童子切り転生 第七回

童子切り転生 第7回 森 雅裕

 東京宝塚劇場の周辺は静かだった。公演が始まっている時刻だ。チケットを持つ客は劇場に入っており、楽屋口に出待ちのファンが集まるには早すぎる。

 売り切れらしく、当日券は出ていない。しかし、茨木は例によって、平然と正面入口へ向かっていく。負傷で減退していた鬼の通力は回復したらしく、係員がいたが、目の前を横切る私たちに見向きもしなかった。こういう特典があるなら、茨木と友達でいたいと思うが……。

「茨木。舞台の邪魔だけはするな。娘が一生、口をきいてくれなくなる」

「彼女の無事を確認するだけだ」

「それなら、最後列の立ち見でいいだろう。それ以外には私たちの居場所はない」

 四階から客席に入った。構造的には二階席となる。本来なら、上演中の入場は遠慮すべきだが、ここでもドア際にいた係員は振り返りさえしなかったし、客たちも舞台に集中していた。

 階段をたどり、最後列まで上がった。客席のうしろの通路が立ち見席になっている。

 私は依吏子が出演する公演はいつも見てきた。ただそれを彼女に知らせなかった。彼女に手配してもらえばいい席が手に入るのだろうが、それは育ての親に与えられるべき権利だと私は考え、劇場やプレイガイドで買っていた。

 この公演も初観劇ではないし、依吏子の出番もしっかり頭に入っている。彼女の無事な姿は確認できた。確認するだけでなく、入団以来の舞台を走馬燈のごとく思いめぐらせもした。

 彼女の育ての親は宝塚受験に反対だった。私は友人の宝塚OGから、合格発表と同時に入学手続きや制服採寸があることを聞いていたので、二次試験のため宝塚へ向かう依吏子に、

「合格したら、さっさと手続きしてしまえ」

 と、東京駅で現金を渡した。

 入学時には、彼女が独り立ちする時のために用意しておいた短刀も渡した。舞台小道具の取り扱いを教わる授業では、刀剣に慣れていた彼女は一目置かれたと聞いている。同時に変人視もされたようだが。

 私は必要以上に依吏子と接触することは避けてきた。初舞台の時も、彼女が口上を述べる日に宝塚大劇場まで遠征したが、連絡はとらなかった。

 彼女の生みの母親は、その時は日本にいて、劇場近くのホテルに娘を呼び、一緒に寝たそうだ。夜中に足が痛いと泣くので、見ると、パンパンに腫れていたという。こんな足で踊れるのかと驚く母親に、皆、同じだからと歯を食いしばっていた。その姿に、この子はもう親の手を離れたことを実感したと、あとあと母親から聞いた。

 この娘が、舞琴の化身とは、どういうことなのか。

 

 公演後、劇場の前は出待ちのファンが何重にも列を作っていた。多くは女だ。

 茨木はこの異様な混雑を冷たく見渡した。

「こりゃ何だ。揃いの上着を着ている団体もいる。オバサンたちの祭りでも始まるのか」

「楽屋から出る出演者を見送るんだ。楽屋入りは入り待ち。出る時は出待ち。恒例の行事さ」

 私たちは楽屋口と車道を隔てた歩道に陣取り、一時間以上、待った。

「信じられない。見送るためだけに、ただひたすら待ち続けるのか」

 嘆息する茨木の横で、私は携帯をしばらく睨んでいた。依吏子の母親──元妻である伊上磨優の番号は登録してあるが、もう何年も、電話であれ直接であれ、話したことがない。依吏子によれば、彼女は今、日本にいるという。意を決し、耳に当てた。

 学生時代には「声の恐い女」と評された磨優である。その低い声が返ってきた。

「伊上です」

「母里真左大」

「あら」

「効きたいことがあるんだが――」

 挨拶など省き、弁解するように早口でまくし立てた。

「依吏子が持っている帯留だが、あれは君の家にずっと伝わったものに間違いないか」

「帯留? どんなヤツ?」

「女が彫刻してある」

「ああ……。そうね。幕末の御先祖の形見だったって、聞いてるけど。明治に入ってから、目貫を帯留に直したらしいわよ。当時のことだから、美術品を損なうという意識はなかったんでしょうよ」

「御先祖は河野春明とつきあいがあったのか」

「誰? それ」

「作者だ」

「知らないわよ。もとは目貫だったんだから、片割れがあったんだろうけど、それは戦時中の金属供出の際、他の貴金属と一緒に持ち逃げされたとか」

 その「片割れ」は人間の姿に実体化し、今は私の横でタカラジェンヌの出待ちをしているとはいえなかった。持ち逃げした奴のおかげで、救われたわけである。

「幕末以来、君の家では直系女子が絶えたことはないのか」

「ええ」

「おかしなことを尋ねるが、君は依吏子を産む前、兵庫県の多田神社に行ったことはあるか」

「知らないわよ、その神社」

「なら、神社所蔵の刀に触れたこともあるわけないよな」

 束の間の安堵はたちまち打ち砕かれた。

「ああ、それならあるかも」

「どういうことだ?」

「鎌倉で源氏の秘宝展みたいな催しがあって、そこに関西の神社から刀が貸し出されていた覚えがある。私、その会場でバイトしてたから、展示品に触れたこともあるわよ」

「源頼光が酒呑童子を斬ったという伝説の太刀だぞ」

「そんな触れ込みだったような気がする。錆だらけでちっともきれいじゃなかったけど、そういえば、刀なんて興味ないのに、なんだか引き寄せられるような感じだったなあ。さわった途端に猛烈な眩暈がして、落っことしたもんで、関係者から怒られたのを覚えてる。何でも、焼きが入ってなかったから無傷で助かったらしいけど」

 当時の童子切りは焼け身だったのだ。焼きが戻っていて、硬度を失っているので、欠けたり折れたりしなかったのである。

「い、いつのことだ?」

「大学三年……の秋かな。依吏子を妊娠した頃だったと思う」

 私は吐き気まじりの眩暈に襲われた。

「何よ何よ、依吏子がどうかしたの? お願いだから、あの子の足を引っ張るような事件は起こさないでね」

「その方針だからこそ、この電話をしている」

「信じてるわよ。御免。野暮用あるんだ」

 何年ぶりかも思い出せない元妻との通話を終えたが、茨木の耳には、電話越しの磨優の声が聞こえていたらしい。

「これで明らかになったな。君の元嫁の家では、代々の女子が何も知らぬまま、舞琴の霊魂を受け継いできた。君の元嫁は妊娠中に童子切りに触れたため、眠っていた舞琴の魂が遺伝子に織り込まれ、伊上依吏子として現代に蘇ったんだ。焼け身の童子切りでもそれくらいの霊力は持っている。つまり、彼女は生まれ変わりだ」

「ごくまれにキメラ──つまり一人の人間が二種類のDNAを持つ例があるらしいが」

「生まれ変わりの場合、DNAは一種類だ」

「しかし、依吏子には自分が舞琴だという自覚はないぞ。鬼の血を引く者は前世の記憶を持つという話だったが」

「依吏子の場合、事情が少々複雑だからな。きっかけを与えれば思い出すさ」

「きっかけとは何だ?」

「さて。いろいろ試してみるしかあるまい」

「依吏子と舞琴の魂は簡単には分離できないといっていたな」

「舞琴の魂は依吏子以外の身体に入ることはできない。そういった」

「それはつまり、ややこしいことになるのか」

 茨木は答えず、夜空を見上げた。

「いやな気配だ」

「ん……?」

「空が赤い。低い雲が流れている」

「雨だ」

「ただの雨じゃない」

 小さな雨粒が落ちてきた。あちこちで、宝塚ファンたちが動き始めた。ファンクラブなら傘など使わずに合羽を着るが、突然の空の変化にその用意がなかったようだ。根性あるファンは動かないが、一部は雨宿りできる場所を求めて、移動を始めた。

「頼光の仕業だ」

 茨木は呟いた。雨粒はこいつの身体に落ちた瞬間に蒸発していく。

 私は服に染みの斑点を作りながら、いった。

「安政の大地震を起こし、天候まで左右できる頼光様の怨霊か」

「今の時代に蘇った怨霊は強力だぞ。人間どもの欲や怒りを吸収して、頼光は鬼以上の化け物となっている。現代社会を壊滅させる気にならないことを祈ろう」

 楽屋口に現われた出演者たちは、ファンの拍手に送られ、それぞれ急ぎ足で去っていく。スター路線の男役にはファン代表が「お付き」として付き従うが、娘役にはそんなこともなく、一人ずつ夜の町へ消えていく。

 劇場正面は男役スターたちのファンクラブが居並んでいるので、娘役や下級生は反対側──有楽町方向へ向かう。

 依吏子が現われた。他の娘役同様、一人である。足は有楽町方向へ向いている。私たちは舗道を横断して追いかけようとしたが、ふいに雨音が変わり、後ろから傘が差しかけられた。

「動くな」

 振り返ると、身長一八〇センチを越えそうな男が、私たちの傍らに立っていた。

「綱!」

 茨木が吼えるように呻いた。

「おや。知り合いか」

 尋ねる私に、茨木は答えた。

「渡辺綱。頼光四天王の一人。こいつも復活したと見える。かつて、一条戻り橋で俺の腕を斬り落とした野蛮人さ」

 その野蛮人は意外にも優男で、端整な顔立ちに微笑さえ浮かべながら、いった。

「動いたら、刺しますよ」

 柔和な男だが、短刀を突きつけている。私に。

 道の向こうに依吏子を見やると、彼女の前にも立ちはだかる者がいた。源頼光である。頼光も綱も放出品みたいなフィールドコートを着ていて、およそ平安の武将とは見えないが、その悠揚迫らぬ態度は現代人とも見えない。

 すでに依吏子の顔は知られてしまったらしい。ネットで顔写真くらいいくらでも検索できる時代だ。

 頼光は自分についてこなければ、あそこに間抜け面で突っ立っている親父が死ぬとでも彼女にいったのだろう、依吏子は困惑の視線を周囲へめぐらせ、私たちに気づいて、抗議めいた表情を作った。

「何やってるのよ」

 口の動きがそう読めた。私たちの方へ歩き出そうとさえしたが、バタバタと音を立てて、大粒の雨が落ち始め、彼女の足を止めた。頼光が傘を差しかけ、依吏子を有楽町の方向へ促した。

 彼女は何度もこちらを振り返ったが、雨の中で右往左往する宝塚ファンの人垣にまぎれ、見えなくなった。ちょうど楽屋口から男役スターが現われたため、依吏子に目を向ける者もなかった。

 私は渡辺綱を振り返った。

「頼光は依吏子をどうするつもりだ?」

「頼光様にとっては、あれは依吏子さんではありませんよ。舞琴殿だ。舞琴として覚醒させるんです」

 綱は傘を私の頭上に投げ出した。それを払いのけた時には、綱の姿はなかった。

「どこへ消えた?」

 茨木は首を振り、傘を拾った。

「わからん」

「虎ノ門へ行ってみるか」

「あんなところにはもういないさ」

「しかし……」

「落ち着け。いずれ向こうから接触してくる」

「どうしてそんなことがいえる?」

「まだ何か役に立つと思えばこそ、渡辺綱は俺たちを殺さなかった。ま、あんたはともかく、俺は簡単に殺せないがね」

「舞琴を覚醒させるといっていたな。それで、頼光は娘をどうする? 現代社会で就職でもして、親子水入らずで暮らすのか」

「親子だけじゃない。綱も現われた」

「どういうことだよ。三人で暮らすってか。まさか――」

「そのまさかだ。頼光は娘を綱の嫁にする考えだ。平安の昔から、その心づもりだった」

「そして、子孫にこの国を牛耳らせるとでもいうのか。なかなか壮大な夢だな」

 携帯で渡辺綱を検索し、彼が万寿二年(一〇二五)に七十二歳で没していることを知った。墓所は多田神社と同じ兵庫県川西市にある小童寺である。

「どう見ても七十代には見えなかったぞ。青年だった」

「あの男も千年の間には何度か転生している。最近、若死にしたのだろう」

「人間はそんなにしつこく輪廻転生するものなのか」

「頼光のように怨念が強すぎる者は転生しないこともある。そして、前世の記憶を持つのは鬼や妖怪の類だけだ。つまり、渡辺綱も今や妖怪変化なのさ」

「依吏子の中に眠っていた舞琴が復活すると、依吏子はどうなる?」

「肉体は依吏子のまま、魂は舞琴ということになる」

「その場合、依吏子の魂は……?」

「休眠するだけか死んでしまうのか、わからんね」

「何だよ、そりゃ」

「過去に例のないことだからな。まあ、俺にはどっちでもいいことだ」

 私は茨木の首根っこに飛びつき、締め上げた。

「この野郎! どっちでもってことがあるか! 俺の娘だぞ! 無事に戻らなかったら、今度は俺が怨霊になって、何百年かかろうとお前を殺すからな!」

「わかったわかった」

 茨木は私を引きずったまま、平気で歩いていく。雨は嘘のようにもうあがっており、茨木は傘を畳んで、投げ捨てた。

 鬼を相手にマナーを説いても始まらない。傘は街路樹に当たって四散し、街路樹もまた幹を砕かれて、ゆっくりと傾いた。宝塚ファンや通行人の視線を集める前に、私は茨木から離れて、先に歩き出した。

「母里。娘を思う心境は頼光もお前と同じなんだぞ」

 茨木の声が追いかけてきた。そうだ。そして、茨木も恋人である舞琴の復活を望んでいる一人なのである。

 背後で、街路樹が倒壊する音が響いた。

 

 食欲などなかったが、何だか疲労困憊した私はとにかく座りたかった。新橋のうどん屋で、茨木と向かい合った。

「依吏子を舞琴として復活させるための方法というか儀式というか、それはどうやるんだ?」

「聞かない方がいいと思う」

「いえよ。げそ天を追加していいから」

「野菜かき揚げも」

 私が百円玉を三枚渡すと、茨木はカウンターへ行き、てんぷらを皿にとって戻った。そして、説明を始めた。

「依吏子の身体には彼女自身と舞琴の魂が同居している」

「今さらわかりきったことを尋ねるが、二重人格みたいなものとは違うよな」

「違う。多重人格には基本となる主人格というものがあるが、依吏子と舞琴は対等だ」

「パソコンでいえば、二つのシステムが入っているんだろ。お前の中に茨木と吉野が同居しているように」

「俺の場合とはわけが違う。吉野というシステムはすでに死んでいる。俺は彼の記憶データを共有しているだけだ。しかし、依吏子と舞琴のシステムはともに生きている」

「じゃあ、どうやって、そのシステムを切り替える? パソコンなら起動ディスクをチェックして、再起動だが」

「童子切りがその切り替えスイッチだ」

「具体的にいえよ」

「依吏子の心臓を童子切りで刺し貫く。普通に考えれば、そうなる」

 私は茨木の皿からげそ天を取り上げ、自分のうどんに入れた。

「何をしやがる!?」

「どうしてそれが普通の考えなんだ。異常者の考えだ」

「そうだよ。俺たちは皆、異常者だ」

「その『俺たち』に私を入れないでくれ」

 げそ天を噛もうが、うどんを啜ろうが、味などわからなかった。

「また文化庁へ乗り込んで、菊尾に頼光の居所を吐かせるか」

「いや。これまでにも鯉墨や菊尾を拷問にかけると脅してきたが、無駄だ。信義を重んじる連中じゃないだろうが、奴らが身も心も頼光に支配されているとしたら、どんな拷問を加えても、御主人様を売るようなことはしない」

「お前は菊尾に憑依もできないし、な」

「焦るなよ。はたして、童子切りが切り替えスイッチとしてうまく働くかどうか……。平安中期の刀だからな。電化製品なら保証期間は切れてる」

 うどんを食い終わり、外に出ると、青く冴えた月が浮かんでいた。冷たい色合いだが、流れる風には妙な熱気がこもっていた。

 

 夢を見た。

 いかにも地下室のような空間で、依吏子は縛られたり拘束されているわけではないが、異常なほど姿勢がいいはずのタカラジェンヌである彼女が床に足を投げ出して座り、動かずにいる。

 目は強く静かに開かれ、何かを訴えているが、麻薬でも効いたかのごとく知性が抜けている。彼女の前にいるのは源頼光だ。

 頼光は覚悟を決めた様子で深呼吸して、童子切りの鞘を払った。

 鉄の重い輝きが彼女に迫った。切っ先が依吏子の胸にあてがわれ、一気に沈んだ。背中まで貫通した。

 依吏子はせつなげな表情で頼光を睨んでいたが、その目を閉じ、動かなくなった。何も起こらない。

 絶叫したのは頼光だ。その爆発的な絶望と切迫感は他人事ではなかった。私の感覚そのものだった。

 そのショックで目を覚ますと、すでに朝だった。私は普段着のまま、土下座でもするような姿勢でベッドに転がっていた。走り出したいほどの焦燥に駆られた。

 無駄とは思ったが、依吏子の携帯を呼び出した。昨夜から何度となく繰り返したのだが、「電源が入っていないか、電波の届かないところに――」というアナウンスが返ってくるだけだ。

 次に、依吏子の同期で一番の友人に電話した。小説好きということで、珍しくも私の読者だったから、紹介してもらったジェンヌだった。

 非現実的な事情は説明しようもないが、依吏子は休むと連絡した。期間は予想できない。

「すまない。とりあえず、数日だ」

 そういうしかなかった。宝塚の生徒は育ちがいいせいか、人を疑うことを知らない。反応は屈託なかった。

「宝塚じゃあ、休演者が出たら誰が代役をやるか、あらかじめ決めてあるんで、公演そのものに支障はないんですが……依吏子、一体、どうしたんです?」

「説明はむずかしい。父親が危篤だといっても、劇団は納得しないか」

「そんな理由で休演する生徒はいませんよ。私たち、プロの舞台人ですよ」

「じゃあ、依吏子本人が急病ということにしよう」

「了解。診断書を出してくださいね」

 電話を切ると、私はアパートの四階に茨木を訪ね、例によって、踊り場まで引きずり出した。

「いやな胸騒ぎがする。夢を見た」

「この状況で眠れたなら、何よりだ」

「いや。寝ていたのかどうか……。リアルな夢だった」

「依吏子が頼光に刺される夢か」

「どうしてわかる?」

「俺も見た。現実だよ、それは。正夢というより、実況放送だな」

「依吏子は無事なのか」

「彼女が動かなくなって、頼光がうろたえていた。『放送』がそこで途切れたのは、発信元である依吏子の身体が機能していないということだ」

「まさか、死んだんじゃないだろうな」

「仮死状態だと思うのだが……」

「どうして、そんなことになる?」

「童子切りが切り替えスイッチとして作動しなかったわけだ。依吏子はお前の娘だけあって、なかなか頑固でしぶといようだ」

「鬼なら、居場所くらい感知できないのかよ」

「生憎、そこまで感度良好じゃなくてね。敵だって、結界くらい張っているだろうし」

「お前、こうなることを予想していたな」

 茨木はボサボサの髪を懸命に撫でつけている。

「どうも、吉野の天然パーマは気に入らんな。茨木童子といえばシャンプーのCMに出られそうなサラサラのヘアだったのだが……」

「おい」

「焦るな。死んだも同然の彼女を蘇らせるためにはどうすればいいのか、肉体派ではあっても頭脳派ではない頼光は、この茨木童子にお知恵拝借を求めてくる」

「お前に、貸すほどの知恵があるのか」

「頼光も交えて、童子切りをスイッチとして作動させる方法を考えてみようぜ。そこに、彼女を救うチャンスがある」

「はたして、救うとはどういう意味なのかな。お前も恋人の舞琴を蘇らせたい願望では、頼光と意気投合だろ」

「しかし、舞琴は依吏子を犠牲にして復活することなど望まないはずだ。そういう心やさしい女なんだよ」

「お前はどうなんだ? 心やさしい男なのか」

「やさしくはないさ。鬼だからな。しかし、俺が格好のいい若者に憑依していりゃ、依吏子の身体で蘇った舞琴と似合いだろうがね、あいにく、今の俺は妻子持ちのオッサンだぞ」

「本来の若い姿にも化けられるじゃないか」

「見た目を欺瞞しているだけだ。本質じゃない」

「よくわからんが……だからって、舞琴との再会をあきらめるのか」

「吉野の身体を出られない俺は、吉野として老いて死に、いずれまた転生する。誰かに憑依するのではなく、美しい自分の身体を持つ。その時に舞琴も蘇り、再会するさ。たぶん、依吏子の子孫だ。あ、そうなると、お前の子孫でもあるわけか」

「お前も大概しつこいな」

「しつこさとロマンは紙一重だ」

「ところで、鬼の通力で診断書を捏造できないか。依吏子を休演させる口実だ」

「律儀だな。病気の診断書なのか。死亡診断書になるかも知れないぞ」

 私は茨木の首を絞めた。

「殺す。今度こそお前を殺す」

 彼は抵抗しなかった。むろん、私ごときの暴力など、痛くも痒くもないのだろう。

「電話だ」

「何い!?」

「お前の携帯が鳴ってる」

 鬼の聴力だ。携帯は部屋に置いてある。三階の自室へ下り、ドアを開けると、携帯は能天気に「すみれの花咲く頃」を歌っていた。発信元は「依吏子」と表示されている。耳に当てた。

「どうした!? 無事か!?」

「無事とはどういう意味だ? 生を生ずる者は生きず、というぞ」

「貴様あ……。頼光か。依吏子の携帯に登録してあった私の番号へかけてくるとは、文明を学んだか」

「こんなものがなければ言葉をかわすこともできぬ。それが文明か」

「ふん。舞琴を蘇らせるのに失敗した原始人が何をいってやがる」

「そうか。事情はそちらに伝わっているようだな。なら、話は早い。お前と茨木を舞琴復活の儀式に招待したいと思ってな」

「どこにいる?」

「お前の住まいの前だ」

 電話が切れると、私は上着に財布やカード類を押し込み、飛び出した。

 この間に、自宅へ戻っていた茨木も階段を下りてきた。着替えている。こういうところが吉野とは違う。吉野は服装なんかにはまったく無頓着だった。

「お前と出かけると知ると、気のいい吉野の家族も機嫌が悪くなる。苦労するぜ」

「うれしい話だ。しかし、電話の内容が聞こえたのか」

「聞こえなくても、想像はつくさ。怨霊の気配がプンプンしてら」

「頼光は私たちに刀を振り回した野蛮人だ。大丈夫かな」

「ああ。あの程度はスポーツみたいなものだ。奴が本気になったら、あんなものじゃない」

 アパートの前に、フィールドコートの大男が立っていた。一人だ。私は周囲を見回した。

「何だ。招待とかいいながら、車じゃないのか。まったく、鬼も怨霊も機動力がないんだな」

 頼光は長い袋を背負っている。釣竿入れのようだが、中身は童子切りとわかる。警官に職務質問を受けたところで、恐いものなしだろうから、カムフラージュではなく、単に携帯しやすいからだろう。

「こんなところで抜くなよ」

「さて。それは話の進展次第だ」

 この近辺は朝や昼でもヤンキーや酔っ払いがうろついている。そいつらも頼光が発するオーラに圧倒され、逃げていく。

「車なら、吉野の車がある」

 茨木はキーを掲げた。正確には吉野の家族の車だ。金を出したのは吉野だが、彼は免許を持っていないので、子供たち専用となっている。

「母里。お前が運転しろ」

「そんなの勝手に乗ったら、吉野家の親子関係に亀裂が入るぞ」

「俺はかまわないよ」

 こいつには吉野を演じ続ける必要はないのだ。むしろ、吉野の家族と縁を切って、自由になりたいだろう。そもそも吉野の偽者なのだから、ボロを出す前に離縁でもしてもらった方が、丸くおさまるというものだ。

 駐車場に吉野のミニバンが停まっている。だが、この顔ぶれで車内にこもり、密談したくないのは三人とも同様らしい。車の傍らで、立ち話だ。

「どこへ行く? 依吏子はどこだ?」

「案内する前に、舞琴を目覚めさせる手段について訊きたい。何かあるか、茨木」

「ふん。頼光よ。パソコンにたとえて説明しても理解できるかな」

「俺とて、この時代に復活して、無為徒食しているわけではない」

 頼光はその学習成果を語り始めた。

「あの娘が仮死状態になったのは、一つの身体に二つの魂が同居しているからだ。パソコンでいえば、似た機能を持つファイル同士がコンフリクトして、フリーズしている状態だ。これまでは舞琴の魂というファイルのチェックがはずされた設定だったから、依吏子の魂が機能していたんだ。依吏子の魂というファイルのチェックをはずせば、舞琴の魂が機能するはずだが」

「いや」

 茨木は小さく首を振った。

「依吏子が舞琴の生まれ変わりであるなら、魂は単なるファイルではなく、起動ディスクつまりOSというべきだ。二つのシステムを切り替えても、コントロールパネルの設定は共有される。母里が愛用する安物の旧型マックにたとえれば、システムに関連した設定は、一部の情報は初期設定ファイル類に記録されるが、ハードウェアに関わる部分の多くはPRAMへと記録される。PRAMは一つしかないから、二つのシステムで完全に別の設定を使うことは原理的に無理だ。つまり、どちらかのOSは削除するしかない」

「パソコンのたとえなんか、もうたくさんだ」

 口をはさんだのは私だ。こいつらに娘を呼び捨てにされるのも不愉快だった。

「安物の旧型マックで悪かったな。つまり、依吏子か舞琴か、いずれかのシステムを削除すれば問題解決といいたいのか。削除された方はどうなるんだよ。魂とOSを一緒にするな」

 茨木と吉野の魂はコンフリクトを起こしていない。吉野は死んでいるからである。私の怒声を聞いた茨木は、

「もちろん、魂とOSは違うさ。だから、削除されたからといって、消滅するとは限らない」

 珍しく真剣な表情で、いった。

「最後にもう一つ、パソコンにたとえさせてくれ。パソコンが起動しない場合はどうする?」

「システムCD-ROMで起動した上で、起動ディスクの選択だ」

「そうだな」

 しばらく沈黙があった。私と頼光は同時に茨木を睨みつけ、言葉の先を促した。茨木は涼しい顔で、いった。

「システムCD-ROMとは、この娘の親ということになる」

「なるほど。それが魂とOSの違いか。で、具体的な方法は?」

 茨木は唇の両端をニヤリと歪めた。なるほど、こいつは鬼だと納得させられる笑いだった。

「システムCD-ROMが死ねば、以後、起動するのはその娘の魂ということになる。頼光が死ねば舞琴、母里が死ねば依吏子が、そのシステムつまり遺伝子を継ぐ者として起動する。つまり、現世に戻ってくる。源頼光もしくは母里真左大、このどちらかが自己犠牲を選べばいいのさ。童子切り安綱で自分の胸を刺すんだ」

 冗談ではないらしいが、頼光は薄笑いを浮かべている。

「この頼光に死ね、と?」

「何をおっしゃる。お前さん、怨霊だろ。すでに死んでるじゃないか。死後の復活はボーナスみたいなものさ。今さら死ぬわけではない。成仏すりゃいいだけだ」

「お前なんかに相談するんじゃなかったな」

「ふん。なら、他の誰かに尋ねるか。行くところがあるなら、つきあうぜ」

 怨霊と鬼はしばらく見つめ合い、同時に、

「河野春明」

「春明法眼」

 と、呟いた。頼光は悠然と頷いた。

「お前と舞琴の魂を宿す目貫を作ったほどの男だ」

「春明師か……」

 茨木は私を見やった。

「春明師の墓所は亀戸の龍眼寺のはずだが……」

「知っている。私も行ったことがある。しかし、墓は残っていない。三十数年前に建てられた石碑だけだ」

「墓がないのか。まあ、驚くようなことでもないな。春明師は一族郎党と不仲だったからな」

「そこへ行こう」

 と、さっさとミニバンの後部席へ乗り込んだのは頼光だ。私は運転席のドアを開けながら、尋ねた。

「待てよ。墓へ行って、どうするんだ?」

「会うのさ、春明法眼に」

 茨木が助手席で、いった。