56. 偽物について(その八) 正行(清麿)の偽物
銘字というものは意外に厄介な存在であって、その真偽については中々断を下せない時がある。例えば、この銘字はここがこの様になっているし、字の勢(いきおい)が不足して字が死んでいるなどと指摘しても、その指摘がほぼ100%正しいと思っても、「機械で銘をきった訳でもないから、全く同じ字にならない」とか「筆で書いても全く同じ字は書けないのだから、鏨で切ったのなら尚更、同じにはならない」という様な意図的で幼稚な反論が必ず出てくる。
昔から銘の大切さは力説されてきたし、それに絶対に間違いはないと私は考えている。
今回、本欄では殆ど触れなかった銘について述べておくことにする。
では(19)図をみて下さい。清麿の前銘「正行」の天保十一年紀でありますが、端正な力強い銘振であります。因みに、清麿の正真作と思われる作刀を概観していきますと、その銘字は謹直かつ端正で、力強い銘字である事に気づかれる筈です。
では次に(20)図をみて下さい。これは昭和十一年刊の『江戸三作之研究』(藤代義雄著)に所載しています。では次に(21)図をみて下さい。(20)図と全く同年同月日銘であります、相違するのは(20)図が刀銘で(21)図が太刀銘となっている点でありますが、少しづつ銘字の位置が違っています。さらに、もう一つ違う所があります。それは「彳」偏の字体でありまして、(20)図は正しい「彳」偏となっていますが、(21)図は「彳」偏の第一画目が単なる三角形状の鏨の打込だけとなっています。これでは全く字の態をなしていません。
では(19)図の銘字と(20)図、(21)図を較べてみて下さい。もう一目瞭然であります。(19)図は前述の様に清麿の銘に一貫して共通している銘字の謹直さ、上手さ、力強さ、端正さが十分にみられますが、(20)図、(21)図にはそれらの片鱗さえうかがい知れない銘字であり、中心全体の形も肯けない形であります。
又、清麿銘(正行銘も含む)で楷書体と行書体の銘字を自分の名前を一字づつ銘字に刻むなどという事は、この天保十一年前後にしましても、殆んどなく、兄・真雄との合作(12)図以外にはないと思われるので、極めて不審を覚えるのものです。
(20)図と(21)図の「正」の銘字について言えば、第四画目(縦棒)と五画目が「カギ」状となっていますが、第四画目が第五画目の左端下へほんの少しはみ出しているのがわかります。この様な鏨づかいの拙劣さは、清麿の鏨づかいの例にないものです。清麿は極めて鏨づかいが上手ですから、前述の銘字の謹直さ、上手さ、端正さ、力強さとなっているのであります。
従って、(20)図と(21)図は×としか考えられません。又、(22)図については天保十一年十月の截断銘がありますが、(20)図、(21)図と同期作と考えられます。よって、この(22)図も(21)図と同じ「彳」偏ですし、「正」が行書体、「行」が楷書体風であることから×であると考えるべきでありましょう。つまり”正行”の銘字の態をなしていない。殊に「行」の銘字を(21)、(22)図の様に不恰好にきったのは致命的でしょう。
以上が私の見解ですが、(生誕200年記念)『清麿』では天保十一年頃は「己の銘を確立する為か、相当迷いながら鏨を進めているところが面白い」などと無責任に書いている。そんなに相当迷って試行錯誤を繰り返すのなら、天保十一年紀は全てバラバラの銘字になってもおかしくはないという事になるが、(19)図から(22)図までの「行」の第三画目「彳」偏の縦棒は、(19)図が逆鏨となって三角形状の尖りが上をむいている。併し、(20)・(21)・(22)図はそれとは逆になっていて、共通しているのは、誠に不思議な事である。恐らく(21)・(22)図は(20)図をヒントにしている筈である。
又、(20)〜(22)図の「正」の銘字は正宗の銘に倣ったなどという様な説明は決してしないで欲しいものであるが、、、。
いづれにしても、清麿は謹直かつ端正で、力強い上手な銘をきると断言出来る。
勿論、一人の刀工の銘は必ず変化するものであるし、清麿も同じである。むしろ、時代や年齢と共に銘も変化していくのが常であり、変化しない、していないのは?であるという事もあわせてよく理解していくべきである。
(平成二十六年三月 文責 中原 信夫)