67. 偽物について(その十九)  国貞(真改)の偽物

今回は「中心の鎬筋」についておさらいをしておきたい。

では(49)図を見てください。俗に云う草書銘の国貞で、この草書銘は二代国貞(真改)の若年期の銘とされている。この(49)図は戦前から存在する様で、(49)-1図が昭和十三年十二月に発行の『名刀図鑑』(藤代商店刊)に所載が最古と思われる。(49)図は平成三年一月に私が経眼した折の押型であるが、これは偽銘である。

どうして偽銘なのか。表裏の中心の鎬幅をよく比較して頂きたい。明らかに裏の鎬幅が表より狭くなったのがわかる。(49)-1図は拡大図であるが、一段とその差がわかる筈である。この拡大図は、私のとった押型が故意に誇張した押型ではない事の証左としても掲載した。

こうした点は本欄で度々述べてきたので、今一度再確認しておくと、裏年紀の「正」から「保」にかけての在銘部分の鎬筋が棟方へ寄って曲がり、「三」の銘字と目釘孔の間の鎬筋が明らかに真直ぐにスッと通っていない。表は目釘孔の左側の方へかなり寄って通っているが、裏は孔の左端に接して通っている。

こうした不合理は清麿であれ、清人であれ助広、真改であろうとも絶対にあってはならないし、正真銘には絶対に無いことである。仮に、中心棟を削ったがために、この様に見えるのでは、、、という言訳も出るだろうが、この言訳は言訳ではなく全く
の大嘘である。さらに、目釘孔を斜目にあけたのでは、、、という言訳も同様のもので、実物にはそんな所作はなかった。

では、表銘はいいのではという意見も出ようが、他の草書銘と比べてみて?である。年紀の銘字の配列も無理に押し込めた様な配置配列であって感覚として×である。要は銘字の云々ではなくて、中心仕立が×であるから決定的となる。

では(50)図を見て頂きたい。(49)図の様に表裏の鎬筋は目釘孔と接しているのであるが、この中心仕立は粗見すると良い様に思われる。

併し、裏の中心の鎬筋はピーンと通っていないで蹌踉けて歪み、曲がっています。また、鎬幅が目釘孔の辺りと中心尻の控孔のある辺りも全く同じ幅であります。これは中心の仕立からいうと正常な仕立ではなく、絶対に改変・改造された状態の典型で
ありますし、鎬地には「十一」という銘字がありますが、中心改造改変後の追っかけ銘であることになります。

それをよく証明するのは、裏の中心の棟角の線が銘字「十一」の上下の辺りで膨らんでいます。同じ中心の棟角の線の膨らみは表の棟角にもあらわれています。こうした所作は中心の鎬地を改変改造した証拠であり、一番の決め手となります。この事はかなり以前の本欄(その四)で触れていますので参照下さい。

さて、中心の鎬幅は中心尻の方へ向かって順次その幅が狭くなりますが、中心の研溜(生中心の時は錆際と同一)の所の鎬幅と平地の比率、もっというなら中心の全体の横幅に対する鎬地の幅の比率を維持して下迄つづいていかなければいけません。

事実、全ての正真の中心、改変改造の無い中心ならばその様に仕立てています。従いまして、表の中心の鎬幅は、裏のそれ程ではないにしても?がつく幅であります。これら二点の?からそこの在銘の銘字にも?が当然つく事になってきます。

(50)図の同田貫兵部とは古刀末期の肥後国の同田貫一派であるが、この正真の兵部の中心尻の形は(50)図とはかなり違っていますから、中心の全体の形状にも?がつく事になります。

いづれにしても(49)図は諸書にその押型(中心)が所載するようですし、(50)図には最近の認定書が付いている様ですが、極めて憂慮すべきことであります。両方とも銘字の真偽を言わなくとも、中心仕立だけでも刀身そのものの真偽を決定出来るものであることを、読者の皆様に理解して頂きたいと存じます。

尚、草書銘の国貞(49)図の銘字については、次回本欄で触れたいと存じます。

(平成二十七年五月 文責 中原 信夫)