星光を継ぐ者ども 第五回

星光を継ぐ者ども 第5回 森 雅裕

 左馬亮の死後の始末をしていた武士たちは、彼を支援する一色範氏の家臣だった。範氏は幕府方の武将であるが、この年、正平八年(一三五三)二月の筑前針摺原の戦いで肥後の菊池武光に大敗し、肥前へと駆逐されている。目下のところ、太宰府は少弐頼尚の勢力下である。

 四、五年前には一色範氏と少弐頼尚は北朝方で協同していたが、頼尚が足利直冬(尊氏の庶子)を取り込んだことで政治の均衡が崩れ、両者は対立するに至った。とはいっても、直冬の後援者であった足利直義(尊氏の弟)が急死すると、九州にはもはや直冬の居場所はなく、中国地方へ本拠地を移している。そして今現在、少弐頼尚は懐良親王・菊池武光と同盟し、九州から幕府方の勢力を一掃する構えである。

 のちの正平十年には、肥前小城の千葉胤泰、豊後の大友氏泰、豊前の宇都宮冬綱らを一旦は屈服させ、翌年には一色範氏を九州から長門へ追い払うことになる。しかし、寝返りなど珍しくもないこの時代であるから、のちに少弐頼尚は再び北朝方へ与し、大友氏時(氏康の弟)・宇都宮冬綱と呼応して、今度は懐良親王・菊池武光を相手に、正平十四年(一三五九)七月、南北朝時代の九州最大の決戦となる大保原の合戦を繰り広げることになる。

 ともあれ、今、一色家には敵地ともいうべき太宰府周辺で、一色家の家臣たちが肩で風を切って歩いている。敵も味方も混沌としている。しかし、さすがに長居は無用と考えたらしく、埋葬を地元の百姓にまかせて、さっさと引き上げてしまった。

 左馬亮の屋敷は大きくはないが、弟子が二人いた。妻子はなかったようだ。

「一体、何があったのか」

 安吉が弟子たちに尋ねると、二日前、彼らは鍛錬に使う稲藁をもらいに近隣の農家へ出かけており、戻った時には左馬亮は絶息していたという。

「下手人は?」

「わかりません」

「斬り口を見ると、武士のようだが」

「不穏な御時世ですから、刀の注文に見えるサブライ(侍)は途切れませんが」

「最近、出入りした武家は?」

「数日前、訪ねてきた侍が一人おります」

「何者か」

「大森様とか申されました。伊予の湯桁の話なんぞ師匠と交わしているのを、ちらりと洩れ聞きました。その時は何事もなくお帰りでしたが」

 伊予の湯桁とは、のちの道後温泉である。

「こう、まぶしそうに目を細めて笑う、人のよさそうな武士ではなかったか」

「いえ……。目玉がギョロリとした美男でありました」

 安吉は、千早が横から睨む気配を感じた。人のよさそうな武士というのは、彼女の兄の三郎正儀である。兄を疑っているのか、と詰め寄るような視線だ。楠木正儀は四国の伊予とは無縁である。

 安吉はチラリと彼女を見やり、呟いた。

「いや。確かめただけだ。念のためです。……睨まないでください」

「鉄も人も、見れば素姓はわかるとおっしゃっていましたが、兄が刀鍛冶を手にかけるような人物に見えましたか」

「それは事情によるでしょう。武士はおのれの筋を通すために人を斬る。三郎様の素姓など関係ない」

 安吉は左馬亮の弟子に尋ねた。

「うかがうが、左馬亮殿は鎌倉の正宗刀匠の弟子か」

「そのように聞いております」

 確証はない。鎌倉は九州から遠く、情報網などない時代だから、経歴を詐称したところで、露見しにくい。安吉と千早が確認したいのは別のことだった。

「左馬亮殿は星鉄刀というものをお持ちだったかな」

「セイテツ……?」

「正宗師から別れ際に譲られたという、星鉄をもって作られた刀だ」

「いえ。存じませんが」

「では、左馬亮殿の作刀があれば、見せていただけるか」

 弟子が奧から出してきた刀は、これから外装の制作に回すらしく、研ぎ上げた刀身を油紙に包んであった。白鞘などない時代である。

 銘は「筑州住 左」のみだ。刀身の出来は特に興味を引くものではなかった。地鉄が硬そうで、刃文は沸がムラになった凡庸な作である。

「このところ、師匠は左と銘を切るのはやめようかといっておりました」

 と、弟子はいった。

「理由はわかりませんが」

 

 

 博多から乗ってきた馬は天満宮に預けてあったので、安吉と千早は左馬亮の屋敷を辞すると、雑木林の中を歩いた。

「下手人は左馬亮を殺して、星鉄刀を奪ったのだろうか」

 安吉の疑問を千早が打ち消した。

「そもそも、左馬亮殿は星鉄刀など持っていなかったでしょう」

「あまり期待していなかったような口振りですな」

「あの作柄では正宗刀匠の弟子というのは嘘でしょうからね」

「ほお。作柄がよくおわかりですな」

「…………」

「私は正宗という刀鍛冶の作を経眼したことはない。あれが正宗一門の作柄なのかどうかはわからない。しかし、師匠たる者が左袖をちぎって餞別にするほど優秀な弟子とも思えぬ。左と銘を切ることをためらい始めたというのは、詐称に対する良心の呵責なのか。左馬亮は嘘をついてまで、刀鍛冶として売り出したかったのか」

「さあ。それだけとも思えませんが」

「ところで、左馬亮が期待はずれだった時には、私に新たな注文をしたいと仰せだったが……」

「ええ。楽しみにしています」

「星鉄か和鉄か、どちらがよろしいのか」

「安吉殿は星鉄でおやりになりたいのでしょう」

 この女は見透かしている。安吉にしてみれば、星鉄を使うつもりで気持ちを高めていた。動き出した創作意欲は止められるものではない。

「おまかせします」

 と、千早は物わかりよさげだが、どんな刀を作るのかと挑発する気配もある。

「して、長さは?」

 南北朝騒乱のこの時代、馬上での打物戦が盛んで、太刀も長大となっている。

「太刀ではなく腰刀を願います。二尺以下で」

 腰刀は太刀のように吊して「佩く」のではなく、帯に「差す」脇差もしくは短刀であるが、これがのちに打刀へと変化していく。室内でも肌身離さぬ最終兵器であるから、長い刀よりも吟味すべしと考える武士も少なくない。

「研ぎは畿内の研師に出し、拵もこちらで誂えますゆえ、打ち下ろしの刀身のみで結構です」

「承知しました」

「ついては、お願いがあるのですが」

「何です?」

「作刀の様子を見せていただきたいのです。鍛錬場は女人禁制ですか」

「昔はうちの母も先手なんぞやっておりましたし、その前にはサギリという女鍛冶もいたわけですから……。しかし、お客様としてお構いはできませんし、こちらもあなたの注文だけを手がけているわけではありませんからな。いつ何の作業をやるか、決まっておりませんぞ」

「結構です。私は一好神社に滞在していますから、毎日でもうかがいます」

 一好神社は筥崎宮に付属する摂社であるが、遠来の客を泊める宿舎となっている。安吉の屋敷から目と鼻の先である。

 

 

 博多へ戻って、借りていた馬を返し、屋敷へ帰り着く頃には日が暮れていた。刀鍛冶は汚れ仕事であるから、粗末ながら風呂場が作られている。父の実阿がそこで火を焚きながら、迎えた。

「太宰府に行ったようだな。同道した千早姫はどうした?」

「宿に戻った。楠木兄妹は一好神社に滞在しているらしい」

「何だ。せっかく風呂を湧かしているのに」

「姫様がこんな屋根も壁もない吹きっさらしの風呂なんか入るものか。しかし、これから毎日でも来るそうだ」

「そうか。お前と気が合ったか」

「そんなことはいってない」

「そういや、左馬亮というのはどんな奴だった? 屋敷の風呂場には屋根と壁があったか」

「知るものか。挨拶もしなかった」

「無礼だな」

「死んでたよ。星鉄刀もなかった」

「あっ」

 実阿は頓狂な声を発したが、それは安吉の言葉への反応ではなかった。

「留守中、お前を訪ねてきた御仁がいるぞ」

「誰だ?」

「大森なんとかいったかな」

「大森……?」

 左馬亮を訪ねた武士がそんな名前だったと聞いたが……。

「飯でも食って待っていなされ、と台所へ行かせた」

「あ?」

「それが午の刻くらいだったかの」

「昼じゃないか。もう日が暮れかけてるぞ。早くいえ」

 安吉がその場を離れると、

「おおい、左馬亮って奴はなんで死んだのだ?」

 実阿の声が追いかけてきたが、無視した。

 台所へ回ってみると、板間にその男は座り込んでいた。柱にもたれかかり、腕組みをした姿勢で寝息を立てている。年齢不詳。若僧ではないが、枯れてもいない。長身痩躯、がっちりとした身体つきは彫像のような存在感を放っていた。

 彼の太刀は傍らに立てかけてあった。柄に革を巻き、鞘は黒漆塗りという、平凡に見えるが、腕のいい職人仕事だとわかる、渋い拵だ。

 誘惑に勝てず、手に取った。鯉口を切る。名刀か鈍刀かは三、四寸も抜けばわかるものだ。つまらぬ刀ならその場に置くつもりだったが、手を止められず、抜き放った。

(ほお……)

 杢目肌に沸が強く輝き、互の目の刃文には金筋がからむ。並みの刀ではない。太宰府の左馬亮を斬殺した刀でもないようだ。人を斬った刀は血脂を拭っても生臭さが残るものだが、そんな気配はない。磨き上げられた肌も清澄で、曇りがなかった。

「武士の佩刀を無断で見るとは、度胸がよろしいな」

 明るい声が響いた。武士が目を開けている。

「失礼しました。仕事柄、つい……」

「何。おぬしにその刀を見せるために、ここへやってきたのだ。作者に会いたいと思ってな」

「作者? 誰です?」

「こっちが訊きたい。おぬし、その刀、どう見る?」

「噂に聞く鎌倉の正宗の作風ではないかと……」

「茎を見られるがよい」

 柄をはずすと、茎には居住地はなく「左」とのみ銘がある。しかし、太宰府の左馬亮の作とは雲泥の差だ。

「これは……」

「左文字の作だが、おぬしではないのか。聞くところによると、相州正宗の弟子で、別れ際に師が左袖をちぎって渡したことから『左』とのみ銘を切るとか」

「まあ、その話はごく最近も耳にしましたが、私ではありません」

 安吉でも左馬亮でもない、もう一人の左文字が存在するのか。

「この刀、どのようにして入手されましたか」

「話せば、ちと長くなる」

「どうせ暇です」

 安吉はこの武士の前に酒を置いた。安吉は愛想のいい男ではないから、普段、誰かと酌み交わす習慣はないのだが、この相手にはどういうわけか、心安いものを感じた。

 茶碗を満たした一杯を飲み干し、武士はようやく名乗った。

「もう十七年前になるが……湊川の合戦で、楠木正成を敗死させたのは私だ。伊予国砥部庄の千里城主、大森彦七と申す」

「あ」

 思わず、周囲に聞いている者がいないか、いるはずもないのに見回しそうになった。正儀、千早と鉢合わせしたら面倒なことになっただろう。父の仇敵である。

「正成は南朝方随一の武将。その敵に勝利したのは誇らしくもあり、惜しくもある」

「はあ」

「つまり、干戈を交えた相手だからこその思い入れがあるのだ。わかるか」

「なんとなしに」

「ところで、河内国千早赤阪村に楠木正成を祀る神社がある。朝廷から南木明神の神号を賜った南木神社だ」

 建水分神社の摂社で、御神体は後醍醐天皇が自ら彫刻したと伝わる正成像である。

「昨年、北朝方の武士どもが荒らして、御神体や奉納された品々を持ち出した。それを私が諫め、返還させた。この太刀も含まれておってな、私は心を惹かれ、神官に頼み込んで、譲り受けた」

「正宗の弟子の作がどうして南木神社に?」

「楠木正成にゆかりの者が奉納したとしか聞いておらぬ」

「ゆかりの者……。それだけですか。たいして長い話でもありませんな」

「不足なら、神前郷松前村(愛媛県伊予郡松前町)の金蓮寺へ向かう途中、矢取川で楠木正成の怨霊の化身である鬼女に出くわしたという怪談も聞かせるが」

「いりませぬ」

「まあ、そういわずに」

「いりませぬ」

「そうかあ……」

 彦七は無念そうな視線をぶつけてきたが、安吉は気づかぬふりを決めた。

「大森様は……」

「よせ。彦七でよい」

「彦七様は太宰府の左文字こと左馬亮を訪ねておられますな」

「おぬしを訪ねたのと同じ理由だ。この刀の作者かと思ったのよ。どんな刀工か会ってみたかったが、どうやら別人だったようだ」

「殺されましたぞ」

「ははあ。するとおぬし、私を下手人と疑って、刀を見たか」

「そればかりでもありません。タダモノならぬ作とも見えましたし……」

「不愉快だ。帰る」

 彦七は佩刀をつかんで立ち上がった。

「また来る」

「また……来られるので?」

「うむ。酒を用意しておけ」

「彦七様はどちらに御滞在です?」

「筥崎宮の酒殿にいる」

「酒殿というと……御神酒を造るところでは?」

「それが何か問題か」

 問題は筥崎宮の境内に楠木兄妹も宿をとっていることだ。広大な筥崎宮には各地から武将たちが訪れているから、呉越同舟もあたりまえではある。敵味方が離合集散を繰り返しているため、即殺し合いにはならないのである。

 

 

 他に急ぐ仕事もないので、星鉄という素材に興味があった安吉は、星鉄刀を作ることに決めた。といっても、一本に専念するわけではなく、同時に通常の和鉄による刀も作るのである。しかし、どちらを千早に納めるか、決めかねていた。

 作刀は鍛錬から仕上げまでを一本ずつ順追って進行させるのではなく、鍛錬、素延べ、火造り、焼入れなどの各工程ごとに数本分をまとめて行うのが普通だ。和鉄は普段から鍛錬し、準備したものがあるので、これを使う。

 最近まで弟子は二人いたのだが、一人が独立して郷里の長門へ戻ってしまい、先手をつとめるのは残る一人である。大鎚一挺では足りない場合は、近所の野鍛冶を臨時に雇い、二挺で鍛錬する。

 星鉄刀の鍛錬法は祖父の代から伝わっている。星鉄を赤めて打ち伸ばしていくと、表面が鱗片のように剥落するので、これを集めて上鍛えの和鉄を最初に折り返す際に挟み込む。割合は三分(3%)である。これだけでも、顕著な肌が出る。

 千早は宣言通りに、朝からやって来た。鍛錬場に入ると、邪魔にならぬ位置、換気の良い場所を自然に選び、安吉一門の仕事ぶりを観察するのである。観察はお互い様で、安吉の弟子も千早に見とれる有様だった。

「集中せぬとケガするぞ」

 安吉は大鎚をふるう弟子を叱ったが、説得力はない。

「しかし師匠。人目を引く姫様ですから仕方ありません。姫様見たさに近所をうろつく連中もおりますよ」

 安吉が外を見回ると、武士の姿が見え隠れしている。嫌な予感がした。

「千早様」

 安吉がそう呼ぶと、千早は、

「様……? 私ですか。やめてください」

 謙虚というより不機嫌に、いった。

「太宰府まで一緒に旅した仲だというのに」

 と、今度は笑っている。

「では千早殿。お供を引き連れて来られたのか」

「……何のことです?」

 楠木家の家臣などではないらしい。

 昼過ぎに休憩に入ると、千早が茶を点てた。

「京都のお茶です」

 日宋貿易で製造法が伝わった抹茶である。僧侶と武士には広まっているが、庶民が習慣的に飲むものではない。 

 普段は仕事場に現れぬ実阿が、

「何やらいい匂いがした」

 と座り込み、千早は彼にも茶碗を差し出した。

「一旦、別の茶碗に熱湯を注ぎ、少々冷ますのが茶の作法ですかな。これじゃあ、ちと、ぬるいな」

 実阿は不満げだが、

「俺にはちょうどいい」

 安吉はそういった。世辞ではない。鍛錬直後の指先は軽い火傷状態にあり、熱には過敏となる。熱い茶碗など持てない。

「風呂場に屋根と壁を作ろうと思うが」

 と、実阿は風呂にこだわっているが、千早は何の話かわからず、呆気にとられている。

「ついては、千早殿」

 実阿はいきなり「千早殿」である。

「千早殿はいつまで博多に滞在されるのか」

「刀が出来上がるまでは」

 えっ、と安吉の視線は宙を泳いだ。作刀は数日で終わるものではないから、全工程を見学するというのではなかろうと、たかをくくっていた。しかし、しばらくの間は押しかけて来るらしい。さらに、実阿は勧誘の追い討ちをかけた。

「出来上がるまでといわず、もっとゆっくりしていかれぬか。風呂場に屋根……」

 この楽隠居の言葉を、安吉は強い語調でさえぎった。

「兄の三郎様もお忙しいだろうから、そうは博多に長居できますまい」

 だが、千早の反応は否定的ではなかった。

「兄は豊田十郎(菊池武光)様と会見のため肥後へ向かいました。その後もどこへ立ち回り、どなた様と腹の探り合いをするのやら、知れたものではありません。私は勝手に博多に残っております」

「残りなされ残りなされ。ふはははは」

 実阿は上機嫌である。実阿は妻をすでに亡くし、安吉も独り身なので、女っ気といえば、朝に飯炊きの婆さんが来るくらいなのである。