30. 棟区(みねまち)について

 棟区に関しては拙著「刀の鑑賞」に殆ど触れなかったのであるが、矢張り触れておくべきであったと後悔している。但、触れなかった理由はちゃんとあるのである。これについては後述したい。

 さて、日本刀の本で棟区はもちろん、刃区について触れたのも殆どないが一般には「刃区が深いのは刀が健全な証拠・・・」とされている。これについては拙著でも図解で説明してあるし、「振袖中心」と「中心の踏張」の項をみて下されば、それ以上の説明は出来ない。 さて、棟区に注意をするという傾向は一般的には全くゼロに等しいくらいであるが、現実的にいうなら棟区の深さで刀身の健全度もかなり見極められるのである。
概ね、刃区と棟区は同一線上に施すものであり、刀身を垂直に立てて(ハバキを外して)みると、意外に一直線上に刃区棟区があるのが少ない。多くは刃区が上 (切先の方)へほんの少し上がって見えるものが多いが、これは刀身の刃部の減りか欠損によるもので、その多くは刃区の横の刃角(はかど)が欠けたために便 宜的に少し区を送って起った現象である。

 さて、棟区に話を戻すと棟区は刃区と同じ深さが元来の状態(原型)である。中心の棟角の線は中心の尻からハバキ元に向かって上がり、棟区で90度に急激に 横に曲がり、そして棟区の深さの部分(立上)を通って更に90度曲がって棟角の線となって上っていく。併し、中心の棟角から殆ど直線状に近い状態で棟角 (刀身)に連なっている様な古い日本刀を見かけるが、これは明らかに棟の庵が全体的にかなりの回数、研で整形されているという事を示すものである。刀身は 先の方より元の方がより一層、原型が残されやすい(残されている)の」のである。つまり、その原型が残されやすい下の棟区まで、手を加えなければならない 程、上部の損傷が過去に多くあったという事である。
従って生中心の場合はこうした棟区の状態と、刃区の状態(殊に中心の刃方の線の状態)とを併せて判断すると、日本刀の正確な健全度を推測出来るのである。
端的にいえば、棟区が殆ど無くなる程のものは刃区も同様以上に減っていると見ていいのであるといっても良い。何故、生中心と限定したのかというと磨上中心 は本質的に無茶な改造であるから、棟区を深くするというような事には重点を置かないからである。つまり、磨上をせざるを得ない時は本来の棟区の役割を最小 限に全うすれば良いからであり、深い棟区を施すために貴重な刀身を僅かでも減らす行為、工作は極力避けるのである。

 では、何故に研ぎにくい棟を整形せざるを得ないのか。一番大きな理由は鞘にあると思われる。勿論、実戦で使用された折の損傷等も考えられるが、むしろ非実 用時代における手入れ不足であろう。鞘の中で棟は鞘木に接触しやすい。否、刃部は絶対に鞘に接触しない様に加工(掻入)をするが、棟は逆に接触させていか ないと刀身が鞘の中で安定しない。しかも、棟筋を真直に通さないとスムーズに刀身が鞘に入らないし、安定も出来ない。勿論、ハバキと切先の部分二個所で鞘 の中で少し棟全体を僅かに浮かす(適当な表現がないので・・・)様にして刀身を固定するのではあるが、必然的に棟全体に鞘当りを引き起しかねない。鞘当り をした部分は必ず錆びる。だから、刃部の鞘当りには神経をとがらせる。棟と刃部ではどちらが大事かと言えば絶対に刃部である。日本刀の姿を泣く泣く犠牲に しても刃を大事にしたのである事を理解して欲しいが、減った事には変わりはない。

 又、当然ではあるが、鎬にも鞘当りは出るのであって、一番困るのが鎬筋と棟角と棟筋に錆が発生することである。若し、これらの部分に深い錆が出ると各々の 線(棟角、鎬筋)を歪みなく通すために錆の周辺から少しづつ立体的に研いでいかざるを得なくなり、それが結果的には棟区(棟の立上<たちあがり>ともいう べき存在)の深さを崩して(研いで)整形していく事になる。従って、棟(庵)の高さは上部に行くに従って変化している。原型のままの姿は絶対に保存されて はいないのである。但、こうした修理(研)も、日本独特の研方法であるから可能なのである。つまりは “面”を研ぐのではなく”点”で研ぐから最小限の修理として可能なのである。

 では、私がどうして拙著に以上の情報を書かなかったのかという点に触れておきたい。それはつまり、誤解を恐れたからである。刃区の事を解ってもらえれば十 分に判断できると思っているからで、それ以上に書き連ねる事によって、刀に対して”減っている”という点のみを余りにも強調しすぎではないか、単にアラ探 しを教えているのではないかとの誤解を恐れたからであった。長い間(何百年)には刀身は戦で曲がり、切り込み等を受け、非実用時代では余り手入れもされず 鞘の中で錆びる。こうした時代を経ても残されているからこそ、日本刀は大事にしなければならないし、少しでも残されている現状を賞(め)でて楽しむ。欠点 (減り)のない刀は絶対にない。各々、楽しめる点を大いに楽しむのが真の愛好である。この事を是非理解し、実践して頂きたい。

(平成二十三年四月 文責 中原 信夫)