童子切り転生 第十回

童子切り転生 第10回 森 雅裕

 車を東博構内に停め、渡辺綱を携帯で呼び出して、迷いそうな上野の地下を案内させた。

 私はそれこそ鬼気迫る形相だっただろう。それで、私が依吏子再生の解決策を持ってきたことを察したのか、綱は何も尋ねず、別の話題を口にした。

「警察の帝刀保ガサ入れは、地味なものだったようですな」

「テレビは見ていない。新聞は取っていない。若い頃、何年も新聞社でバイトしてたから、ああいうものに金を使いたくないんだ。いい思い出が少ない職場だったもんでね」

「テレビでは、NHKが控え目に報道したのみです。それもガサ入れの映像はなく、協会本部の外観写真がチラリと出ただけでした」

「そんなものさ。今後も世間が気にすることはないだろう」

「むしろ、上野公園から鳩やカラスがいなくなったことの方が、ニュース番組を賑わせている」

 と、茨木が補足した。

「先日まで亡霊たちが跋扈していたこともあって、パワースポットとやらで注目されてるんだ。上野の観光振興会も歓迎してらア。菓子屋は彰義隊せんべい、そば屋は彰義隊丼を売り出した。動物園の売店じゃ彰義隊パンダのぬいぐるみを試作してるらしい。亡霊どもは鳴りをひそめちまったから、いずれ終息するだろうが」

 彰義隊パンダとはどんなものなのか、興味があったが、今はそれどころではない。

「で、協会のガサ入れは?」

「警察は所蔵品の管理体制を捜査しただけで、業者と癒着した鑑定書の濫発については、目を向けていないようだ」

 当然といえば当然なのである。このガサ入れは、官僚が協会の手綱を締める茶番にすぎない。

 綱が、いった。

「文化庁の意向ですよ。世の名刀が偽物だらけという話になれば、文化庁が管轄する国宝や重要文化財の刀剣にも疑惑の目が向けられる。二十数年前にも、重文指定した上古刀が現代の作ではないかと問題化して、国会でも取り上げられたが、結局、文化庁は押し通した。無機物の刀剣でも、鉄を木炭で還元している以上、含有炭素から年代測定ができます。だが、そんな研究をやっている大学に文化庁は圧力をかけたという噂もあります。自らのミスは認めないのが官僚です」

「頼光の遺志を継いで、そんな刀剣界を刷新するのが、お前さんを含めた四天王じゃないのか」

「過去の指定品を俎上にあげたところで、何になります? 高価な名刀の中に偽物が混じっていると指摘すれば、所有者が泣くだけでしょう」

「泣いたって、かまうものか。大体、真の愛刀家なら指定品なんていう肩書きで刀を選んだりしないものだ」

「何だか、ひがみっぽく聞こえますな」

「どうせ貧乏人のひがみさ」

「とにかく、今後、デタラメな指定がなされぬよう、この業界を整備していくことが肝要。過去より未来を考えるべきです。そもそも――」

「何だ?」

「刀剣界刷新のために何ら働きもせぬ者に、とやかくいう資格などありますまい」

「ふん。返す言葉がないね」

 地下室には、協会の鯉墨が預けていった隠匿刀剣、小道具が置かれたままだ。

「そうそう。鯉墨は詰め腹切らされて、協会を辞めることになりましたよ」

「失業しても、この隠匿物を処分すれば、当分は遊んで暮らせるだろう」

「当分じゃなく、一生ですよ」

 そして、革包みの太刀拵に納まった童子切り安綱が置かれていた。

「その童子切りは頼光所持の本物なのか」

「本物です。展示品の国宝と再び入れ替えた」

 綱はそれを茨木に渡した。

「お前の責任で、多田神社へ戻しておけ」

「御神刀がまた自ら戻ってきたと伝説化するかな。拵がピカピカの新品同様になってしまったのも、霊力だと信じてくれれば世話ないが……。とりあえず、童子切りを盗まれた吉野義光にしてみれば、ひと安心だ」

 私がそういうと、当の吉野──ではなく茨木は鼻で笑った。 

「吉野とは俺のことか。お気遣い、ありがとうよ。盗品なんか、俺にはどうでもいいことだがな」

 奥の部屋に入ると、依吏子が以前と変わらず、静止している。今にも動きそうに見えるのが、かえって、痛々しかった。

 私はポケットから目貫を取り出した。

「依吏子の胸の傷に当てろ」

 茨木がいった。それは頼光が童子切り安綱で刺し貫いた傷である。服には血の染みた穴が開いている。それを広げると、直視したくない傷口がある。目貫を押し当てた。

 私の脳が震動した。眼前を猛烈な速度で走馬燈が走った。依吏子が生まれ、成長する過程の映像だ。一緒に暮らしたことはほとんどない私が記憶していないはずの映像も織り込まれていた。

 それどころか、現代とは思えない光景も駆けめぐった。平安時代なのか江戸時代なのか、フィクションの豪華時代劇では見たこともない、細部までリアルで、匂いさえ感じられそうな映像だった。これは舞琴の記憶なのか。

 弾かれるような衝撃が指先にあって、私は目貫から手を離した。目貫は依吏子の膝に落ちた。

 依吏子の前に蒸気のようなものが光を放ちながら立ちのぼり、人の形へと変わった。顔立ちは依吏子のようでもあったが、垂髪に着物姿だ。白小袖に単、袿を重ねた、平安の装束である。バックに音楽さえ聞こえそうな美女の出現だった。

「舞琴……」

 茨木の呼びかけには、千年の重みを持つ万感の思いがこもっていた。吉野の姿ではなく、本来の美青年に変わっている。

 彼と視線を交わし、舞琴は花がほころぶように微笑んだ。美術家なら、その姿を作品に残したいと願う、輝くような美しさだった。実際、光を放っていた。

 茨木が手を差し伸べたが、指先は彼女の身体を空振りし、発光が強くなった。舞琴は光そのものになり、その光は小さくなって、目貫へ吸い込まれた。

 茨木は目貫を拾い、

「依吏子の心臓が動いているぞ」

 と、いった。地獄耳の彼は鼓動を感じるのだろう。私に聞こえたのは別の振動音だ。振り向くと、傍らの童子切りがマナーモードのように震えていた。それがおさまると、今度は地鳴りが聞こえ始めた。地下全体が揺れている。

「娘さんを連れていきなさい」

 綱が素っ気なく、いった。私はまだ目覚めない依吏子を抱き上げた。

 壁がきしみ、天井から破片が落ち始めた。地下室が崩れる。床までもが揺れ動き、不気味な割れ目を開いた。私が転ぶと、茨木がかわりに依吏子を抱え上げた。彼は頭上に落ちてきたコンクリート片をモノともせず、歪んだドアを恐ろしい力で突き飛ばし、通路へ出た。そのあとに続きながら、私は振り返った。

 渡辺綱は泰然と立っていた。私と目が合った。だが、それは一瞬で、崩れる壁と猛烈な埃が、彼我の空間を埋め尽くした。

 地下のどこをどうくぐり抜けたのかもわからぬまま、もがき出た地上は東博資料館の近くだった。揺れはおさまっていた。

「一体、どうしたんだ?」

「おおかた、霊力のバランスが崩れて、地下の古い構造物は崩壊したんだろう」

「いよいよ、この国を壊滅させる大地震かと思ったぞ」

「崩壊したのは上野の地下だけだ。京成の電車はしばらく動けないかも知れんが」

 地上の光景には何の変化もなかった。茨木がまた吉野の姿に戻っているくらいだ。何故だか、こいつを殴りたくなり、数発、八つ当たりした。こっちの手が痛くなっただけだ。

 嘆息混じりに、私はいった。

「渡辺綱はどうしただろう?」

「こんなことでつぶされるタマじゃないさ」

「鯉墨が隠匿した刀や小道具も埋もれちまったぞ。選びに選んだ名品揃いだったらしいが」

「それもまた刀や小道具が持つ運命だ」

 私の足元をつかむ手があった。依吏子だ。

「どこ? ここ」

 目を開き、起き上がると、二回ほど嘆息して、乱れた髪をかき上げた。

「何してるの? 私を巻き込まないでよ」

「ここは上野の博物館だ」

「ええぇ? 私、さらわれたんだよね。誘拐犯、どうした?」

「とりあえず、私たちの前からはいなくなった」

「うわ、埃だらけ」

 彼女には誘拐事件よりも身なりの方が気になるらしい。

「どーせ、おとうさんがろくでもないことやらかした巻き添え被弾を食らったんだよね。あとで穴埋めしてもらうわよ」

「穴といえばなあ……お前、胸は痛まないか」

「別に」

「傷があるはずだ」

「あ。もうヤダ。服に穴開いてるし」

 衿元から、自分の胸を覗き込んだ。

「こっち見ないでよ。……別に傷なんかないけど」

「消えたのか。それは何より」

 依吏子は立ち上がり、青い空を見上げた。

「ひさしぶりに空を見る気がする。──ところで、そちら、どなた?」

 考えてみれば、依吏子は吉野とは初対面である。帝都ホテルで会った時は、茨木の姿だった。 

「吉野義光さんだ」

「ああ。アパート大家の刀鍛冶さん。──どうも、いつも父がご迷惑おかけしています」

 茨木はなげやりに会釈した。手には大切そうに目貫を握っている。彼には、それが恋人だ。

「長居は無用だ」

 私は茨木と依吏子を駐車場へ促した。茨木は傍らに転がった童子切りへ手を伸ばそうとしたが、依吏子が拾い上げる方が早かった。

「さわるな!」

 私は叫んだが、遅かった。依吏子は硬直し、呼吸さえ忘れた様子だったが、

「うわ」

 声を上げ、弾かれたように顔を上げた。

「感電したよ。この刀」

 茨木がその手から刀を奪った。

 私は茨木を責めた。

「何故、さわらせた!? こんな刀に触れたら、また何が起こるか、わからんぞ!」

「おいおい。転がっていたのを親切に拾ってくれただけだ」 

「いいや。お前は何か企んでる。だって、おかしいだろ。茨木は死んで転生しても、舞琴は目貫のままじゃ転生しない。来世で二人が出会うためには、舞琴は近くの女の身体に入る必要がある。え、違うか!?」

「また舞琴の魂が彼女に入ったと?」

「口にするのも恐ろしいこと、いうな!」

「娘を見ろ。何も変わったところはない」

 確かに、依吏子は怪訝そうに私を見ているだけだ。

「どうしたのよ。夢でも見た?」

 私は恐る恐る声をかけた。 

「依吏子。具合は悪くないか」

「全然。感電したら、むしろリフレッシュしたくらい」

 さっきまで死体同然だったのだが、本人には自覚がないらしい。

「何も覚えてないけど、私、何日、こんな有様だったの?」

「五日……かな」

「うわ。公演、どうなってんだろ? あーもう、携帯もバッグも何もないし。携帯貸して」

 貸してやると、依吏子は宝塚の仲間へ連絡を入れた。 

 西門の方向から、黒塗りの乗用車が空気を押しのけるように近づいてきた。私たちの傍らで停まり、後部席の窓が下りた。

「何だか、埃だらけですな」

 菊尾文化庁長官の顔が、そこにあった。

「生き埋めになりかけたからな。上野公園限定の地震があった」

「童子切りはどうした?」

「埋もれた」

「ま、そういうことにしておこう。私には必要なものでもない」

 目の前で、茨木が長いものを持っているのだが、菊尾は追及しなかった。

「おや。……みやび心華さん、御無事でしたか」

 そういうところを見ると、彼女の身に起こったことを承知しているらしい。電話中の依吏子は、恐ろしく爽やかな笑顔で菊尾に会釈したが、ほとんど見向きしなかった。私は彼女を隠すように、菊尾の視線の前をふさいだ。

「菊尾センセイ。地下に用があるなら、消防か自衛隊を引き連れて出直さなきゃ」

「何、地上にだって、私はいろいろ用がありましてね」

 後部席に納まっているのは菊尾だけではなかった。無表情だが、自信にあふれているのが伝わる、年齢不詳の男が同乗していた。哲学者にも凶悪犯罪者にも見えた。ゆっくりと視線が動き、目が合ったのだが、この男は会釈すらしなかった。私も、だが。

 菊尾の車が離れると、茨木がぼそりと呟いた。

「吉備武彦だ」

「え?」

「菊尾の隣の男……。吉備武彦だ。ヤマトタケルの東征に従い、彼が病に倒れると、臨終の言葉を景行天皇に伝えたという、古代の武将だ」

「娘がヤマトタケルの複数いた妃の一人だったという人物だな」

「何、わけのわかんない話してんのよ」

 依吏子は数カ所に連絡していると見え、さらに携帯のボタンを操作しながら、いった。

「お前、『古事記』や『日本書紀』くらい、学校で習わなかったのか」

「音楽学校だよ、私が行ったの」

 世界の違う依吏子にかまわず、茨木は言葉を続けた。

「渡辺綱は、現世に復活して霞が関に入り込んでいるのは、頼光四天王ばかりではない、と匂わせていた。古代史の英雄も蘇ったのかも知れない」

「時代を越えて働かされる人材なら、さぞ優秀なんだろうが、そんな吉備武彦がどうして、菊尾と一緒にいる?」

「以前、鬼が現代にも棲息していない理由はない、と俺がいったのを覚えているか」

「すると、まさか……」

「菊尾は現代の鬼族かも知れない。肚の座りようは人間離れしているし、あの若さでの閣僚入りも鬼だからと考えると、納得できる。あの野郎、盟友あるいは手駒として、古き英雄たちを復活させているのかも」

「鬼が源頼光やその郎党ばかりでなく、日本史上の英雄と手広く結託しているということか」

「目的が同じなら、手を組むさ」

「一騎当千の豪傑どもがぞろぞろ蘇ったとしたら、その目的は物見遊山じゃあるまい」

「この世を変えるつもりなのかもなあ。刀剣を初めとする日本文化にとどまらず、この国そのものを。いや、この小さな島国からも飛び出すかも知れんぜ、あの化け物ども」

「どうでもいい。私の前に現われなければ。お前も消えてくれ。その容姿は不満だろうが、せっかく復活したんだ。自分の時間を有意義に使え」

 車へ乗り込んだ。

「俺の時間とは吉野義光として生きていくことだ。つまり、お前のアパートの大家だ」

「勘弁してくれ」

 電話を終えた依吏子が、バックミラーで顔を覗いたあと、後部席へ乗り込んできた。

「私、とにかく劇場へ行かなきゃ。でも、このボロボロの格好で行って、『拉致されてました』というべきなの?」

「一旦、自宅へ戻れ。送っていく」

 世田谷の高級住宅地だ。地元では知られた家である。娘がタカラジェンヌであることも知られている。地下から這い出た姿では歩けまい。

「休演の段取りはしてあるんだから、急いで駆けつける必要はないだろ」

「そっか。うちにも連絡しなきゃ」

 携帯をいじり続けながら、いった。

「そういや、劇団に妙な診断書が出てるって聞いたけど、何のこと?」

「ああ……。いや、そんなことより、何日も行方不明だったんだ。育ての親に何と説明するか、考えろ」

「あ」

 電話をかけようとしていた手を止め、依吏子は思案し始めた。

 西門から出た車は博物館動物園駅跡を左折して、東博と上野公園の間へ入っていく。鳩が路上をうろつき、カラスが木から木へ飛んでいるのに気づいた。上野から姿を消していた鳥たちが戻っていた。

 しかし、彼らが忌避する童子切り安綱はまだ上野を離れていない。この車の後部席で、茨木が携えている。

(おい、そいつは本物の童子切りなのか)

 尋ねたいが、口には出せなかった。もう関わりたくなかった。

 先刻、依吏子がこの刀に触れてしまったことの意味も考えないことにした。とりあえず、事件は終わったのである。

「依吏子さんは茨木を覚えてますよね」

 唐突に、茨木が訊いた。

「ああ。見た目の涼やかな人ね」

「見た目だけじゃなく、中身もいい奴です。加納夏雄の煙管を持っているんで、あなたが欲しいといえば、くれますよ」 

「馬鹿野郎!」

 私は怒鳴った。こいつ、舞琴と束の間の再会を果たし、殊勝にも感傷的となっていたが、もう立ち直ったらしい。

「茨木! いや吉野! 茨木にいっとけ。俺の家族に近づくな!」

「お前、ほんとに頼光に似てきたな」

「将を射んとすれば馬を射よ、だ。煙管は私に寄こせ」

「前言訂正。頼光以下だ」

「すぐれた芸術作品はアーティストの創作意欲を喚起するんだ。私が持つべきだ」

「俺だって、刀鍛冶というアーティストだぜ」

「お前は──」

「いい加減にしなさい! そこの馬鹿二人!」

 依吏子が怒鳴った。

「大体、ナツオって、誰さ」

「おいっ!」

 私と茨木は声を揃え、同時に嘆息した。

「どういう教育をしているんだ、母里さん」

「私の責任か」

「これが現代日本人の常識レベルか」

「降りやがれ。お前は電車で高砂へ戻れ」

「地下トンネルが崩れて、京成は動いてませーん」

「じゃ、徒歩でもタクシーでも、好きにしろ」

「誰の車だよ、これ──」

「うるさいっ!」

 依吏子の声が車内に響いた。

「目上の人間に向かって、うるさいとは何だ。そもそも、お前、何日も消息不明だった女なのに、男に連絡している様子もないが、大事な相手はいないのか。そんな性格だから──」

「こちとら旅芸人なんだから、男なんて長続きしやしないわよ。でも、降るような縁談が関西の政財界から──」

「親子喧嘩か。子は親の鏡とは、よくいったもんだぜ」

 三人はそれぞれ、勝手に言葉を続けた。

 外は陽が射している。私たちは両大師橋から上野の山を下った。埃っぽい町が行く手にあった。とりあえず、平和だった。

 

お知らせ。
「童子切り転生」は今回で最終回です。