「雙」第1回
「雙」第1回 森 雅裕
一・霜露
職人気質という言葉は、頑固一徹で世渡り下手な職人への誉め言葉だろう。しかし、職人の社会にも政治があり、富や名声を得る者は権力に阿(おもね)り、他人を貶(おとし)めることに熱中し、職人気質とは対極の世界に住んでいる。
(苦手やなあ、こういうの……)
男はもう半刻(はんとき)も茶屋の店先を動かない。視線の先にある料理屋が、その「対極の世界」だった。彼が待ち合わせた相手がそこにいる。なのに、料理屋の前で、
(こういうの苦手や……)
足が動かなくなった。
男の名を甚之丞という。世の通り名は津田越前守助広。大層な名乗だが、まだ数え年二十四歳の刀鍛冶だった。
寛永十四年(一六三七)、摂津打出村の産。初代助広の子で、四年前の明暦二年に二代目を継いだ。すなわち、今は万治三年(一六六○)六月。数日前、この男は江戸へ着いたばかりだった。
雨が降り出し、この男が飛び込んだのは、目指していたはずの料理屋ではなく、向かい側に見つけた茶屋だった。
雨雲に夕暮れが重なって、あたりの色が洗い落とされ、薄闇の底へと流されていく。
浮世のしがらみを忘れさせるような雨だ。そのせいで、助広はますます現実から逃避しそうになる。
(丁寧に頭さげて挨拶して、御高名は常々、とお世辞のひとつも奉って、まあ一献といわれたら、受けさせてもろて、それでもどうせ生意気な奴いわれんのや。いつものこっちゃ――)
会いたいと希望したわけではない。世の中には人を紹介したがるお節介がいるのだ。
うつむきながら視線をめぐらすと、茶屋の客はもう一人いた。若い武士である。その若者も助広と同様に、料理屋の出入口を睨んでいる。しかし、視線は助広よりもさらに暗い。
職業柄、助広は相手の佩刀へ目が行く。大は腰からはずして、傍らへ引きつけている。
この時代、「藩」という概念はあっても公称ではないが、各藩にはお国拵というものがあり、腰の差料を見れば、どこの家臣か、わかる場合がある。柄は頭(かしら)が小さめで、立鼓(りゅうご)が強く、中央が大きくくびれている。
仙台侯伊達家の拵(刀の外装)ではないか、と思った。柄も鞘も黒一色で、粗末とも質実ともいえる拵である。
しかし、腰にたばさむ脇差は、柄も鞘も雨よけの革をかぶせている。そして、長い。二尺(約六○センチ)近い。脇差というより、ほとんど刀の長さである。
正保二年(一六四五)に刃長一尺八寸(約五四センチ)を越える脇差は禁止され、以後、一尺八寸が脇差の定寸となっている。もっとも、禁令の効果はなく、武士、侠客たちには長脇差が流行し、助広にも大坂の富裕商人から長脇差の注文が多い。
(いわくありげな脇差やな……)
目が合いそうになり、逃がした視線の先では、料理屋から出てきた男たちが傘を開いていた。
武家一人と町人二人。助広が会う約束をしていた男たちである。帰るには早いようだ。大坂の刀鍛冶ごときに待たされる気はないのだろう。
歩き去る彼らから、助広は顔を隠した。
茶屋にいた若侍が傘を手に立ち上がっている。雨はさらに強くなっている。雨宿りしていたわけではなさそうだ。
(血相変えて、雨の中を飛び出していくとなれば、掛け取りに追われているか、親の仇でも見つけたか……。剣呑やなあ。これが江戸かいな)
神田川に架かる浅草橋を南へ渡ると、神田・日本橋側には町屋と武家地が混在している。男たちの足は表通りをはずれ、武家地に入っていた。板塀と林に囲まれたこのあたりに人気は絶える。
若侍は、前を行く三人の男たちに声をかけ、前へ回った。六十歳を越えたほどの侍が、彼らの中心である。
「山野先生。かようなところで失礼いたします」
深々と頭を下げ、相手がそれに応じた瞬間、若侍は傘を捨て、抜き打ちに斬りつけている。
山野、と呼ばれた男は左手に傘を差していた。右手には杖をついている。この老いてさえ見える侍は、その杖で相手の一撃目を払いのけた。落ち着いている。よろけた相手の腰を打ち、ぬかるみの中へ倒してしまった。
町人のうち、商家にしか見えない男は悲鳴をあげ、傘を放り捨てて、板塀へ張りついた。もう一人の町人は職人風だった。この男も冷静だ。傘を拾い、
「濡れるぞ」
震えている商家の男へ差し出した。
山野は刀を抜かず、傘を差したまま、片手に杖を構えている。赤樫の頑丈な杖だが、こうしたものの助けを必要とする足腰には到底見えなかった。
若侍は立ち上がり、果敢に二撃目を繰り出したが、打ち合うと、彼の刀は折れ飛んだ。
山野の頬が不快を浮かべて、歪んだ。
「いやはや。あきれはてた鈍刀よの。そんなもので、このわしを斬れると思うたか」
若侍は腰の脇差の柄に手をかけた。しかし、抜かない。
「どうした。そのつもりで用意した長脇差であろう。遠慮はいらぬ。抜け。それとも、また折られては困るような宝刀か」
挑発され、若侍は柄袋をはずした。
雨音が変わったのは、近づく助広が足を早めたためだ。
「もうおよしなさい」
傘の上に雨足を躍らせながら、声をかけた。
「あ。助広師匠じゃありませんか」
板塀に張りついていた商家の男が叫んだ。やや非難が混じった。
「や、約束は暮れ六ツ(午後六時頃)でございましたよ。山野様は待ちきれずにお帰りになるところで――」
「あいすみません」
助広は、杖を手にした侍の前へまっすぐに歩いた。
「山野加右衛門様。このような形でのお目もじ、お許しくださいませ。津田助広でございます」
「取り込み中である」
「ですから、声をおかけしました。勝負はもうついておりましょう」
「この場を納めろというのか。わしが手を下さずとも、この若侍、腹を切るぞ。それが侍の面目というもの」
その言葉に触発されたように、若侍は折れた切先部分を素手で拾い上げた。しかし、腹へ突き立てるより早く、その腕を職人風の町人がつかんだ。
筋骨たくましくもなく、若くもない男だが、体術の心得でもあるのか、若侍は動きを封じられ、刃物を取り落とした。掌を切ったらしく、滴る雨が赤い色に染まった。
「侍の面目など世のため人のためになるわけでもない。やめておけ」
男は、そういった。山野加右衛門よりは年少に見える。五十代半ばだろうか。この時代なら老齢だが、衰えは微塵もなく、せいぜい初老というべきか。目の前で刃物沙汰が起きているのに、まったく無表情だった。
若侍は駄々をこねるように、叫んだ。
「面目を棄てては、侍ではない」
「ならば、侍をやめるがいい。おぬし、何か好きなこと、やりたいことはないのか」
若侍が怒らせていた肩が、やや落ちた。
「あるのだな。では、その道へ進め」
奇妙な説得力があった。若侍は雨に打たれながら、もう動かない。
加右衛門もすでに杖を下ろし、野良犬でも追い払うように、いった。
「今日のことは忘れよう。わしは仙台侯を相手にことを構える気はない」
(やはり、この若侍は伊達家の家臣か――)
助広はこの男に傘を差しかけようかどうか、迷った。結局、やめた。余計なことだ。
加右衛門が助広へ向き直った。
「さて。とんだ初対面になったが、おぬしが助広か。どうする?」
「は……?」
「場所を変えて、あらためて一献といくか、と尋ねている」
「いえ……。こちらのお武家が気になりますので」
「そうか。では、これにて」
加右衛門と初老の町人は悠然と背を向けた。商家の男があとを追いながら、助広を振り返った。
「師匠。あとで、お話がありますよ。商人にだって、面目があるんです。あなたはそれをつぶしたんですからね」
煙る雨足の中に男たちを見送ると、助広は傘を若侍に預け、手拭いを取り出して、彼の手の傷を縛った。
「かたじけなし。茶屋にいた人ですね」
「つまらぬ邪魔をいたしましたな」
「いや。救われました……」
物腰の柔らかな若侍だった。助広をただの町人とは見ていないようだ。
助広は刀の破片を拾い、懐紙に包んで、この男へ渡した。
「子供たちが玩具にして、けがでもするといけません」
「あなたは山野加右衛門の知り合いですか」
「今日、知り合いにならせていただくはずでしたが、茶屋での雨宿りが長すぎたようです」
「あの商人が仲立ちですか」
「左様」
白戸屋という呉服太物屋(絹・木綿商)だ。本店が京都にあり、助広が江戸へ下るにあたって、当地の支店で面倒を見てくれることになっている。
「もう一人、一緒にいた男は何者かな」
助広は尋ねるともなく呟いた。白戸屋の連れではなく山野加右衛門の知己という雰囲気だった。が、若侍は首を振った。
「存じません。加右衛門が交誼を持つのは役人か金持ちと決まっていますが」
「そのどちらにも見えなかったが……」
若侍は足を引きずり、顔をしかめた。転んだ時、挫いたらしい。
「いけませんな。肩をお貸しいたしましょう」
「造作をおかけします。私は余目五左衛門」
「名乗ると、主家に御迷惑がかかりませんか。仙台侯……と聞こえましたが」
江戸市中で抜刀するなど、切腹覚悟の蛮行である。本人だけでなく、主君にも累が及ぶことになりかねない。
「何。逐電したことになっております。このお刀を盗んで……」
腰の脇差を目で指した。使うのをためらっていたのだから、よほど大切な刀らしい。
「で、どちらへ戻られる?」
「神田白銀町へ……」
武家地ではない。そこまでこの傷ついた若者を送り届けずにすむ理由が、助広には見つからなかった。
(同業者や……)
助広は胸中で呟いた。余目五左衛門の案内に従い、訪ねた先には、鍛冶場が建っていた。野鍛冶ではない。刀鍛冶である。
そこの主人は、
「冨田(とんだ)宗兵衛と申す」
と、名乗った。体躯はたくましく、丸顔の風貌には愛嬌があるが、眼光は鋭い。
「世間の通り名は大和守安定と申します」
「……甚之丞でございます」
安定といえば、その斬れ味を称揚される刀工である。これより二百年後、幕末の騒乱時には、武士たちは争って、その作を求めたという。この時、四十三歳。刀工としては、精力あふれる盛りだ。
助広は、同業者であることをいいそびれた。隠す気はないが、先輩に対して、わけもなく気が引けた。
「五左衛門が御迷惑をおかけいたした」
「何。おかげで山野加右衛門様の腕前を拝見できました。失礼ながら、余目様のかなう相手ではなさそうだ。なのに、主家を離れてまで、かの仁を討とうとなさるからには、よほどの理由がおありと見える」
「山野加右衛門永久のことはどのくらい御存知かな」
「御様(おためし)御用と」
罪人の首斬り役である。正式な役職ではなく、牢人扱いだが、本業は首斬り後の死体を用いて、将軍や大名たちに託された刀で試し斬りを行なう嘱託であり、武家社会では一目置かれている。何より、斬った首の数が六千を越えるというから、畏怖されて当然である。
「何。金の亡者よ」
安定は苦笑した。試し料ばかりでなく、茎(柄の部分)に金象嵌で截断銘を入れるのも安くはない。依頼主が高級武士に限られる所以である。
「安定師匠の作刀にも、山野様の截断銘が多く入れられているのでは……?」
「だから、いうのだ」
刀工が試し斬りを依頼する場合もある。山野加右衛門の截断銘が目立って多いのは、他ならぬこの安定の作刀なのである。それだけ、貢いでいるということでもあるだろうが。
「斬れ味の評価も金次第。並みの遣い手なら鈍刀でも、加右衛門ほどの練達者がふるえば利刀。金を積めば利刀となり、積まねば鈍刀となる」
「はあ……」
助広は門外漢ではない。今さら驚くような話でもなかった。白戸屋が助広を引き合わせようとしたのも、加右衛門のそうした社会的な力と近づきになるために他ならない。
別室でけがの治療を終えた余目五左衛門が現われ、あらためて頭を下げた。
「おかげさまにて、助かりました」
「いえ……」
「この五左衛門が山野加右衛門を襲った理由も、そこにありましてな」
と、安定は五左衛門に発言を促した。五左衛門は案外、恬淡と語り始めた。
「私の父は(伊達)陸奥守家にて、御刀奉行支配の手代をしておりました。わが太守(伊達綱宗)より脇差一振りを託され、試し斬りを加右衛門に依頼してございます。が、しかし、法外な試し料を求められ……それを断わり申した」
すると、加右衛門は、この刀は試し斬りに及ばず、と突っ返して寄こした。
「武名で聞こえた伊達家には値せぬ鈍刀とまで、いってのけたのです。わが主君のお刀を笑われては、御刀奉行手代には立つ瀬がない。父は腹を切りました。その脇差で」
「何と……」
「刃味を、身をもって証明したのでございますよ」
「あなたが盗んだといわれた脇差がそれですか」
「左様です」
「その脇差で、今度は山野様の身をもって、刃味を知らしめようと……?」
「そのつもりでした。しかし、斬り結ぶわけにはいかぬ」
刀と刀で打ち合えば、疵がつく。刃こぼれも生じる。
「どうせ盗んだ刀なら、疵など、かまうこともありますまいに。あくまでも御主君に義理立てなさる御所念ですな」
逐電というのは、伊達家上層部も承知の方便だろう。仙台侯を辱めた山野加右衛門を斬るための――。
「あくまで、加右衛門の首を落とすためだけに使うつもりでした」
「だから、抜かなかったのですか。しかし、そんな余裕をもって、立ち向かえる相手と思われたか」
「試刀家は縛られた罪人もしくは死人を斬るのが専門。生きた相手と斬り合うことはまた別。しかも、彼奴は齢(よわい)六十を二つ三つ越えている。そう考えましたが……」
「この五左衛門は伊達家中でも、腕自慢でござってな」
安定の言葉に苦笑が混じる。
「もっとも、こやつは死体すら斬ったことがない。加右衛門にかなうわけもなかった」
「山野様にかなわなかった余目様が、身と心の傷を癒す場所に、こちらの安定師匠のもとを選んだ理由は何です? もちろん、仙台侯のお屋敷にはもう戻れまいが……」
「以前から、こやつはわしが預かっておりましてな」
「つまり、刀工の弟子として、ですか」
刀鍛冶は他の職方とは格式が違う。貴人や武家の中にも「慰め打ち」を行なう例は珍しくなく、家臣に刀鍛冶の修業をさせる大名家もある。
安定は越前の出身だが、奥州仙台との関係は深く、明暦元年(一六五五)に仙台へ招かれ、仙台東照宮への奉納刀を打ち、さらに伊達政宗の霊を慰めるべく瑞巌寺(瑞鳳寺という記録もある)にも奉納している。
助広の耳には、余目五左衛門以外の安定の弟子たちにも奥州訛りが聞き取れた。
「刀工名は安倫(やすとも)と申します」
と、五左衛門は名乗った。
「実を申せば、御刀奉行手代は養父です。わが血流は倫助と称した父祖の代から陸奥守家お抱えでございました。私の実兄はこちらの安定師匠に入門し、安倫の名をいただきましたが、五年前に亡くなっております。私は養父とともに手代として陸奥守家に御奉公しておりましたが、実兄のあとを継ぎ、二代目の安倫となります」
雨の中で腹を切りそこね、好きなこと、やりたいことはないのか、と訊かれた時に、この男の胸中を過(よぎ)ったのは、刀作りだったようだ。
「では、修業を続けて、刀工になられるのか」
「実は、加右衛門に叩き折られた刀も自作。まだまだ未熟です」
「弟子の未熟は師匠の恥」
と、安定。
「加右衛門の首を土産にせねば、仙台侯への帰参もかないますまい。せいぜい、わが弟子として、こき使ってやりましょう」
この師弟は苦笑さえしているが、助広は大真面目に問いかけた。
「もう、山野加右衛門様を狙うのは断念されましたか」
「要は、お家の面目を保てばよいこと。他の方法を考えましょう」
何をするのか。疑問には思ったが、助広が立ち入るべきことでもない。
「しかし、余目様をかばうと、安定師匠と山野様との仲が気まずくなりませんか」
「わしはもう名を広めた。今さら、彼奴の試し斬りの恩恵など必要とはせぬ。人のことより、甚之丞殿こそ、やりにくいのではないかな。今後も加右衛門とお会いになるだろうからの」
「今後……?」
「上野寛永寺」
と、安定はいった。寛永寺では、全国から刀工を招き、将軍来臨の「御前打ち」の準備が始まっている。
「そこで打ち上げた刀は加右衛門が試し斬りをすることになっておる。甚之丞殿は、その御前鍛錬に参加のため出府されたのであろう」
確かに。しかし、助広は名乗っただけで、自分の素姓を明かしていない。なのに、
「御同業ですな」
安定はあっさりといい当てた。
「それ、その腕の無数の火傷跡。鍛冶屋の看板を掲げているようなもの。しかも、上方訛り」
「恐れ入ります。甚之丞の世間での通り名は、大坂の津田助広と申します」
あ、と五左衛門が頷いた。
「あの商人から師匠と呼ばれていらっしゃったが、やはりそういうことでありましたか」
安定は値踏みするような視線で、助広を見据えている。
「わしも御前鍛錬に招かれておる」
参加者の顔ぶれは事前に知らされているはずだ。はず、というのは助広は江戸の刀剣界に人脈がないため、聞いていないのである。が、安定は助広の参加を知っていた。
「お若い」
安定の目が、すっと細くなる。
「『ソボロ』の異名をとる、音に聞こえた業物の名が助広でしたな」
「父です」
「ふむ……」
初代助広はもとは播州津田(姫路)の数打ち(量産刀)工であったが、大坂で初代河内守国助の門に入り、成功した。すでに隠居して、名を息子に譲ったが、作刀に「そほろ」と添銘したものがあり、ソボロ助広の異名で呼ばれている。
「一族郎党、身なりにかまわず、ボロをまとっている故に『諸人惣ぼろなり』と伝えられているが……いや、失礼」
「『中庸』にいう『霜露の隊(お)つるところ』から引いている言葉です。もっとも、確かにボロをまとってはおりますが」
天の覆うところ、地の載するところ、日月の照らすところ――およそ血気ある者は尊親せざることなし、の一節だが、刀鍛冶風情の知識の範疇ではない。
しかし、
「天道論だな。おのれの技芸が天下に轟き渡るという寓意か」
安定は理解した。案外な教養人だった。ありとあらゆる方法で自分を磨いてきた、そんな職人なのだろう。
霜露は触れれば落ちる露から斬れ味をも意味し、江戸後期の首斬り役・山田浅右衛門吉睦が刃味を順位づけした最上大業物にも、ソボロ助広は名を連ねることになる。
「なるほど。息子もまた業物のお墨付きを得るべく、料理屋で加右衛門に挨拶をなされようとしていたのか」
「気が進まず、逡巡しているところへ、血相変えた余目様に出くわした次第です」
「どうせ、金持ちの紹介でしょうな」
「白戸屋という呉服太物商です。その寮が本所にあり、そちらに逗留しております」
「大坂から引き連れてきたお弟子たちも、そちらか」
「それが……」
助広は小さく苦笑した。