「雙」第24回

雙 第24回 森 雅裕

「お殿様。お腰のものはお預かりいたします」

 揚屋の使用人が腰をかがめながら、手を差し出した。大だけではあるが、綱宗はあっさり渡した。

「太守……お屋形様。どういう御料簡ですか」

 安倫が蒼い顔を向けたが、綱宗は虚無的に微笑んでいる。

「将たる者、負け戦と決まれば、もはや無駄な抵抗はせぬもの。首が欲しい連中には、潔くくれてやる」

「よろしい。お供つかまつる」

 加右衛門が高らかに告げた。どうやら助広も彼ら郎党の一員となっているらしい。

 彼らは二階の座敷に陣取った。

「すぐ、薄雲太夫の御都合をうかがいに出しますので」

 そういう主人に、

「いらぬ。少々取り込んでおる」

 酒だけ運ばせ、綱宗は盃をあおった。淫酒の「淫」はともかく、綱宗の「酒」好きは訛伝ではない。

「お前たちに盃を取らす。飲め」

 それぞれ、一杯ずつ受けた。助広は咽喉が狭くなった気がして、無理に流し込んだ。ともかくも遊女の相手をせずにすむのは一安心ではあったが。

「辞世でも詠むか」

 綱宗は広げた扇子に筆を走らせた。

 やがて、追いついた侍臣たちが現われ、敷居の向こうに膝を折った。数は五人。

「お屋形様。お腹を召されませ」

「何故か」

「小石川堀普請の指揮にかこつけ、屋敷をお出になっては御放蕩の日々。ついには公儀の勘気をこうむり、隠居逼塞の御沙汰。そして、本日は下屋敷へ移ると称しながら、吉原遊郭への回り道。不行跡のけりをつけていただきます」

「普請初めは五月十九日、鍬初めが五月晦日であった。普請が始まったのは六月ぞ。たったひと月かふた月そこらで、お家騒動が起こるほどの放蕩の日々か」

 綱宗は苦笑というよりも、むしろ相手を憐れむような表情だ。

「叔父上(伊達兵部)の書いた筋書きか」

「すでに成敗された君側の奸どもが冥界にてお待ち申しておりますぞ」

 侍臣たちも刀を預け、腰にあるのは脇差だけだ。吉原から刀剣類が全面的に閉め出されるのは、元禄期とも享保期だともいう「吉原百人斬り」などの刃傷事件後のことで、この頃は帯刀もさほどうるさくはない。

「断わったら、どうなる?」

「我々が討ちます」

「わしが討たれるのはよい。が、ここに同席の者たちはどうなる? 君側の奸ではないぞ」

「事情を知る者を見逃すことはできませぬ」

「斬るか」

「はい」

「それは許さぬ」

 その言葉をきっかけに、侍臣たちが膝を立てた。安倫が綱宗をかばおうとする。綱宗は自らの脇差を鞘ぐるみ抜き取り、加右衛門の手へ投げた。

 侍臣たちが殺到した。白刃が続々と加右衛門へ、綱宗へと振り下ろされる。助広は一人の侍臣へ突進した。素手だが、職業柄、力は強い。夢中で揉み合ううち、凄まじい絶叫が轟いた。肉塊が畳のあちこちに落ちた。

 加右衛門が奔らせた脇差の光芒が鎮まった時には、三人が絶息していた。助広が腰にすがりついていた侍臣も加右衛門のひと太刀で死体となっている。さすがに息をのむ斬り口だった。残る二人は身動きを忘れたかのように、尻餅でもつきそうなほど腰を低く、脇差を構えている。血の匂いが爆発的に立ちこめた。

 安倫は綱宗の盾となって、肩口を斬られている。助広は返り血を浴びているが、無傷だ。死体の手から脇差を奪い、構えながら怒鳴った。

「安倫、大丈夫か!?」

「……今のところは。人が大勢いるところでは乱暴狼藉は働くまいといったのは、どなたですか!?」

「今どきの伊達家家臣はしつけがなってないな」

 そういう加右衛門に、

「上に立つ者のせいだ」

 綱宗が苦笑を返した。

 修羅場を覗いた揚屋の主人が悲鳴をあげ、階段へと逃げ戻った。何かがぶつかり落ちる音がにぎやかに響いた。

「さて。どうする……?」

 加右衛門が訊いた。料理の献立でも尋ねるような口調だ。二人の侍臣は蒼白となって、脇差を突き出してはいるが、手も足も前方へは動かない。

「屋敷へ戻って、お歴々に筋書きを書き直すように伝えろ。さらに討ち手を差し向ければ、騒ぎが大きくなる。人の口に戸は立てられぬ。吉原で起きたことはたちまち江戸中に広まる。公儀に聞こえれば、お家の存亡に関わるぞ。それでは元も子もあるまい」

 侍臣たちは脇差を納め、身を翻した。彼らが路上へと飛び出す後ろ姿を加右衛門は窓から見送り、

「逃げたくてしかたなかったようだ。口実を与えてやったら、一目散だ」

 脇差の血脂を懐紙で拭い、

「揚屋が面番所へ駆け込むと面倒だ。町役人とて、大名家の内紛に関わりたくはあるまい。釘を差しておきましょう」

 階下へ足を運んだ。また悲鳴があがる。

 助広たちは血の匂いから逃げて、隣室へ移り、安倫の手当をした。

「助広師に手当していただくのは二度目ですね」

 深手ではなかった。山野加右衛門のような修練なしには人体を一刀両断できるものではない。

 騒ぎが一段落すると、猛烈な吐き気がこみあげてきて、助広は厠へ駆け込んだ。

 ふらふらと壁や障子にぶつかりながら戻ると、

「いずれも血まみれじゃな。着替えを届けるよう屋敷へ使いを出してよかったであろう。死体の始末もせねばならぬ」

 そういう綱宗に、酒を手に戻った加右衛門が訊いた。

「手回しの良いことでございます。しかし、届くのは水裃(切腹用の浅葱色の裃)ではありますまいな」

「そんなもの着ずともよい。船上でわしを葬ろうとしたのは、屋敷では血を流したくなかったということ。伊達宗家の当主にふさわしからずとはいえ、命を奪うには及ばずと考える家臣もおるでな。わしの敵であれ味方であれ、誰もこれ以上の大事にはしたくないじゃろう。今後は逼塞を守り、世捨て人となれば、もはや殺す値打ちもなかろうよ。――窮鳥懐に入れば仁人の憫(あわれ)むところなり。いわんや死士我に帰す。まさにこれを棄つべけんや」

 綱宗は淡々としたものだ。

「昨年生まれたわが嫡子・亀千代(のち綱村)が家督を継ぐが、後見人として、伊達兵部と田村右京が伊達家を牛耳ることになる」

 田村右京亮宗良は綱宗の兄で、仙台に近い岩沼の領主である。のちに一ノ関の兵部とともに、幕命によりそれぞれ三万石を得て、後見人に指名される。石高はともかくも、彼らは伊達家の家臣ではなく大名の扱いとなるのである。

「それで、よろしいのですか」

「わしは小石川堀普請をないがしろにして、公儀に背いたことになっておる。側近たちも佞臣として処断された。わしが下手に抵抗すれば、それこそお家の危機……。よいわ。すべて覚悟の上で、吉原へ通い、すみのを身請けいたしたのじゃ。わしはすみのを苦界から救い、助広という名工の命も救った。それで、充分じゃ。そのためにも――」

 澄んだ目が、助広へ向いた。

「すみのがお前の命綱となる。お前が見知った虎徹の事情、それに仙台や会津、尾張など各家の事情を口外せぬよう、すみのが見張る。一時たりとも離れてはならぬ。でなければ、お前を抹殺したがる者ども、わしとて押さえきれぬ」

「見張るとは、どういう……?」

「こういう意味じゃ」

 綱宗は扇子を放って寄こした。そこに死を覚悟しながら書きつけていたのは、辞世などではなかった。

「風うける帆を立てざれば世の海は かじのたくみも渡るすべなし」

 舵と鍛冶、巧みと匠をかけている。

「わしが六十二万石をなげうって、守ったお前とすみのじゃ。無下にはするな。よいな」

「…………」

「お前が大坂へ連れ帰らねば、あの娘はまさのとして、酒井家へ嫁に行かねばならぬのだぞ」

「私が迷うのは、自分のことではなく、陸奥守様のお味方がいなくなるのが気がかりだからです」

「何。わしには諸芸の師匠や仲間がおるわ」

 綱宗は品よく、しかし逞しく笑った。もう虚無的ではない。

「山野加右衛門。すみのの扱い、それでよかろう。お前の孫娘じゃ」

「は」

「まさののことはやりきれぬ思いであろうな」

「まさのが死に至ったのは、それなりの理由もござろうが、あれとてそれがしの孫。無念に存じます。その分、すみのが幸せになってくれれば、救われまするが」

「吉原より戻ったすみのとは、話くらいはしたのか」

「いえ。涙の対面は柄ではございませぬ」

 加右衛門は懐から小さな桐箱を取り出し、助広の前に置いた。

「助広殿。いずれ、あの娘に懐剣など作ってやってくだされ」

 箱の中身は目貫だった。図柄は馬である。

「あの娘の干支でござる」

「……はい」

「ところで、陸奥守様」

 加右衛門は両膝を綱宗へ向けた。

「それがしは、虎徹をめぐる姑息な企みに賛同はいたしかねます。人の生命、名前はそう簡単なものではございませぬ。したがって、今後も虎徹の刀で試し斬りを行ない、あれが替え玉などと考える者をなくしてしまう所存」

「好きにいたせ、横着者め」

 綱宗は悪戯っぽく目を輝かせ、加右衛門と助広を交互に見やった。

「すみのはすでに死んだことになっておるが、これも簡単なものではないというなら、すみのとして扱うがよい。縁組にあたっては、どこぞの町家の養女という名目にいたせ。ただし、当家としては、表向き、あれはまさのということにせざるを得ぬ。よいかな」

「承知いたしました」

「もうひとつ、かたづけねばならぬことがある。――加右衛門」

「は」

「すみのが苦界へ売られたこと、そのすみのを身請けすること、いずれもお前を蚊帳の外に置いた。お前が伊達家に憤るのも当然。許せ」

「もったいのうございます。それがしこそ、御無礼いたしました」

「そのこと。今、瞬時に三人を斬り捨てた脇差……。加右衛門が、試し斬りに及ばずと見向きもしなかったわが作刀じゃ。虎徹との相鍛え(合作)ぞ。どうせ刀は一人では作れず、厳密には世のすべての刀が相共作といえる。これをわしの作といいきっても、かまうまい」

「恐れ入り奉る。われらの命を救うてくれたこの御刀こそ、掛け値なき業物。金象嵌の截断銘を入れたいところでござるが、状況が状況だけに、銘文がむずかしゅうございますな。『於吉原生三ツ胴切落』とでも入れますかな」

 加右衛門は笑った。始めて見せる表情だった。

「そうか。業物と認めるか。これで、面目が立ったな、安倫」

「は。山野様の首を狙う理由もなくなってございます」

「お前の養父が腹を切ったのは気の毒であったが、わしの顔を立て、この場ですべて水に流せ」

「何。おかげで好きな刀工修業に専念できたのですから、遺恨などは流れ流れて、もはやどこまで行ったかもわからぬ有様でございます」

 そういう安倫に、加右衛門が告げた。

「金さえ積んでくれれば、おぬしの作刀にも派手な截断銘を入れて進ぜる。師匠の安定にも、よういうておかれよ」

 冗談にしても、人に好かれる口のききようではない。これが山野加右衛門という男だ。安倫の養父が加右衛門のために切腹していることを忘れたわけではあるまい。気にかけていても、それが表に出せないのだ。

「余目五左衛門、いや安倫」

 綱宗が穏やかな声で、締めくくった。

「安定師のもとで一人前となったら、帰参して、わしに仕えい。長すぎる余生となるであろうから、道楽をして過ごす。下屋敷に刀剣鍛錬場を作るゆえ、わしの相鎚をつとめることを命ずる」

 安倫は頭を下げた。肩が震え始めた。

 この日、万治三年七月二十六日、伊達綱宗は吉原を経由して高輪の下屋敷へ入った。長い幽居生活が始まる。公儀による家督相続の沙汰はこれより遅れ、嫡子・亀千代による仙台伊達家の襲封が許されるのは翌八月二十五日である。

 

 暮れてから寮へ戻った助広は、暗い座敷へ行く気にもならず、台所へ向かった。自分からすみのの方へ向かうのが筋のような気がした。

 井戸で顔を洗い、明かりの中を覗くと、もうまさのではない娘は、一人で支度をしていた。

 助広は、  

「ここで食う」

 と、座り込んだ。

「お出かけの時とお召し物が違いますね」

「陸奥守様のお見立てだ」

「道理で、白粉の匂いがします」

「……そうか?」

 どこで着替えるはめになったのか、すみのにかつての住処の名を聞かせたくなかった助広は、そっぽを向く。すみのも追及しない。

「献上のお返しを会津様からいただきました」

 将軍へ献上のつもりで打った短刀ではあるが、やはり助広だけを特別扱いはできぬということで、保科正之を介した注文という形をとったのである。

「また逃げてしまったな。白戸屋があきれていたか」

「今回も師匠は急病ということで、白戸屋さんと助直さんが御使者をお迎えしました。今回は届けていただいたので、千代田のお城へ呼ばれる期待がはずれた白戸屋さんでしたが、御使者の物々しい行列がこの寮を取り巻いて御近所の度肝を抜いたことで、欣喜雀躍、鼻高々でございました。この報奨の前には師匠に尾張柳生の刺客を送られたとも御存知なく」

「……助直は姿が見えないが」

「白戸屋さんが本宅の方でお祝いをするからと、そちらへ呼ばれていきました。じきにお戻りでしょう」

「私は行かなくていいのかな」

「病人が酒宴に出るわけにはいきますまい」

「で、いただいたものは……?」

「白銀十枚と……これです」

 まさのは飯櫃を開けた。松茸が炊き込まれている。上方では江戸ほど珍奇でもないが、この当時は煮るか焼くかするのが普通だ。

「まだ季節にはいささか早いですから、初物ということで」

 夕食が始まると、

「私もお前に食べてもらうものがある」

 助広は包みを差し出した。船上と吉原での活劇のせいで、ほとんどは原形もなく砕けている。

「止雨殿が寄こした。花林糖だ。お前の母が好きだったものだ」

「…………」

「かまわん。ここで食え」

 助広が松茸飯を食う傍らで、まさのは黒褐色の菓子を口へ入れた。二人して、おかしな光景だ、と助広は思った。

「止雨殿は他の菓子はおいしいのに、花林糖はさほどでもありませんね」

「母親の方がうまかったか」

「はい」

「私たちが夫婦になったら、どうなるのかな」

「……何です?」

「陸奥守様が、お前と離れるなと仰せだ」

「そうですか」

「弟子どころではない」

「もっとひどいですね」

「覚悟を決めろ」

「お互い様」

 別に気まずくもないが、いたたまれない空気が落ちる。それを救ったのが、来客だった。寮の使用人に案内されてきたのは、長曽祢虎徹である。

「ここでは客を台所に通すのかと思ったら……めし時だったか」

「会津様より賜った松茸です。よろしければ、虎徹師も御一緒に」

「御相伴しよう。助広殿がうちの鍛錬場で公方様の短刀を打っている間は、お嬢様に賄いをしていただいたから、あれ以来、舌が贅沢になってな」

 虎徹は徳利を置いた。

「めったに飲むものではないが、今宵は特別だ。わしとて、人づきあいはする。盃を、すみの殿の分も運んでいただけるか」

 いきなり、この男は彼女を「すみの」と呼んだ。正体を知っている。

「湯飲みの方がいいのでは?」

「盃だ」

 すみのは従い、盃を置いた。

「江戸の地酒『隅田川』だ。浅草雷門並木町の山屋半三郎とやらが隅田川の水で作り、浅草寺別当に献上して、銘を賜ったという。が――」

 虎徹は乱暴に注いだ。

「坊主が酒を飲むというのもふざけた話だ」

「浄めのつもりで、経でもあげてもらったのかも知れません。隅田川にはいろんなものが浮かんでいます」

 水死体も。江戸の人間は流域によって、隅田川を宮戸川、浅草川、大川などと区分することがあり、それに従えば、隅田川と呼ばれるのは今戸よりも上流であるから、両国橋より下流をいう大川よりも清流とはいえるが。

「飲め」

 虎徹は助広とすみのが盃を干すのを見守っている。

「助広殿。江戸を発つにあたり、弟子の助直殿は足手まとい、いやさ男女の道行きに邪魔であろう。わしのところへ足が完治するまで、預けていくがよい」

「道行きとはただならぬ物言いですな」

「おぬしたちは固めの盃を交わした」

 婚礼のつもりだ。だから、盃に限るといったのだ。 

「助直に江戸で勉強させてやってくださるのは有難いが……」

「酒癖が悪くなければ、かまわん」

「それが問題です」

「なら、酒も器も隠しておく」

「虎徹師の仕事場にあった京枡は、酒を飲むためのものではありますまい」

「興光の遺品だ」

「刑死されたのですな。興里虎徹の名前で」

 今さら、そらとぼけることはない。虎徹は今日、助広がどこへ出かけたかを知った上で、この寮を訪ねている。

「かつて、仕事のためには倫理も道徳も忘れた。酉年の大火を千載一遇の機会と、古鉄を求め、死体を斬り刻んだ。それが職人というものだ」

 確かに。助広にも理解はできる。

「が、そのために興光が犠牲となった。もともと病持ちで、永い生命ではなかったが……。わしとて自責の念で人相が変わった。すみの殿を売ってまで薬湯代にかえたこと、わが弟は悔いておったはずだ。わしからもすみの殿には謝ろう」

「もう、過ぎたことです」

 虎徹もすみのも互いにそういわざるを得ないだろう。だが、助広はやりきれない。

「興光師を身代わりに立てた自責の念で、虎徹師は図抜けた技量を持ちながら、作刀はもっぱら弟子にまかせ、自作することをやめたのですか」

「つい先日までは、そうであった」

「先日……?」

「御前鍛錬で、いや、おぬしに会うて、変わった。またぞろ鍛冶屋の虫が騒ぎ出した」

「では、これからまたお作りになるのですか」

「だから、おぬしと飲もうとやってきた。いや、おぬしたちと、だ」

 虎徹はさらに彼らの盃へ徳利を傾けた。

「わしが二人にしてやれるのは、こんな媒酌くらいのもの」

「固めの盃は何杯も酌むものですか」

 すみのが笑い、虎徹の盃にも注いだ。三人は江戸の地酒を何度となく咽喉へ落とした。

 軒下に、鉄の風鈴が鳴っている。

「助広師匠……!」

 寮の表方向から近づく声は、白戸屋善兵衛だ。

「『おすもじ』というのが何か、わかりましたよ! もうっ。人が悪い。今度こそまともな文句を書いていただきますからね!」

 台所へ現われた善兵衛は、新しい風炉先屏風を抱えていた。しかし、

「…………」

 しばらく無言で三人を見下ろし、屏風を落とすように置くと、あとから来るらしい助直に向かって、怒鳴った。

「助直さん! 師匠の御婚礼です!」

 廊下の向こうで、悲鳴と転倒する音が響いた。