36. 刀剣商協同組合 新理事長に望む
平成二十三年四月より、(財)日本美術刀剣保存協会(日刀保)は”保存・特別保存鑑定書については「所有者名」「交付年月日」を、重要・特別重要指定書については「所有者名」「住所」「交付年月日」を個人情報保護のため記載しない”と発表 し、実施している。
今のご時勢、個人情報保護のためという大義名分があれば、事情を知らない人は成程と肯くであろうが、私にとっては茶番劇以外の何物でもなく、むしろ、商品としての刀に対する目利きが出来ないか、もしくは損をしたくないだけの商道徳の欠 如した刀剣商である不良刀剣商の保護に一役買っただけの話としか理解出来ない。
昨年十一月下旬、日刀保の支部長会議で「役員に刀剣商がいるのは何事だ!!」という詰問があったと聞く。それに対して某理事は「刀剣商がいて何が悪いのか!! 」と応答したと聞いたが、まさに盗人の開き直りである。この程度の精神レベルでは何ら改善されない。
こうした情況の中、刀剣商の全てが悪いのではないが、その一部にかなり以前から「鑑定書・指定書の裏面に所有者名を書き入れないで欲しい」との要望が強くあったようで、今回、はからずもそれが実現した結果になる。
事実、鑑定書の所有者名が発行直後に巧妙に消されて刀剣商の間で流通、売買され、一般愛好家へ収まっているケースも多くみかける。
つまり、名前を消さないと不正談合審査ではないかと疑われて不都合な情況・事態になるためで、殊に不良刀剣商は率先して消してしまうのである。と聞くし、まさにそれが実情であろう。
もっとも、日刀保も名前を書き入れる時間と手間賃がなくなり、鑑定書作製にかかる経費を削減出来るので財政状態の良くない日刀保も助かるし、少しでも早く鑑定書を所有者に送付でき、苦情も少なくなる。その上、不良刀剣商の名前消しの手 間と時間を手助けする事になるのかもしれない‥‥。
とにかく、名前を書き入れないという日刀保の方針が、巷でいわれているように刀剣商の団体や個人の圧力によるものであったら、日刀保は大いに再考すべきであろうし、一部の勝手な刀剣商達も、今迄都合よく審査を利用し、変名等で鑑定書を 得ておきながら、更にどの刀剣商が扱ったかをわかりにくくするため、出所不明にするべく名前を書かないで欲しいなんて事を考えている。
利用される日刀保も日刀保であって、個人情報保護という大義名分で受入れたとすると、日刀保は末期も末期、不良刀剣商も最後のアガキである。
一番大事で肝心なのは日本刀の正確かつ公正な審査であって、所有者名ではない。現に首を捻ねる鑑定書が多くなる傾向があり、そうした類を極力なくすように、本来は刀剣商が日刀保に強く申入れをして、自らが監視をするのが筋であろう。
人のフンドシ(日刀保)で相撲をとっているかの如き商売はもう通用しない。刀剣商本来の誇りと質の低下である。日本刀は最高の美術品であり、それらを商う刀剣商は職業に対しての誇りを持ち、古美術界だけでなく一般社会に対しても誇りをもつべ きである。
併し、刀剣商の中にも常識ある態度をもって、まっとうな商売をしている方もおられる筈。刀剣商全体でもっと正常化の方向へ自浄作用を強力にすすめ、不良商行為をする店やブローカーを公表、除名して襟を正していかねば、国家公安委員会認 定の団体も何にもならなくるし、親方日の丸の元で不良商行為をバックアップすることになる。
では、鑑定書等に名前が入っているのがいいのかどうかという事になれば、私は一応入れておいた方が良いと思っている。何十年も後に最初の所有者名(提出者名)が残されているというのも文化ではないのか。
以前、故鈴木嘉定氏が某刀剣商に執拗に抗議、攻撃されていた折(平成八年頃)、「刀剣美術」(日刀保機関紙)に何故か発表されなかった重要刀剣があるという事で、大騒ぎをしたが、私はその刀を拝見、お預かりした事があった。
それは新々刀で大隅國の正景という刀工の作で、正景は薩摩の新々刀の伯耆守正幸の弟子。因みにその正景の所有者名は故山中貞則氏、指定者の名前も当時の会長の山中貞則氏。おまけに当時、日刀保に在職中であった田野辺道宏氏の鞘書付で、 田野辺氏も鞘書文中で堂々と山中貞則氏の所有を認めている。
これでは騒ぐのも無理はないと、殆どの人たちは思っていた。併し、私は全くそんな事は思わなかった。何故なら、この正景は同作中でも最上出来と思われるものであって、私に言わせれば「よく ぞ 指定してくれた。これで二流地方刀工の正景の 名品が世に出て評価される」と思ったし、その正景を研究会で使わせて頂き同様の解説をした。
概して、特重や重要刀剣の中にも「よく も こんな刀を指定したな」という例があるが、この正景は「よく ぞ 指定してくれた」である。山中貞則氏の名前なんて全く関係がないのである。名前についていうなら、日刀保設立当時から、この正景のケ ースと同じような事をやっていて、今に始まった事ではない。
併しである。最も大事かつ肝心なものは、審査対象になった日本刀、小道具、拵の真偽・品質に関する公正な審査であって、所有者(提出者)の人格でも品格でもないのである。日刀保が審査するのは人間ではない。もっとも刀の審査の前に所有者の人 格・品格調査なんて事になったらどうなることか。それこそ個人情報の保護にひっかかる。
今、刀剣界全体が至急やるべき事は愛好家の健全な育成と普及である。それを全面的にバックアップするのが公正な日刀保の審査であって、名前を入れるか入れないかの次元とレベルではない。
?のつく日本刀と鑑定書を店で、又はインターネットで売り放しにして責任を持たないのはマルチ商法と同じで、健全な刀剣社会ではないと一般社会に対して自ら宣伝しているのと同じである。こうした致命的な事に目隠しをして、刀の出所がわから ないようにしてゴマかそうというような商売そのものが、刀剣商を駄目にしたのである。
自浄作用のない組織や団体や店は世間から取り残され、自滅する以外に道はない。
原価の何倍もの売値をつけても飛ぶように売れた時代はもう二度と来ないし、来てはいけない。それ自体が極めて異常であった。
適切な商売道(商業倫理)に基づく、いわば”薄利”の時代にすでになっている。
それを認識していくべきである。
又、現在の日刀保は、現体制に都合の良いメクラ判を押しかねない役員のみを集め、事業を行うこと自体が一番問われている事を認識して頂きたい。もう余命いくばくもない日刀保とみて、足許をみすかし、最後のご奉公をさせよう、そして稼ご うというような不良刀剣商がいてはいけない。
それから、刀剣商どうしの売買において、三回延払(分割)決済を全面廃止。現金一括決済の導入を早期に実現することが大事である。
刀剣商が向くべき方向は刀剣愛好家であって日刀保ではない。不良刀剣商を規制も出来ない協同組合は不要である。「絶対に自ら正常化をする」と新理事長には明言して欲しいし、実際「大刀剣市」の挨拶文通り、新理事長自ら実践し模範を示し 公約を果たしてもらいたい。公約といっても別に高いハードルのものではなく、一般社会のレベルであって、刀剣界が今迄いかにレベルが低かったかを示しているだけ。
例えば、いくら定価のない刀だといっても、現状にみあった価格はあり、当然、現金による買取りの制度を確立、日常化すべきである。刀剣商が自店で売った刀の買取りを拒否したり、委託品だから買取りをしないというような事は論外であるし、 買取り拒否の刀をオークションに出品させ安く買い叩くような事も許されない。
刀(品質と買取りに対する責任)を売るのが刀剣商であって、鑑定書で売ってしまうが如き商売は刀剣社会には不要。又、愛好家自身もそれを厳に周知徹底実行して欲しい。因みに、不良鑑定書は日刀保に下取りをしてもらえないだろうかと、刀剣 商と愛好家が協調して日刀保に圧力をかけるのが筋と思っているのは私だけの思いであろうか。
日刀保が以前発行した、貴重、丸特、甲種のみがいまだに付いたままのもの(全てではない)を見ると、不良な鑑定書であればある程、皮肉にもそれが生き残っていくという事を思い知らされる。
このツケ(刀剣社会に対する不信感)は誰が解消していくのか。かなり以前の日刀保がやったように、丸特に不良なものがあるからそれらを排除するといって甲種を新設したが結果は散々。それらの認定書を今の審査に提出すると保存にも合格せず ”現状”という不明確な回答である。ならばそれら”現状”のレッテルはやめて”偽物”とすれば良いのに、それをしない。但、不良刀剣商との暗黙の合意?で合格させたものがあれば大問題であるが‥‥。
まさに、するべきものをしない。逆にしなくてもいいのに、又は、してはいけないのにする。お役所仕事の立派な見本である。
保存・特別保存になる前の認定書は、表面には名前を入れるが、裏面には何の印刷もない。保存・特別保存の時代になって(重要・特重は別)名義と名義変更の欄を裏面一杯に印刷している。これは日刀保が名前を当時から重視していた姿勢を如実 に示すものであって、本当に刀剣商からの圧力があったのかどうかは知らないが、今回いともアッサリと撤回した。
もっとも、日刀保の朝令暮改は今に始まった事ではない。更に言えば、なくしてしまうなら登録証の番号等の記載をなくすべきである。登録証は”対物の国の公文書”であって、守秘義務性が大なるものであるが、刀の個人ならぬ個刀情報保護が 出来にくくなって、悪用される危険性が大である。
以上の点を、新理事長には是非実行して頂きたいと重ねてお願いする。
(平成二十三年十一月 文責 中原 信夫)