48. 刀剣・日本刀中心の鑑別法 再刃編(その十二 生刃の話)

前回は日本刀の刃区(はまち)附近の匂口(刃文)が何故、不明瞭になったり、消えたり、無いのかを水影の解説を含めて解説したのであるが、今回は前回の説明、考え方と密接に関連している「生刃(うぶば)」というものについて解説しておきたいと思います。

日本刀の生刃というものに対する明確な解説と考え方は、今迄の殆どの本にもとり上げられる事はまずなかったと思う。従って、水影と同様に曖昧な解釈のままで一人歩きをして、偏向した概念を作り上げていったようである。

日本刀の生刃というのは刀匠が火造り(ひづくり)を終えて焼入をする前に、「刃先の区角」から切先の先端部(棟筋先)迄の間の全ての刃先を尖らさずに平面にしてから、焼刃土を塗って焼入をする。何故、刃先を少し平面にするかといえば、刀身に刃切(はぎれ)を生じさせにくくする為であって、焼入後、研磨の折に「刃先の区角」から上(約一寸〜二寸弱)の間を、刃先を尖らせず(刃先をつけず)に研磨を施すのが常である。

つまり、ほんの少し刀身を斜目にして見た角度で図示すれば(1)図のようになるのであって、刃先を黒くして表示した部分、これが俗に言う「生刃」である。従って、生刃が残っている刀身は健全そのもので、多くの研磨回数を経ていないという事と理解されて、当然のように生刃がどれだけ残っているか、又はその有無が刀身の健全度を見る重要な見所となっていく。

つまり、研磨によって次第に刀の身幅、殊に刃幅が狭くなることは絶対に避けられない日本刀の宿命である。さて、ハバキを作成する時、刃区を欠損させる事例はよく起きるもので、そのような事態になれば新たに刃区を作る以外になく、元来の生刃はなくなる。それは前回<十一回>に図示した(4)図となる。新しい日本刀は殊に地鉄が剛い傾向にあり、又、刃区という部分が中心からせり出した三角形状のものであり、厚さも薄いので力学的にも弱い構造といえよう。従って、刃先を平面にして力学的に強くしたのが生刃ともいえる。

さて、大きく欠損はしなくとも、生刃の部分は漸次減らされ刃先が尖ってきて生刃がなくなってしまっても、打卸(うちおろし)の様に健全であると見せたいため、「刃先の区角」から上の尖った刃先を砥石で少し平らに加工するという偽装工作をすることが極めて多く行われている。しかも、そうした偽装工作をしたにも拘らず”生刃が残っている”といって悪意の喧伝をする例が多い。善良な刀の持主が「刃先の区角の上が平になっていますから、これは生刃ですね・・・」とうれしそうに話されている場面に遭遇する度に何となく妙な気持ちになる。これは、生刃という所作が本当に理解されていないためであると痛感させられるので、本欄に取り上げさせてもらった。

刃先が平らになっただけで生刃とはみてはいけない。生刃には次の条件が満たされていなければいけない。第一にハバキ元に十分な踏張(ふんばり)があること。当り前である。研減ったり、磨上げたりすれば生刃はなくなる。つまり、刀の原型を保っていなければならないという点が一番大事である。

第二に生刃の平面部分((1)図の真っ黒くした部分)には必ず鑢目が僅かでも残されている筈であること。何故こうなるのかは前述のように、焼入をする前に刀身の「棟筋先」から「刃先の区角」に至る迄の刃先を少し平面にしなければならない。焼(刃文)の入っていない火造状態であるから、鑢で一定の角度をもって刃先を平らにする。その加工作業の痕跡(鑢目)が生刃の部分には必ず残されていなければならないのである。殊に、現代刀の生刃では生刃の平面部分の表面に黒い色の状態が残っているのが望ましい。この黒い色は焼入をした時に必ず生じるもの(焼肌)であるから、(1)図の矢印(中心の刃方に示した矢印)の所(やや薄黒い色の部分)までは生刃の平面部分と同様の所作(鑢目と色)が残されているのが望ましい。

さて、(2)図(1)図を真正面から見た状態を図示したのであるが、「刃先の区角」が三角形状に欠損し、上部にも刃毀(はこぼれ)が生じた場合、刃先を引いて整形すれば(2)図中の太い直線状に示したようになるが、その太い直線の部分は刃先が尖らずに少し平面状となる。つまり、一見すればまさに生刃に見紛う状態に近い。(2)図の点線は本来の生刃が残っていた部分でありますから、太い直線状の所の踏張はなくなっています。又、刃毀(はこぼれ)は砥石で刃先を取り去る(刃先を引く)ため、鑢目は当然消えてしまいますし、黒い色((1)図にある)も当然なくなってしまいます。(2)図の様な状態でも故意に生刃と説明喧伝されて、売買されれば大きな誤解を生じましょう。

尚、現代刀には当然”生刃”がなければいけないのに、そうなっていないのがありますが、これは研磨の折に生刃のある附近の刃部の肉置が上部と異なり、極めて研ぎにくいため、故意に生刃を取り去って、研ぎやすくして研の手間を省くケースも往々にして行われている様です。併し、こうした加工は犯罪に近い事を認識して欲しいと切に望みます。以上、述べました生刃については拙著『刀の鑑賞』(普及版)にも解説しなかった事項であって、是非とも本欄で御理解下さる事を望みます。

さて、次回より偽物の話をさせて頂くつもりであります。

(平成二十五年 六月 文責 中原 信夫)