74. 偽物について(その二十六) 中心の錆
先般、追銘(おいめい)又は追掛銘(おっかけめい)について、二回程本欄で触れたのであるが、今回は刀の中心につく錆の話をしてみたいと存じます。
刀の中心の錆は大変重要なもので、刀の伝来や、品質の判断には必ず頼らなければならないものであります。
お話の前に「錆」というもの対して、日本人と外国人との間には全く正反対の民族的DNAの概念と捉え方の決定的相違があります。外国人は錆というと即、腐蝕(朽込くちこみ)という概念しか持っていません。従って、腐蝕しては困る刀の中心に日本人はどうして錆を残し、育てるのかが外国のみならず、現代の日本でも根本的に感覚としては理解が不十分であります。詳しくは拙著『刀の鑑賞』を参照して下さい。
そしてヤスリに対しても全く同じです。ヤスリは英語ではFILE(ファイル)という唯一の単語しかありません。つまり、外国人はヤスリはイコール、金属等を削るものという概念と経験しかありません。併し、日本人はそうは考えません。勿論、日本人にも削るという概念は多くありますが、それと同時に中心にヤスリ目を施し(つけて)そこに自身の刀工銘を刻(き)るという、外国人には全く考えられない思考と方法を長い間に培って来ました。
さて、かなり以前の本欄にも書いたのですが、刀が一番錆ついたのはいつ頃からか、これは明治以降の事で、廃刀令以後は表道具から一気に無用の長物になった時からです。つまり、手入れをされないで、拵や白鞘に入れられたまま放置されたからです。
では(A)を見て下さい。肥前の近江大掾忠広の刀でありますが、銘字が訓(よ)めるのは「肥」と「藤原忠広」ぐらいで、中途にあった「前国住近江大掾」の銘字は朽込んでいて判読しにくくなっています。
何故この刀の中心を掲出したのかというと、この刀の中心には表裏ともにかなりひどい朽込はありますが、反面、朽込はなくキレイな状態で残されている所も表裏に多くあり、そこにはほんの少し右上り気味のヤスリ目、つまり二代忠広独特のヤスリ目が残されています。こうした朽込とそうでない所が混在するのは、拵の柄か白鞘の柄の中で長年放置され、中心をぬいて手入をしない為、柄の内部で柄木の内部(掻入部分)と中心が接触している所から順次、徐々に錆付き始めた典型的な例と所作であります。
しかも、(A)を見ると中心の刃方の部位に多くの朽込が集中しています。そして、棟の方にも刃方の朽込と同じ状態の錆込で朽込んでいます。この様な朽込(錆による朽込)は自然でありまして、本欄<その二十四>の助次や、かなり以前(平成二十四年)の太刀銘「国」などの中心の朽込方は極めて異常で、(A)とは全く違っているのであります。
つまり、「助次」や「国」の場合、中心全体にわたって余りにも朽込が激しいのであります。こうした所作は中心にある程度の錆がついた状態の時に刀身、中心に相当の「熱」が加わったと考えられるものです。柄木と中心の接触は部分的に生じます(柄木の掻込がまずかった為)が、火災や淬刃の折の「熱」は必ず平均に中心へ伝播します。つまり、火災の大きい熱量で焼かれたとするならば、錆のついた中心の表面が全体的に凹凹状に崩れた(錆があるからこそ剥離しやすく崩れやすい)のが原因です。又、さらにその焼身を再刃する時も熱が伝わります。こうした点を加味してお考え頂き、前稿の再刃のところを再読して下されば幸甚です。
平成二十八年一月 文責 中原 信夫