童子切り転生 第六回
童子切り転生 第6回 森 雅裕
霞が関の官庁街は、若い頃に新聞社でバイクに乗っていた私には慣れた場所だった。しかし、省庁の改変や改築が進み、当時とは一変している。昔はセキュリティも甘く、ヘルメットかぶったまま庁舎に入っても何もいわれなかったものだが、さすがに今はそうもいくまい。
かつての文部省も今は中央合同庁舎第7号館東館の文部科学省に名を変えている。私は受付へ向かおうとしたが、茨木はかまわず先へ進んでいく。職員も警備員も目を開いたまま寝ているような表情で、誰何も制止もしないので、私も茨木のあとに従った。
「感じるぞ。こっちだ」
茨木は五階の文化庁長官室まで迷わなかった。ドアを開けると、秘書らしいのが理解しがたい何かを見たという表情で迎えたが、やはり無抵抗、無反応だった。
奥の部屋に菊尾がいた。むろん、挨拶などしなかった。
「寄こせ」
これは私の言葉だ。こいつに対して、丁寧に接する気はなくなっていた。
菊尾は帯留を差し出し、茨木が手に取った。しばらく無言で眺め、私に寄こした。私もじっくり見るのは初めてだ。
垂髪の娘の図で、帝刀保の展示室で見た彫金板に似ているが、鬼の面など彫られていない点が異なる。確かに目貫を作り替えたものだった。素材はやはり山銅だ。銘などなくても、河野春明の作とわかる。晩年には出来不出来が激しい春明だが、こいつは力作だ。
帯留への改造は春明の死後のことだ。幕末から明治にかけて流行ったパチン式帯留である。金具部分は銀。
茨木は自分の片割れである目貫を知っているはずである。小さく頷いたところを見ると、間違いないようだが、なら、どうして、菊尾は簡単に返してくれるのか。
「これは頼光が探していた目貫ではないのか」
「少なくとも、そこに舞琴の魂は宿っていない」
と、菊尾。相変わらず傲慢だが、どことなく芝居がかっている。私の方が、人に悪印象を与えることでは勝っていそうだ。
「魂が宿っていない……って、どうしてわかる? 頼光はどこだ?」
菊尾は挑発的に笑っている。
「さて。そちらの茨木童子は人間に憑依し、記憶を共有できると聞いている。頼光の居所を知りたければ、私に乗り移ったらどうだ?」
「さっきから試みている」
茨木は呟いた。額に汗さえ浮かべている。
「ついでに、文化庁長官を操って、吉野義光を人間国宝にしてくれようとも考えたんだが」
そんな冗談を口にしたが、こいつのこれほど真剣な顔を初めて見た。
対する菊尾は、悠然と唇の端だけで笑っている。
「その身体から出られないか」
そうらしい。茨木は物凄い音を立てて、歯ぎしりした。私は代替案を口にした。
「仕方ない。じゃ、文化庁長官を拷問だ」
「それには及ばないよ」
菊尾は余裕の表情で、いった。
「ついて来い。案内する」
運転手つきの公用車は虎ノ門方向へ三分も走らないうちに停まった。燃料の浪費だ。近代的なビルへ案内された。
「何なら、茨木だけ行ってもらって、私は近くで待っているが」
私はそう申し出たが、菊尾は黙殺した。愛想のない奴だ。
「ここに私が借りている部屋がある。頼光はそこだ」
あやしげな地下へ引きずり込まれるのかと思ったら、乗せられたエレベータは上昇した。
私は半ば自暴自棄だった。
「ここなら帝都ホテルに近い。欲しいものはすぐ盗みに行けるな。霞が関の地下には、戦前からトンネルが張り巡らされ、有事にそなえたシェルターがあるという。そんな国家機密の場所へ案内されるのかと思ったが、妖怪変化は暗い密室が好きとは限らないのかな」
「頼光は怨霊であって、妖怪ではないぞ」
「その定義については茨木とも議論したから、承知している。私がいう妖怪変化とは、あんたのような政治家のことさ。地下に自分たち専用の快適空間を作っていそうだぜ」
「はは。作りたいものだな。シェルターとて、芸術的な快適空間であるべきだ。有名建築家のデザインに有名作家の装飾――」
「ふん。芸術とは本質的に反体制であるはずだ。霞が関の御用芸術家なんざペテン師だよ」
「一世紀前、パリ地下鉄が作られた時、エクトール・ギマールは鉄とガラスという無機質な材料で駅をデザインしたが、あまりにエキセントリックであったため、激しい批判を浴び、オペラ座広場駅などは取り壊された。それが、現代に残る一部の駅はアール・ヌーヴォーを代表する鉄の芸術と評価されている。世間とは愚かなものよ」
「あのなあ、あんた、私のいってることの意味がわかってないだろ。まあ、それでこそ政治家だが」
エレベータを下りると、様々な表札、看板を掲げたドアが廊下に並んでいる。
一室に入り、内部のもう一つのドアを開けると、そこには熱気がこもっていた。窓は広く、明るいのだが、気分のいい熱気ではない。
ジャージ姿の男が一人いて、刀を振り回していた。長髪はうしろでまとめている。オヤジのポニーテールなど大嫌いな私だが、この男には妙に似合っていた。
部屋に調度品の類はほとんどなかった。というより、机、椅子、冷蔵庫に至るまで、切り刻まれた破片となって、床に散乱していた。試し斬りの犠牲になったらしい。
栗塚旭を凶悪にしたような男が、我々を振り返った。
「来たか、茨木。ひさしいの。その身体の住み心地はどうだ?」
「頼光……。随分とモダンになったものだ」
「烏帽子直垂か甲冑姿でも想像していたか。それほど時代錯誤ではない」
「刀を振り回してりゃ、充分に時代錯誤だ」
「こいつが振り回してくれと泣くのよ」
頼光は手にした刀へ視線を落とした。吉野義光の仕事場から奪った安綱だ。しかし、今、肌は青く研ぎ澄まされ、伝来品なら重文指定は確実な革包みの立派な太刀拵がつけられていた。吉野の部屋にあったあのボロ拵が、霊力とやらで復活したのか。
「そちらは現世での友人か」
頼光が私を指すと、茨木は大雑把に紹介した。
「吉野のアパートの居候さ」
当たらずも遠からず。とりあえず、私は名乗った。
「母里真左大。駄文を書き散らし、彫金を少々嗜む」
「つまり、ろくでなしか」
「まあね」
「帯留の持ち主の父親だな。見知りおくぞ」
少しは興味を持ってくれているらしい。しかし、不愉快でしかなかった私は「尊大には尊大」と、
「苦しゅうない。オモテを上げい」
と、返した。むろん、頼光は最初から面を上げているが。
そこへ、茨木が割って入った。
「帯留の目貫に舞琴の魂は宿っていなかったそうだな」
「茨木よ。お前がそれを確かめにここへ来たからには、探していた目貫に間違いないということだ。その帯留に使われている目貫、河野春明がお前と舞琴を対にして彫ったものかどうか、当のお前が知らぬわけがないからな」
「そうか。帯留を菊尾の手から返してくれたのは、俺があんたに会おうとするかしないか、反応を見るためだったか」
「気づくのが遅いぞ、茨木」
「ふん。どうせ、あんたとは相まみえる宿命」
「では、ここで問題だ。目貫からすでに舞琴の魂が抜けていたのはどういうわけか……」
「あ、いや。こいつが探し物だと決めつけるのは早計じゃないかな。ははは」
茨木は笑ってごまかそうとした。こいつ、結構、間が抜けている。
「とぼけるな、茨木。目貫が脱け殻なら、舞琴はすでにこの世のどこかに実体化している。私もお前も今、それに気づいた」
「違う」
「違わない」
「違う」
「違うというなら、試してみるか。帯留を渡せ」
頼光は童子切り安綱を突き出した。帯留は私が持っている。茨木が目くばせするように頷いたので、私はそれを安綱の平地の上へ乗せた。頼光が構える刀に近づくのは、さすがにへっぴり腰となった。
頼光は安綱の刀身を跳ね上げ、帯留を真上へ飛ばした。安綱が一閃し、光の筋が走った。帯留は吸い込まれるように、宙空で切断された。
「何、しやがる!?」
叫んだのは茨木だ。
「芸術の破壊だぞ、コラ」
「春明みたいな江戸の職工とつきあったせいか、言葉が悪いな、茨木。そんな帯留にはもう用はあるまい。そいつにわが娘、舞琴が宿っていたら、この安綱が触れた時に娘は蘇る。魂は私の意識に直接、話しかけることもできる。近くの誰かに憑依もできる。だが、何も起こらぬではないか」
「待て待て」
私は二つになった帯留を拾い上げた。
「こいつが抜け殻だとしたら、安綱は幕末以来、多田神社にあったはずだから、安綱の霊力が目貫に触れなくても魂は抜けられるということになる」
「そうだな。人智を越えた何かが起こったのかも知れぬぞ」
「その安綱の霊力だか妖力だかはともかくとして、切れ味はわかったよ」
帯留の切り口は尋常ではなかった。こんな大型刃物を振り回すゾンビとは同じ部屋にいたくない。
「じゃ、茨木クン。そろそろお暇しようか」
「安綱を渡して欲しいものだ」
茨木は動かない。私は嘆息した。
「あんなもの、くれてやれ」
「舞琴がすでに実体化しているとしても、彼女と再会するには安綱の霊力が必要だ。頼光に持たせてはおけない」
「あのな、恋人の父親を呼び捨てにするのは感心しないぞ」
「父と呼ばれるよりマシよ」
と、頼光は安綱の切っ先をこちらへ向けた。
「取れるものなら、取れ」
茨木は顔を歪め、歯を鳴らした。頼光は嘲笑を浮かべたが、意外と明るい表情だった。こいつ、根っからの極悪非道ではないのかも知れない。
「ふはは。茨木よ。私に憑依しようと試みているようだが、無駄だ。お前にはもはやそんな力はない」
「何だとお……?」
「吉野を襲い、この刀を奪った時、お前が近くにいる気配を感じた。吉野を殺したのは、お前が憑依して復活させることを予測したからだ。うわべだけの復活だが」
「吉野の死体に細工したのか」
「二度とお前がその身体から出られないように、な。自由勝手にうろつかれちゃ迷惑だ。首のうしろに十字の傷があるだろう」
衿首を見ると、強力な治癒力を持つ鬼のくせに小さな傷跡が残っている。
頼光は安綱のハバキ元を指した。
「ほんのちょっとだが、刃を欠いて、その鉄片を吉野の首に埋め込んでおいた。その身体に憑依した魂は封印される」
「何だよ、そりゃ」
「鉄片を取り除こうとすれば、宿主の身体もろとも、滅びるのみ」
「貴様あ……」
茨木の顔が怒りで変化する。角が生え、唇が裂け、牙を剥く。
私も怒気や恐怖が錯綜し、思わず罵倒した。
「そんなことのために吉野を殺したのか。そういう奴だから、娘に逃げられるんだ」
頼光も顔色が変わった。
「お前、不愉快な奴だ」
「お互い様だ」
非難はしてみたものの、こちらに勝ち目はなさそうだ。私は茨木の肩に手をかけ、
「ここは帰るしかなさそうだ。じゃっ」
頼光に敬礼しかけたが、その時には至近距離に迫っていた。安綱が一筋の光を放ち、どさり、と茨木の片腕が落ちた。
茨木は咄嗟に頼光の腹を蹴り、十メートル向こうの壁まで飛ばした。衝撃で部屋が揺れた。
私は今にも吐くか気絶するかと恐れながら、何とか立っていた。
「茨木! 大丈夫か!?」
「畜生。渡辺綱に腕を切り落とされて以来、二度目の痛みだ。母里。逃げるぞ」
茨木は腕を拾い、ドア付近にいた菊尾を睨みつけた。菊尾は意外なくらい肚が座っており、動じなかった。
「もう帰るのか。気ぜわしいことだ」
菊尾は我々に通路を空けた。茨木はドアを破ったが、さすがに動きが鈍い。頼光が悠然と追ってきた。
「源氏の英雄がこんな暴力主義者とは」
と、私。茨木は慣れているのか、取り乱しもせず、ニヒルなままだ。
「怨霊は性格がねじけるものさ。もしてや娘のことになると、奴は狂う」
頼光の投げた椅子が私の眼前で砕け散り、茨木の腕から落ちる血で足が滑った。私たちが隣室の机の陰に倒れ込むと、頭上で、頼光のふるう安綱が電気スタンドやパソコンを薙ぎ倒した。
「茨木! 敵地に乗り込んでも怨霊と鬼が乱闘なんてことにはならないはずだったろ!」
「文化庁の中では、と俺はいったんだ。ここは文化庁じゃない」
「こ、この、理屈鬼!」
暴れながら、頼光は笑い声をあげていた。先刻、根っからの極悪非道じゃないかも、と感じたことを後悔させられた。
「頼光! あんた、文化の救世主じゃないのか!? まずモノを大切にしろ!」
「利用できるものは残す。だが、邪魔なものは破壊あるのみ。童子切り安綱は鬼の血を求める。お前は鬼の友達だからな。仲間だ」
「どうやら誤解があるようだ」
その時、私のポケットで、のどかな「すみれの花咲く頃」のメロディが鳴った。依吏子が歌っている着歌だ。
頼光の動きが硬直した。というより、安綱の切っ先が方位磁石の針のように私──ではなく、携帯を指し示し、動かなくなった。
それを見た茨木が、
「今のうちだ!」
叫んだ。
私はそのへんのガラクタを頼光へ投げつけながら、物陰から這い出た。同時に、通話ボタンに触れてもいないのに、携帯から依吏子の声が大音量であふれ出した。
「もしもーし。おとうさん? 聞こえてる? 何やってんのよ」
私は携帯を取り出し、
「今、取り込み中だ!」
怒鳴った。
「何よ、もうすぐおとうさんの誕生日だから、私――」
茨木が私の肩をつかみ、怒鳴った。
「何やってる!? 電話を切れ!」
「違う! 通話ボタンは押してない!」
これも頼光あるいは安綱の霊力か。
頼光を振り返ると、彼は目を見開き、何かを探すように私の手元を睨んでいる。口元だけは意味ありげに笑っていた。
「いい加減にしなさいよ、この能天気オヤジ! 公演にだって来てくれないしさ、何よ、私の育ての親に遠慮してる!? ばっかじゃないの――」
依吏子の罵倒をそのあたりまでは私も聞いていたが、あとの言葉は耳に届かなかった。
茨木は廊下へ私を促し、転がり出た。頼光は追ってこなかった。
この騒ぎは何事かと他の部屋から顔を出す者もあったが、茨木は美青年ではなく、文字通り、鬼の形相となっていた。しかも、切られた片腕をつかんでいる。
「TVの撮影です、引っ込んでいてください!」
私が叫ぶと、邪魔をする者はなかった。というより、私たちに反応しなかった。姿が見えていても、私たちが何であるのか認識できず、反応しようがないのだろう。
階段口へ飛び込んだ。携帯はまだつながっている。
「彼女に会おう。今すぐだ」
と、茨木は階段を飛ぶように駆け下りる。
「おい。どういうことだ!?」
「とりあえず、彼女に身を隠すようにいえ!」
「理由は何だ!?」
「早く伝えろ!」
私は携帯を耳に当てた。
「依吏子。どこかへ身を隠せ!」
「何いってるのよ。私、労働者なんだよ。これから夜の部の公演が始まるの」
「何時に終わる?」
「ふふん。娘の仕事が終わる時刻も知らないんだ。もういいよ」
切られてしまった。
「身を隠すどころか、これからライトを浴びるらしい」
折り返し電話しようとしたが、指が震えて何度か失敗し、ようやくつながっても、出てくれなかった。
「まずい、まずいぞ」
茨木は赤くなったり、青くなったり、せわしなく顔色を変えている。
「童子切り安綱が携帯に反応して、彼女の正体を頼光に教えた。奴は狙いのものを見つけた。だから、今は俺たちを追ってこない」
「何だ、どういうことだ!? 説明しろ」
茨木は血まみれの上着を脱ぎ捨てた。すでに片腕はもとに戻っていた。トイレで血を洗い、こけつまろびつ一階ロビーへ出ると、彼は吉野の姿を取り戻している。
「お前の娘が舞琴の魂の宿主だ。彼女自身は知らぬことだろうが」
思わず茨木を見やったが、冗談ではないらしい。
流出した血液の補充なのか、彼は自販機でミネラルウォーターを何本も買い、ものすごい勢いで次々と飲み干した。
ひどい身なりなので、上着を貸してやった。親切心というより、世間から注目されたくなかったからだ。さすがの鬼の通力もこの傷で減退したのか、見て見ぬはずの通行人が、いちいち視線を向けてくる。
外はすでに日暮れが近づいている。
「依吏子は今日は劇場にいるのか」
「人の娘を呼び捨てにするな」
「おや。お前も娘のことにはムキになるじゃないか。あの娘には俺の恋人の魂も宿っているのだぞ」
「どうして、そういうことになるんだ?」
「目貫はすでに脱け殻だった。そこに宿っていたはずの舞琴の魂が抜け出したのは、帯留に加工された時しかない」
「そういえる根拠は何だ?」
「帯留への改造は、目貫として片割れと引き離されるということだ。下手な細工をされたら、目貫として台無しにもなりかねない」
「まあ、鬼の目貫を鐔に象眼しようとした奴もいたからな。それを救ったばかりに、私はお前とつきあうハメになった」
「あの時、お前の夢の中に俺が現われたように、安綱の霊力なしでも、意識に訴えかけることはできる」
「しかし、こうして実体化したのは、目貫が安綱に触れたからだろ」
「霊力の発揮は安綱に限るわけではない」
「じゃ、他に霊験あらたかな何かが?」
「いや……。舞琴の場合は、懸命の情念が強すぎるほどに強く、安綱のような霊力なしでも目貫から抜け出ることを可能にしたのかも」
「懸命の情念……? 頼光がいっていた、人智を越えた何かとは、それか」
「俺への想念といってもいい」
「勝手にのろけてろ。だが、抜け出た魂はどこへ行った?」
「女の魂は女の身体に入りやすい。近くにいた女を宿主としたのだろうが、おそらく、生粋の鬼ではない舞琴にはそれが限界で、霊力を使い果たし、長い眠りに入った……」
「つまり、それが……?」
「依吏子の祖先だ。宿主にはその意識はないが、代々、受け継がれてきた」
「今は依吏子がその魂を受け継いでいるのか」
「受け継いでいるだけなら、話は簡単だ。身体を貸しているに過ぎないからな。童子切りの霊力で魂を目覚めさせられる」
「簡単じゃない場合があるのか」
「依吏子自身が舞琴の化身、つまり生まれ変わりである場合だ。二人の女の魂はDNAに織り込まれ、生命の根幹部分を共有しているから、簡単には分離できない」
「わかりやすく、いえ」
「舞琴の魂は依吏子以外の身体に入ることが不可能になってしまうんだよ。まあ、しかし──」
「何だ?」
「依吏子が舞琴の化身として現世に誕生するためには霊力が必要となる」
「たとえば、童子切り安綱のような……か」
「ああ。依吏子の母親が妊娠中に童子切りに触れなければ、そんなことにはならない」
「あるわけないだろ、そんなこと」
「だよな。ふははははは」
「とにかく……頼光も依吏子が何者か、気づいたわけか」
「当然」
私はどこかへ引き返したい気分だった。だが、行く先は一つしかなかった。
「劇場へ行くぞ」
虎ノ門から日比谷くらいなら、普段は徒歩の距離だ。私は走り出そうとしたが、振り返ると、茨木はタクシーを停めていた。
「無駄遣いだ。飛ばしても、どうせ終演まで依吏子には会えない」
「劇場へ行く前に、銀座で服を買う」
これは余裕なのか。単にこいつが能天気なのか。たぶん前者だろうと希望的な推測をしながら、私もタクシーに乗った。