70. 偽物について(その二十二) 栗原信秀の偽物
今回も前回から引続き、栗原信秀の銘字について述べていきたいと存じます。
では(54)図を見て下さい。この刀は今から25年前ぐらい前に経眼したものでありますが、現在も認定書が付いて流通している筈であります。併し、(54)は偽銘といわざるを得ません。では(54)図のどこが×なのでしょうか。それは前回の(53)図と同様に目釘孔と鎬筋が接している事、これが一番の×であります。
さらに、(54)-①図を見て下さい。(54)図の銘字部分を拡大した写真でありますが、信秀銘(表の中心)をみて下さい。前回も触れましたヌキ(タガネ)が強調されすぎています。もしも解りにくい場合は(54)-②図をみて頂けば良いかと存じます。この図は銘字を描写したのでありますが、ヌキ(タガネ)をはじめ、アタリ(タガネ)もありますから、これは既述済の清麿一門の銘字の最大特徴の一つから大きく違反して、肯定出来ないものです。
この頃の信秀は技倆としては最高潮の頃と考えられ、いわゆる心技体ともに最高の時ですから、銘字の上手さ、端正さ、謹直さは恐らく一番でありましょうし、銘字の上手さでは清麿の最盛期に勝るとも決して劣るものではないと存じます。但、清麿の現存数(正真)にくらべて、信秀は現存数も多く(現在も着々と増加中?)余り評価が芳しくない傾向もある様ですが、私は刀の出来にしても信秀と清麿の差異は殆んど認められないと常々考えている。
さて、(54)図をよくみますと、中心の形状全体も”ぬるい”感じがあります。中心の形状が全く別物で違うという程のことではありませんが、何となく雰囲気というか、量感というか、文字でも言葉でもズバリと言いあらわせない何かがあり、それが”ぬるい”という私独特の表現でありまして、読者の皆様に是非ともわかって頂きたい感覚であります。
併し、その”ぬるい”が完全にわからなくとも、目釘孔と鎬筋の関係、そして銘字のヌキタガネとアタリタガネの多用は致命的なものでありましょう。
では(55)図をみて下さい。これは短刀の中心でありまして、銘字の拡大写真です。前回でも述べました銘字のタガネでありますが、「筑前守信秀」の五文字の中の縦棒・横棒の終りに注目して下さい。「筑」の5画目、「前」の3画目(横棒)、9画目(縦棒)のヌキ(タガネ)も、「守」の4画目(横棒)、「信」の2画目(縦棒)、4画目(横棒)、6画目(横棒)、「秀」の2画目(横棒)、4画目、5画目などにはヌキ(タガネ)が殊に強く打込まれています。信秀が筑前守を受領したのは慶応元年ですから、(55)はその頃の直後に該当する銘字となりますので、タガネづかいは流暢そのものであることは既述の通りであります。
また「筑」の11画目ですが、明らかに縦棒から横棒に移る曲り角で、タガネが一度途切れていまして、それから角度を真横に変えている痕跡があらわれています。曲り角の所を注視して頂ければこの事はよくわかって頂けると存じます。これはかなりまずい銘字(刻銘)であります。
しかも、下の目釘孔は上の孔よりかなり大きく、その位置も不自然なもので偽装工作であり、×の要因の一つになりましょう。いづれにしても(55)は典型的な偽銘としか思われません。因みに、刀の長短に拘わらず、全く理由の考えられない位置に目釘孔があけてあるのは?であります。
(平成二十七年八月 文責 中原 信夫)