骨喰丸が笑う日 第八回
骨喰丸が笑う日 第8回 森 雅裕
宗一郎と吉亮は歳末で浮き足立つ吉原遊郭のすぐ脇を歩いた。浅草溜は浅草寺から日本堤に至る畑地に建てられた数棟の長屋である。竹垣で囲われた敷地に、困窮者、病人などおよそ三百人が収容されており、宗一郎と吉亮が事務棟らしき小屋へ行くと、収容者と区別もつかない風体の番人がいたが、彼らを管理する人足頭の名前を吉亮が出すと、素直に調べてくれた。
「山浦時太郎は上野へ移りましたよ」
寛永寺のかつての境内である。彰義隊の戦争で伽藍の多くを焼失し、今はかなり規模が縮小されてしまった。吉亮は隊士の一員で、敗走後はしばらく世間から身を隠していた時期がある。
「亮。上野にいい思い出はないだろ。気乗りしなきゃ俺一人で行くぞ」
宗一郎の言葉を吉亮は退けた。
「いや。もう昔の話です」
すでに西の空には夕陽の燃えさしがくすぶっているだけだ。上野の山には戦争の焼け跡も残っているが、病院が建つとか学校ができるとか真偽不明の噂があり、整地が広がっている。確かなのは、徳川家菩提寺である寛永寺は、広大な敷地を取り上げられるということである。
かつて根本中堂が威容を誇っていたあたりから谷中の方向へと歩くと、林の中に物置小屋を大きくしたような建物がいくつか建っている。浅草溜と違い、こちらには東京府なのか司法省なのか、役人らしき人物がいて、横柄に訪問者を見やった。
「何かね」
「山浦時太郎を探している」
「もう日暮れだ。受付の時刻は過ぎた」
「誰に口をきいているのか」
高圧的に吉亮は役人を見据えた。若いとはいえ、修羅場をくぐってきた男である。役人の扱い方も心得ている。
相手は値踏みする視線で二人を交互に見比べた。
「あ、あんたたちは?」
世を騒がす不平士族でも見るように警戒し、侮蔑も隠さない。無理もない。明治四年には散髪脱刀令が出ているのに、彼らは髷を結い、帯刀もしているのである。
「山浦の古い知人だ。元・桑名藩御用鍛冶、固山宗次の二代目と東京府囚獄掛斬役の山田吉亮」
「は?」
幕藩時代の身分制度はなくなったが、世間的にはまだ士族の肩書きがモノをいう時代である。正式には「斬役」は吉亮の兄の吉豊だが、吉亮が代行することが多く、兄もこの優秀な弟にいずれ家職を継がせるつもりでいる。
「あっ。山田浅右衛門……」
役人は目を見開いた。警戒と侮蔑に恐怖が加わった。
「これは失礼いたしました。ここにはわけありの収容者もおりますのでな、無頼の者どもが暴れ込んでくることもあるもので」
「山浦時太郎にもそんな者どもが訪ねてきますか」
「タチの悪い借金取りが……。まあ、ここには邏卒(警官)も詰めておりますので、大きな騒ぎには至りませんが」
「ふうむ」
「今、山浦を呼んでまいります」
使いの役人が走り、宗一郎たちは待合所の隅でしばらく待たされた。
「亮。いいのか」
もうすぐ時太郎が現れる。だが、吉亮は平然としている。
「会うのを嫌がって逃げるなら、あいつの方でしょ」
「ふん。あいつも同じことをいいそうだな」
ぬっ、と時太郎が姿を見せた。無愛想な若者で、二人を見ても反応はない。挨拶もせず、大きな身体を持て余して、突っ立っているだけである。野良犬のようないじけた目つきが彼の生活ぶりを語っていた。
「ひさしぶりだな」
宗一郎が声をかけると、かすかに会釈した。
「時太。一緒に帰ろう。うちの親父が、死ぬ前にお前に会いたいといってる」
「宗次師はお元気ではないのですか」
ようやく口を開いた。
「うん。中気で、半身が少々不自由だ」
「え……」
「正月はうちで過ごせ」
ハイわかりました、ともいい出せない時太郎に、宗一郎は軽口を叩くように告げた。
「親父が師匠として命じるのだ。戻れ」
諧謔的な口調は宗一郎ならではのものである。頭ごなしに命じても時太郎は反発するだろう。そして、時太郎の前に風呂敷包みを置いた。
「親父が持たせてくれた。着替えろ。それから……」
吉亮に合図して、持参した紙袋も広げさせた。
「あんパンだ。食え。親父は北斎師の墓に供えたかったようだが、墓石は何も食わん」
「いいんですか」
「北斎師も母親の法要に使えと滝沢馬琴にもらった金を飲食に使い、自分が滋養を摂り、長生きすることこそ親孝行というものだとうそぶいたという。あの世で怒りはしないさ」
時太郎を連れ出そうとすると、勝手に出所の手続きはできないと役人は抵抗したが、
「おい。おぬしの名は?」
吉亮が持ち前の殺気を放ち、恫喝するように問うと、ぴたりと口を閉ざした。東京府や司法省の上役に注進されることを恐れたのである。
浅草溜を出て、三人で歩いたが、吉亮の屋敷は平河町なので、途中で別れることになる。江戸城の北側をたどり、本殿が竣工したばかりの東京招魂社(靖国神社)の前まで来ると、それまで吉亮とは口をきかなかった時太郎が、ようやく低く重い声を発した。
「雲井先生は立派な最期だったそうだな」
吉亮は時太郎とは真逆のしっかりした声を返した。
「俺は十二歳の時から今日まで、三百人の首を斬ってきたが、あれほど神色自若たる人物を見たことはない」
「そうか」
「それより、雪野がどうしているかを訊け」
「うむ」
「うちで、おさんどんやらせて、こき使っている」
「そうか」
「世話をかける、くらいの世辞はいえんか」
「…………」
黙ってしまった。これが時太郎という男である。むろん、吉亮も彼の性格は承知しているから、気を悪くした様子はない。
「借金があるそうだな。一人で背負い込むな。俺たちがいる」
「世話を……かける」
それだけの言葉を交わすと、吉亮は別の道へと別れ、宗一郎は無口な時太郎とほとんど会話をすることもなく、四谷まで歩いた。
帰宅すると、宗次は子供の手習いのように文字を書き散らしていた。治療と訓練のためである。
「おお。ひさしぶりだな、時太」
時太郎はぺこりと頭を下げた。それだけである。宗次も余計な挨拶は省いた。
「お前はまだ若い。これからを考えろ。やりたいことはあるのか」
「いえ。別に」
「刃物鍛冶や道具鍛冶なら仕事はある。洋鉄の使い方を研究してみろ」
「はあ」
時太郎は宗次の手元の画仙紙に目をとめた。子供のような手跡で「一期一会」と記してある。
「まあ、俺が好きな言葉だが」
と、宗次は照れたように笑った。
「一という文字を書くのもひと苦労だ。他の文字より楽だから、つい書いてしまうがな」
散らかった紙の中から「一」を繰り返したものを取り出した。
「一得一失。何かを得れば何かを失う。それが人生だ。それから、こんなのもあるぜ」
と、「一宿一飯」と書いた紙を掲げた。
「それも好きな言葉ですか」
「好きというより……人間には大事なことさ」
時太郎は視線を宙に泳がせた。居心地悪そうだ。
清麿の死後、彼の妻子は家を失った。四谷の町内に粗末な家を借りたが、母のキラは働きに出たので、時太郎は宗次の屋敷で預かることが多かった。自然、刀鍛冶の技を覚える。
清麿は息子を刀鍛冶にするなと遺言したが、技を仕込むなとはいわなかった。屁理屈だが、子供から興味あるものを取り上げることなど不可能である。
ただ、こいつはモノになるまいと宗次は見ていた。他の弟子たちと同様に指導したのだが、固山流の丁子刃も焼けない。というより、焼こうともしない。刀は好きだが、向上心がないのである。常に目標を掲げて生きてきた宗次には、時太郎のような人間がいることは驚きだった。
「自分で薪割りして、風呂を沸かして入れ」
と、時太郎を解放してやると、入れ替わりに宗一郎がやってきた。
「あいつに礼儀作法を仕込まなかったのは、失敗でしたな」
時太郎の問題点は職人としての技術ばかりではないのである。
宗次は恐ろしく時間をかけて「一龍」と書いた。あとに続く文字は「一豬」だが、筆を持つだけでも重労働だった。
「人は教育によって、賢者にも愚者にもなる。手が動くなら『子を養いて教えざるは父の過ちなり。訓導して厳ならざるは師の惰りなり』と書きたいところだ。司馬温公勧学文にある文句だよ。俺は時太郎の父親がわりとしても師匠としても中途半端だったなあ」
「当人の資質にもよりますよ。才人の子はろくでなしと決まっている。親父殿はよくいうじゃありませんか。しかし、物乞いに堕ちたとはいえ、とにかく生き抜く力は持ってる」
「罪人にならなかっただけマシか」
そうはいっても、何の慰めにもならない。
宗次の屋敷の一角に建つ小さな離れ家を時太郎に提供し、しばらくすると、山田浅右衛門の屋敷から雪野も移ってきて、彼らは夫婦のような生活を始めた。
大晦日が近づくと、旧知の研師が宗次を訪ねてきた。廃業の挨拶だった。
「もう年ですし、跡継ぎもおりません。どのみち、刀はもういけませんや」
「新作刀を売るのはむずかしいが、世上にはたくさんの刀が出回っている。手入れをする研師は必要だろう」
「薩長の高位高官が持ち込む偽物なんか研げるかってんだ。慶長新刀を正宗に仕上げなきゃ文句いいやがるんだから」
「御時世だな」
研師は外から聞こえてくる物音に耳をそばだてた。
「宗次さんの仕事場も変わりましたなあ。昔は鎚音が聞こえたが、今は三味線だ。そんな風流人がここにいましたか」
「時太郎だよ。あいつの母親は音曲の師匠だったから」
「ああ。清麿さんの息子が戻ったんですな。まあ、親父もなかなかの遊び人だったからねぇ」
「遊びばかりじゃなく、仕事でも似てくれるといいんだが」
「いやいや。清麿さんといえども、今の時代に生きていたら、食っていけるかどうか。人気はありますがね。それもまた死んじまったからでしょう」
清麿の自刃から十八年になる。いかにも芸術家らしい彼の生涯と激しい作風に憧れる者たちがいるようだ。
「人気あるかね」
「はいな。太閤殿下の時代から刀は沸出来が好まれてきた。最近じゃあ清麿さんが代表格だ。いや、匂い出来の宗次さんには失礼だがね」
「かまわんよ。その通りだ」
「私の客にも、清麿さんの作がどこかにあれば欲しいという御大尽がおりますよ。刀でも短刀でもかまわない、心当たりはないかって頼まれましてね。それで、アサヒさんに声をかけました。お持ちですからな」
「骨喰丸ってやつか。清麿が自刃に使った短刀だな」
「自刃事件のあと、血まみれで錆も出たんで、アサヒさんが私のところへ持ち込んで、研ぎ直したんです。しかしまあ、変わり者の女ですからな、譲ってくれるわけもなかった」
「思い入れのある短刀だ。金品には換えられねぇだろ」
「そういえば、あれには彫刻があったんですが……」
「地蔵の彫りだろ」
「その彫りがね、ちょっと気になって……」
「どうした?」
「地蔵が宝珠を持っていますわな。通常の地蔵と違って、その宝珠を高く掲げてるんです。見ろ、とばかりに」
「ああ。俺も覚えてるよ」
「まあ、新作であれば、彫刻部分は彫り師が自分で磨くんで、研師は手を加えませんが、錆びていたので、私が掃除して磨きました。そしたらね、宝珠だけ鉄の色が違うんです。むろん、私みたいな商売の者でなきゃ気づかない程度の違いですが」
刀の研ぎはいってみれば刀の化粧をはがし、裸にしてしまう作業なので、素肌も見えてしまう。
「ふうむ。別の鉄を埋鉄もしくは象嵌してあるということかな」
「そんなことが有り得ますかね」
「キズが出たのか、彫りに失敗して埋めたのか……。それにしても似た鉄を選んで埋めるものだが、研師なら気づくこともあるだろうな」
「彫り師はアサヒさんでしょ。どういうことかと訊いたら、生前の葛飾北斎先生が清麿さんのところで悪戯に鍛錬をやったことがあって、小物を作ったりしたそうですが、その残り物の鉄を使ったとか。キズを埋めたわけじゃなく、北斎先生の形見(記念)として」
北斎の娘であるお栄の注文銘が入っている短刀だから、それくらいの記念工作を施してもおかしくはないが。
「それだけなのかねぇ」
宗次は呟いた。以前からあの短刀には何かいわくがあると感じている。
明治六年が明けると、松飾りも取れぬうちに押しかけてきた者たちがあった。
「あいや。しばし、お待ちあれ」
応対に出た宗一郎が芝居がかった大声をあげ、家の中の者たちに招かざる客が来たぞと合図した。
宗次は座敷で餅を焼いていた。宗一郎は悪戯でもするように障子の隙間から覗き込んだ。
「来ましたぜ。時太郎と雪野を追い回している借金取りです」
当の二人はのんきなもので、初水天宮の縁日へ出かけて、留守である。水天宮はもともと芝三田の久留米藩有馬家の上屋敷内にあったのだが、維新後は有馬家の移転にともない、赤坂、そして去年は日本橋蛎殻町へと遷座した。江戸後期から子授けと安産の神として信仰されている。
宗一郎ものんきさでは人後に落ちないから、この状況でも焦った様子はない。
「時太郎がうちにいること、上野の溜まり小屋で聞いてきたんでしょう。どう見ても徒者ですよ」
「いたずらもの……か。まあ、会ってやろう。通せ」
やくざ者である。三人が座敷へ入ってきた。宗次は長火鉢にもたれかかりながら迎えた。髷のある者、ない者、着流しと洋装、身なりはそれぞれだが、品格は皆無という連中だった。
「内藤新宿の天輪屋の使いですがね」
兄貴分らしい男が上目遣いに睨みつけてきたが、宗次は見向きもせずに餅を焼き続けている。
「山浦時太郎と雪野を渡してもらいたいんだが」
「理由は?」
「時太郎は借金のある遊女を連れて逃げた」
そんな言葉は宗次の耳を素通りした。廊下に近い若いやくざ者へ声をかけた。
「すまんが、そこの兄さん、廊下を左へ行ってな、台所から柚子で作った薬をもらってきてくれんか。飯炊きの婆さんがいるから」
「はあ?」
「俺は手足が少々不自由でな。葛飾北斎師は柚子を煮詰めたものが中気には効くといっていたもんだ。極上の酒一合に柚子ひとつ、竹ベラで細かに刻んで土鍋にて水飴くらいに煮詰めたものを二日以内に白湯にて用いる。それで病が治るなら苦労はねぇが、まあ気休めだな。あ、ついでに醤油と刻みネギと、それから大根おろしをもらってきてくれんか。餅の色んな食い方を試したら、これが……」
「わかったわかった」
若い者が舌打ちしながら台所へ向かうと、
「何だ、ぼけてんのか、爺さん」
兄貴分が戸惑いつつ顔をしかめた。宗次は独り言のように呟く。
「まあ、ぼけ老人の戯言と聞いてくれてもいいが……二人を渡せといわれてもな、そいつはできねぇぞ。時太郎は俺の身内で、雪野はその嫁だからな。そうはいっても、お前さん方にも面子があるだろう。手ぶらでは帰れまい」
龍が彫られた二十円金貨を取り出し、よたよたとゼンマイ仕掛けの人形のように歩いて、兄貴分の前に腰を下ろし、彼の手をつかんで、包み込むように握らせた。
「何だい、こりゃ。カネですかい」
庶民の間で流通している貨幣ではない。
「加納夏雄からもらったものだ」
「かのう……。大蔵省のお役人かね」
「もっと偉い奴さ。持って帰れ。釣りはいらんぞ」
「御冗談を。二十円じゃ足りませんぜ」
「お前さん方の面子の値段だ。二十円でも高いくらいだぜ。もっとカネっ気が欲しいなら、うちには鍛えた鉄しかない」
宗次は縁側の先を見やった。庭の床机に腰かけ、宗一郎と源次郎が串団子を食っている。のどかな光景だが、彼らの傍らには刀が置かれている。兄弟二人とも若い頃には男谷精一郎の道場で修業しており、据物斬りも山田浅右衛門から伝授されているから、刀の作り方だけでなく使い方も心得ている。
若い男が茶碗に入れた柚子の薬と醤油差し、ネギおろしの小皿を盆にのせて持ってきた。
「おう。ありがとうよ」
宗次はまたふらふらと火鉢の前へ戻り、それだけでも重労働を終えたように吐息をついた。
「爺さん爺さん。お歴々の腰の物を鍛えた刀鍛冶先生なんだってなあ」
「侍だけじゃねぇよ。お前さん方の親分のそのずうーっと上の親分さんも俺の刀を振り回して喧嘩した……かも知れねぇなあ。この年まで生きると、色んな人物とお近づきになるもんだ」
江戸の侠客を束ねる浅草の新門辰五郎にも脇差を納めたことがある。
「もう充分に生きた。そのあげく、手足はこのザマだ。こんな老いぼれの命でよきゃくれてやる」
宗次は焼けた餅をちぎり、ネギおろしをつけて食い始めた。
「けっ。放っておいても、喉につまらせて死んじまいそうじゃねぇか」
「そうだな。死ぬところを見ていけ」
げほっと宗次はむせ、胸を叩いた。呻きながら後ろに倒れ、床の間の柱に頭をぶつけた。真っ赤な顔でのたうち回ると、
「親父殿!」
気づいた宗一郎と源次郎が下駄を蹴り散らかし、庭から駆け上がってきて、抱え起こした。
「叩け叩け、背中叩け!」
背骨を折らんばかりに激しく叩いた。あまりの勢いに、見ているやくざ者たちが青くなり、
「おいおいおい……」
思わず腰を浮かすほどだった。
ぐおっと宗次が餅を吐き出し、せわしなく咳き込むと、
「いかれた爺さんだ」
気味悪そうに、あるいは面倒そうに、男たちは席を蹴った。
宗次は畳を叩きながら身体を起こした。
「ふううっ。三途の川で溺れた気分だ」
「親父殿。何をやってるんですか。死ぬにしてももうちょっと様子のいい死に方があるでしょうが」
「やつらは?」
「あきれて帰っちまいましたよ」
「ぐへへへへへっごほごほっ」
むせているのか笑っているのか、わからぬ怪音を喉から発しながら、宗次は火鉢の前へ這い戻った。柚子と酒で作った薬をゆっくりと飲み、吐息まじりに呟いた。
「柚子は砂糖漬けにでもして、酒は酒で飲んでも、腹に入れば同じじゃねぇのかなあ、北斎先生」