骨喰丸が笑う日 第九回
骨喰丸が笑う日 第9回 森 雅裕
陽光の中に梅の匂いが漂う頃、アサヒが宗次の屋敷へやって来た。
「年始の挨拶に来たよ」
「何いってやがる。もう一月も末じゃねぇか。しかも手ぶらで」
「土産ならあるさ」
アサヒは幼児を連れている。娘である。外国の血が入った顔立ちをしていた。名前はニイナという。丹奈と書くらしい。
ニイナは短い笛みたいな玩具を持っていた。木彫りのウソ(鷽)である。それを宗次に差し出した。彼女は彼を「むーちゃん」と呼ぶ。
「むーちゃん。お土産」
「おお、ありがとうよ。亀戸天神のウソ替えに行ったのか」
母娘は同時に頷き、アサヒがいった。
「可愛くもないウソを買うために、えらい混雑だったわ。彫刻やってる者としちゃあ、自分で作った方がいいやね」
「お前が作ったって、御利益ないだろう」
「これは異なことを。刀の名人とも思えないわね。手作り一点物の方が御利益あるに決まってらあ。今度、作ってあげるから、床の間に飾っときな」
亀戸天神のウソ替え神事は、幸運を招く鳥とされているウソの木彫りを、新しいウソに取り(鳥)替えると、旧年中の悪い事が「嘘」になり、新年の吉運を招くとする行事である。量産される木製ウソは簡素なものだ。
「アサヒよ。お前に訊きたいことがあったんだ。昔から気になっていたんだが」
「何さ? いってみてください。心残りのないように」
「それじゃあ口に出したら、すぐにも冥土へ旅立ってしまうみたいじゃねぇか」
「じゃ、やめなさい」
「やめねぇよ。骨喰丸はどうなってる?」
「短刀かい。私が持ってる」
「彫刻の地蔵が持つ宝珠はどうして別の鉄を象嵌してあるんだ?」
「へ?」
「北斎師が悪戯で鍛えた鉄の切れっ端だそうだな」
「よく御存知ですこと」
「だが、それだけとも思えねぇ」
「細かいことが気になるのはモノ作り職人の性というものかねぇ。あははははははは」
アサヒは火鉢の鉄瓶から勝手に茶を淹れながら、唐突に物凄い作り笑いを見せた。
「冥土の土産に教えてあげるよ。銘を覚えてるかい」
「ああ」
骨喰丸には「応鏤骨 為形見」の銘があった。
「死んじまった北斎さんの歯の小さなカケラを入れて、フタをするように宝珠を象嵌したんだ。お栄さんの思いつきさ」
アサヒは母親をお栄さんと呼んだ。
「彫り師の銘は入れてないけど、あれもお栄さんからいわれたんだ。お前なんか清麿さんの銘と自分の銘を並べ入れるほどの貫禄じゃないって。まあ、手元にあればいつでも入れられるし、死ぬ前にでも気が向けば入れるさ」
「なるほど、そうか。銘の意味も号の由来もわかった。骨とはつまり歯のことだったか」
「あまり気持ちのいい趣向でもないけどね」
江戸の人間は遺骨への執着が薄い。根無し草のような人間が多いから、墓も永遠に残るものとは考えていない。歯のカケラを埋め込んだ短刀が子孫に伝えるべき墓石がわりということか。
「短刀は葛飾北斎の血流の証であるとして、将来、血が絶えたらどうなるのかな」
「そんな先々のことなんか知ったことかね。どんな流転をするのか、刀にも運とか定めというものがあるだろ」
宗次は縁側でヤモリにちょっかい出しているニイナを見やった。
「お前の娘はどういう定めの下で生きていくのかな」
「才人の血はしっかり受け継がれていくことを明らかにしてくれるさ。その頃には、宗次さんは極楽浄土だろうけど」
捨てゼリフを残してアサヒ母娘が去ると、宗次は庭へ出て、杖をつきながら鍛錬場を覗いた。誰もいない。火を使っていないから、空気が冷え切っている。倒れ込むように横座の位置へ座った。数年前までは鎚音の絶えることがなかった場所だが、時の流れは頭上を通り越していった。
老いてからの宗次は、ぼんやり過ごす時間を持たないようにしてきた。ろくでもない過去の思い出ばかりが浮かんでくるからだ。そうした雑念を振り払うように、仕事場の備品の一つ一つを眺めながら、これから転業せねばならぬかと、自分の身体など動きもしないのに、とりとめのないことを考えた。息子たちは作刀する一方で、一般刃物をも手がけ始めている。
鍛錬場の隅に束ねられた作りかけの包丁、洋式のラシャ切りバサミを眺めていると、次男の源次郎が大きなサツマイモを二つ、手にして現れた。
「親父殿。冷えるだろ。芋でも焼こうや」
鍛錬に使う稲藁を火床に積み上げ、火を点ける。炎がおさまると灰の中に芋を押し込んだ。周りに炭火を置き、あとはただ待つだけである。
「子供の頃、兄貴や弟子たちと火床で芋を焼いてて、親父殿に見つかったことがあったな。怒られるかと思ったら、芋もうまく焼けねぇ奴に鉄の鍛錬はできねぇといわれた」
「俺も綱英師のもとで修業していた頃には、火床の隅に芋を隠して焼いたもんだ。ある時、親方が来て仕事を始めてな。がんがん火を焚くもんだから、こちとら気が気じゃなかった。あとで取り出したら真っ黒になってた」
「そりゃ泣ける話だ」
源次郎がそばに置いた炭火で、宗次は暖を取りながら、訊いた。
「時太郎はどうしてる?」
「そのへんの寺地で、凧揚げでもやってるんだろ」
「仕事ぶりはどうだ?」
「へ。仕事じゃねぇ。遊びだよ、あいつのやっていることは」
時太郎は土置きした計算ずくの丁子を焼くことができず、焼刃土を塗らない裸焼きを試したりもしたが、結局これもあきらめ、肌物に手を出している。丁子は勘だが、肌物は頭で作る……そううそぶいていた。固山流の作風ではない。
「まあ十本に一本くらいは、田舎へ持っていきゃ出来の悪い則重で通るかも知れねぇ」
「図体だけは親父にそっくりになってきやがったよ。あの猫背の後ろ姿を見ると、清麿が甦ったかと思う時がある」
「しかし、刀の時代が終わったのは、時太郎にはむしろ好都合だったよ。親父の一門を率いる器量じゃない。ラシャ切りバサミを手伝わせているが、やる気があるのかないのか、わからねぇ」
洋服というものが普及し始め、生地を裁断するためのハサミが需要を増している。源次郎は握りのワッパ部分を作る特殊な金床など、新たな鍛冶道具を工夫し、新事業に取り組んでいた。
義次の刀匠名を持つ源次郎は無頼の性格だが、鍛冶屋の才能は兄の宗一郎よりあるかも知れない。
「亀戸へ行ってみてぇな」
ぽつりと宗次が呟くと、源次郎は軽い口調を返した。
「初天神の縁日はもう終わっちまっただろ」
「この身体で、そんな混雑の中へ行けやしねぇよ。梅屋敷へ行きてぇんだ」
「じゃあ、俥(人力車)で行こうか。お伴してやるよ」
うん、と宗次は頷いた。
亀戸の梅屋敷は伊勢屋彦右衛門という商人の別宅だったが、水戸光圀が命名したと伝わる臥龍梅なる奇木で知られる。遊客が増えるにつれて梅は三百株を数えるまでになり、臥龍梅も代を重ねている。
もう一箇所、向島に新梅屋敷と呼ばれる百花園がある。こちらはあえて人工的な整備をせず、花々が野趣あふれる形で咲き乱れて、風流を気取る江戸後期の文人たちに愛されていた。
宗次と源次郎は両方を回り、園内の茶屋で休んだあと、帰路には浅草へ寄った。北斎の墓参である。浄土宗誓教寺は町の喧騒から離れている。木々に覆われた墓地の落葉を踏みながら、決して大きくはない墓碑の前に立った。「画狂老人卍墓」と正面に彫り込まれている。
ここで、北斎の葬列に加わった清麿を初めて見た。二十四年前だ。恐ろしく早く過ぎた年月だった。
「あまり熱心に拝んでると、北斎師が迎えに来ますぜ」
源次郎に肩を叩かれ、歩き出しながら、それぞれが感じることがあった。源次郎は父が痩せたことを実感し、宗次も息子がそれに驚いたことを察した。
「北斎師もそうだが……たいした人物に出会ってきたよなあ。刀にかかわる名人達人、維新の風雲児、幕藩のお歴々。あらかた、三途の川の向こう側だ。目を閉じると、手招きしてるのが見えらア」
「呼ばれていちいち出向いていたら、身が持ちませんぜ」
西陽を追いかけるように四谷の屋敷へ向かい、帰宅したのは日暮れだった。宗次は人力車を降りなかった。手を貸そうとした源次郎だったが、父の顔を覗き込み、動きが固まった。
宗次は息絶えていた。源次郎はしばらく立ちすくんでいた。そして、
「ほんとに北斎翁が迎えに来た……」
口をついて出たのはそんな言葉だった。固山宗次の行年は七十一歳であった。
宗次の葬儀は身内と親しい者だけで行われ、代々木村狼谷の火葬場へ向かう前、アサヒは自作のウソの彫り物を棺桶に入れ、ニイナとともに参列に加わった。
半年後の明治六年七月に政府は火葬禁止令を出し、それからわずか二年で撤回することになるが、宗次は遺骨を故郷の奥州白河で埋葬するため、火葬となったのである。
それからまもなく宗一郎と源次郎は髷を落とし、宗一郎は江戸を離れて白河の実家を継いだ。四谷の屋敷に住むのは源次郎と彼の妻子、時太郎と雪野ということになった。
そして明治九年三月、廃刀令が発せられ、いよいよ士族はその象徴を奪われることになった。刀職者の多くは失業し、真偽は不明だが、刀屋の店先では大八車に山積みの刀が二束三文で処分されているという噂も流れた。
固山工房が受ける注文もほとんど一般刃物である。特に源次郎のラシャ切りバサミは舶来品よりも日本人向けに小さめで、好評だった。時太郎を助手にして、生産に励んだ。
そんな時、刀の注文が入った。源次郎にではなく、時太郎である。嫁の雪野が知人から受けた依頼だった。
「知人ったって、女郎のことですからね。どんな知人だか、わかるでしょうが」
毒づいたのは時太郎である。
「薩摩の軍人の注文ですよ。雪野は昔の客から俺の仕事をとってくる」
そんな文句を聞いても源次郎は眉一つ動かさない。
「お前のために頭下げてるんだろ。いい嫁じゃねぇか」
「恥ですよ。女郎にはそれがわからねぇ」
雪野は今は堅気で、高級軍人が利用する料亭で働いている。たいした収入のない時太郎は彼女のヒモみたいなものである。
「よさねぇか。女房の悪口なんかいうんじゃねぇ」
と、源次郎は少しだけ表情を動かし、苦虫を噛みつぶしたが、赤ん坊の頃から知っている時太郎だから、本気で怒る気にはなれない。時太郎も相手の顔色を読む男ではなく、愚痴を続ける。
「あいつは飾り立てるのが好きで、ちやほやされることに慣れてる」
無口な時太郎だが、固山家の人間とは同じ屋敷に住み、鍛冶仕事をともにしているから、気が向けば話す。特に雪野への不満は続々と口をついて出る。
源次郎はそんな時太郎をジッと見つめた。相手を跳ね返すような眼差しだ。
「女郎と知った上で惚れたんだろう。仲よく水天宮に詣でたりもしていたじゃねぇか」
「まあ、江戸が東京と変わっても、この町の人間は信仰熱心というより信仰行事が好きですから」
「子を授からなかったのは、かえって好都合だと思ってるのか」
時太郎は否定しなかった。雪野と別れることを考えているらしい。生活能力もない男が二十歳かそこらで所帯を持ったのである。破綻して当然ではあった。
源次郎はこの男との会話が面倒になってしまった。
「で、注文ってのはどういう刀なのかな」
「同田貫みたいなゴツイのが御所望です。やってられませんや」
「いいじゃねぇか。どうせお前、丁子なんか焼けねぇだろ。同田貫なら、汚い地鉄に直刃か小乱れでいいんだぜ」
仏頂面の時太郎へ向けて、源次郎は皮肉混じりの苦笑をぶつけた。
「ぜいたくいうんじゃねぇぞ。この国の文物は御一新でことごとく駄目になっちまった。画工すら、狩野芳崖は養蚕に手を出して失敗し、橋本雅邦は三味線のコマ削りで糊口をしのいでる。ましてや刀工は語るに及ばず……」
「偽物作りで生計を立てている連中もいるようですが」
「お前、そんなことをやりたいのか。偽物を作るだけの技量もねぇだろう」
「はあ……」
一か月ほどかけて、時太郎は一本を鍛え上げた。この男がのんびり研究していた肌物ではなく、一般的な板目である。互ノ目丁子の土置きをして、焼入れを試みたが、ムラ沸だらけになってしまった。三度やり直したがうまくいかず、キズが出たので廃棄した。清麿の作風を意識していたが、似ても似つかなかった。
もう一本を鍛え始めた時太郎に、源次郎はいった。
「清麿さんの出発点は備前の丁子だろう。それができたからこそ、独自の作風に達した。その境地をいきなり目指そうというのは、仕事をなめちゃいねぇか」
時太郎はあきらめの早い男だ。
「ええ。今度は直調に互ノ目まじりにしておきますよ」
と、このいい方が、源次郎を苛立たせた。
「素直に直刃でいいじゃねぇか。それともお前、直刃すら、元から先までピンと均一に焼けねぇのか」
「焼けませんよ。そもそも、均一に焼いたって面白味がないでしょう」
「均一に焼く腕を持ってから、面白味ってやつを目指せよ。それが職人ってもんだ」
備前伝の鍵は炭素量と焼入れ温度である。丁子刃は炭素量が低い方が足が入りやすく、映りも出る。ただそれでは焼刃は低くならざるを得ず、華やかな高い刃のためには炭素量は高くせねばならない。高い刃を焼き、足を入れるという相反する目的のために、微妙な炭素量の調整を鍛錬によって行うのである。そして、焼入れも迅速かつ正確にやらなければ、ムラになる。古刀の備前伝にはムラも見られるが、固山宗次はそれを排除し、計算された備前伝を完成した。
だが、時太郎の技術は鍛錬も焼入れも今ひとつである。相州伝なら地鉄勝負だから備前伝ほどには刃文に神経質でなく、少々の破綻は面白いという見方もあるので、彼はその方向を見ているようだ。
向上心のない時太郎でも気位は高い。
「そりゃあね。宗次師は確かに上手だったが、きちんとしすぎて面白くねぇ。それが世間の評価ってもんです」
源次郎はこの男に対して、苦笑する気力もなくなった。
「親父は清麿さんを救えなかった負い目から、お前を甘やかした。それが失敗だったな」
「は……?」
「時太郎。お前はうちの一門じゃねぇ。まあ、好きにやりな」
源次郎は匙を投げたのである。それでも、時太郎に協力して、とりあえず一本の刀を完成させた。重ねが厚く、板目に杢目をまじえ、直刃調で、長船清光に似ていないこともない刀だった。
しかし、時太郎はこの豪刀を客に納めることはなかった。依頼主の軍人は廃刀令に反発する士族が決起した神風連の乱で、戦死してしまったのである。引き取り手がいなくなった刀は、研ぎ上げられたまま、仕事場の隅に放置された。
時太郎にしても、刀どころではなくなった。彼は雪野と離縁し、母のキラはすでに他界していたので、身寄りがなくなった。そして、東京鎮台に徴兵されたのである。
明治六年に施行された徴兵令は多くの免除事項があったが、もはや嫡男でも家長でもない彼には適用されなかった。
明治十年の夏、時太郎は西南戦争へ送り込まれ、四谷の固山邸に戻ることはなかった。南九州の戦場で行方不明となったのだ。戦死公報はなかった。脱走したのである。
明治二十年の秋、源次郎を五十過ぎの男が訪ねてきた。人の隙を窺うような目つきは金勘定ばかりしている商売人と見えた。
源次郎は縁側で栗の皮を剥きながら、迎えた。
「これな、一日、水につけて柔らかくなったところだ。剥きながら失礼するぞ」
「源次郎さん。あの、私を覚えていますか」
「あ?」
「清麿師の弟子だった清矢です。もう三十年以上の御無沙汰になりますが」
いわれてみれば、見覚えある顔だ。
「へええ、こいつは懐かしい。年をとったなあ。お互い」
不器用で、モノになりそうもない弟子だったが、刀鍛冶はあきらめたらしい。愛想に乏しかった冴えない男が、今は如才ない商売人に変貌していた。
「浅草の方で刀屋をやっています。清麿系清矢堂という屋号です。まあ、こんな御時世ですから、広く骨董も扱ってますが」
「清麿系ってのがよくわからねぇが……刀屋に会うのはひさしぶりだ。刀鍛冶なんか鉄クズを生み出すだけの厄介者としか思われてないもんな」
「いやいや、そんな……」
居心地悪そうに清矢は身をよじった。
「あのですね。これを見てください」
清矢は持参した新聞紙の包みを開いた。鞘もハバキもない薄汚れた刀である。
源次郎は栗を剥く手を止め、見やった。
「焼身だな」
「再刃をお願いしたいんです。刀鍛冶はどこも廃業していて、他にお願いできる腕前の職人がおりません」
「めんどくせぇ」
よほどの名刀なら引き受けるが、ゴツイだけが取り柄の実用刀だった。茎には「九州肥後同田貫上野介」と在銘だ。
「刀が持てあまされている時代に、この程度の刀をわざわざ再刃する理由は何なんだ?」
源次郎は清矢を冷たく睨んだ。一直線の視線には相手を逸らさぬ磁力のようなものがある。
「ええとですね。榊原鍵吉という御仁を御存知ですか」
「維新前には講武所の剣術師範だった男だ。若い頃、狸穴の男谷道場で一緒だった。俺と同い年だ」
維新後の剣術家の困窮を救済するために撃剣会を立ち上げ、浅草で見世物興行などやったために批判を浴びたが、今なお髷を切らない硬骨漢である。
「撃剣会も実力者を警視庁に引き抜かれて、今じゃすっかり下火になりましたが、私は剣術家の方々とおつきあいいただいています」
「お前さんの近況報告より鍵吉さんの話をしろよ」
「その榊原先生から同田貫を探して欲しいと頼まれまして」
「それで、再刃した焼身を鍵吉さんに売りつけるつもりかい」
「いやいや、もちろん、ちゃんと説明しますよ、再刃でございます、と」
「馬鹿馬鹿しい。歴史に残る名刀ならともかく、再刃の同田貫なんか有り難がる奴がいるかよ」
「…………」
「そもそも何で同田貫なんだ?」
「先代の公方様の前で兜割りをやったことがあって、その時に使ったのが同田貫だったとか……」
「ほお。てことは、また兜割りをやるわけか」
「あ。余計なことをいいました。内密です」
「内密とな。雲上人の来臨でもあるのか」
「あっ。あああ」
「そのあわてぶりだと、天子様のお出ましかな」
「あのですね、忘れてください」
「忘れねぇと思うぞ。俺の頭はそう都合よくできてねぇし」
栗の皮むきに戻り、源次郎は鼻歌でも歌うように、いった。
「再刃はやらねぇよ。ま、ひさしぶりの再会だ。栗飯でも食っていけ」
「あの、ええと、清麿師の息子さんは……時太郎さんはもう十年も行方知れずだと噂を聞いていますが」
「その名を出すなら、何も食わさんぞ」
「はい」
清矢はそれきり追及しなかった。遠慮したわけではなく、源次郎のような曲者に逆らうのが面倒なだけだろう。