「雙」第9回
「雙」第9回 森 雅裕
刀剣は古来、霊器として扱われてきた。戦闘の刃こぼれが一晩でなくなったとか、焼け跡に刀だけが燦然と残っていたという伝説は、真偽はともかくとして、珍しくない。
「ところが、今度は大慈院――義山公(伊達忠宗)が病に倒れました。お上は振分髪をわが手元に置いているためであっては心苦しいと、お戻しになりました。しかし、義山公は亡くなられたのです」
伊達政宗の後継者・忠宗の没年は明暦の大火の翌年――万治元年七月である。つまり、今より二年前だ。
「はて。御利益なかったのですかな」
「助広師にはおわかりでしょう」
どうして御利益がなかったのかを、である。まさのの大きな瞳が問いかける。
「遠慮なく申されませ」
「古い刀とは見えません」
「新刃(あらみ)ですか」
「恐れながら」
「偽物ですね」
「…………」
「しかし、鑑定など、あてになりますか。本阿弥でさえ、金銭や情実でどうにでも転ぶ」
「刀工には刀工の見方がございます」
正宗など相州上作は助広もこれまでに何本か経眼している。所有者が気軽に見せない名刀でも、研師や鞘師のところに預けられた機会に、内緒で見せてもらうのである。もっとも、相州物は偽物が作りやすく、特に正宗よりやや時代の下がる南北朝期の相州物の多くは、慶長期あたりの刀をそれらしく改造、細工したものがほとんどだが。
「作り手として見た場合、古い刀と、今の世は鍛え方が違います。室町後期より、刀には刃寄りと鎬地に柾目が現われます。折り返し鍛錬をした鉄を赤めながら打ち延ばしていくと、表面が(酸化して)金肌となり、剥がれ落ちていきます。角の部分ほどそれが大きいため、折り返しの層がそこに出てしまうのです。しかし、古名刀の杢目鍛えにはそれがありません」
鍛錬の過程で生じる鉄質、炭素量の相違により、刀剣の表面には地肌が出現する。柾目は木材の柾目と同じく縦に直線が並走しているものをいい、杢目は年輪状の丸い紋様を示す状態である。板目という分類は比較的新しく、木を挽いて、柾目を除いた部分の模様であると曖昧な定義がされている。現代では杢目より大きな模様を板目と呼ぶ場合もあるが、大板目、小板目という区分もあって、杢目との差異は明確ではない。
刀の地肌には他にも、杢目が極端に小さな梨子地、連続した波模様を人工的に作る綾杉、また刀工により特殊な肌を出現させる例も多々あるが、もっとも世に多いのは杢目もしくは板目である。
「杢目に鍛えると、疵が出やすく、研師を泣かせるもの。そのために、現今の本阿弥家は、疵の出にくい、きれいな地鉄を作るよう、刀鍛冶たちを指導しています。折り返し鍛錬の回数を増やせば、それは達せられるのですが、表面から落ちる金肌も増えますから、柾目が出やすくなります。この振分髪に出ている柾目が、それです。正宗にしても、肌が流れることはありますが、このような柾目とはまったく別のもの」
まさのはすでに振分髪を箱へ仕舞っており、確認しようとはしなかった。前もって、承知しているということか。
「しかも、刃寄りの柾目よりも鎬地の柾目の方が目立ちますな。これは、芯鉄を皮鉄で包む甲伏せの造り込みです。ごく近い時代――有り体にいえば、今出来の新刃です」
鎌倉期相州伝の正宗なら芯鉄を入れない無垢で作るか、芯鉄を入れたとしても、芯鉄と刃鉄を皮鉄ではさむ、三枚という造り込みになるだろう。
「安定師も同じことをおっしゃいましたよ」
「安定師もこの振分髪を御覧になったのですか」
「作者までは口になさいませんでしたが」
「私とて、そこまでは……」
江戸鍛冶の匂いはするが。
「これを御覧ください」
まさのは巻物を広げた。刀絵図である。伊達家所蔵の品々だろう、数知れぬ名刀が記録されている。現代の押形(拓本)に用いる石華墨は明治以降の輸入で、この時代には適当な墨がないため、絵図として描き写すしかない。
「御刀奉行であったわが養父が採録したものです。お上へ献上する前の振分髪もあります」
刃文は似ているし、腰樋と護摩箸の彫刻も一致している。研ぎを重ねた古い刀らしく全体に磨り減った印象だが、こんな細工はどうにでもなる。
絵図は地鉄の特徴、疵の有無について触れているばかりでなく、形状、各部の寸法も細かに記載されている。珍しい。通常なら、絵図に書き込む数値は長さだけである。たまに反りを記録することはあるが、身幅や重ね(厚さ)にまで及ぶことはほとんどない。物差しを借り、目の前の刀と突き合わせると、寸法は合っている。しかし、絵図では地鉄に渦のような模様が描かれている箇所がある。正宗の地鉄には細かく詰むものと肌が現れるものがあるが、これが肌であるとすれば目の前の現物には見られない。そして、疵も――。
「父は、絵図の振分髪は間違いなく本物であったといっております。他にも、献上する前に見ている者が家中には何人かおります。振分髪にはあった疵が今のこの刀にはないとか。もっとも、御公儀から、これが振分髪といわれれば、いや、違う、すり替えられたとはいえませぬ」
「偽物をお返しになるくらいなら、そのまま公方様がお召し上げになっておれば、よかったのでは」
「本物を返せぬ事情があったとしたら……?」
「…………」
「けれど、お上はそうした事情を御存知なく、義山公の病に心痛められ、振分髪をお返し下さろうとしたのです。で、御公儀のどなたかが、偽物を作らせた……」
「では、返せぬ事情とは、酉年の大火で――」
焼けた、ということか。
「霊験あらたかで焼けぬというなら、刀ばかりでなく、古来、多くの寺院や仏像が焼失するわけもありませんね」
まさのの口吻には、味も素っ気もない。神がかり的なことは考えぬ性質らしい。
「けれど、焼け残った霊器であるという面白おかしい噂が広がった。御公儀としては、今さら、焼けておりますとはいえますまい。かつてはお上の疱瘡快癒に効能あった宝刀ゆえ……。焼け身をもとにして、写し物もしくは偽物を作ることは可能でしょうか」
「もとの形が残っておれば……。しかし、それならば再刃した方がいい。焼ける前の状態に復元できるわけではありませんが、刀としての生命をつなぐことはできます。とはいっても、焼け身は崩れた家屋の下敷きになって、大抵は飴のように曲がります。原形をとどめることは期待できません」
「本歌が失われたとしても、絵図を参照すれば、同様のものは作れるでしょう」
「お父上が採録されたこの絵図が門外に出たことは……?」
「ありません。けれど、磨り上げ後の振分髪には本阿弥光徳の折紙がつけられておりますから、その際、本阿弥が採録しているかも知れません」
折紙とは「折紙つき」という慣用句をも生んだ本阿弥発行の鑑定書である。豊臣秀吉によって、本阿弥家は九代光徳をもって刀剣極め所と定められ、大名の間で贈答に用いられる刀剣にはこの折紙をつける慣例だ。
まさのはさらに言葉を続けた。
「折紙そのものは焼失してしまったと聞いていますが、刀絵図が録られたとすれば、本阿弥本家だけでなく分家や弟子の勉学用に写本が作られて配布されることもあるでしょう」
それにしても、各部の寸法まで細かく記録した絵図でなければ、写し物や偽物作りの参考にはなるまいが……。各大名家では刀絵図とは別に所蔵刀剣台帳も作るが、記載するのはやはり長さくらいのものだ。そして、それさえ大雑把なものが多いのである。
江戸後期の寛政年間には御刀奉行・佐藤東蔵によって仙台伊達家の蔵刀目録『剣槍秘録』が編録されるが、これにも絵図は付属せず、代付(価格評価)、由来、付属している拵の詳細など書かれているものの、寸法は長さのみであり、それさえ記載されていない刀も多い。
「いずれにしても、この刀の作者は御公儀御用をつとめる刀工と考えるべきでしょうか」
と、助広。
将軍家お抱え刀工は、家康から康の字を賜り、茎に葵紋を入れることを許された康継。初代は越前北ノ庄(福井)で結城秀康の膝下にあったが、のちに徳川家康に召し出されて、駿府、江戸でも鍛刀している。むろん、すでに元和七年(一六二一)には没しており、二代目も正保三年(一六四六)に鬼籍へ入った。当代の三代目は三十歳そこそこで、まだ父祖には遠い腕だが、恥ずかしくない実力は持っている。
「ただ、康継の地鉄は、初代以来、もっと黒ずむと思いますが……」
助広は康継の作とは見なかった。初代ならともかく、代が下がるにつれて、作柄はおとなしくなり、沸えのつき方も迫力がなくなる。しかし、この偽「振分髪」は非凡な作ではない。
「江戸では、相州伝が称揚されています」
と、まさの。
「康継もしかり」
「他の刀工たちも、です」
だが、それは正宗のような鎌倉期の相州伝ではなく、あくまでも本阿弥に都合のいい、新時代の相州伝である。
助広は古名刀には遠く及ばぬ自分を時として感じることがある。しかし、同時代の刀鍛冶には、興味を抱くことはあってもかなわぬと感じたことはない。ではあるが、今、振分髪の作者は挑発するように助広の前に立ちはだかった。
「この振分髪は作者の腕も非凡なら、使われた鉄も他で見るものとは違うかも知れません」
康継は輸入の南蛮鉄を使うのが看板だが、助広の用いる南蛮鉄とは質が異なるらしく、地鉄が黒ずみ、匂い口も沈む。この振分髪は兼重、安定あたりの強い地鉄に近いが、それらよりもさらに明るく冴えている。
「となると……」
「何です? 師匠」
まさのは彼をそう呼んだ。いや、先刻からそう呼んでいた。
「となると……。いや、迂闊なことは申しますまい」
「なら、私がいいましょう。虎徹ということは有り得ます」
「あ」
まさのは言葉がはっきりしている。助広のように優柔不断な男とは、この手の女の方が意思疎通はうまくいく。
「康継師を差し置き、虎徹師がお上にどのような伝手(つて)がありましょうかな」
助広の質問にまさのが答える。
「お上を輔弼するのは保科肥後様。御老寄衆(老中)は松平伊豆様、阿部豊後様、酒井雅楽様、稲葉美濃様ですが――」
いずれも有能な政治家であり、それぞれが互いに一目を置いている。
「そのお歴々の中に、虎徹師とつながる方がいらっしゃいますか」
「会津中将様の御嫡子・保科長門守正頼様は諸芸にすぐれ、時には、藩邸の中で刀を打つこともあったとか。それを指導し、相鎚をつとめたのが虎徹だと聞いています。若かった三代康継が、自分のかわりにお役に立つだろうと引き合わせたようですよ」
「虎徹師は越前福居(福井)の甲冑師の出でございますな」
康継は将軍家お抱えとなった今も越前と縁が切れていない。虎徹が江戸へ現われた慶安初めには、すでに初・二代は没しているが、二代の弟が越前三代目に、子が江戸三代にと、ふたつの「康継」が分立することになる。江戸の多くの刀鍛冶たちは越前出身でつながり、交流がある――。以前、虎徹本人からも山野加右衛門からも聞いたことである。
「となると、偽物作りのお鉢が虎徹師に回ることも考えられなくはない。しかし……」
越前出身というなら、安定もそうである。
「では、さほど高名でもない虎徹師が今回の御前鍛錬に参加しているのも、その縁による御公儀のどなたかの『引き』でしょうか」
「そういうことです。大火後、虎徹には替え玉の噂があるようですけれど」
このお嬢様、意外なほど事情通である。
「今でも、虎徹師は保科長門守様の相鎚をつとめているのですか」
「長門守様は亡くなりました。酉年の大火の直後です」
大火の折、正頼は十八歳だった。芝にある会津保科家の中屋敷で、勇敢かつ冷静に消火の指揮をとっていたという。しかし、
「隣の伊達家屋敷の塩(煙)硝蔵に火が入り、爆発したために、あたりはもう手がつけられなくなり、長門守様は家臣たちをととのえ、片原町の浄行寺を経て、品川東海寺へ避難されました。この騒ぎの間に風邪をこじらせ、翌月に入って、亡くなられました」
保科正之にしてみれば、後継者として期待の大きかった正頼である。だが、正之は、
「此の時に臨みて私邸妻孥を顧るに暇あらず」
と、政務を休まなかった。
「隣は伊達様のお屋敷だったのですか」
助広は訊いた。
「伊達家屋敷の塩硝蔵が――といわれたが」
「ええ。伊達家のすべての屋敷建物の中で、焼け残ったのは、芝の下屋敷の蔵がふたつだけという有様でした。その下屋敷が大火後は上屋敷となり、今も会津侯の中屋敷と隣り合っていますよ」
今、助広が訪ねている愛宕下の伊達中屋敷も芝には近い。
「それがどうかしましたか」
「いえ……」
因縁のようなものを感じただけだ。もっとも、ともに奥州の雄藩であるから、国許でも江戸でも交流はあるだろうが。
「振分髪の偽物が誰の作であるにせよ、作らせた御公儀にしてみれば、こうして私に見られることになったのは、有難くないでしょうな。しかし、今回の写しの制作には、会津中将様は乗り気でいらっしゃる」
「何も知らぬふりのためには、そうするしかないという考え方もできましょう。第一、助広師に限らず、どなたかに偽物と看破されたとしても、それを口外する恐いもの知らずはおりますまい」
まさのの言葉は歯切れがよすぎるくらいだが、憎めなかった。どういうものか、甘い菓子のような空気を醸している。
「さて、助広師匠。この振分髪が今出来の偽物としたら、どうなさいます? 偽物を写しますか」
「寸法は絵図の覚え書きに従います。この偽物も姿形は本歌を正確に写しているようですから、私の作もほぼ同じになるでしょう。しかし、地鉄は……」
助広は独りごとのように、いった。
「二通り作ろうかと思うが……」
「つまり、二本?」
「ええ。振分髪を写せ、との御依頼ですから、伊達家に所蔵されているこのお刀がそうだというなら、杢目に柾目が交じる地鉄をまず写さねばなりますまい。しかし、正宗の振分髪を写すのが本来の目的と考えるなら、杢目に大肌を交じえる地鉄で作らねば、注文に応えたことにはなりません」
「つまり、正宗に迫る地鉄を作る自信もある、ということですね」
「普段、そのような相州伝は助広の売りものではありませんが、研究はしておりますから」
「その職人たる気質、感服いたしました」
「はあ……。しかし、材料が足りない」
大坂からは、下鍛え済みの鉄は刀一本分しか持参しておらず、脇差にしても二本分には足りない。下鍛え前の南蛮鉄も持参しており、一部を将軍の向こう鎚で鍛錬したわけだが、まだ手つかずのものも残っている。それを使うにしても、相州伝の肌を出すには、性質の異なる鉄を混入せねばならない。それの手持ちがないのである。そしてそれは皮鉄の話であって、当然、芯鉄も不足だ。
「他の刀工から譲ってもらいましょう」
まさのの屈託なさに助広はたじろいだ。
「そんな図々しいことが……」
鉄は刀鍛冶には何よりの宝である。少しでも良質の鉄、自分の鍛法に適する鉄を求めて、試行錯誤もすれば、足の引っ張り合いもするものだ。
「たとえば、江都随一の地鉄を鍛錬するという虎徹」
「…………」
「助広師匠から頼めぬなら、私が虎徹に頼みます」
「あなたが……?」
「お屋形様(伊達綱宗)より、助広師匠のお役に立て、といいつけられております」
「お気遣いは無用に。私がやります」
「そうですか」
「しかし、二本を作るのはいいが、紀伊様にどちらをお納めするべきか、迷いますな」
「紀伊様にお選びいただけばよいでしょう」
「なるほど」
助広は頷いたが、頭の中では別のことを考えている。
この振分髪が虎徹の作であったとしたら、どうして虎徹は正宗の杢目肌を写さず、自分流の柾目を交じえたのだろうか。むろん、振分髪が焼失したなら、実見はできまいが、正宗の作風なら周知のはずだ。正宗当時の鎌倉時代とは鉄質が違い、鉄質が違えば鍛法も異なるのだから、まったく同じものは助広とて作り出せないが、正宗の伝法に近いものはできる。虎徹にも、それくらいの技量はあるだろう。なのに、似せようとした気配すら感じられない偽物なのだ。
(いや。偽物といういい方はおかしい)
正宗の偽銘が切ってあるわけではない。振分髪の偽物ではあっても、正宗の偽物ではない。つまらぬ理屈だが。
助広は、思わず苦笑した。
「おかしいですか」
まさのの声で、現実に引き戻された。目が合うと、心臓の鼓動が乱れた。まさのの言葉を聞いていなかった。
「何……かな」
「私が弟子がわりにお手伝いをする、と申し上げました。御承知いただけますね」
「え……!?」
「師匠と呼ばせていただきます」
「お待ちなさい。それはどういう――」
まさのは聞いていない。
「この振分髪はお手許に置いた方がいいでしょうか」
正確な写しを作るなら、そうしたいところだが、
「川向こうの本所で、戸も窓も開け放しの商家の寮に滞在しています。お預かりするのは遠慮したい」
「ならば、絵図をお持ちになりますか」
「いや。寸法だけ控えておけば足ります」
写しを作るためには、設計図が必要だ。現代なら、押形という忠実な拓本があるから、それに合わせることができるが、曖昧な絵図しかない時代では、記録した寸法を頼りに写しを作ることになる。最終的に本歌の現物と突き合わせて、仕上げることができれば、完璧だ。本歌が本物であるなら。
助広は矢立と懐紙を取り出し、簡単な刀の図と寸法の数字を書き込みながら、いった。
「まさの様。弟子がわりといわれたが、どういう――」
「弟子ですから、そのような言葉遣いは御無用に。『様』など、とんでもない」
助広は途方に暮れた。しかし、悪い気持ちではなかった。
「では、まさの殿。あなたがどうして、そこまでされるのですかな」
「振分髪は偽物。すみのは行方知れず。私でなく、誰が動けますか」
まさのは奥女中に命じて、何やら手配した。行李を運ばせるようだ。本所、という行先が助広の耳に入った。
「何を運ばせるのですか」
「私の着替えです」
「まさの殿は私と同じ寮に寝泊まりされるのか!?」
「あたりまえです。師匠が本所と上野を往来して仕事をなさるのに、弟子が愛宕下にいたのでは、用をなしません」
「昔のすみのと似ている」
「え……?」
気の強いところが、とはいえなかった。刀のこと以外には優柔不断なこの男は何もいえず、まさのとともに仙台屋敷を出た。
寮の使用人たちに、まさのを紹介しないわけにはいかない。助広には苦手なことだった。ましてや、白戸屋善兵衛には何と説明すれば、嫁が来たと騒がれずにすむだろうか。
普段は本宅にいる善兵衛が、こんな時を狙ったかのように、寮で待ち構えていた。
「師匠の好きな言葉を書いていただこうと思いましてな」
茶道具の小さな風炉先屏風を座敷に広げ、墨を磨っている。手は動いているが、視線はまさのに釘づけのまま、まったく動かない。
そんな無遠慮にもまさのは動じず、名乗った。
「仙台伊達家より助広師のお手伝いに遣わされました、まさのと申します」
「それはつまり、お嫁入りということでございますな」
どうして、そんな解釈ができるのだろう。
「祝言は、不肖、白戸屋が手配りをいたしますぞ」
「そんな手配りより、しょっぱいものばかり食わせる寮の賄いを何とかしてほしいが」
「あ。そのことで、申し上げることがあります。師匠が料理をまずいというもんだから、賄い人が傷ついておりますよ」
「そんなこと、いったかな」
「うまいといいましたか」
「いっていない」
「いうもんです、普通は。――あ、お嬢様。仙台侯といえば、町に噂が流れておりますな」
「あら。いかような」
「一昨日ですかな。お殿様が隅田川で河童をお斬りになったとか。あれ、雪女でしたかな」
「私がその河童か雪女の仲間かも知れません。妖怪変化は噂をすれば現われるもの」
「ははは。ご勘弁ご勘弁」
善兵衛は無利益な噂には興味がないらしく、深く追及せず、筆を助広に握らせた。
「ささ。日本一の刀鍛冶の若き日の名言至言をお願いしますよ。墨痕淋漓と」
助広は別に考えることもせず、「おすもじ」と風炉先屏風に大書した。
「これがお好きな言葉なので?」
「大好きです」
「どういう意味ですか」
「重石に耐えた人間は味が出る――。そんなようなことかな」
「それはまた心憎い言葉ですな」
善兵衛は罪もなく喜び、
「ところで、新しい賄い人を探すべきかと思いましたが……」
と、語尾に力をこめて、まさのを見やった。
「賄いなら、私がやりましょう」
まさのはそういわざるを得ない。
「夕食はまだですね」
「お嬢様に料理ができるのですか」
助広は何気なくいったが、まさのは早口にまくしたてた。
「親と別れてのお屋敷暮らし。料理くらいできなければ、身の置き場がないじゃありませんか」
まさのの身の上が、急に現実味を帯びた。
「まずかったら、破門だ」
助広は、ぞんざいな口をきいた。現実には、気軽に入門させるわけにいかないが、弟子扱いを認めたのである。