「雙」第8回

「雙」第8回 森 雅裕

「選り分けて、どうする?」

 訊いたのは家綱である。

「テコに積み上げ、鍛錬いたします」

 テコと呼ぶのは、鍛錬済みの鉄でこしらえたテコ台をテコ棒につけたものである。助広は割った南蛮鉄五百匁(約一・八キロ)ほどをテコ台に積み、粘土汁をかけ、さらに藁灰をまぶした。

「このように」

「ふむ。泥まみれにするのは……?」

 鉄の脱炭防止のためだ。他の刀鍛冶たちもやっていることである。

「では、その鍛錬をやってみせよ」

 家綱はあたりに目を配った。

「お前は弟子を連れておらぬのか」

「よそからお借りすることになっております」

 様子をうかがっていた他の刀鍛冶たちが、手を貸そうと腰を浮かせる気配を、助広は感じ取った。しかし、家綱の声が早かった。

「では、わしがやろう。――襷を貸せ」
 家綱は肩衣に半袴の略礼服である。素早く襷を回し、染帷子の袖を押さえた。

「勿体のうございます」

「ぬかせ。古くは後鳥羽上皇も太刀を鍛えられたと聞く。勿体ないということはあるまい」

「恐れながら、御身分のある方々は力仕事はなされず、お仕えする刀工が鍛えたものを焼入れあそばすだけかと」

「それではつまらぬ。一鎚、二鎚だけでも、叩かせろ」

 家綱は大鎚を手にした。非力な者には振り回せるものではない。

 助広は積んだ鉄を火床へ入れた。鞴を吹く手に思わず力が入る。

「では、常に金敷の真ん中をお叩きください。私が動かす鉄を追いかけると、危のうございます」

 鉄が沸くにはかなりの時間がかかる。しかし、家綱の気は変わらなかった。その間、近くにあった丸太を輪切りにした木台を大鎚で叩き、稽古するほどの張り切りようだ。

 火床からあがる炎が黄色くなり、火花が飛び始める。鉄が沸いて、爆ぜるような音を発し始める。助広はそれを取り出し、藁灰をまぶして、金敷に置いた。

「最初は軽く、押さえる程度に」

「承知」

 慎重な鎚音が数回続き、やがて、家綱は鎚を大きく振り上げた。助広が打つ小鎚に合わせ、金属音が高くなる。

 一、二鎚どころではない。手間取りながらも二十数回叩き、また火床へ入れ、再び取り出して、今度は三十回ほど叩く。それが家綱には限界で、鎚を置いた。この先の折り返し鍛錬まで進むことはできなかったが、それでも意外な体力だった。

 気がつくと、助広も家綱も、衣服は火花を浴びて、焦げ穴だらけになっている。高温すぎる火花での火傷はさほど痛みがない。

「お前の名は?」

「津田越前守助広」

 と、腰物奉行が紹介した。

「助広。この鉄が刀となった時には、家綱が鍛えたと銘文を刻むがよい」

 刀工には目の眩むような名誉だった。

 家綱が火床を離れると、助広の前に老年――というには精気あふれる武士が立った。半ば呆然としている助広を見下ろすその視線が、射るように強い。幕閣だろうが、役者のような目鼻立ちだった。

「お前が助広か」

「はい」

「腕がいいらしいの。大坂城代・水野出羽(忠職)や大番頭・青山因幡(宗俊)からの推薦で、名を聞いておった」

「恐れ入ります」

「和泉守国貞にかわって、おぬしを選んだのは、わしじゃ」

「あ……」

 すっと目を細め、役者のような幕閣は背を向けた。近くにいた腰物方へ、

「どなた様でしょうか」

 尋ねると、

「会津中将様だ」

 との答えだった。保科肥後守正之。五十歳の会津城主である。老中などの職名は持たないから、正確にいえば幕閣ではないが、前将軍・家光の腹違いの弟であり、兄の存命中はその片腕として信頼され、今はまた甥である家綱の輔弼役をつとめる幕政の第一人者であって、仁政を讃えられている。

(そのようなお方が――)

 自分の名を聞いているとは、感激ではあった。しかし、不思議でもある。助広が隠居した父にかわって、自作を世に出し始めたのは、この数年にすぎない。大坂城代や大番頭の口添えがあったにしても、注目されるのが早すぎる。

 三善長道も若いが、保科正之の領地ということで、会津鍛冶の中から前途有望な者を選んだのだろう。肥前忠吉は九州における名門の後継者である。

 有名無名という観点だけから見れば、御前鍛錬刀工に選ばれて奇妙なのは、虎徹と助広は同様であった。もっとも、助広の場合は二代目であるから、父の余光ということも有り得なくはないのだが……。後年、虎徹は常陸額田の松平頼元や旗本の稲葉正休がお抱え刀工にしたと伝わるが、万治三年のこの当時、彼らはそのような立場にない。

 ともあれ、初日の式は終わった。これより翌月の七月まで、将来の名工五人が鎚音を競うことになる。

 家綱の行列を黒門から見送り、鍛錬場へ戻ると、空気はゆるみ、呆けたようなけだるさとざわめきが漂っている。

 そんな安堵の空気をかきわけ、安定が煤と汗にまみれた笑顔を助広へ向けた。

「うまくやったの。今さら、わしの弟子ごときを先手としておぬしに貸すなど、恐れ多いわ。それ、公方様の御手の汗を吸ったその大鎚ももう使えぬ。大坂へ持ち帰って、家宝とするがいい」

「からかわないでください」

「なんの。本音だ」

 別に皮肉や嫌味ではなく、これでも助広を祝福しているのである。安定は斜に構えたところはあるが、器の小さな男ではなかった。

「目が赤い。やはり、昨夜は充分に眠るわけにはいかなかったようだ」

「埃が目に入っただけです」

「なるほど。右目に心、左目に配という埃が見えるわ」

 安定はそっぽを向くように踵を返した。

 
 
 本所の寮に戻ると、白戸屋善兵衛から、本宅へお出でを請う、という使いが来ていた。御前鍛錬の首尾でも訊かれるのだろう。世渡りを心得た者なら――というより、常識人なら、上野からの帰途、日本橋の白戸屋へ顔を出して、報告するのだろうが、助広のことだから、素通りしてしまっている。善兵衛もそこはお見通しのようだ。

 西陽に頬を染め、長い影を引きずりながら、白戸屋へ赴くと、善兵衛だけでなく見覚えある武家が待っていた。会津保科家用人の加須屋左近(武成)である。

「おめでとうございます」

 いきなり、白戸屋はそういった。

「公方様からお声がかかったとか」

「白戸屋さんにお願いしておいた先手が来なかったおかげです」

「野鍛冶に頼んではおいたのですが、警固がきびしくて、寛永寺の門前で、通せ通さぬの押し問答のあげく、怒って帰ったようでございますよ。そいついわく、刀鍛冶は焼入れの鉄色を『夏の夜、山の端に出る月の色』なんぞと勿体つけるが、大小刃物農具一切、厚刃も薄刃も自由自在に焼入れする野鍛冶の方がなんぼか難しいわい、とか。もともとやる気もなかったようですな。しかし、そのおかげで雲上人が大鎚をお取りになったのですから、めでたしめでたし」

 白戸屋の笑顔の鼻先に、助広はぼろぼろになった肩衣袴を差し出した。白戸屋は呆気にとられている。

 今後の作業に礼装の必要はない。しかし、最終日の献納式は作業衣というわけにもいくまいから、

「あと一式、お願いします」

 小声で、頼んだ。

「お上(徳川家綱)と助広殿とで、火花を恐れぬ意地を張り合われたようだの」

 と、加須屋左近は笑った。保科家の外交窓口という立場にはいるが、元来が武術家だから、助広のこういう面が気に入ったらしい。

「東叡山で、会津中将様にお声をかけていただきました」

「うむ。わが主も、かねてよりおぬしのことを目にとめておられたようだ。そこで――」

 左近の物腰は柔らかいが、悠揚迫らぬ所作の隅々に威厳を漂わせている。

「頼みがあって、まいった」

「はい……」

「刀を献上してもらいたい」

「御前鍛錬で打つ刀は将軍家へ献上する予定でございますが」

「いや。紀伊様へ納めてもらいたい。つまり、将軍家から紀伊徳川家への賜りものということになる」
 左近はもとが紀伊藩士だったと聞いている。その縁もあって、折衝役にあたっているのだろう。

「ただ、刀の作柄には注文があってな」

「どのような……? 先日は、相州伝は可能かとお尋ねでしたが」

「うむ。振分髪という号の相州正宗がある。仙台伊達家の重宝だ」

「仙台候の……?」

 これは因縁というものなのか。伊達綱宗との出会いを思った。数日前まで、夢にも考えなかった舞台に、自分が引き出されている。

「正宗を腰に帯びていなければ、大名には肩身の狭い風潮がござる。かつて、貞山公(伊達政宗)が江戸城内において、加藤左馬助(嘉明)様から、陸奥殿(政宗)の差料はさだめし正宗であろうと尋ねられ、むろん、とは答えたものの、伊達家に正宗の刀はあれど脇差はなかった」

 武士が城内で常時たばさむのは脇差ということになる。

「奥州の盟主が嘘をいうわけにはいかぬ。長い刀を磨り上げ(切り詰め)、脇差に仕立て直して、これに『振分髪』と号をつけた」

「在原業平ですか」

「左様。くらべ来し振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき――」

 少女が人妻となって髪をあげることにかけ、名刀を磨り上げることができるのは伊達政宗のような名将だけ、という意味でつけられた号だろう。

「その振分髪を写してもらいたい」

「振分髪が選ばれる理由が何かおありなのですか」

「お上の思し召しだ。なにしろ、酉年の大火でも焼け残った縁起のよいお刀でな」

 将軍の命令なら、否応はないが、それにしても、どうして自分なのだろう。保科正之の領地である会津からは長道が参府しているではないか。彼の鉄の沸かし(火床での加熱)を見ていると、才能ある刀鍛冶とわかる。彼を差し置いて、自分にお鉢が回る理由は何なのか。

「写すには、本歌を手に取って見なければなりませんが……」

「明日、愛宕下の伊達家中屋敷へ行かれよ。仙台候は、助広殿なら重宝に触れさせてもよい、と仰っておられる」

 伊達綱宗の指名なのか。しかし、助広が綱宗に目通りして、わずか二日にすぎない。一体、いつから助広の名が幕閣や大名の間で評判になったというのか。

「陸奥守様が指名なさるなら、奥州に親しんでいる安定師かと思いますが」

 疑問を口にした。白戸屋が助広の横顔へ向かって、懸命に目くばせを送ろうとしている。わかっている。助広は理屈をこねすぎる。人に好かれる性格ではない。

 しかし、加須屋左近は泰然と、いった。

「その大和守安定が仙台候におぬしを推薦したということだ」

「あ……」

 意外ではあったが、一本気な助広は、これはもう疑ったり迷ったりしては申し訳ない、自分に対する人々の期待だと感じ入った。好意と解釈するほど、うぬぼれた性格の助広ではないが……。 

「身に余るお話なれど、先に申し上げました通り、相州伝に用いる鉄をどう調達するかという問題がございます」

「ほお。助広殿は正宗と同じものを作る自信がおありか」

「そういう御依頼ではないのですか」

 単に姿形を真似ただけの写しもので充分と軽く考えているのだろう。しかし、助広の考えでは、作位も本歌に迫らねば、写しとはいえない。

「どこまで正宗に近づくかは、助広殿の問題だ。正直申して、われらには正宗の地鉄がどのようなものなのか、わからぬ。しかし、素人にわからぬところで工夫を凝らすのが職人技というものであろう」

「確かに」

「江戸の鉄問屋に手配するくらいは簡単だが、助広殿の意にかなう鉄が入手できるかどうかはわからぬな」

 鉄は産地によって性質が違い、刀作りには試行錯誤をせねばならない。

「しかしな、仙台侯も力を貸すといっておられるのだ」

 となれば、助広の答えはひとつしかない。

「このお話、受けさせていただきます」

「おお」

 と、歓声をあげたのは白戸屋善兵衛だった。

「助広師匠も、江戸で、人の顔を立てることを覚えられましたな。あとひと月も滞在されたら、もっと世渡り上手におなりですぞ」

 
 
 翌日の寛永寺での仕事は昼過ぎに終えた。自分の仕事はせず、他工の先手を買って出た。自分もまた助けを借りるつもりでいるし、彼らの鍛錬方法を観察もしたかったのである。

 そのあと、外堀沿いに江戸を南へ縦断した。

 大名屋敷の居並ぶ愛宕下大名小路の中でも、仙台屋敷は群を抜く壮大さだ。明暦の大火で、この中屋敷だけでなく、外桜田上屋敷と本屋敷、芝下屋敷も焼失し、麻布白金台や品川高輪へと移転した屋敷もあるが、愛宕下は再建された。したがって、まだ新しい。

 助広は櫓門の奥の番所で案内を待ち、庭を抜けて、書院へ通された。静謐なたたずまいである。

 伊達家の偉容よりも、

(江戸の職人はたいしたもんや)

 そちらに感嘆した。各地から職人が参集したのだろうが、壊滅的な火災から復興を遂げてしまった技術と体力が、柱一本の立て方からも伝わってくる。

 端座して、しばらく待っていると、娘が一人、現われた。笄髷を結い、飾り立ててはいないが、奥女中の身なりでもない。長い桐箱を抱いている。刀だろう。

 ろくに顔を見ずに頭を下げた助広だが、

「津田助広師匠ですね」

 声をかけられ、目が合うと、奇妙な懐かしさがあった。

(会うたことがある――)

 それに気づくと、胸許を蹴られたような衝撃があった。

(すみの……!?)

 記憶というより、直感だった。しかし、昨夜、隅田川で行方を絶ったのではないのか。

「まさの、と申します」

「あ……」

「仙台藩御刀奉行・楢井俊平の娘――というのは表向き。実は義山公(伊達忠宗)の妾腹。つまり、すみのとは双子の姉です」

 十年前のすみのの面影を呼び起こすには充分すぎる容姿だった。瞳が明るく、小粒に揃った歯並びが美しい。

「私は家臣の養女に出されたのですが、妹は母とともに大坂へ行きました」

 助広には、そんな話は初耳だ。興里虎徹と興光が双子なら、まさのとすみのも双子というのか。

「陸奥守様は、すみの様と長年離れ離れでも、妹とわかると仰せられましたが、その決め手は、なるほど……」

「この私の顔だったというわけです。しかし、薫が大坂にいたすみのであるという話の確認のために、助広殿にも会っていただきたかったのですが……」

 では、この娘、腹違いの綱宗と似ているだろうか。よくわからない。雲上人の綱宗と美貌の娘盛り。いずれも助広が無遠慮に凝視できる相手ではない。ただ、綱宗は比較的小柄だったが、この娘は背丈がある。

「養父の楢井は今、仙台におりますので、私が助広師の御用をつとめるよう、お屋形様(綱宗)から命じられました」

「で、すみの様の捜索は……?」

 まさのと名乗った娘は首を振り、助広はさらに問うた。

「襲ってきた船の正体は……わかったのでしょうか」

「船宿という船宿、漁師や荷運び船まで、当家の家臣たちがあたったようですが、どうせ船を出した者も口止めされているでしょう。何ら手がかりは……。手際よさからすると、襲ったのは侍でしょうけれど」

 まさのは、傍らに置いた桐箱から塗箱を、さらにその中から刀を取り出した。二尺に満たない脇差である。拵ではなく仮鞘に納まっている。古い鞘ではない。江戸前期、白鞘はまだ普及していない。

「振分髪です」

「拝見いたします」

 大名の所蔵刀など、無闇と人に見せるものではない。室町以来続く将軍家御用の鑑定・研磨師である本阿弥さえ、敷居越しに隣室から拝見するというほどである。

 助広は一礼して受け取り、抜いた。名刀は一寸も抜けば、直感できるものだ。背筋に走る何かがあった。しかし、「名刀」を抜いた時のいつもの衝撃とは違う気がした。

 刃長一尺七寸弱。地鉄も刃も明るく冴え、いかにも強靱だ。強靱すぎる、といってもいい。刃文は沸えづいて乱れ、地肌もそこそこ出ている。しかし、柾目の傾向が強い。表に腰樋、裏に護摩箸が彫られており、簡単なものではあるが、刀身を引き締めている。
 許可を得て、柄をはずし、茎を見た。もともと正宗の在銘品は限られ、短刀に数本、刀は一本が知られるのみである。しかも磨り上げて、茎を切り棄ててあるのだから、当然、無銘である。ただ、「振分髪」の号が金象嵌されている。

 しばらく無言で見つめ、鞘へ戻した。助広は感想をいわない。

 まさのは、そんな助広から視線を逸らさず、いった。

「かつては太閤殿下の所蔵で、大坂城落城の折、他の宝物がことごとく焼けても、これだけが焼け跡に無傷で残っていたそうです」

「では、その後は戦利品として将軍家に?」

「ええ。しかし、慶長十年(一六〇五)、貞山公(伊達政宗)が台徳院様(徳川秀忠)上洛に供奉の際、権現様(家康)から伊達家に下賜されたとか」

「そのような由緒あるお刀を磨り上げてしまわれたのですか」

「権現様が、そうせよと仰せられたのです」

「加藤左馬助様から、伊達殿の差料は正宗であろうと尋ねられ、面目のために、長い刀を脇差に磨り上げたとうかがいましたが」

「つまらぬ面目ですね」

 まさのはいってのけた。政宗は伊達家にあっては神にも等しい存在だろうに。

「しかし、いかに貞山公とはいえ、権現様から拝領のお刀を勝手に切り詰めることは遠慮なさいます。第一、偽物の正宗で充分。それを看破できる者など、いないのですから」

 確かに。名家旧家には格付けのための名刀が必要だが、需要を満たすだけの本物は世にないから、金の力で本阿弥に折紙(鑑定書)をつけさせた偽物で間に合わせる。大名とはいえ、本物を所蔵しているとは限らない。

「貞山公は適当な偽物を正宗に仕立てて、差しておられました。そんなことはお見通しの権現様が――」

 ある時、政宗にいった。

「中納言殿(政宗)は正宗の刀を脇差に直して、差しておられるそうじゃな。かつて、総見院様(織田信長)も磨り上げた正宗を差料とされ、それを細川幽斎殿が『振分髪』と名づけた。さすがに中納言殿は剛毅かつ風雅。諸侯の間では、わしが与えた正宗を磨り上げたと評判のようじゃが」

 見せよ、と迫った。政宗が差し出した脇差は、むろん、そんな由緒ある名刀ではない。

「奥州の盟主たる中納言殿にこのような鈍刀を贈ったことにされては、わしが笑われる。かまわぬ。本物の正宗を切り詰められるがよい」

 刀などしょせん道具である。宝物としての格式はあるにしても、武士の体面を保つための道具にすぎない。徳川家康も伊達政宗も、それを充分に知った合理主義者だった。

「伊達家の家臣の中には、反対する者もありましたが、お抱え鍛冶の国包に命じ、二尺三寸余の正宗は磨り上げられました」

 国包は大和保昌派の後裔で、柾目鍛えを家伝とする。初代は正保二年(一六四五)に隠居し、当代である二代国包は大和守安定の教えも受けている。

「ですが、明暦二年の春に、お上(徳川家綱)が疱瘡を患われた折、快癒を祈願して、将軍家にお返し申し上げました。そして、霊験あらたかに……」

「御快癒あそばされましたか」

 助広は、昨日、東叡山で拝謁した青年将軍を思い出した。疱瘡の痕跡があった。この時代であれば、生死にかかわる病である。その当時、保科正之は日に二度も登城して、病床を見舞っている。

「ところが、翌年、大火が起こりました」

 明暦三年正月の「振り袖火事」だ。明暦の大火。酉年の大火――。

 江戸城の天守閣、本丸、二ノ丸、三ノ丸をも焼失し、宝物蔵も罹災したため、刀剣類は三十振り入り刀箱三十個のうち、二十五個が灰燼に帰した。名だたる名刀、実に七百五十振りが焼け身となり、公儀では、このうちわずか十三振りだけを越前康継に再刃(焼直し)させている。致命的な焼け方でなければ、こうした修復も可能だが、刀剣としての価値は激減する。

「振分髪を納めてあった刀箱も焼け崩れた蔵に埋もれて、粉々になっていたというのに――」

「またしても、この振分髪は焼け残ったのですか」

「ええ。鞘は煤けて黒くなっていましたが」

 現在の鞘は新調したらしい。