54. 偽物について(その六) 信濃國真雄の偽物
ここで正行(清麿)の作刀(中心)で、目釘孔(生孔)と鎬筋がどうして離れるか、その原因について述べておきたい。
では、前回〈その五〉での(12)図と今回の(16)図、そして(17)図をみて頂きたい。(12)図では目釘孔と鎬筋は離れることなく接しているし、(16)図も殆ど接し(ごく僅か離れている)ている。しかし、(17)図では明らかに離れているのだが、(12)図と(17)図には約4年間の隔たりがある。
つまり、この4年間で正行(清麿)の中心と刀身の造形に大きな変化があったことになる。(12)図と(16)図を較べてみると、中心の幅(横幅)に対する鎬地の幅が段々と狭い造込になってきたのであり、更に(17)図では(16)図よりもっと狭い独特の造込になって変化していることがおわかり頂けよう。
因みに、基本的には生中心(打卸)の状態では、目釘孔は中心の幅(横幅)の真中に真直に穿(うが)つから、鎬幅が狭い造込では目釘孔と鎬筋とは少し離れる状態になるのは当然なのである。従って、前回迄の内容に関しては、この理由による中心の検証が主であり、中心の表裏の仕立が違うのはつまりは、中心仕立の改変・改悪によるものである事を理解して頂きたい。
さて、清麿の中心の見所(生の目釘孔と鎬筋が離れる)を公に記述したのは、有能かつ斬新な刀剣商であった藤代義雄(故人)で、その著書『刀剣図録』(昭和九年刊)が恐らく最初ではないかと思う。但、清麿に関しての名声や価格的評価も、同氏が最大の牽引者であった事も又歴然とした事実である。
併し、同氏の清麿に対する個人的な考え方を、第三者である人達がそのまま全てを鵜呑みにすることは危険である。後世の愛好家・研究家が各々に検証した後に共有すべき点は共有し、そうでない点は別けて考えるべきであろう。現在迄はそうした公正な論評がされていないし、論評すべきという傾向さえも甚だ少ない。これではまさに「贔屓の引倒し」である。
清麿は名工である。という前提から作刀を見てはいけないのである。そうでないとアバタもエクボに見えてくるのである。一切の妥協を許さない仕事をしているからこそ名工であり、その作が清麿であるなら、清麿は名工であったという結論になる。藤代義雄賞賛、愛蔵、又は、著名な愛刀家の持物であったなど、権威者?とされる人の褒めた作、等々を鵜呑みにして盲信してはいけない。全てを否定するのではなく、清麿の本当の良さを発見し、楽しむためには誰の意見にも左右される事のない見方を確立して頂きたい。
さて、清麿に対する私自身の捉え方はこれくらいにして、次に、中心における鎬筋の立ち方について述べていくことにする。
清麿及びその一門に関しては刀身の造込について言うなら、鎬幅が狭く、鎬の高い造込になっているので、当然であるが刀身と同様に中心の鎬も狭くて高いのである。本来からいえば、中心の造込が上の刀身の造込そのままになっていくことは、かなり以前の本欄でも既述済である。ということは、正行・清麿銘の中心押型や写真では、必ず鎬筋は何の歪みもなくクッキリと際立って鮮明にでていなければいけない。
殊に、押型ではこうした事が明瞭に目視出来て誠に便利なものである。当然、鑢目も同様であって、(18)図を見て下さい。表の方の目釘孔より上の鑢の角度と、在銘部分、殊に下部ではかなりの角度の差がありますし、目釘孔より上の方は平地と鎬地の鑢の角度が全く違っているのが明瞭にでています。加えて、裏の方も目釘孔より上の部分と、目釘孔より下の在銘(年紀)の部分の鑢の角度は全く違っています。こんな事は正真の作なら誰の作刀であろうと絶対に起こり得る筈のないものです。
つまり、(18)図は×であるということは明白でありまして、さらに裏の方の鎬筋は表に較べても歪んで蹌踉(よろ)けています。しかも、中心尻に近いあたりの鎬筋は急激に棟方へ寄って曲っています。こうした点は中心が改変・改悪されている事を如実に示しています。決定的な事では、本欄で既述済の目釘孔と鎬筋の距離でありまして、これは何よりもこの中心が×であるという事です。又、表裏の鎬地の幅も一目瞭然に違うことも同様に×であるという事です。これだけの見所があれば押型の存在も本当に有難いものであり、決定打となります。
従って「押型をみて刀の真偽がわかるとは考えられない」と言っている人達の愚かさには言及するまでもありません。殊に、前述の故藤代義雄は優れた研究者でもあったので「押型の大事さ」を度々その著書で強調している事も、その愚かな人達は知りませんし、知らされてもいない様です。尤も、その人達の幼稚な考え方で実物をいくら見ても真偽はわからないでしょうが…。
望むべくは、そうした人達に藤代義雄の様に軟らかい思考と、合理的かつ斬新な考え方を見習って頂きたいと熱望します。又、単なる認定書依存症だけの刀剣商、愛好家、研究家にも同様にお願いしたいものです。
(平成二十六年 一月 文責 中原 信夫)