61. 偽物について(その十三) 左行秀の偽物
前回は清人の銘字の”元”について述べたのでありますが、今回はそれと同じく銘字の点を述べていくことにしたい。
では(39)図を見て頂きたい。平造の脇指で、銘文は「於東都 左行秀《「応小泉長保需作之《とあり、しかも珍しく棟に「南部吊産餅鉄ヲ以《と在銘である。本刀には年紀はないが付帯の鞘書には”慶応二年頃の製作”とある。
さて、左行秀は清麿と同じく巧妙な偽物が極めて多く、現在でも盛んに作られているようである。しかも左行秀の偽銘切りを専門とした某刀工氏に至っては、行秀本人よりも切銘が巧み?であるとの笑えない噂があったが、この手の偽銘は中々厄介である。
併し、本刀を敢えて掲出したのは、明らかに?の銘字があるからであるが、本刀には立派な指定書と鞘書が存在しているから、見事に騙される結果になってしまう。
では、(39)図の左行秀の「行《という銘字をみて頂きたい。(39)図-①に、この拡大写真を掲載しておく。つまり、「行《の偏の「彳《の第三画目の縦棒であるが、明らかに第二画目の左斜目払の上まで喰い込んで切銘している銘字となっている。
これは左行秀の銘字の変遷にも全くみられないものであり、その前に字体としては全く考えられない違反である。
左行秀の「行《を概観してみると、第三画目は殆んど例外なく逆タガネで打込んでいて、上に尖った二等辺三角形の字体となっているが、本刀は逆に下に向かって尖ったものとなり、全く例のないものである。又、「行《の銘字について、傍の「亍《であるが、第一画と第二画では、第一画が逆タガネ(二等辺三角形の尖りが左側になる)となり、第二画目が順タガネで第一画目と反対の方向になるのが通例であるが、本刀は第一画、第二画目ともに順タガネとなっているのも?であろう。
この様に書くと、”たまたま珍しくその様になったのではないか”とか”左行秀はタガネを極めて上手に使うから、、、”などの反論がきかれると思うが、私に言わせればタガネ使いが上手ければ上手いほど、この様な事は絶対にやらない。つまり、策士が策に溺れた事になったかと考えている。
清麿もそうであるが、左行秀も字をよく知っている刀工であり、そうした点は絶対に崩さない。字をキチッと書ける、つまり楷書が正確に出来た上に字体を崩すのは一向にかまわない。こうした感覚を養わないと愛好家にとっても銘字は全くわからなくなる。
従って、本刀は「行《の一字で?がつくことになるが、更にもう一つ?がある。それは中心棟に切られた「南部吊産餅鉄《の銘文である。幕末には左行秀だけではなく、運寿是一はじめ泰龍斉宗寛などが使用したのが餅鉄、つまり南部藩釜石あたりの谷川から産出した磁鉄鉱礫から洋式製鉄法で製鉄した鉄材である。
餅鉄は磁鉄鉱の塊をさすものではなく、製鉄された鉄材であるから、この銘文にある”吊産”という点に?を感じるのである。ただ「南部産《という表現ならば、余りひっかからないが”吊産”というのは如何であろうか。如何にも現代人的な表現である。銘を切った人物は餅鉄を勘違いしていたようである。しかも、南部の”部”の銘字だけが妙に崩された字体《(39)図-①》となっている点にも?を覚えるのである。中心棟という狭い上に、さらに曲面部分になった所に切銘するのは難しいと思うのであるが、それでもタガネが極めてうまい左行秀なら、この”部”だけを崩した字体にすることはないと思うのが、順当な考え方であろう。
さて、銘字の細かい点に関してはこれで終わりにするが、一番大事な事に触れておきたい。それは本刀の出来である。押型(刃文)をみる限り、刃文が全体的に崩れていて、吊工・左行秀の作とは絶対に思われない程の上出来でまとまりのないものであるが、指定書には「荒めの沸を交え、、、豪快で覇気に充ちた作風《とあり、鞘書には「同作中珍敷キ動勢ニ富ム乱ヲ焼キ蓋シ彼ノ祖左文字ノ風ニ倣ヒシ者ナラン地刃厚ク沸付キ覇気横溢シ傑出ノ出来ヲ示候《とある。この指定書説明と鞘書内容をみて、皆様はどの様に感じられるか。
私には全く空虚な飾色文字の羅列にすぎないのであって、要するに「刃文は崩れている《の一言という事である。曖昧な意味上明な言葉で説明しても何もならない。刃文全体に筋状の所作(普通は働と表現)がゴチャゴチャと多くあり、働が多い吊作と考えがちである。この点については拙著「刀の鑑賞《を参照して頂ければと存じます。
では本刀は出来が悪いのであるから、銘字の?を勘案して×という事になる。
刀の出来について、私は好き嫌いではいっていない。刃文の匂い口、形が崩れているからこそ、吊工(一流)の作と考える事は絶対に出来ないと判断したまでで、この点が一番最初の本刀に対する判断であり、銘字については、その次のものであるとみて頂きたい。
(平成二十六年十月 文責 中原 信夫)