
アサヒは寅次郎を胡散臭そうに一瞥した。
「すぐわかる。まともな人間には見えないから」
この娘に人のことがいえるだろうか。
「皆さんと違い、私は至極まっとうな人間です」
と、波形屋が通い徳利をアサヒに渡した。
「清麿さんに土産を持参しなきゃならんのです」
「じゃあ灘五郷だね」
「地廻り酒で充分です」
「清麿師みたいな酒好きに安酒を土産にする度胸があるのかい」
「う……」
アサヒは店の小僧にいいつけて、上級酒を用意させた。
「俺は梅干しをもらいに来たんだが」
宗次はいったが、アサヒは冷淡だった。
「梅は半月漬けて三日間天日干し、さらに酒と赤シソを加えて漬け込むのと干すのを毎日繰り返し、さらに数日干し上げてカラカラにするんだ。そうすれば十年でも二十年でも日持ちする。今はその途中」
「干し上げる前に食うこともあるだろう。俺は十年も先に食うもののことなんか考えてない」
「握り飯に入れようかと思ってる梅干しがあるけど」
「そりゃいい。こちらのまともじゃない若者はこれから少々遠出するらしい。握り飯を持たせてやれ」
「むろんお代はいただくよ」
それを待つ間、宗次は店の裏手に建つ離れ部屋に足を運んだ。信秀の仕事場である。寅次郎は好奇心が強くてこの部屋にもついてきたが、波形屋庄之助はまったく関心を示さず、旭屋の店頭から動かなかった。
信秀は清麿に師弟の礼をとっているが、清麿の仕事場にも行かず、こちらの自室に籠もっているのだから、勝手なものである。正式な弟子というより、やはり客分だ。
仕事場を覗くと、信秀は刀身に向かい、タガネをふるっている。ろくでなしだが、仕事熱心ではある。
アサヒも彫金をやるから、この部屋を使っている。隅に彼女の作業机があり、道具が散らかっていた。手がけているのは刀身彫刻や刀装具ではなく、煙草金具が多い。師弟関係にあるこの二人の彫刻は写実的で濃厚だ。様式にとらわれず、斬新である。
「そこら中、切り子だらけだから気をつけなさいよ」
信秀がいい終わらぬうちに、寅次郎が顔をしかめた。
「あ痛。踏んだ」
「誰だい? 清麿師のところの客か。すぐわかるぜ」
信秀もアサヒと同じことをいう。宗次は手短に紹介した。
「黒船見物にな、清麿を誘いに来た長州萩の人だ」
「黒船とな。これは聞き捨てならねぇ」
信秀は彫刻を続けながら、いった。
「浦賀ですな。俺も連れていきなさい。宗次さんも一緒だろ」
「いや。そりゃ俺も興味はあるが……」
「いきなり誘われてついていくほど暇じゃないか。暇なんて作るもんです。こんな機会は一生に何度もありませんぞ」
「そりゃね、俺もかねてより外国船を見たいと思っていた。今度の黒船はこれまでの帆船とは違うようだの」
黒船はペリー艦隊の蒸気船を特定する言葉ではなく、帆船を含む外国船の総称である。
「尊王だの攘夷だの、そんなことには興味ないんだが……」
煮え切らぬ宗次に、
「物見遊山、おおいに結構です。物見高いのは工匠に大切な資質です。では、御一緒しましょう」
寅次郎がそういい、さらに信秀が、
「こういうヤカラは有無をいわさず押すなり引っ張るなりすりゃ動くもんさ。行こう行こう」
彫金道具を置き、躊躇せずに着替えを始めた。
「ヤカラとは何だ、ヤカラとは」
「あはははは。桑名松平家お抱え刀工には失礼でしたかね」
信秀がそういったので、寅次郎は少しばかり尊敬の眼差しを宗次に向けた。
旭屋の店頭へ回ると、波形屋庄之助の姿はもうなく、アサヒが握り飯の竹皮包みを差し出した。
「あの人、あんたたちなんか待ってないよ。徳利を一本下げて、清麿師のところへ向かったよ」
寅次郎もまた一本をぶら下げ、信秀もせわしなく店先へ出て来た。
だが、宗次にしても、このまま浦賀へ直行するわけにはいかない。着替えて、足元も草履を草鞋に履き替えねばならない。
「じゃあ、清麿師のところに集合ということにしましょう。今夜のうちに大川(隅田川)を下るつもりです」
そういう寅次郎と別れた時には、宗次もすっかり行く気になっていた。
彼が身支度を整えて清麿のところへ行くと、鍛錬場の前で、寅次郎が柿の木を眺めていた。
「ここにも柿の木があって、鉄クソが捨ててある。刀鍛冶というのは迷信深いものですなあ」
例によって本気で感心しているが、傍らにいた信秀は一笑に付した。
「迷信深いわけじゃない。刀鍛冶は迷信で自分を飾り立てるのが好きなのさ。客も神がかりな話を有り難がるからな」
「なるほど。深いですなあ」
「へっ。寅さんはつまらんことを感心する御仁だねぇ。さ、宗次さん、出発しましょうや」
信秀と「寅さん」は歩き出したが、宗次は清麿宅を振り返った。姿は見えない。しかし、声が聞こえる。
「清麿はどうしてる? 女房のキラが何やら金切り声をあげているようだが」
寅次郎が答えた。
「生まれてくる子供を刀鍛冶にはしないと叫んでいるようです。貧乏だし汚いし浮世離れしているし……。いや、女房殿がそうおっしゃっているんです。私じゃありません」
「わかってる。俺もさんざん嫁から聞かされたよ。しかし、まだ男か女かもわからないのに……」
「女でも刀鍛冶になれるでしょう」
「女が打った刀を武士が差すかね。ところで、あの波形屋とかいう旦那は?」
「落胆して帰りましたよ。せっかくの土産も無駄だったようです」
「跡継ぎ探しは収穫がなかったか」
「清麿師によれば、行丸という刀工名を与えたそうです。世間の通称は楽太。葛飾北斎という稀代の絵師の血縁らしい名前というか何というか」
「それで?」
「十四、五で入門して、一年ほど修業したらしいです。清麿師が風を食らって萩へ向かった時、途中まで同道したが、急な病で死んだとか」
「その行丸だか楽太だかの亡骸はどうした?」
「通りすがりで見つけた寺に供養を頼んだようです」
「波形屋はそれで得心がいったのか」
「遠く離れた名前もはっきりしない荒れ寺では、確かめようがありませんからね」
「まあ、商家の跡取りには商才ある使用人を養子にすることが多い。消息不明の血縁者なんぞ探す必要もなかろうがな」
「とはいいながら、宗次さんは得心いかぬようですね」
「波形屋は北斎師の周辺からたどって、楽太とやらが清麿の弟子になったことを突き止めたんだろ。すでに死んでいることは知り得なかったのかな」
「そもそも事情を知っている人がいないでしょう。北斎先生は亡くなり、娘の……お栄さんでしたか、その人も行方知れずなんでしょう」
「うむ。北斎師には他にも子や孫があったようだが、疎遠だった」
「お弟子さんは?」
「画名を金で買うような奴ばかりだからな。高弟の北馬さんや北渓さんなら何か知っていたかも知れねぇが、両人ともすでに故人だ」
北馬は弘化元年(一八四四)に没し、嘉永二年(一八四九)に北斎の葬儀に参列した北渓もその翌年に死んでいる。北斎は九十歳というこの時代としては驚異的な長命だったから、関係者も生き残っていないのである。そもそも北斎や栄は人づき合いなど超越していたため、宗次にしても、北斎の血縁者のことはろくに知らなかった。
吉田寅次郎と宗次、それに信秀の三人は佃大橋から船便に乗る算段だったが、逆風のため出発は遅れた。翌朝、まだ暗いうちに隅田川を下り、ようやく江戸湾へ出たのだが、風も潮流も好転しないため品川へ上陸した。川崎、神奈川、保土ヶ谷を経由して野島からまた舟で大津へ到達し、そのあとは徒歩である。
浦賀到着は六月五日の夜四つ(午後十時)であった。寅次郎などは若いし、黒船への関心も強いから元気だが、宗次には過酷な小旅行だった。ただ、好奇心は満たされそうだ。
浦賀の周辺は幕府軍や諸藩の兵が戦国さながらの陣立てで臨戦態勢である。湾内には明かりを点した船が何隻か浮かんでいるが、黒船はどこにいるのか、判然としなかった。
「奉行所へ行きましょう」
と、寅次郎は暗い浦賀湾に背を向けた。
「私の師匠に会います」
幕兵に浦賀奉行所の場所を尋ね、海岸から離れた。奉行所には吉原遊郭のような堀がめぐり、石橋が架かっている。夜中ではあるが、人々がせわしなく出入りしている。ただ、開戦となりそうな緊張感はない。
門をくぐり、
「松代真田家の軍議役がおいでのはずだが」
寅次郎が来意を告げると、応対に出た役人は、
「あ。佐久間象山先生ですな」
眠たげな声をあげ、一行を案内した。奉行所の一角に佐久間先生とやらが門下生とともに滞在しているらしい。
宗次にも聞き覚えのある名前である。兵学者にして思想家。信州松代藩士であるが、江戸木挽町で塾を開き、野望あふれる若者たちを教育している。吉田寅次郎もその門下生だった。
集会所のような広間に武士たちがたむろしていた。寅次郎が声をかけると、四十代前半の男が振り返った。異相である。日本人離れした彫りの深い顔立ちで、窪んだ目元に険がある。地元では「テテツポウ(フクロウ)」と渾名している。これが佐久間象山という人物だった。
「おお。吉田君。東北遊歴から戻ったか。何だ。借金取りでも引き連れてきたのか」
象山は宗次と信秀へからかうような視線を向けた。寅次郎は困惑を苦笑に変え、彼らを引き合わせた。
「こちら、桑名松平家のお抱え刀工で、固山宗次師です」
紹介された宗次が挨拶を発するより早く、
「知らんな」
象山は撥ねつけた。
「ほれ、水野越前(忠邦)殿に御役御免にされた窪田清音が面倒を見ている清麿とかいう刀鍛冶なら知らんでもない。清麿の兄の真雄にはわが松代真田家が目をかけている」
この男、偉ぶることで初対面の相手よりも優位に立とうとする性分らしい。しかし、象山のそんな気質などお構いなしの人間もいる。
「私はね、その清麿の弟子で栗原信秀という者です」
信秀はこの場でも自己主張を忘れない。
「私は師匠にもできない彫り物が得意です。刀はただの人斬り包丁ではない。彫り物で飾り立てりゃ、愚かな夷狄でもそれがわかる。土産として売れますぞ」
「商売の話はよそでやってくれ」
と、象山。こいつら、いい勝負だな、と宗次はあきれたが、寅次郎は真顔で象山を見つめている。
「……で、先生。今後はどうなるのですか、あの黒船」
「今回の来航はアメリカ大統領からの親書をお上(徳川家慶)に渡すことが目的だ。幕府は長崎へ回れと通達したが、聞く耳を持たぬ。ペルリとかいう水師提督は顔を出さぬくせに、こちら側には一番偉い役人を出せと威張り散らしている。さもなくば、親書をお上へ直接渡しに行くと脅しをかけ、内海(江戸湾)の測量まで勝手に始める有様だ」
「無礼ですね」
「それをなだめすかし、与力を奉行だと偽って、交渉に当たらせているが、本物の奉行二人が栗浜(久里浜)あたりで受け取ることになりそうだ。奴らは開国を求めているわけだが、お上は病にふせっていて決定できない、と一年の猶予を求める方針だ」
将軍家慶が病床なのは嘘ではない。この日から十七日後の六月二十二日には薨去するのである。
寅次郎は目を異様に光らせながら、いった。
「すると、回答を受け取るために、来年にはまたアメリカ夷がやってくるわけですな。その時にこそ、わが日本刀の切れ味を見せてやりたいものですなあ」
実際、寅次郎は肥後の宮部鼎蔵への手紙に書いている。「此の時こそ一当(ひとあて)にて日本刀の切れ味を見せ度きものなり」と。
「しかし、バケモノみたいな軍艦の前では蟷螂の斧。刀が戦の役に立つのかと疑問ですね」
「なんの。刀は国の衛士たる武士が帯びるもの。刀が朽ちれば国も朽ちる。なあ、刀鍛冶の先生」
と、象山は宗次を見やった。明らかにからかっていたが、名前を覚えていないらしい。宗次も感情を遮断し、象山の無礼な言葉を聞き流している。
しかし、象山のでかい声は周囲の耳目を集める。彼らが集まっている広間の前を通りかかった一団の中から、悠揚迫らざる武士が抜け出てきた。
「おお。固山殿ではないか」
まっすぐ宗次の前へやってきて、温厚に目尻を下げた。
「ひさしいの」
「あ。これはこれは……」
浦賀奉行の戸田氏栄だった。この当時、浦賀奉行は二人制で、その一人をつとめる旗本である。官位は従五位下伊豆守という大名並みの高級武士であり、宗次はこの人物のために大小を鍛えたことがある。
「わが佩刀は幕閣の間でも評判でな。わしも鼻が高いわ」
「恐悦至極でございます」
「何故ここへ?」
「まあ、色々と気にかかることがありまして」
「おお。浦賀奉行が腹を切ったとかいう噂を聞きつけ、わしを心配してきてくれたか」
「ああ。ええ。まあ……」
「そうか。すまんのう」
もう一人の浦賀奉行は井戸石見守弘道である。
「奉行は二人とも無事じゃ。浦賀の住民には避難を始めるそそっかしい者もおるが、アメリカには害意はない」
「それならよろしいですが」
「色々と話したいところではあるが、見た通りの右往左往だ。会見場を急造せねばならんのでな」
「会見なさるのですか」
「親書を受け取るだけだ。会談はできぬ。親書は浦賀で受け取るが、回答はあくまでも長崎で、と押し通すつもりだ。あちらのペルリ水師提督がおとなしく引っ込むとも思えぬがな」
「はあ」
「では、これにて失礼する。この通り、わしは壮健ゆえ気遣いには及ばぬ。夜が明けたら、黒船見物でもしていくがよい。ははははは」
奉行が能天気な笑い声を残して去ると、佐久間象山は口元を歪めながら、値踏みする視線を宗次に向けた。
「お見それした。なかなかの刀鍛冶のようですな。顔も広くていらっしゃるらしい」
「何、世渡り上手と揶揄する者どもも多くおります」
「その顔の広さで、わしに女子を世話してもらいたいものだ」
「おなご……ですか?」
「わしの血を継けば必ずや傑物が生まれる。安産に向いた尻の大きな女がいたら、紹介していただきたい。わは、わはははははははは」
宗次が呆気にとられていると、寅次郎はこわばった顔を崩して微笑んだ。
「象山先生の口癖みたいなもんです。昨年暮れ、幕臣の勝麟太郎(海舟)殿の妹御を娶ったばかりです。その時、先生四十二歳、奥様十七歳でした。妾も同居しているという、凡人には真似できぬ艶福家です」
「ふん」
雲行きがあやしい時代にはこういうケレン味の強い男がのし上がってくるものだ。凡人の及ばぬ才能の持ち主ではあっても、平穏な世ならば鼻つまみ者である。
象山には四人の子があったが、成人したのは妾が産んだ三浦啓之助だけである。彼はのちに新選組に入隊したものの、脱走。維新後は父親の余徳で司法省に出仕するが、免職。期待はずれの「傑物」であった。